第30話
勝者はアーク、だが得たモノなどは一つもない。虚しささえも残らない。気が晴れる事もない。何故自分が叶斗と闘ったのか、少しムキになったのかわからない。
降り続ける雨を何も介す事なく、その全てを己が身で受け止める。雨に打たれることなど気にしない。それ以上に目の前に倒れ伏す叶斗の始末をどうするかに意識を持っていかれている。
右手を叶斗にむけて突き出す。後は右手に魔力を込めて魔法の名前を唱えるだけで無防備に倒れ伏す叶斗の息の根を止めることは可能である。ベルファと戦った時ほど、アークは魔力を消費してはいないし疲れてもいない。
だが。
「殺すなということですか?」
狙いを定めるアークの右手が狙いを定めるのを阻もうとするかのように、震えている。
たとえ腕が震えようと間近で撃ってしまえばそんな震えは関係ない。
近づいて狙いを定める。
だが左手が魔法を放とうとする左手を優しく包み込んだ。魔法を撃てないように開いていた手を閉じさせた。
「…………ああ、亜々、亜亜!」
声が漏れた。悲しい哀しい声だった。
左手で包みこまれた右手を自分の胸の前に持ってきて、右手を見つめる。攻撃はもうできない。する気も起きない。
戦いは終わった。残ったモノは発散することのできない苛立ちとやるせない気持ち。目の前に倒れ伏すモノに向けても、それを発散することはできない。
故に落ち着かなければならない。胸の前に手を持ってきたまま、ゆっくりと深呼吸を行い気持ちを和らげていく。
「なんだい?そんなつまらない面をして」
声が聞こえた。アークは声のした方向をギロリと眼光だけで誰かを殺せてしまえそうなほどの視線を向けた。
「なんだ、あんたか、リリス」
右手には傘を、左手には栓の抜けていない新品のワインボトルを持った妙齢の女性、リリスがそこにいた。
アークからの鋭い視線に臆する事なく普段通りの飄々とした態度を取り続けている。
「なんだとは酷い言い草だねえ。そんなに戦いたいならあたしが相手をしようか?」
リリスは笑いながら、威圧感をアークに向けて放った。戦闘準備完了の合図。
「いや、あんたと戦うのはやめた方が良い。あんたは俺を狙っていないからな。それにあんたと本気でやるとこの街の殆どが廃墟になっちまうだろ」
アークの目つきが普段通りとはいかないモノの少しはマシになった。
「それに今の俺ではあんたに勝てる気がしない」
「おや?あたしの事をお高く評価してるんだね〜」
アークはリリスの実力を高く評価していた。Aランクに位置してはいるが何回もリリスが魔法を唱えるのを見て、その実力がSランクに匹敵するものだと判断していた。
もしここでリリスと戦うことになれば、Sランク同氏の対決となる。それはつまり化け物と化け物の戦い。規模だけで話すのであれば先ほどの戦いとは比べ物にならないくらいの被害が街に出るだろう。アークはそれは避けたかった。
「なんだいつまらないねえ。それよりソレは今話題の世間をときめかせている勇者様かい?」
「ああ、そうだよ。未熟で夢見がちな奴だよ。このままだと下手したらいつか直ぐに死ぬな。俺が殺さなくてもな」
倒れる勇者の介抱をすることなく、平然と会話をする二人。リリスの瞳には勇者は写ってはいるが、興味はないようだ。
「名も知らぬ蕾は如何な花を咲かすかもわからぬ」
突如リリスが珍しく真剣な声音で意味のわからないことを言い出した。
「……だがその咲いた花が醜ければどうする。周囲に害を与える毒を持っていたらどうする。そうなる前に摘むのもアリだと思うが?」
平然と返すアーク。
「それを決めるのはあんたじゃあないね。それを決めるのはソレに救いを見出そうとしている馬鹿で醜い貴族や王様、そしてそんな奴らの下にいる民衆どもだ。わかるだろ。それとも、あんたはソレに救いを求めているのか?」
「…………」
リリスからの問いかけに返答できず、アークは黙り込んでしまう。
アークは心の何処かで叶斗に対して期待をしていたのかもしれない。未熟ではあるが死んでしまった父と同じ勇者という立場にいる叶斗は自分とは違い眩しいモノであると思っていた。
会って戦い落胆した。こんなものなのかと。
だがそこには叶斗に罪はない。彼は未だに未熟、蕾なのだから。
勝手に期待をして、自分勝手に落胆をした。自らの中で既に完了している出来事。
故に責めるアークがべきは叶斗ではなく、愚かな自分自身。
「まあ、そんなことはどうでもいい。この青二才がどうなろうと知らないからね。本題はこっち」
リリスは普段通りの飄々とした声音でそう言うと、左手に持っていたワインボトルをアークに投げ渡した。
アークは雨で濡れた右手で滑らす事なく、投げられたワインボトルを受け止めた。
ワインボトルに貼られてあるラベルを確認すると、そこにはワインの銘柄が書かれてあった。それはアークと知っているものであった。人間の世界でも三本の指にはいる程のメーカーの最高級。これを普通の市民が飲めることなど一生ないと言われる程だ。
「これは?」
これが何かを聞いてるわけではない。何故渡されたのかがアークにはよくわからないのだ。
「あんたの門出に対しての祝い酒だよ。まあ、あたしのコレクションの中でもお気に入りだよ。あたしはあんたの事を気に入っているからね」
「そうですか、ありがとうございます」
アークはワインのコルクを素手で引き抜き、口をつけずに上から零すようにワインを飲み始めた。
金持ちが喉から手が出る程に手に入りにくいモノなど、アークには関係ない。野蛮に飲んでいく。
「まさかソレをそんな風に豪快に飲むなんて、価値わかってるの?」
アークはワインを飲むのを辞めて、コルクをボトルに差して蓋をした。
「祝い酒だろ?こんぐらいの事をしないとつまらない、そうじゃないのか?」
口元を手で拭いながら、アークは挑発的な笑みを浮かべた。
「アハハハハ!そうだねえ、確かにあんたはそれが正しい。つまらなく行儀良くソレを飲んでたら、殺してたかもねえ」
リリスは冗談めいた声で話す。だがアークは嫌な汗が背中を流れるのを感じた。
冗談ではないのだろう。つまらない事をしていたのなら本当に殺していたのだろう。リリスがそういう種の生き物だという事をアークはこれまで接してきた中で感じ取っていた。
「冗談に聞こえないな。それと最後に貴女に聞きたい事が----」
「いたぞ!男の方だ!」
アークがリリスにある事を尋ねようとした時、アークを見つけたギルドメンバーの男が大声をあげた。
此方に走ってくる数人のギルドメンバー、狙いはアーク。各々が武器を持って欲望に塗れた表情で走ってくる。
「面倒くさい、さっさと終わらせるか」
アークが追跡者に向けて戦闘を仕掛けようとするが、ソレをリリスは手で静止させ、アークの前に一歩出た。
「アレはあたしがどうにかするから、あんたは先に行きな」
静かに落ち着いた声音で話してはいるが内側から滲み出ている不機嫌そうなオーラは隠しきれていない。
アークと話しているのを邪魔されて、気が立ったのだろう。
「……わかりました。いつかまたお会いできることを願っています」
それだけを言って、アークはその場から急いで立ち去った。
そして残されたリリスは追ってきたギルドメンバーの前に立ちふさがった。
「おい、リリス!あいつを逃がすなんてどういう了見かわかってんのかおい!あいつがどれだけ金になると思っている!」
戦闘にいるギルドメンバーの男が足を止めてリリスを咎めた。
「了見?それはあたしのセリフだよ。あたしが楽しく会話をしているのに邪魔をするなんて、余程死にたいみたいだねえ」
リリスの足元の影の一部が一人でに切り取られ、切り取られた影は不気味に盛り上がり始めた。伸び、広がり、あるモノを形どっていく。
影で作られた狼、気高く勇ましい巨大なそれは低く唸りながら、主人であるリリスからの殺傷命令を待っている。
「やるのか?俺たちAランク四人と、お前一人で、わかるだろ。数は此方が有利だ。それとも痛い目見ないとわからないのか?」
先頭の男が己の武器を構える。それに続いて他の三人も武器を構えた。
同じAランク同士、数は此方が上。男たちは負ける気がしなかった。
同じAランク相応の実力ならば、結末は変わらない。
同じなら。
「黙れ、
一瞬だった。リリスの言葉の直後、影の狼は目にも止まらぬ速度で先頭の男に近づき、その上半身を喰らい引きちぎった。
そして狼は近くの建物の屋根に飛びうつった。口からは男の血が滴り落ちている。
「え?」
男の仲間の一人が状況を飲み込めずに素っ頓狂な声を上げた。瞬きをした。そしたら仲間が死んでいたのだ。
「喰らっていいぞ。あたしの可愛い僕」
その言葉を合図に惨殺が始まった。
狼は屋根から飛び降り、刀のように鋭利な爪で二人、首をはねた。
逃げることはできなかった。目の前の化け物に対する恐怖心が一歩も体を動かさせなかった。
そして残された一人は頭から丸呑みにされて殺された。
十秒にも満たない出来事であった。それ程までに実力に差があった。
命令を終えた狼はどんどん形を変えて潰れていく。その際にギルドメンバー達の亡骸を己の身の中に取り込んでいく。
狼はもとどおりに真っ平らになりリリスの影に戻っていった。
「ああ、つまらないねえ。ここも飽きたし、あたしも何処かに行くかねえ。そうだ、そろそろアルノアの豊穣歳か。行かないとねえ」
リリスの体が足元の影の中に吸い込まれていく。そして完全に影の中に消えて行った。影も消え去り、後には何も残らなかった。
残されたのは何もない。
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