第11話 「餌」

 昼間、ルルドは十分な睡眠をとったため、マークを夜寝かせてやった。ルルドもうつらうつらとしつつ、目覚めては火に枝をくべて、またうつらうつらするという感じで、朝を迎えた。

朝食を早めに済ませて、マークを巨石に残して、作っておいた罠に異常が無いか(間抜けな人間がけつまずいて罠を崩していないか)を確認するために、調べに行った。罠を崩したり、特に接近した痕跡も見当たらなかったので、追跡されていないことにほっとした。

巨石の所に戻ると、マークはすでに身支度完了して、腰に布巻のレイピアを吊るして、周りをうかがっていた。

ルルドは、「ここから森を抜けるまで3日は掛かる。」そうマークに伝えて出発した。

「今日は森の中央の獣道ルートを突っ切りたい。今までと同じ獣道だが、黒狼ブラックファングと遭遇しても夜でなければ、危険はない。」と、黒狼にマークが襲われた理由が夜であったためであることを強調した。

 正直鍛冶屋の職人マークに、この森の獣道を歩かせるのは、あまりお勧めしないのだが、さりとて街道沿いの森の中フォレストリを歩くのは、目立ちやすく、盗賊の襲撃を受けやすい。街道はなおさらである。

 盗賊に襲われるよりは、黒狼に襲われたほうがましとの判断が素人にどう映るのか考えてやる思いやりは、今のルルドには無かった。

街道沿いの森の中フォレストリから森の中央の獣道ルートは、奇石取扱屋にとってはセオリー通りのルートだが、今回は奇石収集が目的ではなく、自分ルルドにとっては帰還、マークにとっては将来の職を得ることという目的のためなのだ。途中で奇石の匂いがしたとしても、無視して走破しなくてはならない。但し、匂いがする場所は記憶して次の収集時に役立てよう。

 このゴートの森は、土地としては古戦場にあたる。大昔、天使と人間が戦争をした跡地である。

ところどころに城址とりでがあり、盗賊の住処すみかになっていることも、木こりや猟師の仮宿になっていることもある。だが、ゴートの森に沿って流れるネル川の氾濫が頻発しており、そしてなによりであることから、盗賊であっても長居したがらない。気づいたら後ろを歩いていたなかまが、消えているということもしばしばであり、土地に飲み込まれる、あるいは喰われるという表現をする。天使の間では、かつて戦争を繰り返したことへの『天罰』とも言われている。どこぞの名家が掘り起こし埋め戻しを繰り返したというのは世間にはあまり知られていない。そんな状況であるので、獣道を行く理由は、そういった危険を動物たち特有の勘のおかげで避けられるからである。

 昼過ぎごろまで獣道を歩き続けて、獣道を外れたところにちょうど良い空き地を見つけて、ルルドとマークは少し遅い昼食を摂ることにした。簡易軽食は乾パンと乾燥ハム、乾燥ピクルスとワインだった。もう火を起こすという危険を冒したくなかった。

『心まで乾燥するなあ』と皮肉な感想を心に浮かべながら、ルルドはワインをぐっと一飲みした。堕天使であるルルドにとってワインはジュースに過ぎない。飲んでも酔うことはなく、ブドウジュースでしかない。帰還して天使に戻りさえすれば、酔えるのにと静かにため息を吐き、同様の食事をしているマークにもワインを勧めた。

下戸げこなんだ。」とマークは続けた。「兄弟子と初めて飲んだとき、盛大に吐いてリバース、それ以来飲まないようにしてる。ここで飲んでもいいけど、君の後ろでげーげー吐きながら千鳥足で付いていく僕を見て、笑わないふきださないと約束してくれるかい?」と上目遣いに言う。2人はお互いの口角を上げて声に出して笑った。

朝から冗談も言わずに獣道を這いずりまわってきたので、お互い何かが切れたのだろう。しばらく笑いあった。

 そう遠くない所から、黒狼のぎゃんぎゃんいう咆哮が聞こえてきた。マークは顔を上げ、ルルドは後ろを振り向き、咆哮のほうへ注意を向けた。

「何だろう?黒狼同士の喧嘩?」マークは、黒狼が縄張り争いしているのかと思った。ルルドはマークのそれ以上の発言を遮るように右手を挙げて小声でこう訂正した。「いや、黒狼は縄張り争いをしない。同じ群れだと仲間同士の連帯意識が強く、別の群れと遭遇しないように気を遣って行動する賢い奴らだ。はぐれファングが群れに入るときは大抵こうべを垂れてお伺いをたてる。同族で喧嘩をしたりしない。ただし少々不思議な生態だとも言われている。まあ、たまにわけがわからん行動もする。」

「出発の準備をしろ。やばい予感がする。」そう言ってルルドは、咆哮のほうを向きながら、荷物を背負って出発の準備を始めた。マークもそれにならう。

「黒狼は他の動物とやりあうが、吠えるよりも数の力で威圧して周りを囲い込んでじわじわと追い詰めるタイプの狩りをする。その黒狼が咆哮を上げる時は、特徴がある。」とルルド。「特徴?」とマークは先を促した。「ああ、相手が『人間』のときだけは、声で威嚇する。」そう言うとルルドは、獣道へマークを促した。

 マークが獣道の危険性を指摘するとルルドは、「今、人間が黒狼とやりあっているのは、おそらく獣道じゃあない。俺たちが居たような空き地で同じように休憩していたのかもな。で、その中のが、獣道を通りかかった黒狼にちょっかいを出したのかもしれん。黒狼が狩りをするのは、夜だけだ。昼間は獣道を移動して獲物を監視する。昼間に獣道でばったり人間に出くわしても、目を逸らさなければ黒狼のほうが逃げていく。無用な狩りや戦闘をする生き物じゃない。」続けてルルドは、マークの二の腕を掴み眼を見て言う。「いいか、これから進む獣道で黒狼に出くわしても、逃げるな、後ずさりするな、目を逸らすな。剣を抜くな。俺が立ち止まったら、立ち止まれ、進んだら、進め。」

 マークがルルドの指図にコクコクと2度うなずくのを確認して、ルルドは獣道に入っていった。

立って走れるところもあれば、しゃがみ続け、這い続けの箇所もあるのは、初日通ってきた森の中央へ至る獣道のファーミドルルートと変わりはない。初日の走破による身体中の痛みは、その後の休憩でだいぶ良くなったのか、マークもルルドに追随して獣道を進めるようになっていた。ルルドもそんなマークの後ろを付いてくる音を聞きながら、後ろを振り返ることがなくなったことをうれしく思うのだった。

 先ほど聞こえた黒狼のぎゃんぎゃんいう咆哮は、その後断続的に聞こえ、そのたびに、ルルドは獣道で立ち止まり、その場で森の中の物音に耳を傾けるのであった。

マークは、ルルドの様子を後ろから見ながら、一緒に物音に耳を傾ける。

 しばらく確認したら、出発して、再び咆哮が聞こえれば、立ち止まるを繰り返して、黒狼が人間とどのようにかかわっているのか耳で確認しようとした。

ルルド曰く、「どうも人間が黒狼に失血を強いていたみたいだ。ぎゃんぎゃんいう咆哮がだんだん移動している。ということは人間を追いかけているということだ。失血を強いていた場合、群れは全滅するまで戦うといわれているから、まだ全滅もしていないし、人間も狩られつくされていないということだろう。」

マークは黒狼が、自分たちマークとルルドを仇と勘違いして追いかけたりしないのかと心配になりその旨ルルドに聞いてみた。

「黒狼が失血を強いられたその凶器、要するに人間の武器に着いている同族の血を嗅いで攻撃ふくしゅうしてくる。あるいは返り血を嗅いで攻撃ふくしゅうしてくる。勘違いはあり得ない。」とルルドは答えた。

「但し、襲われている人間の群れが俺たちを取り囲んだとりこんだ場合、黒狼がどう出るかはわからない。最悪巻き添えを喰う可能性もある。」とだけ付け加えた。

 マークは眼をきょろきょろさせてそうならないことを祈った。

 再び走り始めて、昼過ぎになると、ルルドはマークを立ち止まらせて、獣道の中で遅めの昼食を摂ることを伝えた。今、黒狼に失血を強いた人間たちが逃走を図っており、この辺ルルドたちのほうへ近づいているかもしれない。獣道を一旦抜けて森の中に入り、ばったり出くわしたくないというのが、ルルドの主張である。巻き添えは御免だ。

 2人で腰を下ろして、背嚢コートから簡易軽食を出して頬張っていたが、会話はしなかった。黒狼のぎゃんぎゃんいう咆哮を聞き取りたかったし、追われている人間の声も聞きたかったのもある。ルルドは、眼も盛んに動かして、眼と耳で状況を把握しようと努めている。

マークは食事を頬張る音さえもルルドの邪魔になるのではないかと静かに咀嚼するのだった。

食事が終わり立ち上がって背嚢コートを着終わったその時、マークの横手から黒狼が獣道を進んできた。黒狼はマークたちを見とがめると、立ち止まり、じっと凝視した。ルルドは進行方向よそを向いていたためにその接近に気づかず、マークだけが吃驚する形になってしまった。夜に黒狼の群れに囲まれた恐怖が蘇ってきたために、あの夜と同様の「ひっ、うわー」という叫び声を上げて森の中に逃げてしまっていた。ルルドが叫び声に反応して横に立っているはずのマークを見た時には、マークは前方の森の中に入り込んでいた。「マーク!」と呼びかけてそれを見送りつつ、逃げたマークを追跡する黒狼の群れを見ることになってしまった。『獣道で黒狼に出くわしても、逃げるな、後ずさりするな、目を逸らすな。剣を抜くな。俺が立ち止まったら、立ち止まれ、進んだら、進め。』という注意は、夜に黒狼の群れに囲まれた恐怖が抜けきらないマークには通じなかったようだった。

 マーク、黒狼、ルルドの順番でする羽目になり、ルルドはマークのみならず黒狼までも自分が追いかけていることに違和感を感じつつ、そうは言ってもマークをこのまま見捨てることもできずに、走り続けるのだった。マークはマークで目に涙を貯めながら、ルルドのことなど頭の中から消えていた。ただただ恐怖していた。

『また囲まれる。』そう思っただけで居ても立っても居られないようになっていた。

 ルルドはマークの走りっぷりをかなり先に見て、『初日とは大違いだな。』とおかしな感想を持ちつつ、マークがどこかで転んで、突っ伏してくれることを期待もしていた。

転んで死んだ真似をしている人間を黒狼が見過ごして森の中に走り去ったという笑い話が酒場でなされるくらいなので、黒狼の不思議な生態が拝めればマークは助かるなと少々不謹慎なことも考えていた。黒狼は走り始めると周りが見えないのではないかという猟師や木こりもいる。マークが黒狼に失血を強いたわけではないことがせめてもの救いだった。

ルルドの勘では、この群れは人間を追いかけていた群れとは違う。単なる通りすがりの群れであると見ていた。

 かなり走っただろうか。前方を行く黒狼の群れに追いつきかけて、挑発しないようにルルドは歩みを止めた。ゆっくりと草陰に隠れて眺めると、黒狼の群れと9人の人間に挟まれたマークが見えた。マークは逃走途中に9人の人間と出くわして走るのを止めたらしい。黒狼の群れはいきなり増えた人間の数に驚いたのかマークたちを眺めて遠巻きにしていた。

 9人の人間の中から悪態が聞こえてきた。「の群れを引き離したのに、また別の群れか。」と重そうな鎖帷子を来たがっしりとして体力のありそうな奴が「くそっ」と叫んでいた。マークは味方かどうかわからない人間に囲まれて、どうしていいのかわからなくなっていた。

 とっさにルルドは、『こいつらが黒狼に失血を強いた奴らか。』と理解した。初日にゴルトベルクの街付近で出会って情報を共有した商人隊キャラバンの護衛担当が言っていた10人くらいの『何か得体のしれない奴ら』にも人数的に合致する。1人足りないがまあそんなもんだろうとルルドは思った。

それにしても『引き離した』という悪態はなんだ?返り血を浴びた者はどうなった?と怪訝に思ったルルドだった。

9人の『何か得体のしれない奴ら』が剣を抜くのを見て、ルルドは『まずい』と思った。また黒狼に失血を強いるつもりか。

ルルドは、遠巻きにマークを囲んでいる黒狼の群れの背後に唐突飛び出して、黒狼の虚を衝いた。案の定、今度は黒狼の群れを挟む(挟むというには人数的にルルド1人だが)形になり、群れはおずおずと退散するそぶりを見せ始めていた。ざっと音を立てて歩みを進めると、黒狼の群れの中でも大きな個体がさっと退き始めるのに続いて残りの群れも同調して、マークとルルド、9人の『何か得体のしれない奴ら』から離れて行った。

 ルルドはへたり込んだマークに近づき、「大丈夫か」と声を掛けた。マークは涙目で、口を開けて呼吸して胸を上下させて、こくこくと頷くだけで、声が出ないようだった。怪我がないことに安心してルルドは自分の背嚢コートからニレの木の水筒を出してマークに差し出した。

マークは震える手で水筒を受け取り、しばらくしてから水を飲み始めた。

 9人の『何か得体のしれない奴ら』が剣を鞘に納めた。どうやら重そうな鎖帷子を着たがっしりとして体力のありそうな奴がリーダー格らしかった。彼らも同じように水筒を取り出し思い思いに水を飲み始めた。

 ルルドは警戒しながらもリーダー格らしい髭まみれの男に「黒狼に失血を強いたのか?」と質問した。リーダー格らしい髭まみれの男は、水を飲んでいたが、水筒を口から外して「ああ、あの犬ども、ちょっとちょっかい出したら追いかけてきやがって、1人犠牲にして逃げるしかなかった。」と口の端からこぼれた水を腕で拭きながら、腰にさしている幅広の剣の柄をバンバンと叩いた。『黒狼の返り血を浴びた奴をこいつは殺したのか。』とルルドは顔には出さなかったが、心の中で驚愕した。『他の奴らがよく付いてくるな。』とちらと地べたに思い思いにしゃがみ込んでいる『何か得体のしれない奴ら』を見回した。

「おたくらも追いかけられてたんだろう。」とリーダー格らしい髭まみれの男に問われて、「ああ、連れがビビって走り出してな。」とその連れマークを顎で示して片方の口角を上げた。

「森に慣れてなくて。」とルルドは付け足した。

 商人隊キャラバンを森に隠れて監視しているような奴らだ。早めに会話を切り上げてしまいたかった。が、マークの息が上がっているうちは、この集団から離れるのも考えものだった。先ほどの

黒狼は数の力にんげんのかずで何とか退散させたが、獣道からこちらを見ているかもしれない。黒狼は昼は獣道から獲物を監視する。夜になると襲ってくる。

 空を見上げた。黒雲が集まり始めている。『今夜は雨か。夜営の場所を探さないとな。』などと考えて、このあたりに城址とりでがあったような気がすると思い、マークにちょっと待っているように言ってから少々小高くなった丘に向けて歩き出した。

 小高くなった丘に差し掛かると、そこへ上って周りを見回してみた。城址とりでがあったようなだけで同じような場所は、この森の中には数十はあるだろうと思ってはいたが、エルトの方角に、物見塔ものみとうらしき構造物が見えた。

今日はあそこで夜営しようと思ったが、9人の『何か得体のしれない奴ら』には伝えずにマークを促すことにしよう。数が多くても寝首を掻かれたのでは意味がない。黒狼に失血を強いて返り血を浴びた1人をあの髭は幅広の剣で殺して生贄にしたのだ。いつこちらにその幅広の剣を向けてくるかしれたものではない。

 『さて、マークは回復したかな』と思い、マークと9人の『何か得体のしれない奴ら』の居る方向へ向かうために首を動かしたところ、木々の間から、マークがレイピアを抜き、9人に囲まれているのが垣間見られた。9人全員が幅広の剣を抜いている。

 独りにするべきではなかった。息が上がっているところを無理にでも引っ張っていくと、9人の『何か得体のしれない奴ら』を刺激するとの判断だったのだが、ルルドは判断が間違っていたことを悟った。思えばマークを独りにしていいことがあったためしがないと今更に自覚した。

 ルルドは全速で小高くなった丘を駆け下り、走りに走った。何が起こった?何を言った?何に気づかれた?といろいろ疑念が湧いてくるが、この際どうでもいい。できればこちらが接近していることにだれでもいいが気付いてくれれば、マークへの攻撃を躊躇するはずだ。鍛冶屋の職人でありどこかのお坊ちゃんにも見えそうにないマークが金目の物をもっているわけもなく、彼らが盗賊に衣替えしたとしても、何か得られるものがあるのか?せいぜい身包み剥ぐ程度で、そんなもの二束三文にもならないはずだ。そう自分に言い聞かせて、森を駆け抜けた。

 マークは慣れないレイピアの柄をぎゅっと掴み、普通の幅広の剣のように構えてぶんぶん振り回す。掛かって来ようとする1人に切っ先を向けて威嚇する。後ろに後ずさりして倒木に足を取られそうになったりする。走って逃げて追いつかれないという保証はない。じりじりと囲まれるように感じたので、一番近くの鎖帷子の男にレイピアを振り下げた。ぎんと言って幅広の剣に弾かれて、その衝撃で剣が弾き飛ばされた。マークの右横に転がる父の形見。

 鎖帷子の男は、こいつは何でレイピアを持っているんだと思ったが、値打ちもののような剣なので、戦利品としていただいておこうとちらと思った。剣の回収は後にしてとりあえずこの小僧を捕らえてもう1人用ルルドの人質にしようと思っていた。

 マークは丸腰になってしまい、形見の剣が手から飛んでいったことが心細く、じんじんする右手を左手で押さえながら、さらに後ずさりするしかなかった。

 天使が使うレイピアはマークにとって理想の剣であった。そして父の形見のレイピアであった。親方と長老が自分に与えてくれた剣だった。だが、それは弾き飛ばされて、草の間に転がってしまっている。鍛冶屋なので、何の剣の修行もしていない。扱いがうまくないのは当たり前だが、いくら綺麗なレイピアでも使う者がこれでは何の役にも立たない。自分を守ることすらできない。

『人を守るもの。』

『人を殺めるもの。』

そう言っていたルルドの声がマークの脳裏に浮かんだ。

 ルルドはマークがだんだん後ずさりして行っているのを見て、囲まれていないだけましだと思った。

「マーク!こっちだ!」とルルドが叫ぶと、マークはこちらを向いて、駆け出した。そうだそうだそれでいい。

鎖帷子を着たがっしりした奴が、「追え」と号令すると全員でマークを追跡し始めた。

ルルドは自身のレイピアを鞘から引き抜き迎撃態勢に入った。ありがたいことに9人の走る速度は遅く、鎖帷子の男は言うに及ばず、他の軽武装の男もマークの足には勝てないようだった。

「ルルド、こいつら盗賊だ!街の近くの森に潜んでたやつらだ!」とマークは叫ぶ。ああ、そうだろうともとは言わずにルルドはマークを背に回して、9人から守る体勢を取った。

 ルルドはレイピアを右手に構え、左手には防護剣マン・ゴーシュを構えた。

マン・ゴーシュは、相手の剣を受け流すための短剣と言ってもいいのだが、ルルドの場合、扱いがうまくないので、である。子供の頃の練習時に、気付くと左足が血まみれになっていたことがあり、自分には向かないと思い、刃が無いものを作ったのだった。単に防御をするためだけのものになっている。

見る者によっては、二刀流に見えないこともなく、結構威嚇にはなる。近くまでよって刃がないことを確認するような隙をルルドは見せるつもりはない。

もっともルルドは知り合いから聞いたことがあるのだが、防護剣のたぐいで接近戦を演じて、騎馬から騎士を落馬させたことがあるものもいるそうだ。武器として使えないものでは決してない。

 ルルドがレイピア防護剣マン・ゴーシュを構えていることから、9人の盗賊は、攻撃を躊躇した。さすがに両手を広げてかざしているルルドを即座に攻撃しようとするには、勇気がいるのであろう。

 ルルドはひとまず城址とりでの方に盗賊たちを誘導するつもりだった。マークを背に回し、盗賊を攻撃しては退け、マークに走るように促し、その繰り返しで先ほど城址とりでを確認した小高い丘のあたりまで何とか逃げて来れた。

ルルドは盗賊のリーダー格へ向かって、「おいおい、こんな坊やを狙ったって金など持っていないことくらいわかるだろう?何考えてんだ?」と問いかけた。

盗賊のリーダー格の男はにやと笑ってこう言った。「さばき方なぞいくらでもあるぜ。どっかの領主のところで農奴として死ぬまで一生畑仕事させることもできるし、どこぞの鉱山奴隷として一生石拾いさせることもできるし、大きな街なら男目当てのなんちゃら小屋もあらあな。」

周りの男たちもくくくといやらしい忍び笑いを出している。「それに男の2人連れならのいい仕事があるぜ。」とルルドとマークの男2人組ペアがあたかもそっちの世界の住人であるかのように思っているらしかった。ルルドはぷるぷるとおこりのように剣を握る手が震えるのを耐えなければいけなかった。『宿屋のおやじ、こんな男2人旅させやがって。今度あったら絶対滞在費をロハにさせてやるからな。』と、いつぞやは大変感謝していたはずの宿屋のおやじに対してというたいへん汚い言葉を使って悪態をついた。

 とりあえず何人か敵の数を削て行かなければ勝ち目がないことをルルドは自覚していた。マークはレイピアを弾かれて落としすでに丸腰状態である。戦力にはなりえなかった。城址とりでであれば、何らかの突起物があったり、籠れるところなども期待できる。何より盗賊よりはましな人間(木こりや猟師など)が居れば、(巻き添えにするかもしれないが)共同で盗賊に対応することも可能かもしれない。数が増えれば、やられにくいのは、黒狼の時の状況にも似ている。相手も勝ち目を考えるものだ。

小高い丘のあたりまで進むまでに何人か倒せればと思っていたが、マークを庇って後退するだけで精一杯の状況は変わりなかった。

 雨がぽつりぽつりと降り始めていた。

ぽっこり盛り上がった小高い丘の下あたりで、ルルドはマークにこう叫んだ。

「マーク、コートを脱げ。」

マークは一瞬という先ほどのやり取りが聞こえていたので、びくと震えた。

そうこうするうちにルルドが先に背嚢コートのボタンを、防護剣を握っているが比較的自由にできる左手を使って外して、コートをばさりと地べたに脱ぎ落とした。

コートをマントのように羽織っているだけのルルドである。手際が良かった。

あの夜に見た白く美しい羽根の翼が現れた。盗賊どもが全員ほうっと言う感嘆を含んだ息を吐くのが聞こえた。「はやくしろ、マーク!」とルルドが催促して、こういう時のルルドには訳があると旅の途中から気付いていたので、ルルドに倣ってマークも背嚢コートを脱ぎ捨てた。

 盗賊たちの反応は、明らかに違い、『もう一人は人間か』という舌打ちの音が聞こえるほどだった。

ルルドは今は悟っていた。こいつらは天使狩りだ。いまさらだが9人の中に見覚えのある奴がいた。

木の根元に入るため専用のような色合いに染めたコートを着た『木の根っこ』と『蛇』である。奇石収集に失敗し、ルルドが一目散に逃げだした罠を張っていた連中だった。

盗賊のリーダー格の男は笑いだしていた。まるで骨董品屋で吃驚するぐらいの値札が張っているものを見つけた時に上げる声に似ていた。「掘り出し物だ!」この翼のことを言っているのだろう。舌なめずりさえ聞こえそうだった。

 後ろのマークに向かって首だけを回してルルドは囁くように言った。その顔には、微笑さえ浮かんでいた。声にはやさしさが含まれていた。「マーク、逃げろ。後でで落ち合おう。」

そう言ってルルドは9人の盗賊に顔を向けた。今度は「行け!」とひときわ大きな声を出していた。ルルドの顔には緊張の色さついが出ていた。マークにはその顔は見えなかった。

再び「行け!」と言われて、いや、命じられてマークは泣きそうになりながら、街と思われる方向に走って行った。自分が足手まといであることくらいマークは自覚していた。

『後でで落ち合おう。』というルルドの言葉が本心でないことくらいマークには理解できた。そのやさしい声には『俺のことは構わず安心して逃げろ』というやさしさが隠されていた。

 9人の盗賊がルルドまで逃亡を図るのではないかとマークを追跡にかかったが、杞憂に終わり、ルルドに行く手を阻まれた。ルルドは右手にレイピア、左手に防護剣を構えて両の手を大きく広げて9人を威嚇する。そうして、ルルドは自身の翼を大きく羽ばたかせた。できうる限り自分の方に食いつかせなければならない。ルルドは自分を餌にした。

マークを逃がすために。

 ルルドは、マークが走り続けており、盗賊の追跡が無いことを確認して、小高い丘の上に、陣取った。

 右手のレイピアが相手に向いている。手の甲は上に向いており、指は曲げられてレイピアの意匠のように見えるリングにはめられている。

左手は広げられてまるで盾のように防護剣マン・ゴーシュが構えられている。

剣先が1ファーストリング(1メートル)に届きそうな長さである。間合いに入り込めば何とかなるとは鎖帷子を着たリーダーの言ではあるのだが、実践は簡単ではない。

左手に構えられた防護剣で、こちらの幅広の剣を防がれて、その剣をねじられ、何人か剣を手から落とされていた。1本はぼきと折られていた。

防護剣の手元にある突起のような部分で絡めとられてしまうのだ。そして、奴の動き。

 天使狩りは実入りがいいので最近始めたばかりだが、不意打ちで狩っていたので、こんなにレイピアを使う奴とは初めての戦闘である。

レイピアの切っ先がまっすぐこちらを向き、水平に構えられているので、こちらから見ると一瞬、レイピアが無いような感覚になる。それもルルドのなのだが、人間の目線に合わせてレイピアを水平にして相手の距離感などを狂わせている。

また、この堕天使は、レイピアを振りかぶる、撫で切るという動きもするのである。

通常、レイピアは、刺突に使う。刺すという攻撃である。だが、このルルドは自身の翼の白い羽根が少々抜け落ちようとも、自分の剣を翼近くまで振りかぶり振り下ろすのである。

 レイピアの柄は、通常手首の下あたりに被せられており、剣の重さをその部分で相殺(軽減)している。ルルドは手首に腕輪を付けて剣を振り下ろしやすいようにしている。手首を痛めないようにする工夫である。

 刺突なのか斬撃なのかそれらを組み合わせてコンビネーションで多様するので、どんな攻撃がくるのか予測しがたい。9人いたのにもう3人は、森の中にどうっと倒れている。生死のほどは不明だが、攻撃のために合流してこないとなると、死んでいるのだろうと考えるしかない。ルルドのそういった攻撃は、大抵致命傷になる部分を狙っており、首筋、脇腹、太ももの真ん中など、血しぶきが飛び散り、血がどどと流れ出てくる箇所を集中的に狙ってくるのである。しかも、素早い動いで一挙に間合いを詰めてくるので、気付いたら、横に立っていた仲間にぷつりとレイピアが刺されていて、その一瞬あとには、あいつが立っていたはずのところに戻っているのだ。何か得体のしれないリズムを持った動きで後退をして、得体のしれないリズムを持った動きで急に目の前に現れるといった具合である。

 そんなルルドだが、足元を気にしていた。森の中なので動きが鈍い。こんな足元に何があるのか分からない森の中で戦うのは正直嫌だった。レイピアを振りかぶる、撫で切るという動きを多用して、何とか本来の動きをしなくてもいいようにしているのだが、やはり刺突を考えて作成されている剣である。素早く動いて奴らに失血を強いたいところである。囲まれないように逃げ回っているように見えるが、ルルドは森の中の足元の状態も確認して動き回っている。ここの足場は良いとなったら、刺突を繰り出すと言った具合である。

何とか城址とりでに向かいたかった。あそこなら足場は石畳のはずである。こちらにとっては得手のレイピアの本来の動きをできるというものだ。

 この盗賊どもは、ルルドが城址とりでに誘導していることに気付いていない。ルルドはにやと笑った。師匠のオーラスから戦闘中は笑えと昔言われたことがある。

そうすれば相手にはこちらに余裕があるように見えるからと。

 今のルルドもにやと笑いつつ、

その時の戦闘でオーラスの隣で戦いながら

『なんか相手がすごく怒ってるみたいすけど、気のせいすかね?にやにや笑いするたびに、相手の顔が強張って来て、舌打ちが増えてるんすけど。』

『・・・・気にするな。』

『もしかして相手馬鹿にしちゃってるんじゃないすかね?』

『・・・・・・そういう場合もあるな。』

という小声でしたオーラスとの会話が思い出されて、吹き出しそうになるのをぐっと我慢した。

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