第9話 「決意」

 奇石収集に失敗して間抜けにも一目散に逃げたルルドだったが、次の日の朝には、ゴルトベルクの街に戻ってきていた。夜中の間、走りに走り天使狩りの追手おってを撒いてネル川の細い支流を蛇行するかのように渡りして匂いを消して、追手が猟犬ファウンドを連れていた場合の対処をしつつ、天使特有の羽根の匂いをかがれませんようにと祈りながら、ゴルトベルクの街に通ずる街道に出て、街に入ったのだった。

 朝の霧がまだ立ち込めている。街への緩やかな登り坂を歩きながら、冷たい冷気を頬に感じてはいたが、街についた安堵から足取りは軽かった。

 街の門は、通常夜に閉じ、朝に開くのだが、朝の早くにはまだ閉じられているので、少々の付け届けチップが必要だった。街の門番に自分の顔をさらし、いつも通りのチップをのぞき窓から手渡して、脇門から中に入れてもらった。

馴染みの門番でよかったとほくそえみながら、武装をしているかなどの一応の身体検査をして、番小屋から街の中に入っていった。

 朝が早いのでどの店も開いていない。街の中なので盗賊に襲われる心配はもう無いが、夜通し駆けてきたので早く眠りにつきたかった。宿屋のおやじとは何度も泊まっているので面識があり、扉を叩いて起こしてもよかったのだが、最近若い娘と一緒になったばかりの新婚夫婦の機嫌を損ねるのも嫌なので、宿屋の裏にある厩(たいてい旅人が馬を留めている)に行って、厩の干し草の山で仮眠をしたのだった。

 暖かい陽光が馬小屋を暖めて、ルルドは死んでいるんじゃないか?というくらい深く眠り込んでいた。宿屋のおやじと20歳も違うにも関わらず今年一緒になったおかみ(おかみといわれると頬に手をやって赤らめるしぐさがかわいい)が馬の水やりにやってきて発見し、『ひっ』という声を上げた。街に盗賊が侵入することは珍しいことではなく、すわ、それのたぐいかと思ったようだが、うつぶせで寝ているルルドではあったが、白い羽根の翼が背嚢コートの隙間から見えていたので、『ああこの人か』とひとりごちて安堵のため息を漏らしたのであった。

宿屋のおかみによって発見されたルルドを宿屋のおやじは、目覚めるまでそのままにしておいてやるように指図した。例によって、早くに帰ってきたからには奇石収集に何らかの理由で失敗したのだろうと推測してそっと寝かせておいてやるつもりだった。

 夕方頃、のそのそと宿屋の裏扉から入ってきたルルドは、普通、裏扉は宿屋の私的な扉なので『お前はうちの家族か?』と言われるはずだが、悪びれもせずカウンターに座るのだった。

宿屋のおやじのほうも特に何も言わず、そっとワインとお粥、パンをルルドの前に置いてやる。

食事を置かれたら自動的に食べる飼い犬のように、ルルドはそれらを掻き込んでいった。

ほぼ半日寝ていたので腹に何も入っていない状態だったから無理もない。

 ルルドは首尾はどうだったなどと聞かない宿屋のあるじに心のなかで感謝した。

旅の前には、さんざん不吉なことを験担ぎとして受け入れていたルルドではあったが、いざ旅の最中となると、いやになる言葉は避けたかった。

また、ここを出発する前に、『例の奴らが最近出没しているとさ。もしあそこに行くんなら、気をつけな。』との忠告にも涙が出るほど心のなかで感謝した。

死んでいれば大事な人たちの元に帰れないところだった。

 今夜の泊りを決めて一旦部屋に入った。背嚢コートを脱ぎ捨て、胸部保護装甲プロテクタを外して窮屈な状態を脱してから、ベッドにうつぶせに倒れこんだ。肩の力を抜いていくと自然に肺から空気が抜けた。

 『もう帰ろう。今回は運が悪い。』堕天使である、いや正確に言えば、使ルルドは運が悪い。神の威光が受けられないからだ。

『神の威光が受けられない堕天使は運が悪い』とよく言われる。堕天使になってみたことがない天使たちには、わからない感覚ではあるのだが、感覚を言葉で説明するのは難しい。

 同じ道を歩いていても石に毛躓けつまづく者もいれば、毛躓けつまづかない者もいる。歩き方が変とかの問題でもなく、毛躓けつまづかない者は、ほかの場所で毛躓けつまづくじゃないかという水掛論みずかけろんになってしまいそうだ。

 『そんなようなあるかなきかの運』が低いというのが、堕天使になるということである。利点がないわけではない。

 天使には触れることができない(天使が触ると蒸発する)黒妖石こくようせきを収集できる。

 奇石の在処ありかを匂いで嗅ぎ分ける。

 神の威光がないので身体が軽く素早く動ける。

という利点である。

軍に入っている者の中では、身体が軽く素早く動けるという利点に魅力を感じて堕天使になる者もいる。軍人にとって運の悪さとどちらを取るかは本人次第であろう。

 老齢の天使がよく言うのだが、『神の威光があると肩が重くていかん。』と。その場合、たいてい孫たちに肩もみさせるための合図(こずかいをやるための合図とも言う)なのだが。

 ルルドは、アドストナーと呼ばれる奇石きせき取扱者(もっと長い名前でいうと『奇石鑑定収集細工屋』だが)なので、黒妖石こくようせきを収集するために堕天使になっている。

奇石を収集しようとして、いきなり石が蒸発したらという事情による。

 ベッドに横たわりながら、明日の朝に商人隊キャラバンがどれぐらいで出発するか確認しよう、市場に行ってなにか掘り出し物でもないか見よう、などなど考えつつ、気付くと夜になっていた。

 階段を下り、1階の酒場に降りた。カウンターの隅が開いていたので、腰を掛けると宿屋のおやじが注文を聞きに来た。飯は夕方に取っていたので、ワインとハム、ピクルス等をつまみに注文した。

酒場は混雑していた。エンバミン(エンバの葉は消毒薬と言ってもいい葉っぱではあるが、実は常習性のあるたばこにも化ける。)の煙が充満していた。あちこちで哄笑が聞こえ、怒鳴り声もする。日頃の鬱憤うっぷんをはらすための場と化していた。

 宿屋のおかみはあちこち忙しそうに動き回って注文を受けていた。宿屋のおやじと一緒になる前からここで働いていたので、結婚式の時は、この酒場がお通夜状態になるくらいの客の消沈ぶりだったそうだ。彼女目当てに来ていた常連も数多くいる。結婚当初は、客たちから(職権乱用だと)白い目で見られていたおやじだったが、そもそもおかみのほうが惚れてここに働きに来ていたと知って、皆憮然として現実を受け入れたのであった。

 そんな酒場の様子をカウンターの席から眺めていたルルドだったが、注文の品が出てこないので手持ち無沙汰であちこちを見回していた。同じカウンター席の向こう側で、宿屋のおやじととがルルドの方を向いて何事かささやきあっていた。『情報屋同士やどやのおやじとどっかのじょうほうやどうしの情報交換か』とじろじろ見ることでおやじの機嫌を損ねるのもいやだったので、見て見ぬふりをした。

 宿屋のおやじがこちらに近づいてきて「お待ち」と注文したワインとつまみをルルドの前に置いた。先ほどの褐色の肌の男がカウンターにお代を置いて席を立った。もうこちらを見るようなそぶりもなかった。

 堕天使であるルルドにとってワインは、ワイン風味のジュースでしかなく、飲んでも酔えないのだが、酒場の雰囲気と味わいだけでも悪くない気分だ。

そうして夜が更けていき、だんだん帰宅する者、テーブル席で酔いつぶれる者、カードで負けて有り金全部取られる者など、入ってきた時の喧騒がうそのようになっていった。

そろそろ部屋に引き上げようかとポケットから代金を出そうとした時、見計らってか、宿屋のおやじがルルドの前に来てカウンターに肘をついて話を切り出した。まるで口元を読まれないように手を口に当てていた。

「人間を1人神前街へ送り届けてほしい。」

とあさっての方向をむいて言い出したので、片眉を上げて先をつづけるように促した。

『宝玉を収集してほしい』や『宝玉を加工細工してほしい』などの依頼は聞いたことがあるが、案内の依頼は初めてだった。

ルルドは宿屋のおやじの様子からこう尋ねた「訳ありか?」訳ありの人物かと聞いたのだ。

宿屋のおやじは、あさっての方向を向いて「いや、そうでもない。」と答える。

ルルドは犯罪にかかわるのは御免だった。「こっちは堕天使だ。ただでさえ運が悪い状態だ。そこに厄介ごとは御免だぜ。」とのルルドの言葉に、言外に否定した。「いや、そんなんじゃない。」

 ルルドは言い淀んでいるかのような宿屋のおやじにため息を吐きながら「おいおい、長い付き合いじゃないか。俺とあんたの仲だろう。その歯の奥に何か詰まったような物言いは無しにしようぜ。」

そう言ってルルドはおやじが話しやすいように持っていった。

 おやじもため息を吐いてこう答えた。「鍛冶屋ギルドの職人なんだが、神前街の鍛冶屋の甥でな。修業に行きたいそうだ。1人で行ったこともない飛天域に行かせるのもどうかと思って。そこにちょうどお前さんがいるなと。」そう言いながら、カウンターの上に頼んでもいないワインのお替りをルルドのために置き、手で召し上がれのしぐさをした。ワインを手に取ってぐっと一飲みする。

 「喧嘩っ早い奴は御免だぜ」とルルドはワインのカップをありがたく頂戴して手に持ち人差し指を向けながら聞いた。

「いや、普通だ。うちの家内の母親も懇意にしている。」と宿屋のおやじも肩をすくめて話す。「ふーん」と奢りのワインを飲み干しながらルルドは『悪くない』と思った。

『堕天使1人での旅よりは、人間まきぞえがいたほうが天使狩りからはわかりにくいカモフラージュになる。』と考えないでもなかった。

なぜかというと、堕天使になった者は、目には見えないが運の良い悪いを左右する神の威光かみのいこうを受けられず、すべからく運が悪い。例えば、同じエリアを旅した者がいたとして、運によって如何に命が永らえているか、おそらく旅した者しか分からないだろう。

 ちょっとの違いで雪崩に巻き込まれる者、巻き込まれない者。

 ちょっとの違いで崖から足を踏み外す者、踏み外さない者。

 並び順によって後ろを歩くものが居なくなっていたことなど。

『運』によるとしか考えられないことはたくさんある。

 そのような運の悪いやつ代表のような堕天使と同行したがる人間がいるわけがない。いるとしたら自殺志願者しにたいやつらくらいであろう。

天使狩りが、『運の悪い堕天使と死にたがり人間の2人組ペア』と思わない限りは狩りの対象にはならないだろう。

渋っている振りをして(実は乗り気なのだが)ルルドは、旅の支度に必要な食料などの駆け引きをして宿屋のおやじから2人分の簡易軽食を引き出すことに成功した。ついでにこの飲み代もロハにしてもらった。

とりあえず明日の朝出発するつもりであったが、その前にになる予定の奴がどんな奴なのか会ってみることにした。

 朝早くに目を覚まし、ルルドは宿屋の部屋の窓を開けて朝の冷たい空気を吸い込んでいた。

霧が地面あたりに漂っていたが、すでに起きだして門に向かって歩いていく猟師や木こりの姿が目に映った。街の家々から朝食の匂いが漂ってきたので、ちょっと早いが朝食を摂ることにした。

 宿屋の1階の酒場には、すでに起きだした宿泊客がカウンターに腰かけて朝食にありついていた。

ルルドも席に座り、消化の良いものを注文した。水とパン、ハムが目の前に出されたので、パンにハムを挟みかぶりついた。宿屋のおやじから「鍛冶屋の親方の家に昨日言っていた職人がいる。今日会ってみてくれ。」と言われ、宿屋のおかみに後で案内してもらえるように段取りをつけてくれた。

 パンに再びかぶりつきながら、『どんな奴なのか確認しておかないと後で問題をおこされたんじゃたまらん』などとルルドは、ちらと考えてしまった。神前街てんしのまちに連れていく以上、ルルドも一定の責任がある。そこで悶着を起こされてもたまらない。

 自分の故郷である天使の領域、通称飛天域ひてんいき、それは首府の山しゅふのやま

と同意義であるが、その山全体が飛天域であり、その山を登ると神門に行き当たりそこをくぐると、神前街、さらに上が神域となっている。

そこには人間も一緒に生活しているのだが、たいていは天使と共存している人たちであり、敵対行為を働く者はあまりいない。そこへ人間を案内することがいけないわけではないのだが、『誰がこいつを連れてきた?ああルルドか!なんてこった!』などという話になるのは困る。

一応は、会ってみるだけ会ってみておやじの顔をつぶさないようにはしておきたかった。おやじとは長い付き合いだ。これからもここを奇石収集の拠点として使う以上はうまく付き合っていきたい。

 朝食を終えるや宿屋のおかみが顔を出してくれて、鍛冶屋の親方の家に案内してくれた。宿屋からはそう遠くないその家まで行くとおかみの母親らしい人が中に招き入れてくれた。

 短い金髪で眼はエメラルドグリーン、真面目そうな1人の青年が中にいた。翼がなかったので天使には見えなかったが、なぜかレイピアを手に持っていた。『人間が我々の剣を持っている?』と不思議な情景でもみたような表情が出てしまった。

普通、人間は幅広の剣を差すものなのだが。

お互いに挨拶をして軽く握手する。マークは、ルルドを凝視していた。ルルドは凝視の意味を図りかねた。

腰からレイピアを抜き、椅子に座って、太もものあたりで携えてからとりあえずこう切り出した。「神前街にいきたいんだって?」マークは相槌を打った。

宿屋のおかみの母親が、ワインをテーブルの上に置いて勧めてくれた。とりあえず何を質問しようかと思いながらワインを口に入れた。

マークは何かあっても一拍は遅れると思われるが、自分のレイピアをテーブルの上に置いていた。ルルドは、手にレイピアを掴んで何かあってもすぐに立ち上がりレイピアを抜けるようにしている。マークはテーブルの上にレイピアを置き、何かあったらまずレイピアを手に取らなければいかんともしがたい状態にしている。『こいつはレイピアの扱いに慣れていない。すくなくとも剣の修行はしていない。そのこいつがなぜレイピアを持っている。護身用であればもっとふさわしい短剣などでもいいはずだ。それに鍛冶屋の職人が、レイピアを持っている。人間なのにか?』そう疑問に思いつつ、テーブルの上に置いてある彼の剣を凝視した。先ほどはマークがルルドを凝視していたが、今度は対象が違うがルルドがテーブルの上を凝視している。

 マークはその視線に気付いたのか、説明を始めた。

「このレイピアは、僕の父が作ったものなんだ。僕は神前街に行ってレイピアを作りたい。父がレイピアを作ったように。」

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