理論武装《レジスト》
夢月
一章 人形使い
第1話 変化
薄暗い部屋の中。
光源の乏しいその部屋の中心には、一つの椅子があった。木製ではなく、金属製。幾重にも鎖が巻きつけられているそれは、椅子の上の人物の動きに合わせて擦れ、耳障りな音を奏でる。
椅子、鎖、少年。
それ以外には目立ったものはなく、随分と簡素な部屋だった。椅子の上の少年は囚人服のようなものを身につけ、脱力しきっている。顔は俯いており、まるで死んでいるかのようだ。
しかし、少年の身じろぎが、まだその命があることを伝えてくる。
響く、鎖の音。
もう何度目かも分からぬその音を聞いて、少年は自嘲する。そして、掠れた音しか漏らさぬ僅かな自嘲は、やがて嘲笑へと移り変わった。
「後、少し……」
暗い目をした少年は、呟く。声音は楽しげに、表情は悪鬼の如く。じゃらじゃらと鎖を鳴らし、嗤い続ける。
「……待ってて。絶対、殺してやる」
♢♢♢
暗闇が世界を包む時刻。
街灯に照らされた道を、一人の青年が歩いている。その手には、ポリエチレンでできた袋が握られていた。
「ったく、人使い荒れぇよ……」
青年は同居人の女の澄ました顔を思い出しながら、一人愚痴る。
時折吹く冷たい風は衣服を通過し、直接その冷気を浴びているかのようだ。
「寒っ……」
白い息が暗闇に溶けていくのを眺めながら、青年は自宅への道のりを急いだ。
「あぁ、近いからって面倒くさがるんじゃなかった……」
冬の冷気に対してあまりにも無防備な自分の薄手の服装を見て、青年はため息をつく。
頬を撫でる冷気を極力意識しないようにし、力んでいる足を無理矢理動かす。
そして、走ること少し。
「……?」
青年は動かし続けていたその足を、ふいに止める。
視線の先には、一つの人影。
その人物は黒の外套を羽織り、同じく黒の帽子を目深に被っている。そして、それがうまく夜の闇に溶け込んでいるため、性別すら判然としない。
「うわ……」
控えめに言えば、ただの通行人。
常識的に考えれば、怪しい人物。
そして、青年の勘が告げるのは後者の可能性。
どうにもその人物からは、血の予感しかしないのだ。
その面倒臭そうな雰囲気により、つい青年の口からも面倒臭さが滲み出た声が出る。
だが、青年の進行方向に立ち塞がるその人物は、明らかに青年を見つめている。
その様子から、逃がすつもりなど毛頭ないだろう。
「……仕方ないか」
少年はようやく腹をくくると、その人物へ声をかけた。
「あんた、誰だ?」
「…………」
返ってきたのは、静寂。
嫌に静まり返っている住宅街からは、深夜ということもあるのか、全くと言っていいほど音がしない。
どちらともが何も行動を起こさないため、両者の間に静謐な空間が形成される。
青年が「帰っていいかなぁ……」なんて思い始めたとき。
突如、目の前の人物から殺気が膨れ上がる。
「……何のつもりだ?」
敏感にその殺気を感じ取った青年は、低い声で威圧するようにそう言い放った。
「…………」
やはり、返ってきたのは静寂。
しかし、先程とは異なる点がある。
「はぁ……プリン買いに来ただけでなんでこんなことになるんだよ」
外套の人物の手には、黒塗りのナイフ。
つまり、住宅街のど真ん中で戦闘を行う気だ。
外套の人物は一言も発さないまま、青年へ突貫した。
風を切る、鋭い音。
「おいおい……」
その様子を見て、青年は目を見開いた。
なぜなら、足を踏み出した一拍後には、外套の人物が青年の懐へ踏み込んでいたから。
数mの距離が存在したにも関わらず、だ。
「……!」
振るわれたナイフを上体を逸らすことで躱す。
その軌道上に髪先が巻き込まれ、数mm切り離された髪がハラハラと宙を舞った。
青年は僅かに眉をひそめると、上体を逸らしたまま、ナイフを突き出して伸びている外套の人物の腕を掴み、自らの方向へと引っ張る。
青年はその反動で体勢を整え、自分に向かって倒れ込む外套の人物へ拳を叩き込んだ。
響く、鈍い音。
放たれた拳は、外套の人物の手の平によって簡単に止められていた。
「ちっ……!」
舌打ちを一つ。
間髪を入れず背面から迫るナイフの気配を察知し、横へ転がる。
その時に視界の隅に外套の人物を捉えておくことも忘れない。それが功を奏し、外套の人物の次の行動が予測できた。
青年は転がりながら片手を地面につき、グッと力を込める。そのまま地面を押し出すと、発生した勢いによって後方へ跳んだ。
青年の目の前には、先程まで青年が転がっていた位置で蹴りを放つ素振りを見せる、外套の人物の姿が。
「ふぅ……ほんとにこいつ人間かよ」
人間かどうかも疑わしい身体能力を見せつけられ、青年は思わずといった様子で呟く。
青年もある理由により中々の身体能力を手にしているが、それでも外套の人物ほどではない。
無言で佇む外套の人物は、追撃を仕掛けてこない。しかし、青年は決して油断はしないよう心がける。
「っ!」
外套の人物の腕が動いた瞬間。
ーー青年の目の前に闇色のナイフが。
回避する余裕などなく、青年はそれを
舞う鮮血。
刀身部分を掴み取ったため、青年の手の平からは赤い血が流れ出た。
しかし、それを気にしてなんていられない。
ナイフを投げると同時に外套の人物が、拳を叩き込むべく青年の下へ駆けているからだ。
「くそっ……!」
悪態をつきながらも、迫る拳に血に濡れたナイフを振るう。
が、そんな単調な攻撃が当たるはずもなく。外套の人物は振るわれたナイフを瞬時に回避。青年の胴体に、外套の人物の膝蹴りが直撃した。
「がっぁ……!!」
コンクリートの地面をごろごろと転がる青年。そんな青年に容赦なしに、外套の人物は追撃を仕掛けた。
転がる青年に、今度は遠心力を伴った蹴りが叩き込まれる。
「がっ……!!!」
血反吐を吐き、文字通り宙を舞う。
曲線を描いて飛んだ青年は、受け身をとることなく地面へ落下した。
「ぐっ……ぅ」
落下の衝撃がもろに体内を襲い、肺の空気が全て押し出される。一瞬、呼吸が停止。
「はぁ……はぁ……くそ、これ絶対
口元についた血を拭いながら、荒い息を整える。青年は今までの攻防により、一つのことに気が付いた。
「こいつ……もう死んでやがる」
そう、目の前の外套の人物が既に死んでいることに。だというのに、未だその動きを停止させない。
動く死体。
つまりゾンビ。
「こりゃ、勝てねぇな……」
ーー圧倒的に不利な状況。
身体能力、体術、ともに負けている。
他者より高い身体能力を活かして戦う青年にとって、この外套の人物との相性は最悪だ。
「だけど、逃げるのも無理と……」
緩慢な動作で青年へ近付く外套の人物。しかし、その姿におよそ隙と呼べるものは見当たらない。
正に手詰まり。
「面倒だな……おい」
プリンを買いに行っただけで死ぬのは御免被りたいと。青年は仕方なく使用を決意する。
ふぅ……と一息つき、目の前の人物を見据えた。ゆらゆらと身体を揺らしながら近付くその姿は、
そんな感想を抱きつつ。
「
ーー
青年の周囲からは、じゃらじゃらと音を鳴らす十本の鎖。そのどれもが何も無い
「これなら……どうだ?」
青年の言葉に従うように、鎖は外套の人物の下へ勢い良く向かう。
外套の人物は左右同時にきた鎖を上に跳ぶことで回避し、続いて飛んできた正面の鎖を身体を
そして、次に足目掛けて飛んできた鎖を蹴り飛ばし、正面に迫った鎖は腕で弾き飛ばす。
簡単に捌かれてしまった五本の鎖。
しかし、腕と足を振り切った姿勢のままの外套の人物の周りには、既に五本の鎖が。
勿論回避なんてできるはずがなく、両腕と両足に一本づつ巻き付き、最後には首を締め付けた。
空中に貼り付けにされ、動けない外套の人物。
鎖は容赦なく力を強めていき、外套の人物の身体を締め付けていく。そして、抵抗も許さぬままーーその四肢と首をねじ切った。
肉を強引に断ち切る、生々しい音。
鎖から解放された身体は自然落下し、ドサッと重量感のある音だけが鳴り響く。青年も
「さて……」
青年が見つめる先のバラバラ死体からは、本来あるべき血が一滴も流れていない。勿論、動き出す気配もなかった。
「どうするべきか……」
青年が対処に迷った数秒。
突如バラバラ死体の全てが淡い光に変わり、まるで最初からいなかったかのように宙へ溶けた。
青年は驚くと同時に、確信する。
ーーこの死体を操っている者がいることに。
「俺に気付かれず、且つここを監視できる場所ね……」
青年はきょろきょろと辺りを見回すと、少し遠くに一つのマンションを発見する。
その最上階。
青年の目が、一つの人影を捉える。
人影は青年に見られた
肌を突き刺す、冷たい一陣の風が吹く。
「……さて、帰るか」
青年はボソッと呟くと、自宅へ向けて足を動かし始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます