第6話 「アドストナー」

 ボールド・クーリッジと差し向かいでワインを飲んでいる奇石収集担当主任であるオーラスは、昼にルルドをここから送り出したことをまだ目の前に居る彼の父親に話していない。確かにルルドは出かける前に、『験担ぎ』とのことで、自分の出立を話さないように言っていた。まあ結局ボールドが自宅に帰れば、妻のソルトや娘のアシュレーから息子の出立を聞くのだろうが、送り出す会議に出席していたルルドの師匠である自分が何も言わなかったなどと思われると、立場がない。

 夜、仕事があらかた終わりボールドの鑑定部屋に寄ってワインに誘った。味は悪くない年代のワインと2人用にカップを下げての訪問である。

 2人ともに堕天使状態なので、ワインを飲んでも酔えない状態である。味の良いジュースを飲むようなものだ。酔いに任せて『今回の奇石収集の旅は、行方不明者の消息情報収集の旅でもある。複数の天使が帰還していないのでな。』などと不吉な情報を口から雪崩のように垂れ流すことができるわけではない。確かに以前から帰還しない者(ルルドの先輩に当たる者)が居ることはボールドも承知しているだろう。何しろ自分の息子と同じ収集組の者であるし、ギルドの会計主任である彼は『Missing in gathering』(収集中行方不明者)の遺族への給与支払いにも関与しているのだ。

だが、その息子が旅に出立したその夜に『複数の天使が帰還していないのでな。』などと流暢に口から出てくるわけもない。そんなわけで、一応の雰囲気作りというものは必要だ。

 「最近の奇石きせきは質が悪いな。」と、ボールドは鼻の上に掛けている眼鏡を外して、机の上に置き、鼻筋を擦る。鑑定時に目が疲れるらしく、眼の疲れを取る時のいつもの癖である。

酔えないにしても仕事の愚痴を述べることができる雰囲気ではある。

ボールド・クーリッジはため息交じりに、自席に深く沈み込みながら「ひと昔前の半分にも満たない。」渋い顔だ。

 「予算が下りれば、多人数ヘキサグラム編成で収集できる。奇石を早く見つけられれば、それだけ早く現場から撤収できる。奇石の質は収集量に比例する。まあ数うちゃ当たるじゃないが、多人数居るとなにかと心強い。単独収集は何かあった時に独りで処理をせねばならん。」とオーラスはルルドを独り旅に出したことが少し気にかかっている。

 多人数ヘキサグラム編成とは、6人でフォーメーションを組んで、神聖片を捜索するときの編成である。六角形の形で常に移動して、自分たちの『嗅覚』を頼りにして、迅速に神聖片を探すのである。もちろん奇石収集時にも有効な編成フォーメーションである。

「我々の仕事は、『主神より与えられし神聖片』の断片の捜索と奇石の捜索だが、奇石の捜索だけでもこの体たらくでは、いつになったら『主神より与えられし神聖片』が修復できるのやら、先が思いやられる。」

 歴史書にも述べられているが、天使たちのいさかいの元となった『主神より与えられし神聖片』は、主神自身の手で砕かれて地上にばら撒かれた。それにも関わらず自分たち用に神聖片を作っていること自体、救われない状況である。さらに『主神より与えられし神聖片』を修復しようとしているのだから、主神からすれば何を考えているのかと失意させるには十分であろう。

 『主神より与えられし神聖片』は、かつて主神より『この片をもって地上を治めなさい。』として天使たちに授けられた。その神聖片にどんな力があるのかは、歴史書『飛天記』でも詳しい点はぼかされている。ただ、神が地上を治めるための力、つまりは『人間を統べる力』をその片に与えているのではないかと言われている。ボールドとオーラスが歴史家を多く輩出しているシオン家の執事に聞いた限りでは、その片で署名された場合、人間の意思を捻じ曲げて、強制させる力が働くのではないかと推測される。

人間には『主神より与えられし神聖片』が首府の山しゅふのやまから失われていること、その断片を天使たちが探し求めていることは、公式には秘せられている。自分たちの力が弱まっていることを喧伝する者などいない。

 現状、神前中央評議会が断片5個を所有している。そのうちの断片3個は名家アウグスト家によって探し出された。残り6個の断片に分かれて地上のどこかに眠っていると言える。11個の流星が首府の山しゅふのやまから流れていくのを見たという人間が語る伝説からの推測ではあるのだが。

 名家アウグスト家の断片3個は、彼らが財力を利用して人間たちを騙して捜索させた結果である。人間には『主神より与えられし神聖片』の断片捜索ではなく、『宝玉』の捜索として賞金を提示し捜索させた結果なのだが、そのせいで古戦場は、『喰われる土地』と吐き捨てるように言われるほど、土地が不安定になってしまった。奇石の発掘やこの人間たちによる穴掘りのために、掘り返されては埋められ、埋められては掘り返されの繰り返しだった。

 奇石を探し出せる堕天使であれば、匂いを嗅いで探し当てることもできるのだが、人間による採掘はただなんらかの石を探すことに重点が置かれていたため、取りこぼしもあり得た。アドストナーズ・ギルドの面々からすれば、現場を汚されたとも言える困った環境にされてしまっている。

 「だが」とオーラスは「『主神より与えられし神聖片』が修復できたとしても、主神の怒りが解けるでもなし。神前中央評議会のお歴々が、地上世界を統べるためのお墨付きが修復できたと喜ぶだけだがな。」部屋の天井を見上げながら続けた。

「我々にとって、あれは主神に返上すべきものだ。評議会への貢ぎ物ではない。こちらで見つけたものを先に神域におわされる主神へ返上すれば、もう争いの種も、人間を支配する力も我々の手から離れる。」とオーラスはボールドの眼を見ながら1つ1つ確認するかのように述べた。

オーラスの眼を見ながらボールドは「もうこの話はそう。どこにアウグスト家の奴らの眼や耳があるか分からん。」と片目を瞑り話題を変えることを促した。

「ああ、わかってるさ、どの。『主神より与えられし神聖片』の断片を集める振りをして実は神へ返上しようとしているなどと知られたら、アウグスト家が黙っちゃいないことは、もう何十年も前に分かっていたことだ。それを計画したポラス家がどうなった俺たち2人がこの眼でしっかりと拝んでる。だからこの俺たちがこのギルドでアウグスト家の息のかかった連中を追放した。何人もな。」とアドストナーズ・ギルド内に潜んでいたアウグスト派を追放した『アドストナーズ・ギルドの乱』首謀者で実働部隊隊長のオーラスは、アウグスト家のやり口を思い出して吐き捨てるように言った。

殿と呼ばれたボールドは、片手を上げて「落ち着け、オーラス。追い出しはしたが、まだいるかもしれん。油断はできん。こういう話はここですることじゃない。」とオーラスをなだめるように言った。

 オーラスは熱くなりすぎたのか顔をひと撫でして再び部屋の天井に向かいため息を吐いた。

「今日ルルドを奇石収集に独りで向かわせた。何人か帰って来ない者がいるのでその情報収集もかねての出立だ。天使狩りが横行しているとの噂もある。」そう言って、ボールドに視線を向けた。

ボールドは、視線をそらしてワインが入っているカップに眼を落した。

「独りか。」と呟いて、「あの子は運が強い。堕天使になっても悪運が強いのか、他の者が帰って来なくてもあの子だけは帰ってくるような気がする。親ばかかもしれんがね。」とカップの中身を揺すり、波紋がどのように動くかで運勢を占っているかのように言った。「危険となったら、一目散に逃げる。もっとも仲間を見捨てて逃げはしないが。」そう語り弄んでいたカップから視線を外して、前に座っているオーラスに微笑みかけ、ぐっと一息にワインを飲み干した。

 ボールドは神聖片に組み込むための奇石を鑑定する担当となってからかなりの歳月になる。そうなる前には、オーラスらと一緒に奇石収集の遠征に出たこともあるので、その危険については承知している。森の中には、さまざまな野生動物がおり、オーラスとともに追いかけられたことが何度もあった。

ボールド自身はレイピア複合弓ふくごうきゅうも得手ではないので、ほとんどオーラスに守られっぱなしの旅だった。

収集の旅に鑑定担当が必要かと言われるが、質の良い奇石を収集するためにどうしても必要な場合がある。

堕天使状態になった天使は、奇石を嗅ぎ分ける嗅覚が良くなる。

普通の収集者であれば、100ファーストリング(100メートル)離れたところにある奇石を嗅ぎ分けられる。

さらに、堕天使でしかも鑑定担当であれば、500ファーストリング(500メートル)離れたところにある質の良さそうな奇石を嗅ぎ分けられる。

 このようにすぐに『あっちのほうに(質の良さそうな)奇石がある』と仲間に伝えることができると、各段に収集速度が上がる。ただし、欠点は鑑定担当でレイピア、複合弓が上手い者はなかなかいない。ゆえに危機的な状況下では足手まといになる場合がある。オーラスがボールドを守りまくった経験があるのもそのためである。どうやら奇石の在処ありかと質に至るまで嗅ぐと他への集中力を欠くようなのだ。

普通の収集者が、嗅ぎ分けつつ収集するのがいいのか、鑑定専門の鈍くさい守ってやらなければいけない奴を連れて収集するのがいいのかの二者択一なのだ。

 多人数での遠征か、単独行かどちらがいいのかはともかくとして、目の前にいるボールド・クーリッジの息子ルルドは、自分の弟子であり、奇石収集の世界に招き入れたのは、他ならぬオーラス・ボスポラスである。

 彼自身で鍛え上げた弟子、獣道の進み方、罠の張り方、奇石の収集方法、レイピアの使い方、もっとも剣の使い方だけはなぜか我流になって行ってしまったが、まあ生き残れるだけの技量は身に着けさせてある。

後は、運だが、堕天使なのでこればかりはいかんともしがたかった。

 「心配ない。あれは君に鍛えてもらった。少々粗削りかもしれんが、天使狩りに狩られるような奴じゃない。」とボールドは自分に納得させるように言った。

オーラスはただただうなずくしかなかった。

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