第13話 「邂逅」
雨が降り始めていた。
遠くで黒狼ではない犬の鳴き声がする。
森の中で3人を始末しつつ、
防刃効果の高い背嚢コートはとっくに脱ぎ捨てて、自身の翼をさらけ出していた。マークが逃げやすくなるよう、自身が天使(堕天使)であることを殊更目立たせるために、そうせざるを得なかった。
翼をむき出しにすれば、天使狩りの連中は確実に食いついてくる。マークの逃げる時間くらいは稼いでやれる。
腕のところどころに刃物による出血をしている。左の二の腕あたりから血が左手まで流れ落ちていく。左手が血でぬるぬるし始めた。雨で洗い流されればと思ったが、出血が収まらないので、次から次へと流れていくので、いかんともしがたい。
致命傷には至らないが、背嚢コートを脱いで戦うことになるとは、思いもよらなかった。
雨に濡れても、翼は重くならない。羽根から分泌される成分で雨を弾くのだ。しかし他の肌の部分は濡れると体温を奪いにかかってくる。
雨雲が上空の風に乗って流れていく。
1人が意を決してルルドに幅広の剣を振り下ろしてきた。ルルドは、
幅広の剣を持つ右手の肩口を左手で抑え込んでいる。利き腕を怪我したのだ。戦力にはなりえないと判断できる。
案の定、残り5人の後ろに後退していく。傷の手当てでもしに行くのだろう。
もう1人が
左手にじんとしびれを感じた。
深いため息をルルドは吐いた。そもそも得手ではない防護剣ではあるのだが、黒妖石を複数取り付けてあるので、俊敏性を底上げできていたのだ。それだけに失った後、調子が狂ってしまうこともある。まあ左手が空いたので、策を弄することができるなとも思った。
相手が強欲であってくれと祈るような思いだ。血でぬるぬるしているが左手を使って見えないように後ろの小ポケットからめぼしい物を取り出した。なんでもいい。きれいな音が鳴ってくれれば。
相手は
相手が軽装なのは、翼があるわけでもなく、単に経済的な問題であろう。
「ちっ」と相手の『くさり野郎』は舌打ちをした。ここまでてこずるとは思わなかったという舌打ちである。最近始めた天使狩りが思いのほかうまくいき、実入りもよくなり、
3人確実に
ジミー、ジョーイ、ジョニー。
そう『くさり野郎』とルルドに勝手にあだ名をつけられたトール・ガーランドは、信じてもいない神に誓いを立てたが、その直後に、
ピーーーーン
という音を耳にした。石畳を
チャリン
と転がる石の音を聞き、その場にいる人間全員の目が、落下地点に集まるのを雰囲気で感じた。
時間にして一瞬の間隙であったが、地面に転がる宝玉を凝視した人間2人が、その場にどうっと倒れることになった。1クロマのダイヤが地面に転がる音は、2人分の命を奪う。価値として釣り合うかどうかはともかくとして、ルルドにとってそんな石ころよりも自分の命のほうが高価なのは確かである。
一瞬の間隙のうちに、2人の人間を
上空の風に流されて雨雲の隙間から、月光が差し込んできていた。
ルルドは、一部を残して階段が崩れ落ちている祭壇の上に陣取っており、白い肌が月光に照らされていた。
腕の傷は、ずきずきと痛み出している。相手の幅広の剣が、何の血を吸っているかわからないので、厄介なことになる。早めに解毒薬を飲んでおかなければ、高熱を発することになるだろう。現在でも痛みと熱を帯びだしてきており、体力を奪いに来ている。
祭壇は、いけにえの儀式のために作られた祭壇だったのだろうか、四方に階段がかつて存在したはずだが、いまは1つの階段しかまともにのぼれないようになっている。3ファーストリング(3メートル)ほどの高さがあるので、結構見晴らしはいい。遠くから見た時の物見台はこれだったのかとふと思った。
先ほどとは少し近くに犬の鳴き声を聞いたような気がした。
『近づいて来ている?』とも思えたが、ルルドには、また別の何かが近づいている気配もする。『奇石の匂い?』とも思えるのだが、奇石が近づくことなどあるだろうか。
そんな疑問も浮かんだが、今はこの祭壇を死守する限り、1対1の戦いができると思い、集中することにした。
もっとも一番嫌な戦いの展開は、3人の人間が代わる代わる攻撃してルルドの体力を消耗させることである。
そうして、その予測が見事に当たってしまった。
3人の人間が代わる代わるに階段を上り攻撃を仕掛けてくるのを、ルルドは辛抱強く払い除け続けた。何回か足で蹴落としたが、相手にとっては、消耗を強いるのが目的であるので、無理な攻撃はしてこない。そのうち、肩口を手当てしてきた男が戦列に復帰して、特に脅威ではない代わりに、ルルドの攻撃を受け流すことで体力を消耗させていく。
防護剣が飛ばされたことが響き始めている。受け流しを
ルルドの吐く息が目に見えて荒くなり始めて、『くさり野郎』トール・ガーランドはほくそ笑み始めた。
マークがゴルトベルクの街まで(黒狼に囲まれずに)逃げ延びることができて、たまたま街に天使(堕天使)が居て、たまたまその愛想のいい天使(堕天使)が手勢を引き連れて救援に駆けつけてくれるという、希望的観測は、ルルドにはできそうになかった。
ルルドは悟った、終わりかなと。
帰りたかったな。わが家へ。アシュレー、母さん、父さん、オーラス、ナナ。いろいろな人との思い出が頭をよぎった。
ルルドは、奥歯をぎゅっとかみしめた。死にたくない。こんなところで死にたくない。こんな奴らのために。
ルルドが活路を開くために足を階段から踏み出そうとしたその時、どうっという音とともに、壁のない広間に騎馬が駆け込んできた。左右からぶつからないようにまるで演習通りであるかのように、
勢いを削がれた
広間に騎馬が数十騎ほど集まり、ざっという音がした。各騎馬は持っている
祭壇の階段を駆け上がってくる人影が目に入った。自分の体にしがみついてくる。マークだった。
「無事でよかった。」そう安堵して、力の抜けたルルドの左脇に自分の体を入れて支えようとした。
「貴族の、ヘルトシュバイツ家の方々が狩りに来ていてたまたま行き会ったんだ。天使狩りの奴らがいるって言ったら、案内しろって言ってくれて。とにかく間に合ってよかった。9人に囲まれてながらよく無事で。」マークはまくし立てた。よほど無事なことがうれしかったのだろう。
祭壇の下、騎馬の
両手は幅広の剣の柄に置かれており、右手には腕輪をしている。ルルドにはそのマントと腕輪が異常に注意を惹く物であった。
他の騎馬は皆、
マントの白さに目を見張ったルルドだが、見覚えのある
そして腕輪は堕天使であるルルドにとって奇石としかいいようのない匂いがするのである。人間が宝玉ではなく奇石を腕輪にわざわざつけている。その不思議さにも眉を顰めざるをいない。
さらにヘルトシュバイツ家だと?
ルルドはマークと祭壇下の
祭壇の下で、騎馬の
「人の子ならいざしらず、天使ならば我が名を聞き及んでいよう。そちらから名乗るがよい。」
そう促して、騎馬の
「高い所から失礼する。我が名は、ルルド・クーリッジ。天使、いや堕天使だ。」ルルドは、胸を張り、その拍子に翼がバサっと動いた。月光に照らされて、ルルドの翼は、白く輝いて見えたであろう。祭壇の下、騎馬の群れからほうっというため息が漏れた。
ルルドは
まだ戦えるぞという意思表示のつもりである。
ルルドが殊更に『堕天使』と名乗りを上げたのには訳がある。堕天使は素早い動きをするので、容易に狩られるようなものではない。却って返り討ちに会う可能性も匂わせておかないといけない。
ルルドにとっては多勢に無勢である。この状況を切り抜けられるのであれば言葉でも
「我が名は、ユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツ。我が領地に天使がいると聞いて、
狩りに来た。」と言うと、周りの騎馬兵から、くくっという忍び笑いが漏れ聞こえた。ルルドの後ろでマークが身じろぎとともに「そんなっ」と言う声が聞こえた。
先ほどの忍び笑いは『わざわざ天使の所に自分たち天使狩りを連れてきた』マークへを嘲笑っているのか、あるいは彼らの主君の言う領地という言葉に反応したお追従の笑いなのかルルドには判断できなかった。
彼らの主君であるユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツの名を聞いたことのない天使はいないとも言える。ヘルトシュバイツ大公。北の国(人間の呼び方で言えば、ホルトシュバイツァー)に勢力を張る大貴族であり、天使たちの天敵である。その身にまとうマントは、天使の羽根で覆われており、自身の天使狩りの成果によって作成したといわれている。自分の領地だけでなく、他貴族の領地まで遠征して天使狩りを行うことは有名で、このゴートの森も彼の領地ではないが、半ば公然と『我が領地』という。
かなりの距離があったので、ルルドから階段下にいるユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツの視線がどのように自分に這いまわっているか、白い翼、雨に濡れた髪、左腕の傷、それらをまるで嘗め回すようにしているのではないかと彼には思われた。
お目当てのソファーが部屋に設えられているのを発見して、これによってどのような寛ぎやすさや快感を得ることができるのだろうかと品定めしているような目付きを想像してしまう。顔は動かすことなくルルドに向いているが、眼の動きがちりちりと自分の肌を焼いていくような気分にさせた。
そうして彼は、じっとルルドの様子を見て、次のように述べたのだ。
「手負いの天使を狩ってもつまらぬな。ルルドとやら、そなたに2日与えよう。その間にこの森を
ルルドの肺は震えた。息を吸うときに、相手の言葉も吸い込んだかのようにルルドには思われた。
目の前の騎馬の
ユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツは、馬首をめぐらして、
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