第10話 「綺麗な剣」

 ゴルトベルクの街の門をくぐり、緩やかな下り坂になっているその中間付近で、ふいにマークの足音が途絶えたことに気付いて、ルルドは振り返った。マークは街の方を向いていた。街への別れを惜しんでいるのか、あるいは涙を流しているのか、ルルドは声を掛けるタイミングを逸して、マークがこちらを向くのを待っているしかなかった。

 街の門の付近に親方アルソンと長老ドミトリが立ち、こちらを見ていた。前掛けのような作業着を着ている。じっと笑いもせず泣きもせず、手を振るでもなく、ただただ口を引き結んでいる。

 マークがふいにこちらを向むき、ルルドは風にそよぐ道端の花を眺める振りをした。マークはしばらく口を開けて何か言いたそうにしていたが、かすれた声で一言「行こう。」と言って、坂を再び下り続けた。

ルルドは、口角を上げて、何かを確信したかのように、マークに付いていった。『別れの儀式は終わったな。』そうルルドは感じていた。

 坂を下り終えて、2人は街道沿いをしばらく歩く。このあたりは、ゴルトベルクの街近くなので、盗賊などは出ないとルルドは経験上知っていた。何度も奇石収集に来ておりその度に世話になっている街である。周辺の治安情報などは頭の中に入っている。

朝の空気の冷たさが風に乗ってやってくるので少々応えるが、マークの心に冷たさが響かないようにとルルドは思うのだった。

 旅などで自分が生まれ育った街を離れるのは、ルルドも経験がある。奇石収集の旅がそれにあたる。しかし今回のマークの旅は、おそらく2度とこの街に帰ってこない旅なのではないかと思えた。人間の街でレイピアを携えたは、極めてまれであり、それを作る鍛冶屋も極めてまれである。大抵の場合、そんな人間は白眼視の対象にされてしまう。

ルルドは天使だが、馴染みの宿屋とは言え、そこに入る時ですら、翼を隠すのはもちろんだが、コートでレイピアも隠して入る。天使であることさえ宿屋の者と馴染みの門番くらいしか知らないくらいである。

 マークは自分の父親がレイピアを作ったと言った。そして自分も作るのだと。

その時点で、(親子そろって)かなりの変わり者と言える。迫害の対象になってもおかしくない。

侮辱、侮蔑の対象である天使がよく使うレイピアを作るというのだから。

 ルルドは、マークに詳しい事情を聞かなかった。ただ天使の領域にある神前街にマークを連れていく。どうせこの旅は早めに切り上げるつもりでいたのだ。1人くらい連れができようと天使狩りに対するいい隠れ蓑カモフラージュになる。

『あまり深くかかわる必要もないか。宿屋のおやじの頼み事ならいなやはない。』そう割り切って、肩を丸めて前を歩くマークの後ろ姿を眺めるのだった。

 前々日の夜、天使狩りに追われ、命からがら街に帰ってきたのだが、再び同じ方向に行くことをルルドは、躊躇した。

 だが、マークに会った後、数日を街で過ごすのも避けたかった。

人間マーク天使ルルドが会っていたなどという噂が上るのだけは避けたかった。

目立ちたくはなかった。少なくとも天使狩りが行われている領域では。

ルルドはマークを神前街に連れていくことに同意したが、1つだけ条件を出した。

「人間がレイピアを腰にぶら下げているのを見られるのは厄介だ。布か何かで包んで目立たないようにしておいてくれ。憎悪の対象にされてはたまらない。レイピアだけ見て天使だと勘違いされるのも御免だ。俺たちはあくまで人間の2人組ペアに見えるようにしなければいけない。そうすれば安全な旅になる。」

マークは天使本人からレイピアが侮蔑や憎悪の対象になっていることを聞かされて、親方や長老がマークを人間の世界ここから逃がそうとする気遣いに心の中で感謝した。

 半日の間、街道を歩く。ゴルトベルクの街から半日の距離の街道には大抵盗賊の類は出ない。いままでの経験則からそう判断して、ルルドは歩き続ける。ルルドの後ろにはマークが着いて来ている。

時折後ろを振り返ってマークの姿を確認する。顔色などを見て疲れの色が出ていないかを確認するためである。

街からあまり出たことがないのかと聞くと、街の小さな学校で就学中に遠出したことがあるとのことだった。歩きなれしていないのか心配になったが、鍛冶屋で作業が終わった剣類を納品することもあるので体力には自信がある、心配ないとのことだった。

 ちょうど昼時になったので、昼食のために休憩した。

街道沿いの森に入り、木こりが木を切り倒している切り株に腰を下ろして、ゴルトベルクの街の宿屋のおかみの母親おばあちゃんが作り持たしてくれた弁当に舌鼓を打った。マークにとって宿屋の|おかみの母親は、男所帯の鍛冶屋に食事を作りに来てくれる優しいおばあちゃんだったらしく、その手作り弁当は、母の味と言っても過言ではない。マークはそれを食べながら、時折鼻をすすり、味をかみしめるのだった。

 昼食が終わり、暖かい日の光をしばらく浴びながら今後のルートの話をした。

「街道沿いを行くのはこのあたりで終わりだ。これからは街道の北側に広がる森の中に入って森の中央へ至る獣道のファーミドルルートをしばらく行くつもりだ」とルルドはマークに説明した。

飛天域に向かうルートとしては、4つあると言ってもいい。

まず1つ目には、街道を行くルートである。

2つ目は、街道沿いの森の中フォレストリを行くルート

3つ目は、マークに説明した森の中央へ至る獣道のファーミドルルートを進み、森の中央の獣道ルートを通って沼沢地を迂回しつつ飛天域へ向かうルートである。

そして最後の4つ目が、山を突っ切って海沿いを行くルートもある。

それぞれの道にはデメリットがあった。

 1つ目のルートは、街道は盗賊に狙われやすいという点である。商人隊キャラバンとともに行くのであれば、心強いがそれが居ないとなると、心細い。最短距離のルートではあるが、一番目立ってしまうルートだ。

 2つ目のルートは、前々日に天使狩りに出会った、街道の北に位置する街道沿いの森の中フォレストリなのだが、そこを突っ切るのはルルドにとって前々日の悪夢の再現である。

確かに街道沿いの森の中フォレストリは、何かあれば街道に出て、街の方に行って助けを求めることもできる。また商人隊キャラバンたちに行き会って助けを求めることもできる。商人隊キャラバンには武装した護衛がついているのがほとんどである。しかし武装した護衛がついている商人隊キャラバンとはいえ事前に話してもいない者を助けたがる訳はなく、商人隊キャラバンだけが逃げ去るのが関の山である。

街道ほど整備されていはいないが、木こり、猟師などが頻繁に使用するために、分け入っていけないわけではない。街道からちょっと入ればいいだけであり、街の人たちも遠出で薪やキノコ、七草、エンバの葉などを採取しにくることがある。

しかしながら、入りやすいだけに盗賊などもその人達を狙って入り込んでくるのだ。

 3つ目のルートは、街道沿いの森の中フォレストリの外側に沿って獣道が長く続いているルートである。危険がないわけではない。森の中に迷い込んでしまった人間を対象に狩りをする黒狼ブラックファングがその獣道を頻繁に利用するのだが、ルルドにとっては天使狩りよりもましな存在であった。

 よしんばそんな獣道で、天使狩りに遭遇したとしても、旅をする2人組ペアのなかに堕天使はいないと思ってくれるはずである。

そう、奇石収集にやってくる天使はたいていの場合、堕天使であり、その堕天使と行動を共にする人間は極めて少ない。運の悪さはそこまで有名であった。

 4つ目のルートは街道の南側を行くルートである。海へ至るルートと言ってもいいのだが、これにも難点があった。海へ出るまでに山の民と言われる少数民族が勢力を伸ばしている地域を通らなくてはならないのだ。

かつてエルトシュバイツァ―という国がその海へ至るルートを含んだ土地を治めていたのだが、王制から民統べる国になったために、この飛天域近くの領土を放棄して海を越えた島国を主な領土とすることにした。放棄した理由は様々言われているが、天使、王、貴族などの支配を受けたくないという意図があったのであろうと推測されている。いまでは商業的なつながりはあるが、国同士の交流はなく、外交使節が行き来するのもまれである。

そんな空白域に台頭してきたのが、山の民などの少数民族である。そもそもその地に長く定住していたので、土地の領主が居なくなったのだから、我々が得て何が悪いという考え方で勢力を伸ばしてきた。

何度かその地域を狙う人間側の国々を撃退して今に至っている。通行するには、山の民との交渉が必要になり、そのために山麓やまふもとで時間を取られてしまう。

交渉が上手くいかなかったら、時間を取られることによりわざわざここにいるぞと盗賊たちに居場所を教えているようなものである。

さらに、ルルドは食事が口に合わないという点で、あまりその地域に入り込みたくはないと思っている。『文明的とはいいがたい民族』とまでは言わないが、やはり滞在するのは、避けたくなる。少し前にアドストナーズ・ギルドの師匠オーラスと見習いとでかの地を訪れたことがあり、そう何度も行きたくなるような地ではない、そちらの地を選ぶくらいなら、獣道を這いずってでも黒狼ブラックファングとご対面したとしても、3つ目の道を選びたいと思っているくらいなのだ。

 それぞれのルートにデメリットがあるが、まだましなルートを選ぶことにして今回は3つ目のルートである森の中央へ至る獣道のファーミドルルートを行くことにした。

 しばらく街道をそのまま進み商人隊キャラバンが前方にやってくるのに気付いた。ルルドは、マークに自身のレイピアを渡してしばらく待つように言い、商人隊の方に向かう。彼は背嚢コートの袖に腕を通していない。コートをマント風に着用しているとも言える。袖に腕を通していると、袖に隠し武器などを隠していると思われかねない。マント風な着込みをして、腕を晒してると、近づいて行っても脅威と思われにくい。

そのようにコート前部を晒して剣も所持していない状態で、武装していないことを相手キャラバンに示した。商人隊の護衛担当が念のため剣の鞘に手を掛けつつ前に進み出て、ルルドと会話する。マークはそんな様子を少し離れた後方で待ちながら自分がルルドのレイピアを持っていることが、敵意の無いことを示しているのだと気が付いた。

ルルドと護衛担当が話し込んでいる。商人隊も小休止しており、ルルドがこちらを向いて手招きした。話の内容が徐々にはっきりと聞こえてきたが、どうやらこの街道の治安状況にか関しての情報交換をしているようだった。「街道をこのまま進むと、何か得体のしれない奴らが森の中から監視している箇所があって薄気味悪い。我々は武装しているので、手出ししてこなかったようだが、2人組で行くのはあまりお勧めしない。」と護衛担当がルルドに話すのが聞こえた。「人数は何人くらいか見当はつくか?」とルルドは護衛担当に聞いた。「わからん。だが、軍団規模ではない。10人くらいとみていい。眼のいい奴にこちらも警戒させたんで10も20も差はないはずだ。」と護衛担当は請け合った。ルルドからの『街へ続く街道に危険はなかった』旨の情報を得て、商人隊は先を急いだ。積み荷の納期には余裕があるが、やはり街の宿で休むという安心は、貴重だからだ。

 ルルドは、「『ゴルトベルクの街から半日の距離の街道には大抵盗賊の類は出ない。』というのは、まあ街の近くだから当然かもしれんが、そういう常識を誰かが決めたわけじゃない。盗賊が常識通りに動くわけじゃない。我々がここに来るまでは安全だったという情報が価値あるものか判断するのは、相手がすることだ。」とマークからレイピアを受け取りながら言った。

「このまま進むと街道沿いの森の中に得体のしれない奴らが潜んでいるそうだ。できればそいつらに遭遇しないように、このあたりから森の中央へ至る獣道のファーミドルルートへ入ろう。そいつらもまさか獣道を分け入って進むとは思わないだろう。」とルルドは苦笑いを浮かべながら、こうも付け加えた。「盗賊が常識通りに動くかんがえるわけじゃないがな。」マークも同じように苦笑いを浮かべた。

 森の中央へ至る獣道のファーミドルルートに入って2~3時間経っただろうか。マークはちょっと心が折れそうになっていた。先に行くルルドの背中が見えなくなることが複数回におよび、滔々とうとう叫び声を上げて、ルルドに待ってもらえるように催促するようになった。

と聞いていたが、確かにりっぱにだった。立って走れるところもあれば、しゃがみ続け、這い続けの箇所もあり、ルルドの華奢に見える体のどこにそんなに素早く動ける俊敏性が隠されているのかといぶかしんだ。

 その叫びを聞いてルルドは姿を現してひきかえして、獣道から外れた街道沿いの森の中フォレストリの外側に入り込み、マークを休ませるのだった。

マークがしゃがみ込んでニレの木で作られた水筒から水を飲んでいる最中もルルドは立ちっぱなしで、周りを警戒しているようだった。

 シグダマリがギャギャという鳴き声を上げて飛び去って行った。ルルドは『何か天敵にでも襲われそうになったのだろうか?あるいは、別の何かにおびえたのだろうか?地狐ゴートグナーハか何かにおびえたのならいいのだが。』と考えたが、口に出しては何も言わなかった。

マークはそのシグダマリのバサバサという羽音と鳴き声に一瞬びくと震え、顔を上げて周囲を見渡した。ルルドはマークを落ち着かせるために「心配ない。」と言いたかったが、おびえて飛び立ったのか判断できなかったので、何も言えなかった。

 ルルドは『ちょっと先を急ぎすぎたか』と考えないでもない。このまま進むとおそらく森の中央付近で今夜は野営となると計算していた。悪くない状況ではあるのだが、このままのペースで行くとおそらくこいつマークはついてこれないと見ていた。獣道を進むのは、街道を行くのとはわけが違う。立ったりしゃがんだり、這いずったりの連続だ。街道を進む方が格段に楽ではあるのだが、街道はかえって狙われやすい。街を出る前に、神前街のある首府の山しゅふのやま方面に向かう商人隊を探したが、あと10日後に出発予定という状況だったため、同行することをあきらめた。街道の安全確保は領主たちの仕事ではあるのだが、領土争い等で忙しいらしく、恨みごとを言ってもしかたない状況だ。

 あと2時間もすれば日が傾く。どこで野営するかが今夜の安全を決める。マークの体力の回復を待ちながら、周辺を警戒しつつ、そんな心配をしていた。周辺探索をしようにもマークを1人にすることが不安である。1人になってパニックを起こさないとも限らない。大声を出して呼ばれると、別の何かが反応するのではないかと気が気でない。

先ほどのルルドを呼び止める叫び声もルルドを焦らせていた。確かに獣道は枝分かれしている場合もある。その点は注意して枝分かれになっている箇所がある場合は、立ち止まってこいつマークを待っている。それぐらいの気を配っているつもりだが、ルルドの背中が見えなくなると声を上げたくなるらしい。もう少しペースを落としてもいいのだが、今夜の寝床のことを考えると、森の中央付近まで夜のうちに到達しておきたい。

 街道沿いの森の中フォレストリには、10人くらいの得体のしれないのがおり、俺たちがいるのがその外側付近だ。距離があるとは言え森に慣れていて耳のいい奴がいないともかぎらない。野獣の声、野鳥の声、人間の声、聞き分けるのは容易ではないか?

 そんな懸念をマークに言っても仕方ないので、こう言った。「お前を置いて行ったりはしない。すこしペースを落とそう。今夜は寝やすいところに到達したかったが、ほかのところでも寝れないわけじゃない。ちょっとごつごつするが。」と片方の口角を上げてさらに追い打ちをかけるように「その分じゃ明日は身体中が痛くなるだろう。ごつごつしたところで寝ることでさらに身体がおかしくなる。」マークは「今でも身体中が痛いよ。」と笑顔で答えた。

『笑っていられるだけまだ大丈夫だ。』と一安心ひとあんしんしてルルドは、ニレの木の水筒からワインをぐびと飲んだ。

 小休止の後、再び森の中央へ至る獣道の《ファーミドル》ルートを進む。今度はペースを若干落としマークがルルドの背中を追えるようにした。もちろん枝分かれしたところでは、ルルドは立ち止まりマークが追いつくのを待っていた。

 夕日が傾き、森に赤い色の光線を差し込んできた時分に、ルルドは夕食の支度をするために、獣道から外れた街道沿いの森の中フォレストリの外側に入り込んだ。マークの「まだ走れる」という言葉もあったが、これ以上暗くなると、薪のための枝を集めるのさえできなくなる。明かりがあるうちにできることをしておきたかった。ルルドが言っていたごつごつしたというのは本当だなと思いつつ、集めてきた枝を突起している岩の間に集め、火をつけて薪をくべた。

火を起こさなくても簡単な食事(簡易軽食)なら食べられるが、マークの様子を見て何か温かい物を与えた方がいいとルルドが判断したのだった。本当ならば、簡易軽食つまり乾燥しているハムだのピクルスだのルルドいわく『心まで乾燥する』食事を食べなくてはいけないのだが、温かい食事は気力も回復するという師匠であるオーラスの教えを実践することにした。

 ここなら、寝にくいが火を焚いても周りからは見えにくい。岩が多くて、巨石が2重に並んでおり、小さな岩が真ん中にあるという何かの儀式のための巨石群かと思えるほどの岩の多さである。冷たい風も防いでくれる。

さらに蛇の一種である歯蛇イベールは、この森に生息しているのだが、岩場を嫌う生態なので、寄せ付けないという好都合な点もある。

但し、もう一つだけ難点がある。とうぞくとかの接近も巨石によって見えにくい。巨石はコケが生えており登れない。高所からの物見ができるものではない。

 ニレの木でできた水筒を薪の上に置き、中の水を温める。水が入っているので、燃えることがない。十分に温まったのを見計らって、皿に盛りつけた乾燥ハムや乾燥ピクルスとこなごなにした乾燥パンにお湯を注ぎ、簡単なお粥スープを作る。乾燥パンは乾燥して固く小さくなっていたが、お湯を注ぐとかなりのボリュームになり、腹持ちがする。温かさも相まって2人の相好そうごうを崩した。食事も終わり、後片付けをし、たわいのない話をした後、ルルドは「すこし周りを見て回る」と言い出した。岩のせいで周りが見えないので、寝る前に何者かに監視されていないか確認してからぐっすり寝たいという説明をした。ここならこいつマークも周りが囲まれているので安心感があるんではないかと踏んだうえでの言だった。

 マークは一瞬だけ不安な面持ちを見せたが、火を消さなくていい旨を伝えると安心したのか、「気を付けて。」と言ってルルドを送り出してくれた。マークは父親の形見であるレイピアを手元に置く。言いつけ通り布に包み、レイピアには見えないようにしている。ルルドは『使ったことあるのか』と聞こうとしたが、護身用にはいいだろうとも思ったので何も言わなかった。それ1本で不安が消えるのであればいいだろうとも思った。

 ルルドは、この岩のせいでこちらから見えないように監視しているという想定のもと、来た獣道に一旦入り込んで、巨石群を迂回して監視者を見つけようと行動した。

獣道を一旦戻り、『このへんか』と当たりを付けて獣道から出て、森の中を突っ切っていく。できる限り足音を出さずに、足元に落ちている枯れ木を折らずに徐々に移動する。ちょうど巨石群がほのかな明かり、ほんのりと『ああ何かあるな』と思えるほどの明かりだが、そのさまにほっとした。そんなに目立っていないことがありがたかった。

姿勢を低くして、あたりの様子に聞き耳を立てる。じーじーと何の虫の鳴き声なのかわからないが、その音をかき消すような別の音が鳴らないか、注意深く耳を澄ませた。

中腰になり、右手は左腰のレイピアの柄を握る。いつでも抜くことができるようにして進んでいく。どうやら監視者はいないなと静かなため息を吐いた矢先に、森中に響き渡るような叫び声が聞こえた。「ひっ、うわー」というその叫び声は、巨石群の向こうから聞こえ明らかに『あいつマークの声だ』とルルドには分かった。もう監視者がいようがいまいがどうでもよくなったルルドは、着こんでいた重い背嚢コートを脱ぎ棄てて身軽になり一番短い直線距離で巨石群へ駆け出していた。途中何かを踏んづけたようなぐにゃという感触が靴の裏にあったが、わけのわからぬ小さな穴に足を取られそうになったが、『やはり独りにすべきではなかった』という思いだけが、ルルドを駆り立てていた。2重になっている巨石の周りにある小岩を飛び越え、巨石と巨石の間から中に侵入すると、マークの姿はどこにも見当たらなかった。火が消えずに燃えておりぱちと木がはぜていた。全速力で走ったので、はーはー言いながらルルドは、マークが座っていたところとその周りを確認してみたが、何か別の侵入者の靴跡は発見できなかった。拉致されたのではないことが分かったが、ではどこへ?と巨石群の中を抜けて獣道に至る方向にやってくると、マークが地べたに倒れながらレイピアを抜き威嚇しているのを発見した。見ると黒狼ブラックファングの群れに囲まれている。背は巨石の1つにもたれていたが、黒狼の群れに半包囲されてレイピアで威嚇して接近をかろうじて防いでいるところだった。

 黒狼の群れはぎゃんぎゃんいう咆哮を上げながらマークを威嚇している。

!」と叫びながらルルドはレイピアを引っこ抜いて黒狼の群れを追い払いにかかる。ルルドは自分でも驚いた。いつもは心の中で呼ばわりしているのだが、初めてマークを名前で呼んでいた。

 黒狼ブラックファングは加勢に驚き、少し後ずさりして体勢を整えようとする。ルルドはレイピアを振りかざし振り下ろしの繰り返しをして黒狼とマークの間に自身の身体を入れ込み、再度振りかざし振り下ろしの繰り返しでびゅびゅと群れブラックファングを威嚇した。ルルドのレイピアの振りかぶりによって自身の白く綺麗な羽根が何枚か落ちていく。まるで雪のように白く舞い落ちる羽根。マークは自分の命がかかっているその時に不思議にも『美しい』と見とれてしまっていた。そして子供の頃に助けてくれた天使を目の前のルルドに重ねてみていた。同じように美しい羽根。美しく銀色に輝くレイピア

 黒狼の群れの中でもひときわ大きな個体が、ぐるると鳴いて踵を返して獣道に戻っていく。それに従いほかの個体もあとに着いて獣道へ入っていった。血が流れていないのがよかったのだ。ルルドはレイピアを振り回したが、決して黒狼に当てるようなことはせずに、ただ、レイピアを振り下ろす時の音で、威嚇したのであった。

もし黒狼に出血していた場合、群れは全滅するまで戦うといわれている。それほど同族思い、仲間思いなのである。『黒狼の絆』など、仲間内の結束の強さを表すにも使われるほどである。

 黒狼ブラックファングの群れが獣道に入って行ったことを確認してからルルドは振り返ってマークが無傷なことを確認した。マークは大きく息を吐き続けており、手に持ったレイピアを目の前でかざして震えていた。目には涙が浮かび、時折つばを飲み込むが、のどにつっかえているかのように苦しそうにした。

 ルルドは、自身のレイピアを横に置いて、両方の手でぶるぶる震えているマークのレイピアを握りしめている手をはがしてやった。基本である柄のリングに指を入れることなく、通常の幅広の剣のように柄を握りしめていた。1本1本の指をはがしてやった。「はーはー」と息をして涙を流しているマークに優しく「もう大丈夫だ。」と繰り返し繰り返し言って、ルルドは巨石を背にして地べたに座っているマークを立たせて、消えかけているたき火の方へ連れて行った。

 マークの息はまだ上がっている。ルルドはニレの木の水筒を渡してマークに飲むように渡した。

マークはごぶごぶという音を立てて水を飲んだ。口の端から水が零れ落ちる。飲み終えて、はーと大きな息を吐いた。口の端から零れ落ちた後はそのままに、ルルドの目を見ながら「ありがとう。助かった。一時はどうなることかと思った。用を足しに出かけて戻ってきたら、横合いの獣道から黒狼が出てきて。レイピアは持っていたんだけど。」そして「怖かった。」と一言付け加えた。ルルドはマークの肩に手を置いて「独りにしてすまなかった。でも黒狼ブラックファングを傷つけなくてよかったよ。奴らブラックファングは仲間が出血すると逆上して全滅するまで攻撃してくるんだ。」と肩を揺するように力を込めた。マークは目を白黒させて、大きなため息を1つ吐いた。

 マークには寝ずの番をする旨を伝えて身体を休めるように伝えた。火は絶やさないので、すこし明るいが、「明るい方がいい。」とマークがひとりごちてだんだんと眠りについていった。

自分の父の形見であるレイピアをまるでお守りであるかのように抱きしめて眠りに落ちて行った。

 夜が明けて、さらに昼過ぎになるまで、マークは眠っていた。いや起こさなかったのだ。昨日の今日である。おそらく全身が痛いに決まっている。それに加えて黒狼に囲まれた恐怖もあるだろう。

肉体的にも精神的にも限界に近いと判断して、そのまま寝かせておいた。案外このまま夜まで寝てしまうのではないかとも思えたが、かまわないとも思えた。

そう思っていたルルドであったが、不意にマークの目が開いた。マークは今自分がどこにいるのかさえ分からないような顔をしていた。ルルドのことも『誰だろう?』くらい思っているのかもしれない。鍛冶屋の親方の家でなくてこの巨石に囲まれたごつごつした岩場で目を覚ましたのが不思議であるような顔であった。

 「おはよう」と一言微笑んでルルドは何か食べるかと聞いた。マークは目の焦点が合わないような顔で、周りを見回して、周りの明るさ、昼の暖かさに、口をぽかんと開けていた。

「起こさなかったのかい?」とマークはルルドに尋ねたが、ルルドは何も言わず2回うなずくだけだった。

「ずっと起きて?」とマークはルルドに尋ねたが、ルルドは何も言わずただただ2回うなずくだけだった。

マークはため息を吐き、そして身体中が痛いことに気が付いた。大口を開けて顎が外れるんじゃないかと思えるほど、あがあがと苦痛の声を上げる。もうしばらく横になっているようにルルドに言われて、食べられれば食べるように昨日と同じ温かい食事を手渡された。

 ルルドから昨夜背嚢コートを脱ぎ棄ててきたので取りに行く旨を聞かされて、マークの眼には不安の色が浮かんだが、昼間、黒狼ブラックファングは襲ってこないと言われたので、マークは安堵した。小一時間ほどして、ルルドは背嚢コートの回収と、人間用の罠を仕掛けて戻ってきた。今回は草を結んでこける程度の罠である。

本当のところ、もう少し時間があれば、もう少し巧妙なトラップも作ることができるのだがとルルドは嘆息していた。

例えば、あらかじめ切っておいた木をアチュートつるで引っ張っておいて1つにまとめる。その後、各所にアチュートつるを張り巡らして、どれかに人が引っかかってくれれば、木が鞭のようにしなりながら戻って人を鞭打つのだ。

師匠のオーラスが木こりに教わり、それをルルドが伝授してもらっている。

しかし、そんな時間は無かった。マークを独りにしておく時間は短いほうがいいからだ。

「一応、引っかかると転ぶ程度の罠だけど、まあ声くらいは上げてくれるだろう。」とマークに伝えて少し安心させた。

そう言って、ルルドは自分もしばらく休息に入った。何かあれば必ず起こすようにマークは言われて、マークは二つ返事で番を引き受けた。

 背嚢コートを体の上にかぶせているが、ルルドの翼の白い羽根は隙間から見えていた。規則正しい寝息を立てて昨夜から寝ずの番をしていたせいもあるが、ぐっすり眠っているようだった。

 マークは昨夜の情景を思い出していた。白い羽根を舞い散らせて戦う天使。子供の頃に、戦乱で焼け出された時に、マークを助けてくれた天使も、白い羽根だった。美しい銀色のレイピアを構えてマークをかばって野蛮な騎士たちの蛮行に鉄槌を下す姿が、昨夜のルルドの姿を見て思い出された。その天使はどこからか舞い降りたようにマークの前に忽然と現れて守ってくれた。

騎士たちに襲われた時に着いた頭の傷からの出血で幼いマークの目は、どんよりと血に曇っていたが、そんなマークの目にも羽根は白く美しいものだった。

 目の前の白い羽根を持つ天使、その天使が所持する銀色に輝くレイピア。あの時マークを助けてくれた天使が誰かは分からずじまいだった。名を名乗って去ったわけでもなく、忽然といなくなった。鍛冶屋を焼き、父が作った幅広の剣を略奪していく騎士たちの蛮行に鉄槌を下し、襲い掛かる騎馬のランスを受け流し、その騎馬を落馬させた天使は、まるでかのように消えたのだった。まるで自分の役目は終わったとばかりに。

 目の前にいるルルドがその天使かどうかはわからない。聞いてみてもはぐらかすのではないかとも思えるし、違うと言われるのも怖かった。そんな天使はいなかったと言われたような気がすることだろう。とりあえず今はゆっくり眠っていてほしかった。昨夜から一睡もせずに守っていてくれたのだから。

 夜になりルルドが目覚めた。夜の闇に眼を慣らすために、周りを眺める彼に粥を勧めた。

ルルドが寝ている間に、マークは薪にするための木の枝を拾い集めて火を焚き続けていた。

ルルドは温かい粥をすすりながら、マークの様子を眺めて何も問題なかったことを確認した。

 人心地着いたルルドは、とりあえず今夜は行動しないことに決めた。

マークにとっても身体中の痛みを和らげる時間は必要である。ルルドはマークに苦いエンバの汁を飲んでおくように言い、マークはしぶしぶそれに従った。エンバの汁は、傷薬にもなるが、服用すると解毒薬、痛みの緩和にも役に立つのだ。身体中の痛みを和らげるにはちょうどいい。

 火の番を代わり、ルルドは枝をたき火にくべた。ぱちと木が時折はぜる。そんな音もしんとした森の中に響くようだった。マークも火をじっと見ている。時折、すこし向こうのほうで、シグダマリがギャギャという鳴き声を上げる。

マークが独り言のように呟いた。「火を見ていると鍛冶屋の炉の炭火を思い出す。赤々と身体中を照らしてくれる。」

ルルドはレイピアを地面に突き刺すかのように立てて横に長く伸びた鍔の部分に両手を置いてレイピアの柄に施されている流線形の意匠の向こうからのぞき込むように尋ねた。「鍛冶屋の仕事が好きか?」マークはしばらく間をおいて「そうだね」と答える。「僕は孤児で、鍛冶屋の親方は伯父(マークの父母の兄)さんだった。引き取られて子供の頃から親方のそばで親方の動きを見て育って、まるでみたいだった。兄弟子と一緒に見て育った。親方が、槌を打つしぐさとか、ふいごを踏むしぐさとかを真似していつかあんな風になるんだって思って。徒弟にしてもらって、職人にもなれた。

子供の頃、一度だけ親方にレイピアを作りたいって言って。その時の親方の悲しそうな眼がなんだか怖くて、悲しませたくなくてそれからは口に出すことはなかったんだけどね。

最近になって、親方試作品マスターピースを作るためにどんな剣をつくろうかって悩んでた。

レイピアを作りたかったんだけど、ギルドじゃ無理だろうって。

でも、いつか僕も綺麗なレイピアを作るんだ。夢だから。子供のころからのね。」そう言いながらマークは夢心地のような顔をしていた。

 ルルドは、そんなマークを眺めやりながら、火に枝をくべ続けた。「綺麗なレイピアか。確かにきれいだ。俺も子供の頃、師匠が持っているレイピアをひどく欲しがった。流線形の美しい意匠で、銀色に輝いてる。刃味に綺麗な紋様が出ている。鞘からシャリンと鈴の音が聞こえるかのように導き出されたピカピカ輝く極細の剣。触らせてくれと強請ねだって、勝手に触って怒られたりしてた。成人した時に、師匠のレイピアのレプリカを与えられて、それがこの今持っているレイピアだ。」とそう言ってレイピアを撫でた。

マークはそんなルルドの剣を眺めて「子供の頃に助けてくれた天使のレイピアによく似ている。」と言い、マークが夢に見て思い出す情景をルルドに話して聞かせた。

焼ける家。

殺される父母。

死んでいく友達。

父が丹精込めて作成したさまざまな剣が奪われる様。

白い羽根を舞い散らせて戦う天使。

美しい銀色のレイピアを構えてマークをかばって野蛮な騎士たちの蛮行に鉄槌を下す姿。

天使はどこからか舞い降りたようにマークの前に忽然と現れて守ってくれた姿。

騎士たちに襲われた時に着いた頭の傷からの出血で幼いマークの目は、どんよりと血に曇っていたが、そんなマークの目にも白く映った羽根。そして消え去った。

ルルドはそんなマークの言葉を聞きながら、自分のレイピアを見下ろしていた。

ふいにこう言った。「俺は、これを自分を守るために持っている。自分を守って大事な人達のもとに帰ることができるようにこれを持っている。でもこれは人を傷つけることもできる。綺麗なレイピアで、人をあやめることもできる。

俺は盗賊になるつもりはないし、これで人をあやめる気もない。

でも、もし俺を殺して大事な人達のもとへ帰れなくしようとする者がいたら、俺は躊躇ちゅうちょしない。躊躇せずこれでそいつを殺す。

そうなるとこれはなのかどうか分からなくなる。

銀色に輝くレイピアだけれど、綺麗さってなんだろうなって思える。

最近思うんだ。子供の頃は師匠の綺麗な剣を欲しがった。でも今は生きて帰るための剣であればいいって思える時もある。

どんなに錆びついていようと、どんなに泥にまみれていようと、無事に帰ることができるならって。」ルルドは一拍置いて続けた。

「マーク、レイピアは確かにお前を助けてくれた。夢にまで見て、これを作りたいと思ったんだろう。けど、これはどんなに綺麗であろうと、どんなに汚れていようと、なんだ。

鍛冶屋から武器屋へ渡されて、武器屋が誰に売るのか、マークたちには分からないことだろうけど、武器を作るってことは、そういうことなんだと思っていてほしい。綺麗であろうとなんだろうと、使う者によって武器の意味は変わってくる。

人を守るもの。

人を殺めるもの。

マークが作る剣が、お前を守ってくれたように、他人を守れる人の手に渡ればいいな。」

レイピアの柄に施されている流線形の意匠の向こうからのぞき込むルルドの眼は火に照らされてほのかに温かいようなまなざしだったように、マークには思えた。

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