第1話 「堕天使」

 内部は薄暗かった。何回か『堕天使契約』の手続に来ているが、毎回ルルドはそう思う。

明かり取り窓からの日の光が祭壇の近くだけを円形に照らしている。祭壇の前には宣誓台のような大理石製の台が置かれておりいつも触ると冷たい感触がするので、心まで冷えるような気がするのだ。

 天使と生まれたとしても、一生堕天使にならない者もいれば、そうでない者もいる。ルルドはそうでない者の1人だった。職業柄そうせざるを得ないので、仕方ないの一言で済んでしまう。

黒の短コートを左手と胸の前で挟みこんで祭壇の前の宣誓台に進んでいく。ここに入ると神か何かに見られているような気がするとは、父であるボールド・クーリッジの言ではあるが、ルルドにもピンとくるものがあった。いくつもの視線を感じると直感的に言えるし、肌に突き刺さる感覚もある。祭壇方向へ進むに連れてその視線はぞっとするくらい強烈になり、ある者は後ずさりし、ある者は引き返したりもする。そうなると、もう一度堕天使契約をしに来ようとは思えないらしく、職をかえるしかなくなる。

もっとも師匠であるオーラスは『俺には複数の女に見られて品定めされているささやかれている感じがする。』と冗談じみたことを口にするが『それはあなただけだろう。』とルルドは返すのだ。

 堕天使というのは、別に神からお怒りを受けたからとか悪さをしたからとかそういった理由でおちるものではない。単に職業柄必要な体質とでも呼べばいいだろうか?そういう体質になるために堕天使契約が必要なのだ。もちろん天使に戻ることも可能である。

 堕天使になる者は大抵、軍人か代執行官(警察官僚)か、あるいはルルドが加盟している奇石組合(アドストナーズ・ギルド)のメンバーアドストナーか、いずれかである。

堕天使には、利点と欠点がある。

まず利点についてだが、『敏捷性が上がるすばしっこくなる』が大きいだろう。

軍人などにとっては戦闘時の有利さは得難いものである。

次に『黒妖石こくようせきという奇石に触ることができる』がある。

黒妖石というのは、天使たちにとって宝石に等しいものである。その奇石ほうせきに触れることができるのである。天使が触れると蒸発してしまうたぐいの奇石であるので、収集している最中に蒸発しないように堕天使という名の手袋をはめるようなものだと思ってほしい。

あといろいろこまかい利点はある。

『奇石が発する効果への耐性コントロールをじぶんのものにするちから』だの

『奇石がどこにあるのか嗅ぎ分ける力』だのだ。

欠点もいろいろあるのだが、ここでは『運が悪くなる』とだけ述べるにとどめよう。

 ルルドは、一歩一歩と祭壇に近づいていく。進むたびに両足を揃えるというのが、手続時の決まりとなっている。右足を前に出して左足を揃え、左足を前に出して右足を揃えと徐々に進んでいく。

姿勢をぴんと伸ばしてまるで神に天空からひっぱりあげられているかのような感じで歩くのだ。

内部はひんやりしているので、息が白くなる。歩くたびに呼吸するので、自分の白い息を眼にしながら歩くことになる。

 ようやく祭壇の前の宣誓台まで到達した。さきほどよりも強烈でぞっとするくらいの視線がルルドの身体を刺し貫いているように感じるけれど、それに負けじと宣誓台に契約書を置く。明かり取り窓からの日の光によって宣誓台上は明るく照らされている。

ルルドは、右手に持っていたケースを宣誓台に置きそこから神聖片しんせいぺんを取り出す。神聖片は『主神より与えられし神聖片』を模倣して作成されたペンであり、『神との契約のために使用されるペン』とも言える。

家宝であったり、自分の個人用であってもいいのだが、名門、名家ほど家宝の神聖片を使用したがる。その片は人間の世界でいう羽根ペンのようなものである。そして神聖片には奇石が付与されて飾り付けられている。

 ルルドは自分の個人用の神聖片を自身の右手親指の爪の下に差し込み、ちょっとした痛みを覚えながら、自身の血をインクとしてそれに吸わせていく。

十分に血を吸わせた後、一息大きく吐きだし目の前の白い吐息の向こうにある申請書に、神聖片しんせいぺんで『堕天使契約の覚書』を記し始めた。

 奇石組合(アドストナーズ・ギルド)で学んだのだが、一定の書式がある。ルルドは暗記している書式に従って、契約書に覚書を記す。

ギルドにはギルドの、軍には軍の、警察には警察のそれぞれの書式があり、すべて統一されてはいない。

 右手親指がずきずきする。右利きなのでそのずきずきに耐えながら、契約書に覚書を記す。

一言一句間違いなく記す。途中書式を忘れてしまうことや神聖片への血の補給が十分でなくインクが途切れてしまった場合、もう一度最初からやり直しをする羽目になる。見習いや初心者のようなへまはない。

『堕天使契約』はたった独りでするしかなくて、付き添いなどは一緒に入ってくれない。横から指導してくれる教官はいないのだ。

 何度か白い息を吐きながら、『堕天使契約』は続く。明かり取り窓からの日の光によって若干暖かいはずなのだが、強烈でぞっとするくらいの視線によって体温を下げられているような感じがする。

最後の段になり、自署名をする時である。この署名をせずに退出することも可能である。次に起こることを何度か体験したことがある者は、気を挫かれて退出したりする。

 ルルドは、契約書の『堕天使契約の覚書』下に『ルルド・クーリッジ』と署名をした。署名完了時に、あの強烈でぞっとするくらいの視線は一層高まり、自分の心の中をまさぐられている感覚がする。心の中を読まれている感触がする。背筋がぞくぞくして背中にある白い羽根の翼が自分の意志とは関係なく、ばさばさと動いてしまう。口が開き自身の目線が明かり取り窓の方に行き、顎が上がる。小刻みな呼吸しかできない状態。大の大人がひっと小さく叫び声を上げてしまう。身体中をなぶられているような感覚。あらがえない感覚。

左手に持って腰のあたりで抱えた短コートをぎゅっと握り、右手の神聖片が折れよとばかりに強く握る。

 そうこうするうちにルルドの肩から何か重荷が消え失せたかのように軽くなるのを感じた。神の威光が無くなった瞬間である。

神の威光が無い状態は、すこぶる運が悪い。実際、神の加護と言い換えてもいいくらいなのだが、昔から『神の威光』と呼ばれているのでこの呼び方をする。

身体が軽やかに感じる。いや実際に素早く動けるのは確かである。それぐらい神の威光は重いのだとも言われる。

 天使にとって運の悪さと素早さをどのように測りてんびんにかけるか難しいところではあるのだが、職種上、ルルド達アドストナーズ・ギルドの奇石取扱者アドストナーは堕天使にならざるをえないので仕方ないともいえよう。

 こうして堕天使になったルルドは旅に出る準備が整ったともいえる。


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