第2話 帰宅
「あぁ……やっと着いた」
明かりのついた一般的な一戸建ての家の前で、青年は呟く。そして我が家の扉を開くと、暖かい室内へと帰還した。
「早く渡しなさい、ソラ」
「……」
「何してるの」
ドアを開いた瞬間、青年ーー
ソラは女性のあんまりな一言に反抗するように、手振りを加えながら少し仰々しく言う。
「おいおい
「はぁ……いいから早く渡しなさい、ブタ」
「おい!?」
玄関先で愉快なやり取りを交わす二人。
ソラは女性ーー
そしてソファーに倒れ込むと同時に、手に持つ袋を手渡した。
「ほらよ」
「あら、最初からそうすればいいのよ」
「はいはい」
沙夜はぞんざいな返事をするソラの足を無言でげしげしと蹴りつける。
「痛ぇよ!」
叫ぶソラ。
ソラとは対照的に、沙夜は澄ました顔だ。
「知ってるわ、わざとだもの」
「尚悪いわ!」
「いいじゃない、減るものじゃないんだし」
「そういう問題じゃねぇよ……」
こいつはこういう女だ、そう一人で納得し、ソラは語尾を弱めた返事をした。
沙夜は特にこれといった反応をせず、ソラの隣に腰掛ける。
そして、手に持つ袋から目当ての物を取り出し、開封した。
「〜♪」
随分と上機嫌な沙夜。
次々と口内に放り込んでいるのは、ソラが先程購入してきたばかりのプリンだ。
性格とは裏腹に、甘味をこよなく愛している。
ソラは量産されていくプリンの残骸を眺めて、心底不思議そうに言う。
「お前、よくそれで太らないよな」
「ええ、体質のようなものよ」
「随分と便利な体質だな。さぞかし女子に羨ましがられるだろうよ」
「さあ、どうでしょうね?」
沙夜はソラの皮肉を適当にはぐらかすと、プリンの残骸を片付け始める。
そしてーー鋭い視線をソラへ向けた。
「それで、あなたは何故怪我をしているのかしら」
「う……」
左手に巻かれた包帯。
血は止まっているものの、どう見ても軽傷とは呼べない傷を見抜かれ、ソラは思わず呻く。
「ま、まあ、大丈夫だ。直ぐに治る」
そんなソラの様子に、沙夜はこれみよがしにため息を吐いた。
「あのねぇ、私が聴いているのはその傷の原因よ」
「……ですよね」
ソラは少しばかり暗い声を出すと、事の経緯を話し始める。
「襲われたんだよ、
「ここで……?」
それしかないと思っていたが、やはり驚いてしまう沙夜。それは襲われたこともそうだが、ソラが傷を負っていることによる驚きの方が大きい。
「相手の
「正確な内容は知らんが、死体を操ってた。しかも、その死体。肉体のリミッターが外れてるのか、やたら身体能力が高かったぞ」
ソラは蹴りの威力や身のこなしを思い出し、答える。
「死体……ね。そういえば治安隊は?」
「さあ、気付いてるかもしれないけど……どうだろ」
その名の通り、
今回の戦闘は、治安隊が動くには十分な理由だろう。
「まあ、血とかは消してきたけど、あいつら鬱陶しい
はー、だるいだるいと肩をすくめるソラに対し、沙夜は真剣な面持ちをし、ソラの頭をはたいた。
「それで見つかったらどうするのよ……」
「……まあ、その時はその時だ」
「はぁ……」
ソラの計画性のなさに沙夜は額を押さえ、呆れた目をソラへ向ける。
「……ぅ」
そのジトっとした目に気圧されたのか、ソラは僅かに呻く。しかし、そんな状態も長くは続かず。
「あなたの現場処理能力に期待するわ……」
そんな一言とともに、ソラは居心地の悪い視線から解放された。
「…………」
そして、考えること少し。
最も重要なことに気付く。
「……なあ、沙夜」
「何?」
不機嫌さを隠そうともしない沙夜の声に苦笑しつつ、今しがた思い至ったことを伝える。
「俺を襲った奴。あいつの対応どうする? 多分居場所バレてるぞ。明らかに待ち伏せだったし」
「…………」
沙夜は無言のまま、ソラへにじり寄る。ソラはそれから逃げるように後退。そして、ソラの背中には固い感触が。
「え、あの、ちょっ!!」
壁際まで追い詰められたソラに、無言の拳が放たれた。ソラは洒落にならない威力を持った拳を弾き、続いて飛んできた蹴りをしゃがんで躱す。
沙夜の連打の
「おとなしく、喰らいなさいっ!」
ソラはぶんっと空気を切る音が耳元を通過するのを聞き、背筋が凍りつく思いだ。
「ならせめて
ソラの必死さが滲み出た言葉も意に介さず、沙夜の攻撃は続く。
……
………
…………
続くこと数分。
「はぁ……はぁ……」
「あー、無駄に疲れた……」
そこには疲弊しきった二人の姿があった。
ソラはソファーに身を任せ、沙夜もソラの正面にあるもう一つのソファーへ倒れ込んでいる。
「で、結局どうするんだよ……」
天井を見上げながら、ソラが問う。それは、先程から尋ねていた襲撃者についてだ。
「どうもこうも、襲ってきたのなら倒すしかないでしょう」
「ですよね……」
反論を許さない、至極真っ当な意見。
これに関してはソラも反論はないので、別にいいのだが。
「じゃあ、襲撃者が来たら倒す。治安隊が来た場合は顔隠して倒すか、逃げるかのどっちかだな」
「そうね」
最終的な対応を確認すると、ソラと沙夜は倒れ込んでいたソファーから立ち上がった。
両者の視線の先は、壁に掛けられている時計。短針と長針によって表されている時刻は、既に午前一時を超えていた。
「話し合いはこれで終わり。今日はそろそろ寝るとするか」
ソラは
流れ込む冷気。
暖かいリビングに長時間いたせいか、廊下はやけに寒く感じられた。
「寒……」
取っ手から手を離し、ドアがガチャリと閉まる。そして、そのまま寝室へ向かおうとすると。
「お休みなさい」
リビングから、その声だけが響いた。
「……お休み」
ソラは背後からの声に返事をすると、今度こそ寝室へ向かった。
♢♢♢
また、夢を見た。
あの時の夢。
忘れ去ることができない、忌まわしい出来事。
「あああああ!!!!」
目隠しをされ、腕と足も椅子に固定される。満足に身動きがとれないそんな状況で、冷たい針が皮膚を突き破り、何かが身体に注ぎ込まれる。
それが身体に苦痛を与え、痛みに泣き叫ぶ。
サイクルのように行われるその出来事は、幼い子供一人を狂わせるには十分だった。
「痛い、怖い、助けて……誰か、誰でもいい……」
救いを求めても、そんなものはなく。
懺悔しても、解放される訳はなく。
ただ、苦痛のみが訪れる。
「なんで、なんで……」
後悔は意味をなさず。
言葉には力がない。
思いは消え、暗い道だけが現れる。
「僕は……」
やがて涙さえも枯れ果て、心も砂漠のよう。
乾き、渇く。
決して潤うことはなく、心を枯らす死の風だけが吹き荒れる。
「僕、は……」
暗い実験室からは、悲痛な慟哭だけが存在していた。それは決して鳴り止むことなく、ぽっかりと空いた心の穴を、どす黒いもので埋め尽くしていく。
「何で、何で僕が……」
理不尽な暴力を憎む。
理不尽な
理不尽な人間を憎む。
理不尽な世界を憎む。
「僕が……何をっ!」
甲高い鎖の音を鳴り響かせ、少年は吠える。憎むべき
「そうか……力だ」
そして、理解した。
ーー
暴力には
法則には
人間には
世界には
「僕が……」
伸ばされた手に触れるのは、鎖。少年にとっては慣れ親しんだ、冷たい感触。
自然と、理解した。
「
少年の背後には、無数の鎖。じゃらじゃらと音を鳴らし、何も知らぬ
少年は、獰猛に笑った。
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