第4話 「繕い」

 ルルドはオーラスから行方不明者の情報などをギルド中央ホールで聞き、その足でいったん自宅に帰ってきた。旅に出る前に妹のアシュレーに背嚢はいのうコートの擦り切れをつくろってもらうためだ。

 背嚢コートは、名前の通り、背中に背嚢が着いており、ここに旅の支度を入れておくことができる。堕天使にとって(天使も同様だが)翼を大っぴらに見せて旅に出るのは天使狩りに襲われる心配があり、大変危険なので大ぶりなこういうコートを着て翼を隠す必要がある。

まあ、一説にこのコートの利便性を人間にも教えて流行させて、天使たちが翼を隠しやすいようにしたという説もある。皆が着ていれば、天使も人間も区別ができないという寸法だ。

 コートの材質は、防刃性に優れているため、刃物による攻撃を防ぐことが可能である。最も擦り切れないわけではない。この繊維がとれるチルトウエアはゴートの森に沿って流れるネル川流域に植生しているが、ネル川にはイナウワニというわにが生息しているので、チルトウエアの採取に来た者を襲うと言われている。そのため繊維自体が高価なものである。つくろって永く使用するのが、経済的である。

 自宅の玄関口の内扉を開けると、ぷんといい匂いがした。朝一番に神前手続中央執行所しんぜんてつづきちゅうおうしっこうじょに並び堕天使申請をしたので、朝食を摂っていない。

昼食まではまだ間があるので、食事にありつけるのはありがたい。

キッチンに入ると母ソルトと妹アシュレーが2人して台所に立って、食事の支度をしていた。

『天使の食事の支度は遅い(調理時間は永い)』とよく言われているが、妹アシュレーはともかくとして、母ソルトの調理時間は1食2時間を切る早さだ。天使としては最速とも言えよう。妹アシュレーの調理速度は、これは言わないでおこう、本人が傷つく。

 「ただいま。やあ、おいしそうな匂いだな。」とルルドは、背嚢コートを脱ぎながら言った。出発までにはできそうだと安堵して、舌なめずりする。

「おかえりなさい。」とアシュレーはキッチンにいる母ソルトから離れてエプロンを外しながら笑顔で出迎えた。待ってましたとばかりに手を差し出してルルドのコートを受け取って、さっそく擦り切れ部分を確認し始めた。「もう。アドストナーズ・ギルドのコート掛けに掛けっぱなしにしてるから出立たびの前にこんなことになるんだよ。使わない時は持って帰ってきて。洗濯だってしないと匂うんだから。」とまるで奥さんみたいだなというくらい頬を膨らませて文句を言う。

ついでにコートを鼻に近づけてふんふん匂いを嗅ぎ、首をかしげてという仕草で隣の部屋に持っていき裁縫つくろいを始める。

 アシュレーは。奇石を嗅ぎ分けるほうではなく、本当の匂いの方に敏感である。ある時、首府の山しゅふのやまのふもとにある沼沢地しょうたくちから泥くさい匂いが風に乗ってこの辺りまで漂ってきたのを誰よりも早く察知して、家の窓を全部閉めて匂いが入るのを防いだことがある。周りの家への通報が遅れたため、ご近所さんたちはどうやっても落ちない匂いが染み付いて布製品(服、布団、カーテン等)を買い替える羽目になった。

 アシュレーは、受け取った背嚢コートが重いので着ているビスチェの胸の部分にしっかり抱きしめてキッチンの隣にあるダイニングルームへ入って行く。ビスチェの下にはワンピースを着込んで背中の部分は翼を出せるようにしている。その後ろ姿を眺めながら、お尻の部分がフリルになっているので、歩くたびにどんな風に動くのかついつい見とれてしまう。

総髪ポニーテールとかは男にとって目で追ってしまうので、無理からぬこととも言えよう。

 「えーと」とルルドは、ついつい見とれてしまっていたことを悟られまいとしながら、キッチンから吹き抜けになっている隣の部屋をのぞき込み、アシュレーに言った。

「悪かった。急な出立になるとは思わなかったんだ。」

ギルドのベテランが帰って来ないという状況でもあり、天使狩りの噂で皆が及び腰になっているという状況なので誰かが代わりに収集にいかなければならない、そこでルルドに急きょ白羽の矢が当たったのだ。半年前の旅でかなりの戦果を挙げたので、休暇ももらえてた。

そろそろかなとも思っていた矢先である。否やはなかった。

 母ソルトは、なに言ってんのという表情で「前の旅から半年も経ってるのになかなか持って帰って来ないのが悪い。何度も言ったでしょ。まったく男ってのはどうしてこう見せびらかしたくなるのか。」と調理中の味見をしながら背中越しに言った。

2人から責められてルルドはただ笑うしかなかった。こんな状況は悪い気はしない。「悪かった。悪かった。」少しも悪びれている感じをさせずにこう言って調理中のソルトの肩口から顔を出して、ちょっとだけと言い味見をせがんだ。ソルトから小皿に注がれたスープを飲ませてもらい、うまさに破顔した。余計に腹が減ってしまった。

 「レイピアをきちんと置き場所に置いて。家でぶら下げるものじゃないでしょ。」と母から突っ込まれて、機嫌を損ねたくなくて急いで剣を鞘ごと抜き、いつもの置き場所に置いた。父ボールド・クーリッジの剣も同様のところに置き放しにされている。

今頃、アドストナーズ・ギルドの鑑定席か会計室にいるのだろう。

親は親で街中でも剣をぶら下げない。

 アシュレーは裁縫がうまいので靴下の穴からシャツの脇の破れまで頼りにしている。母も居るが、他のことで忙しいので裁縫はアシュレーがやる役割に自然になっている。

そういうルルドは、家の庭に群生しているニレの木を刈り取るのが家での役割となっている。この旅がどれぐらいの永さになるのか見当もつかないので、一応昨日時間を作って刈っておいた。ついでに自分用の水筒も作っておいた。

 ニレのと言ってもストロー状の植物である。地中から水分と養分ミネラルを吸い取って貯めこむ性質がある。短く切って束ねると水筒代わりになる。一定の圧力(吸引力と言おうか?)を掛けないと水が上がってこないため、漏れる心配もない。

 半年前の旅で、獣道を這いずり回り、盗賊とも剣を交えたので、その加減でコートに擦り切れができてしまった。防刃性のある繊維でできているとはいえ穴が開かないはずもなく、危機的状況の時に、盗賊が振りかぶる幅広はばひろの剣を防ぎきれなかったら命に関わる。それなら頻繁に持って帰って来て取り繕ってもらえばいいのだが、自分の勲章のような気がしてつい職場に置いておきたくなる。職場には部屋をもらっていて、そこにコート掛けがあり、広げてある。見るものが見れば歴戦の勇士の服とも思える様相である。ちょっとした自慢の種である。

たまに教官補としてオーラスの代わりに新人や見習いを部屋で教導きょうどうする時があるので、正・奇石取扱者はそういう見せびらかしをして羨望を受けたがる。御多分に漏れずルルドも飾っていた。母ソルトも元々アドストナーズ・ギルドで働いていたので、男どものそう言った見せびらかしはさんざん見てきている。師匠のオーラスの影響が色濃いルルドなのだが、父ボールド・クーリッジはそういった見せびらかしはしない。

母はそういう点が気に入ったのかなとも思った。

 アシュレーに頼んだ裁縫も終わりいつも通りの綺麗な繕いに礼を言い、キッチンへ加勢に行くアシュレーの背中を眺めていた。天使は家で翼をさらけ出しているが、今のアシュレーの背中には片翼しかない。いや、ルルドが子供の頃から同じ姿である。父母に聞いた限りでは赤ちゃんの頃の事故によりそうなったと聞いている。

近所の人間、アドストナーズ・ギルドの人間はアシュレーが片翼なのは知っており本人も子供の頃認識してからずっとそうなので特に気にしていない。

翼が片方ないことによる影響は特にないといってよい。

神前街に出かける時、よく行く公営図書館やその近くにいる友達に会いに行くときは、背嚢が付いていないコートを着て出かけていく。

本人が気にしていないのに周りがとやかく言うことではない。周りがとやかく言うことによって却って傷つくこともあるだろう。自分にとって普通であることを人と比べて、本人以外の者が『違う』と言うのはあげつらいになるのではないだろうか?

そんな感じでルルドとアシュレーの父母は、彼らを温かく育ててくれた。

 調理が終わったので、食器に盛られた食事をダイニングテーブルに腰かけて摂る。温かいスープが胃に染みわたった。これからの旅で食べる食事の無味乾燥さを思うと最後の晩餐のような気がしてくる。

先ほど会ったナナ・ニーナ・ヘストンとの験担ぎではないが、まあ先に悪いことを考えておくのは幸先がよいとルルドは思っている。

 アシュレーの裁縫の腕前を褒めると、アシュレーは破顔して喜んだが、「昔は指を血まみれにしていたのに」と余計な事をついつい言ってしまい、「あの頃はあの頃」と頬を膨らませて抗議する妹に「ごめんごめん」と平謝りした。

白光石びゃっこうせき収集してきてとってきてくれたら許す。」と矢のシャフトを作るために必ず必要になる奇石をおねだりされてしまった。

 白光石の効果に関してだが、天使にとっては、神の威光の増幅効果があるので、運が高くなり、矢の命中率が良くなる。

アシュレーが得手である複合弓ふくごうきゅうを使用する時には、ぜひとも欲しいものである。

他にも使い道があるが、それはアシュレーが述べた『矢のシャフトを作るために必ず必要になる』である。

神の威光がそもそも無くなってしまっているのが堕天使なので、堕天使には何の効果もない。

残念なことだ。

 そんなおねだりをされてしまったが、今回は急きょの出立なので、オーラスとの話し合いによりこちらの取り分も多めにしてもらった。白光石を融通してもらうことくらいはできそうな旨を話すと、「じゃあ許したげる。」とまだ収集してきてとってきてないのにお許しいただけた。話のやり取りがしたくてそう言っているのはお互い理解しているので、「でものことより無事帰って来てね。」とアシュレーが言ってくれるのがうれしかった。

 食事も終わり、背嚢コートを着込んで腰にレイピアを差し込んだ。暖炉からの照り返しにほどよく暖まった背嚢コートの裏地を家族からの愛情と同義に思い、玄関口でアシュレーの頭を撫でて「行ってくる」と一言述べた。「行ってらっしゃい。気を付けてね。変な水飲んじゃだめだからね。おなか壊したら、エンバの葉っぱとワインを飲んで。それから・・・・早く帰ってきてね。」

と兄に言う言葉かと思うほどの子供扱いをする。思わず吹き出して「わかってる。わかってる。」とアシュレーの金髪をぐじゃぐじゃにしてすべすべで柔らかいほっぺたの肉も両方の手で触って「まあ、帰ってくるさ。」と験を担いで『絶対』や『必ず』という言葉を使わずにルルドはアシュレーに笑いかけた。両手が温かかった。「うん」と最後に一言アシュレーがうなずき、ルルドは母ソルトにも「じゃ」と短めに挨拶をした。「うん」とソルトは強くうなづく。自分の息子ながら運がいいのか悪いのか分からない子ではあるのだが、この子は帰ってくるという確信をなぜかいつも感じている。

ルルドが玄関口を開けると、びゅという風が吹き付けてきた。朝方の山のふもとからの風が身体に当たりコートを翻させた。ばさばさとコートは風に音を鳴らしてはいたが、悪い風ではない。

一度振り返り、うなずいてからは一度も自宅の方を見なかった。

見れば行きたくなくなるような気もしていた。

おそらくルルドの姿が見えなくなるまで見送っているであろうアシュレーとソルトの気持ちを受け止めつつ、ふもとに向かうルルドであった。

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