第18話 「旅の成果」
天使の真実(ほとんどマークの勘違いであろう)をアシュレーから聞いて、マークは愕然とした。
さすがに『翼があるのになんで?』と片翼のアシュレーに詰め寄らなかったが、その時のぽかんと口が開いた姿は、『こんな鳥がいたっけ、そういえば』とルルドが思うくらいの変な顔だった。
そんなマークの驚愕が去るのと同じくらいに街に行っていたソルトが帰宅した。街でめぼしい服を購入してきてくれたので、マークとレーベンは感謝してそれに着替えた。昨夜からルルドのお古を着ていたので、少々ぶかぶかな感じでおかしかったが、やっとサイズが合うものを着れて2人とも破顔した。
沼沢地から這い上がってきたような匂いとアシュレーが評した服(ルルドたちの身体から匂い映りした服)は、焼却処分に付されることが決まったようだ。
着たらアシュレーは二度と家に入れてくれないだろうとちらと思った。母ソルトにルルドは「背嚢コートだけは焼却処分を待ってほしい。」と伝えると、ソルトとアシュレーは嫌そうな顔をした。『もう繕てあげない』という顔だった。
『あれは高いんだ。』と心の中で愚痴り、何とか匂いが消える方法を探そうと思った。公営図書館あたりに何か匂い抜きの本があるかもしれないとルルドは食い下がった。
ルルドたちは神前街に行くことにし、玄関から庭先に出た。
アシュレーは、見送りのために玄関を一緒に出て、庭に繋いである2匹の
昨夜は、3人の風呂浴びの後、2匹も同じように湯あみをさせているが、さすがにアシュレーは外に出たがらなかった。「犬がいる」と言われて触りに行きたかったが、夜中でもあるので、断念したのだった。『自分より懐いている』とレーベンは例によって軽い嫉妬をしていたが、相手がアシュレーなので、犬がうらやましい。犬になりたいと思う方が
ルルドは、犬臭さには耐えきれるのかとアシュレーに聞いた。「沼沢地の匂いでなければ大丈夫そう」とアシュレーは言う。
この分だと、行く先のないレーベンが2匹も含めてここで同居しても大丈夫だろうと安堵した。
神前街に向かう途中、2匹はレーベンの脇をけなげに歩いている。
『レーベンは結局、ユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツの従者ではなく、この飛天域にいるべき』とルルドは思いそのように勧めた。職はいずれ何か斡旋してもらうとして、しばらくはルルドの家に居候することになる。『まあ、命の恩人を
ルルドは、レーベンの職として何に向いているかはともかく、情報屋を考えていた。確かに物事を拡大解釈しがちな勘違い男ではあるのだが、そういった勘違いを、『別の解釈ができる能力』と読み替えることもできるのではないかと思っている。まあ、行き過ぎた勘違いは誰かが修正してやればいいのだ。
飛天域にとって、人間の世界を知っている者、つまり地理的、地政学的な点を考慮できる者が必要とされる。要するに『堕天使の嗅覚だけで奇石を探すのは結構限界で、いろいろ人間の世界を知っているものが居た方がいい』や『ユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツのような貴族などが天使狩りを行っている現状から何か大規模な戦争、紛争などが起こるかもしれないという情報収集』も必要になるという意味だ。
そんなことを考えているうちに、神前街の鍛冶屋ギルドがある通りに入っていた。マークが親方から貰っている地図を頼りに進むと、目的の1軒が見えてきた。
マークの叔父(マークの父母の弟)であるセアドア・スミソニールの鍛冶屋である。
ルルドはここを知っていた。何しろ今は無き自分の
また、母ソルトの同級生がこちらの奥さんなので、何かと世間は狭い。
マークの苗字はちらと聞いたが、特にフルネームで呼ぶこともなく、『スミソニール』という名もスミスの変形であるので、失礼な話だが、鍛冶屋としてはあるあるな名である。『鍛冶屋?ああ、スミスさんのところの?』という具合なので、特に苗字の一致を気にしていなかった。
まあ、神前街にある鍛冶屋はたくさんあり、スミソニールという鍛冶屋も複数あるが、表に出ている看板の種類、意匠によって『
その『
叔父に成長してからは一度も会ったことがないとのことで、マークを受け入れてくれるか心配なのだろう。緊張もしているのだろう。
ルルドとレーベンは、マークの肩に手を掛けて、促してやる。マークは左右に顔を向けて、意を決して鍛冶屋の扉を開いた。
細長い建物らしくて、奥の方から鎚打つ音、マークにとっては懐かしい音が鳴り響いてくる。マークは何か懐かしいような顔をして、息を飲んだ。なぜか帰って来たような気がした。
玄関口を入ると、奥に続く通路の前にカウンターが置かれている。そこには、掲示板があり、納期や材料の納品日などのメモが張られている。
カウンターには、天使が座っている。鍛冶屋番というのもおかしいが、まあ依頼者と親方の仲介役とでもいえばいいか、大抵の親方は、接客業などはおっくうで、奥に引っ込んで槌を打つのが好きという人物が多い。ここのセアドア・スミソニールも御多分に漏れずそのような人だ。
ルルドが来る時は、この窓口の天使に
親方の奥さんであり母の同級生であるカウンターに座る赤毛の天使アリシア・スミソニールは、3人の来客を出迎えた。
顔見知りのルルドを見て、「いらっしゃい」と言い、真ん中に立つマークを見やった。人間であることが翼が無いことから分かったので、笑顔ではあったが、少し首を傾げていた。
アリシアに近づいて行き、マークはアルソン・スミソニール親方と長老ドミトリの両方の紹介状を彼女に渡した。アリシアは、
奥から大急ぎでやって来たセアドアは、マークの肩を掴み、「遠いところよく来た。」と笑いかけながら一言述べた。しかし鍛冶作業中であること、中途半端で止められないことを詫びて、奥に引っ込もうとして、振り返り、にっと笑ってマークを奥に来るように促した。自分の甥、鍛冶屋であった兄ミッシェルの息子が来たのである。長兄のアルソンからも仕込まれているに違いないという確信があったのか、すぐに自分のところの職人扱いをしたのだった。『マークの腕も見てみたい』との思いもあったのであろう。
マークは2つ返事で奥に行こうとして、振り返り、ルルドとレーベンを見た。2人は何度もうなずき、温かく送りだしてやった。
手持ち無沙汰になったルルドとレーベンの2人であったが、ルルドは、以前オーラスが注文して作成した
「作成時の絵図面があるからその意匠通りであれば再作成は可能よ。あとは、最近地金が高騰しているから、今作るかは、財布と相談という感じかしら。」と何かルルドの顔色を伺うようなのぞき込むような視線のアリシアから聞き、とりあえず再作成の道があることがありがたかった。オーラスに話してもいいのだが、『なぜ失ったか?』という疑問を呈されたら、『いや、ちょっと投げつけたんで』という間が抜けた理由を述べねばならない。
『(
それに加えて、『金は個人用の奇石、宝玉とかを売れば何とかなるか』とやりくりの算段をし始めるルルドである。アリシアの先ほどの視線を『お金かかるけどあるの?』的なものと勘ぐって「まあ、作成はちょっと考えておきます。」と伝えるしかなかった。『・・・・背嚢コートの匂い次第では、新調もしなければ・・・・お金が』という感じであった。
アリシアは、
まあ、鍛冶屋の窓口の天使に『
などと言えば鍛冶屋中の笑い話になってしまうだろう。それだけは避けたかった。
だいぶあとで知るのだが、ルルドの剣はオーラスの
訳あって宝剣を持ち出して家を出たらしい。
「そういえば」とアリシアは切り出した。「さっき、ソルトが来て愚痴を言って帰ったわ。なんでも『うちのバカ息子が沼沢地の匂いをさせて帰ってきたから昨晩は大変で』とかなんとか。『バカ息子にふりかけて生誕日に買ってもらった香水が空よ』だって。しかも『
さすがに同級生である。ソルトもちょくちょくここへ来ては旦那(ルルドの父)やルルドに対する愚痴を言って発散するらしい。「まあ、あたしはこの窓口の仕事があるからなかなか休めないから、いい話相手になってもらえていいんだけど。」とアリシアは続ける。
母ソルトからアリシアに
そうこうするうちに鍛冶仕事がひと段落してマークと親方のセアドアが奥から出てきた。マークは今日からここに住むことが決まったとのことだった。セアドアは、奥でマークから旅のいきさつを聞いていたらしく、ルルドにここまでマークを無事に送り届けてくれたことの礼を言い、アリシアから聞いた
ルルドはレーベンとともに今度はアドストナーズ・ギルドへ行くことにした。レーベンに情報屋として働いてもらう手前、何かとギルドの後ろ盾が欲しかったのだ。何かをする前には手回しを十分にしておいた方が物事がすらすらと進む。
そうマークに告げると、マークは一緒に行くといい、親方に夕食までには戻る旨を伝え、ともにギルドに向かった。
神前街の大通りを抜け、壮麗な石造りの建物であるアドストナーズ・ギルドの建物に着いた。マークが玄関口の
「ルルド」と声を掛けてくる者がいた。振り返ると黒髪の天使であるナナ・ニーナ・ヘストンがすまし顔で立っていた。黒い服(ワンピースで中央にレースが入り
ナナは、自身の黒い髪を指でくりんくりんと巻いていじってしている。子供の頃からの癖なのだが、子供の頃からの女友達から言わせると、『あれをやってる時のナナは、目の前の男のことが気になってるときよ。気になってることを悟らせないように、いらいらしてるように見せかけてるの。』
開口一番、「早かったわね。」とつっけんどんに口を尖らせて言う。毎度毎度、行くときも帰って来たときも、そうであるように、余計な事を付け加えた。「生きて帰ってくると思わなかったから、あんたの部屋の
いつものことなので、験担ぎとして受け取っておくのだが、毎回毎回、手を変え品を変えする。
慌てて投げ返された部屋の
「変な染み、付けんなよ。」と付いてないが、指でこすって、息を吹きかけて埃を吹き飛ばす振りをした。毎度毎度の験担ぎである。
「つけてないわよ。ばかっ」とナナは顔を赤くして、怒っている。「トイレに落としてないだろうな?」とルルドが聞くと「落とすか!次はへし折っといてやるから。」と返してくる。
「ギルドの備品だぜ、一応。」となおも、擦りながらルルドは「大事に大事に」と撫でまわした。
『備品』の一言が利いたのか、「うっ」と呻いて引き下がった。まあ、教官にでもしれたらことだ。罰として備品の
『う』とまたナナは呻いた。『せっかくこっそりとルルドの部屋の
また居ないことが多いのでオーラス・ボスポラスの部屋は、ルルドの部屋の
誰かが部屋から出てくる『がちゃ』というドアノブを回す音が聞こえたら、すぐさま無人の部屋に入り声を潜めるのだ。
そう、明日は、奇石効果試験でしかも鑑定試験なのだ。『げ、験担ぎであんたの部屋の
部屋の
『前の試験の時はあれでうまくいったからご利益無くなってるかもしれないけど背に腹は代えられない、何しろ鑑定試験がある。わらにもすがる気分よ。』と考えている。
『(在籍札を借りるところが)誰にも見られませんように。』とひそかに尊敬していることを周りにも本人にも悟られまいとしている。自分の部屋の
だが、また口に出してはこう言ってしまった。
「で?今回の収集はうまくいったの?こんなに早く帰って来て、さては逃げ帰ってきたんでしょう?失敗?」と手を腰に当てながら下からねめつけるようにナナは聞く。
ルルドは、破顔して「失敗?いいや、成功だったよ。」と後ろに立ってルルドとナナのやり取りを聞いていたマークとレーベンを親指で指差して言った。
「友人ができた。得難い友人だ。」
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