第32話


『俺の名前はアーク・ディウォード。先代勇者と先代魔王の間に生まれ、大魔導師マーリン・ディウォードに育てられた、ただ一人の子供だ』


    その言葉は私にとって、今まで築き上げてきた価値観を崩壊させるのに十分な言葉だった。









    目を覚ました。掛かっていた布団ごと体を起き上がらせる。十分な時間眠っていたのに疲れが取れていない気がする。昨日はそんなに動いていないはずなのに。


    窓に目を向けて、カーテンから漏れる日の光から推測すると今の時間帯は正午付近のようだ。


    倦怠感のある身体に鞭を打って、カーテンを開ける為にベッドから起き上がる。


    カーテンの端と端を掴んで、勢いよく開く。新鮮な光が暗くて陰鬱な雰囲気の部屋を美しく変化させる。窓も開け放てば、新鮮な空気が部屋を癒してくれる。


    外を見渡せば街の住人達はいつも通りの生活を送っている。つい二日前にギルドやグルナ王国の軍隊を巻き込んで逃走劇が行われたなんて、今の様子からは想像できない。


    逃走劇の主役であるアークさんとシキノさんは既に何処かに旅立って、軍も王都に戻った。


    この街に残ったモノは何もない。


    目線を外から室内にもどしたら、テーブルの上にただ一つ置かれている本に目が移った。窓際からゆっくりとテーブルまで移動する。


    『異界勇者録』、先代勇者、アークさんの話が本当なのであればアークさんの父親が主役の冒険録。太古より続いていた人間と魔族の戦争を集結に導いた先代勇者について書かれているこの本は、この世界にいる人間ならば誰もが知っている一冊の本。私も昔読んだことがある。

    

    先代勇者、大魔導師マーリン・ディウォードによって召喚された一人の男性。召喚された時は私と同じくらいの年齢であったとこの本に書いている。それなのにあっというまに人間界最強のとなり、魔王と相打ちになった英雄。だがあるもの達は魔族を滅せなかった腑抜けと罵っている。

  

    この本では勇者と魔王は敵対していたと言っていたが、あの話が真実であるのならば二人は愛し合っていたということだろう。


    そんなことを誰が知っている。あの当時の二人の周りにいた人間のうちに何人がこの真実を知っているのか。語られなかった、いや語らなかったかもしれない真実が私の目の前にこぼれ落ちてきた。


    アーク・ディウォード、私がこの街にやって来てから初めて仲良くなった男性。今までに見てきたどの魔法使いよりも強い男性。シャンテの森でドラゴンに襲われたところを助けて貰ったのが最初の出会いだった。それから交流が始まり、アークさんの幼馴染のシキノさんと一緒に稽古をつけてくれた。そのお陰で今の私は、この街に来た時とは比べ物にならないくらい強くなった。


    アークさんはマーリン様の弟子で、一緒に暮らしていて、同じ姓を名乗っていた。つまり私はマーリン様の孫弟子になるということか…………もしかしてこれは凄いことなのでは?いや、考えるのはよそう。


    アークさんと一緒に過ごしていて、私はあることに気づいた。それはよく観察しなければわからないことであった。この事はアークさんが立ち去る数日前にわかったことだ。


    アークさんは誰も見てはいない。


    いや、この言葉には語弊があるかもしれない。正確にいうならば誰かと話している時にその人間の目は見ているが、見てはいない。その奥の何かを見ているように焦点があっていない。心が見てはいないというべきか。あの勇者と話している時でさえそうであった。


    だがこの事には例外はあった。それはシキノさんのような親しい人物と話している時だけは目を、その人間をしっかりと見ていた。他にはリリスさんも目を見て話していた。


    私はどうなのだろうと思いアークさんと話している時に観察してみると、私はしっかりと見られていた。少し嬉しかった。


    今思い返してみるとアークさんはよくわからない人だった。俗世の空気を浴びて育ったのならば、身につかないような不思議な雰囲気を出していた。


    だがその出生が本当ならば、その不思議な雰囲気も納得ができる。


    アークさんは何が目的なのだろうか、旅をすると言っていた。世界を見るためにと。けれどそれは本当の理由なのだろうか、もしかしたら先代勇者と同じように人間を救うために魔族と戦うのか、先代魔王と同じように魔族のために人間と戦うのか。


    どうなのだろうか。


    何度も何度も考えても結論はでない。



    


    気を紛らわそう。


    そう思ったのなら善は急げ、寝巻きから外出用の服に着替える。鏡を見て寝癖がないかと確認して身嗜みを整える。


    よし、行こう。


    ドアの鍵を開けて、ドアノブに手をかけたところで私はあるものが扉のそばに置かれてあるものを確認した。


    手紙だ。誰からだろう。拾って中身を確認して、差出人のところを見てビックリした。こうしちゃいられない。私は急いで手紙の差出人がいる場所に向かった。




   







「失礼します」


    あれから十数分後、私は待ち合わせ場所であるギルドマスターの屋敷に到着した。


    私が止まっていた宿からこの屋敷までの距離は離れており、屋根の上を走ってきたが其れなりに時間がかかってしまった。


    執事の人に部屋の前まで案内して貰った。


    この部屋の中にいる人の事を考えたのならば、緊張せずにはいられない。私が昔から知っているマーリン様と同じく偉大な魔法使い、カルラ・リルラ様。


    ノックをした後にドアノブに手をかけて、扉を前に押し出して部屋の中にはいる。そして音を立てないように優しく扉を閉めた。


     振り返り、ギルドマスターの顔を確認しようとしたところで私は部屋の中の異常にようやく気づいた。あまりにも緊張しすぎていたために気づかなかった。


    部屋の中が暗い。


    もう昼間だというのに明け放てられていないカーテンから漏れるわずかな日の光だけが光源となって部屋の中を照らしている。


    何が……くるっ!


    部屋の奥から突如気配が放たれた。今まではそこにいなかったのに一瞬にして現れた。余りにも大きすぎる気配。


    そしてその気配の持ち主から魔法が放たれた。


    火、水、雷、土の蛇が私目掛けて迫ってきた。全て初級魔法、だがその完成度の高さに驚かされる。一瞬で作り上げたものなのだが作り上げるまでの過程がいかに丁寧だったのか人目でわかるほど、惚れ惚れしてしまう。


    前までの私ならこれだけで腰が抜けてしまっていただろう。だが今は違う。アークさんに稽古をつけてもらったんだ。


    右手を前に突き出し、魔力を込める。


「はあ!」


    放たれた蛇と同じ種類の魔法を、相手よりも魔力を込めて同時に放った。アークさんとの稽古で身につけた魔力の制御術、この技術は他の魔術師よりも優れていると思う。


    蛇と蛇がぶつかり、二つの蛇は一瞬で消滅した。相手よりも多くの魔力を込めたのだが、相手の方が完成度が高かったようだ。


    蛇を消し飛ばした事で部屋の中には静寂が訪れた。


    だが油断はしてはいけない。次は何が仕掛けられる。それよりも呼び出したはずのカルラ様は何処にいるのだろうか?


「なかなか、やるじゃないか。アークの奴め、なかなか良い弟子を育てたじゃないか」


    何処からか年枯れた老婆の声がきこえた。だが不思議な事に老いというものを感じさせない芯の通っている声色であった。


    そしてカーテンが開け放たれて、部屋の中に光が満ちた。暗いところから明るい場所に変わり、一瞬だが目が眩んだ。


    眩しさに目が慣れると、ゆっくりと部屋の中を見回した。


    そして確認した。部屋の奥に置かれている執務机に座っている老婆が座っている事を。


カルラ・リルラ


    名前を聞かなくてもわかる、その身から放たれ続けている魔力の質でわかる。私とは比べ物にならないほどの量。


    ただ座っているだけだというのに、存在感が桁違いだ。


「お主が、ジーナ・クルトか?」


「は、はい!」


    カルラ様に名前を呼ばれて、慌てて返事をしたが思わず声が裏返ってしまった。


「いきなり物騒な事を仕掛けてしまって済まないな。お主がアークの弟子と聞いて、実力がどれほどのものか試さずにはいられなかったのだが…………どうかしたか?」


   あのカルラ様に話しかけられている。その事実だけで生きてたかいがある。そう思い、上の空になっていた。


「いえ、大丈夫です。それより、つかぬ事をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


    カルラ様が私の問いかけに答えてくれてるー!


「カルラ様はアークさんとお知り合いなんですか?先程の口ぶりから、推測したのですが」


「察しが良いな。その通り、儂は

あの餓鬼の知り合いさ。彼奴の祖父であるマーリンとは腐れ縁でね、彼奴の両親とも親しく、その繋がりでアークが生まれてくる時の産婆もしたくらいじゃ。昔は可愛かったんじゃが、十数年ぶりにあってみたら、生意気なツラをするようになった」


「あの、それだったら。カルラ様はアークさんのご両親についてご存知なんですか?」


    私のその言葉を聞いて、カルラ様の目つきが変わった。鋭く、私の心の底を見定めるように。そして直ぐに先程のような優しい目つきに戻った。


「その口ぶりから言うとアークから話を聞かされているようだな。彼奴がそんな話をするとは、随分と信頼してるみたいだな。そうじゃな、お主の知っている通り、アークの両親は先代の勇者と魔王だ」


    やはり、カルラ様が言うのであればアークさんが勇者様たちの息子という話は本当なのだろう。


   それだと、アークさんがマーリン様の弟子である理由と強い理由がわかった。


    そして私は思い出した。アークさんが前に自分の両親を殺してしまったと言う事を。偶然聞いてしまったことだが、衝撃的な言葉だったので忘れられないでいた。


    あの言葉が本当ならばアークさんはあの時、どんな気持ちで私に話したのだろうか……


「アークさんはご両親を自分のせいで死なせてしまったと言っていましたが、本当なんですか?」


「…………」


    カルラ様が沈黙したまま、私でもわかってしまうほどの悲しげな表情をした。やるせなさそうな、救い様のないものを見るように。


「……そうか、まだあの馬鹿はそんな事を言っておるのか。その件に関していえば、彼奴は両親を殺してなどいない。親が愛する息子を守った、そこに罪があるはずはない」


「それって……どういうことなんですか?」


「アークの奴に聞くと良い。儂から話す気にはなれん。それより、お主をここに呼んだ本題を伝えようか」


    そういえば、そうだった。カルラ様は何故私をここに読んだのだろうか。


「その前に、アークからの預かり物だ。旅立つ数日前にお前さんにと渡されてあったものだ」


    カルラ様は机の引き出しからモノを取り出して、それを机の上に優しくおいた。私は机に近づいてそれらを手にとった。


    一つ目は魔法袋、アークさんがいつも身につけていたモノと酷似している。そうだった。アークさんは私にこれを作ってくれると言っていた。


    二つ目は小さく折りたたまれたテント?旅に出ることになったら野宿することが多くなるから、そのためのテントなのか?だが、あのアークさんがそんな単純なモノを渡すとは思えない、これにも仕掛けがあるのか?


    そして最後に灰色のローブ、フードもついており落ち着いた可愛さのあるデザインになっている。袖を通してみれば、異常な程のフィット感を得た。更には耐暑、耐寒、簡単な対魔の魔法がつけられている。素材から察するにアークさんの灰色のロングコートと同じ、アークさんの手作り品ということなのだろう。


    新しいローブに気を取られていると、カルラ様が態と咳をして私の気を引き戻した。私は慌ててテントを魔法袋の中に収納して、魔法袋を腰にくくりつけた。


「本題に入るぞ。お主、儂の下で働かぬか?」


「はい?」


    カルラ様の下で働く、そんなことがあるはずがない。聞き間違いだろう。


「ではもう一度言おう。儂の下で働かぬか?丁度儂の直属の部下で、尚且つ魔法に関しても素質のあるモノが欲しかったところだ。勿論タダとは言わない。給料も出すし、望むなら儂が直々に鍛えてやろう。まあ、簡潔に述べるなら弟子にならぬかということだな」


    なんということでしょう。


    こんな話があっていいのだろうが、カルラ様はマーリン様と同じように弟子を取らないことで有名である。それなのに私なんかが弟子になっていいのであろうか。


    けれどこれはいい機会なのだろう。私が前に進む良い機会になるのだろう。唐突に村を追い出され、この街に来てアークさんに出会ってから私は変わった。弱いままではない。変われるのだ。戻る気はない。


    だから進もう。


「未熟者ですが、カルラ様のお役に立てるようにがんばります。これからよろしくお願いします」


    私がそう言うとカルラ様は優しく微笑んだ。

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