第12話 「ヘルトシュバイツ」

 ルルドから離れ、うっそうとバレンチの木こうようじゅが生い茂った森、しかも夜の森を、転び転んでは起き上がりを繰り返して、倒木のまだ鋭さが残った枝が自分の手足をかすって出来た切り傷に気付かないほど、マークは無我夢中で走り続けた。

 途中、後ろを振り返り追跡者が居ないことも確認したが、どこから夜行性の獣がはい出てくるかしれないので、休むこともままならなかった。

ゴルトベルグの街まで逃げるようにと促されはしたが、もはや自分が街に向かっているのかさえ半信半疑であった。

 ルルドと一緒に旅をした時間は短かった。今まで親方以外の人に自分の理想おもいを語ったことがなかったマークは、ルルドを『兄』のような存在に感じていた。

そのルルドを残して自分だけ安全な街に逃げようとしている自分に腹が立ってはいるが、自分にできることは、街に救援を呼びに行くことくらいだと自分に言い聞かせて、走り続けた。

倒木に絡まったつたに足を取られてまるで追っ手によって足を掴まれたのではないかとびくついて、びくつく自分に腹を立ての繰り返しで、もはやマークの顔はくしゃくしゃになっていた。

何度目かの転倒で、マークは自分が笑っていることに気付いた。開いた口からよだれとともに、くくくと声が漏れるのだ。追跡者から与えられるかもしれない死、なかば『兄』のように思っている者を置き去りにする負い目、恐怖に震えるあし何もかもが自分の力のなさ、情けなさのせいで、自分自身を笑っている声なのだと気づいた。

 かつて子供の頃、父母を目の前で殺されて、家を焼かれた時は何が起こっているのかはきと判断できなかった。まるで夢の中の出来事のように思えて、早く夢が覚めればいいのにという程度の思いだったのだ。だが、今は夢ではない。現実である。自分の命のみならず、身を挺して逃がしてくれた者の命もかかっているのだ。

マークは倒れた拍子に付いた手を、バチンと地面に叩きつけて、口元をぐいと拭って再び走り出した。倒れたことを地面のせいに半ばしながら。

追っ手などいないに決まっている。足を掴まれるはずもない。何しろルルドが天使狩り《やつら》を相手にしているのだ。そう自分に言い聞かせて、倒れても転んでも立ち上がり、街を目指して走り続けた。

 しばらく走ると、森の開けた所、かつての戦争時に野営地にされるために木が切り倒されたような広場に差し掛かった。その中央辺りに、篝火かがりびが灯されて大小の天幕が設営されている。きらびやかな布で作られた天幕の周りを、質素な白い天幕が囲んでいることに気付いた。

マークは、天幕に近づこうとしたが、横合いから硬い棒のようなもので殴りつけられて、崩れ落ちた。「こんな夜中に近づくとは、無法者か夜盗か?」とぎらぎら燃える目で、幅広の剣を鞘からシャリンと抜き放った。確かに今のマークの姿は、泥で薄汚れて、腕のあちこちに擦り傷があり、旅人にも見えず、そもそも鍛冶屋にも見えない。無理もないのだが、マークはこう叫ぶしかなかった。

「連れが天使狩りの奴らに襲われております。どうかご慈悲を。お助けください。」何度も何度も同じことを顔を伏せて敵意のないことを示しながら叫び続けた。

剣を抜き放った騎士と思われる人物は、マークの首の横に剣を当てて、「詳しく申せ。」と短く命じた。

マークが『天使狩りに合っている連れがいること。天使は1人で人間は9人であること。』を息継ぎ息継ぎして述べて逃げてきた方角を指示さししめしていると、剣を抜き放った騎士の上官らしき人物が、鉄でできたアーメットヘルムを右手で抱えながら近づいてきた。

「天使がいると?」と部下と思われる剣を抜き放った騎士にこう尋ね、「はっ、しかし夜盗どもの虚言の可能性もあるかと。」と自身の推測を述べる部下に対して、「獲物が逃げるとご立腹される。」と部下の推測を却下した。「夜盗ごとき駆除できよう。」

鉄でできたアーメットヘルムを右手で抱えた上官らしき男にマークはえりを掴まれて立ち上がらされた。鉄でできた籠手ガントレットをひやりと冷たくマークの首に喰い込ませながら

「嘘を言うとためにならんぞ、小僧。もし無駄な時間を費やすようなことがあれば、飢えた黒狼ブラックファングの群れの中に放り込まれて生きながら喰われることになる。」と吐き捨てるようにマークの眼を覗き込んだ。

「ゴルトベルグの街で鍛冶屋職人をやっていたマークと申します。神前街へ行くために天使と同行してました。その道中を天使狩りに襲われたのです。お助けください。」マークは、自分の出自や天使狩りに合っている経緯を細かく述べないと真実味がないしんようされないことを悟り、できる限り冷静に嘆願した。

鉄でできた籠手ガントレットの上官は、『神前街』と一瞬考えた後、「猟犬ファウンドどもを先行させろ。天使なら匂いでかぎつけるはず。斥候の準備をしろ。」と矢継ぎ早に命令を下しはじめた。部下たちがバタバタと動き始めるのを確認して、マークに視線を移して「お前も案内しろ。」と命じた。

 マークはその軍隊らしき野営地の白い天幕に引っ張っていかれて、軽装の従者と思われる若者に傷の簡単な手当てを受け、水ももらい、湯気の立つ布を渡され顔を拭くように促された。

騎馬が2騎と従者それに猟犬を引き連れた一行が、かなりの速さで野営地を離れて行った。どこの国の軍隊なのかわからずに、従者たちにこの辺りの領主の名前を出して聞いてみたが、何も聞こえなかったような沈黙が返ってくるのみだった。

 先ほどの上官がマークのいる天幕に入ってきて、マークの姿を見回した。左手の人差し指を立てて手振りでマークに一緒に来るように促して、野営地の真ん中にあるきらびやかな天幕の外にまで案内されて、膝まづくように肩に力を込められて命じられた。きれいな金刺繍で彩られた真っ赤な布が左右に開かれて、白いマント、雪のように白い羽根で装飾されたマントを羽織った人物が現れた。

マークを案内してきた騎士が「ヘルトシュバイツ大公爵にあらせられる。」と主人の名を告げた。鍛冶屋職人であるマークにとっては、雲の上の人、いままで身近にも感じたことがない方だが、今はルルドの救命が第一である。マークは自分の出自や天使狩りに合っている経緯を細かく述べて、仲間の救命を再度嘆願した。

マークは大公爵と呼ばれた目の前に立つ壮年の男の持つ冷たく青い瞳にひやりとして目を伏せた。

われが出向こう。ヘルトシュバイツの名に懸けて、狩ってやろう。我が馬を用意せよ。」

目の前で神々しいまでに美しいマントを羽織っているユーリー・ヴラド・ヘルトシュバイツの堂々とした物言いに今のマークは、すがるような思いを抱いていた。ヘルトシュバイツという名が『神』の二つ名であるかのように思われた。

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