第42話



    富士宮治樹は与えられた自室で寛いでいる。初めての遠征は順調に進み予想外に早く終わった。


    生徒達からは怪我人一人出すことなく、帰ってくることができた。


    生徒の安全を確保するという緊張感から開放され、治樹は同室の人間が帰ってくることのない部屋のベッドの上で寛いでいる。


    棚を挟んで隣に置かれてある、人のいないベッドに目をかける。そのベッドは今日から誰も使わない、そこの主は帰ってこないのだ。


「宗麻の奴、上手くやれてると良いが」


    帰ってくることのない親友の事を考えながら、治樹は石造りの天井を見上げながら呟いた。


    治樹は悔いていた。一番の親友と言える宗麻に重い責任を背負わせてしまったことを。本来ならば自分がするべきだった役目を親友にさせてしまったことは、治樹を心痛させた。


    ゆっくりと寛ぎたいが、心配のしすぎで録に休めてはいない。


    


    木製の扉を鉄のノッカーが叩く音が静かな部屋の中に木霊した。


「治樹。俺だ、鋼牙。入るぞ」


   声の主は治樹もよく知る有家鋼牙であった。だが彼の声の中には、普段のガサツさや大胆な強気な声色や感じられず、親友である治樹でさえ名前を呼ばなかったら気づかないほど、弱々しくなっていた。


「鋼牙……なのか?入っていいぞ」


「わかった」


    木製の扉が重々しく開けられた。中に入ってきた鋼牙はまるで絞首台に向かう罪人のように、目には見えない重りを背負わされてい るようであった。


    その姿を見て治樹は絶句した。右腕は衣服と棒を利用した簡易ギブスに動かないように固められ、衣服に隠れていない肌が露出されている場所は切り傷や青あざが体全体に広がっている。


    それだけを見て、自分たちの遠征とは違って、宗麻や鋼牙の遠征の過酷さを想像することができた。


「…………なにが、あった?」


    鋼牙が口を開くよりも先に、治樹は鋼牙に遠征でなにが起きたのかを尋ねた。嫌な予感がする。


「すまない!」


    口を開くよりも先に鋼牙は地面に身体をつけて土下座した。


「宗麻を死なせてしまった、俺の責任だ。お前になんて詫びればいいのかわからない。けど死なせてしまったんだ……」


「どいういうことだ?元々宗麻は死んだように思わせ…………」


    言葉が詰まった。自分でも鋼牙の言っていることを理解したからだ。死んだように思わせたのではない、本当に、嘘偽りなく宗麻が死んだことに気づいたのだ。


「…………ッ」


     悲しみから、怒りから、絶望感から、喪失感から叫び声を、怒鳴り声をあげそうになってしまったところを寸前のところで止めた。


    鋼牙も同じ気持ちなのだろう、それに気づいたから。奴も辛い、その思いは治樹以上なのかもしれない。自分がもっと強ければ宗麻は死ななかったのかもしれない。鋼牙の胸の内にはその思考が駆ける。


「何があったんだ、できる限り話してくれないか」


    思いを噛み殺し、治樹は鋼牙に尋ねた。


「洞窟に行ったんだ。そこまでだ、そこまでは良かったんだ。何も問題なく進むはずだったんだ。けれどいきなり洞窟の中に吸い込まれて、気づいたら変なドームの中にいたんだ。そこに……わけのわからないやつがいたんだ。そいつは今まで見たことのない姿をしていたし、副騎士団長達が一瞬でやられたんだ。だから俺と宗麻の二人で戦ったんだ。なんとか勝てたが、最後に敵は宗麻を道連れにしたんだ。それで、宗麻は俺たちを逃がすために落盤に巻き込まれて…………」

    

    顔も上げず、起きた事実を述べる鋼牙。顔を上げようにも治樹に対する後ろめたさからか、あげることができない。


「そうか…………わかった。生徒達の中で他に怪我したりした奴はいないか?」


「いや、俺だけだ。戦ったのは俺と宗麻だけだったから、他には誰も傷ついていない」


    その言葉を聞いて、治樹は優しく鋼牙の肩に手を乗せた。労うように、癒すように。


「そうか…………よくやってくれた。無理をさせてしまってすまない。そして皆を守ってくれてありがとう。宗麻の事は考えるのはやめよう。それよりも今はお前の傷を治せ」


    治樹からの言葉に鋼牙はハッと顔をあげた。怒りの感情が篭った目で、治樹を睨みつけた。宗麻の事を忘れるなどという言葉がまさか一番の親友の口から聞けるなどとは思ってもいなかったからだ。


    だがその怒りは治樹の顔を見た途端にどこかへと霧散していった。


    治樹は泣いていた。正確に言うならば溢れ出ようとする悲しみを堪え続けていた。


    宗麻を失って一番辛いのは誰か、それは如月葵か富士宮治樹のどちらかである事は間違いない。


    それでも治樹は弱みを周りに見せてはいけないと理解していた。自分が弱みを見せてしまえば、他の生徒達に不安が広がってしまうからだ。だからこそ治樹は自分を押し殺した。


「治樹…………お前」


「鋼牙………」


    鋼牙が治樹に声をかけようとしたところを治樹自身に阻まれた。


「今は、一人にしてやる優しさを俺にくれ。安心しろ、一晩経てば元に戻してみせる。また明日から、俺はいつもの俺でいる。だから、な?」


    その言葉を聞いて、鋼牙は何も言い返せなかった。話している治樹自身が今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、弱っていたからだ。


「そうか、わかった」


    鋼牙は立ち上がると、部屋から出て行った。


    一人部屋に残った治樹はゆらりと動いてベッドの上に座り、いつもより冷たく感じる石の壁に身体を預ける。


    部屋を見渡せば、そこはいつもより広く感じられた。


「死なないって言ってただろ……」


    他の部屋に、他人に聞かれないように、治樹は心の底から溢れてきた悲しみを堪えきれずに、声を押し殺して慟哭をあげる。


     鋼牙の前では泣かなかった。その事が治樹にとっては唯一の救いであった。


「お前が死んでどうするんだよ。お前は俺たちを此処から逃がして、皆で世界を旅するって言ってたじゃねえか。それなのに……もう意味がないだろ…………」


     剥き出しの感情で己の心から出た言葉を亡き友にぶつける。


    滅多には見せない感情を露わにした治樹はとてもゆらついている。


「失礼します」


    ノックの一つもせずに聖徳院京香が部屋に入ってきた。


「葵ちゃんから話を聞きました。治樹さんのことですから、鬱ぎこんでいると思いまして、私にできることがあれば、おっしゃってください」


    治樹は顔を少しだけ上げて、聖徳院の姿を確認する。そしてすぐに頭を下げた。


「如月の様子はどうだ。あいつは宗麻の死を目撃したんだ。それにあいつの方が宗麻との繋がりは強いだろ。慰めにいってはどうだ。同室なのだろう?」


「その事に関してはご心配入りません。葵ちゃんは帰ってくる間も泣いていたので、泣き疲れてしまい、今は少し落ち着いています。それでもまだ精神的に不安定な状態ですので、何人かの女子生徒が寄り添ったいます。それよりも、今は治樹さんの方が心配です」 


    聖徳院は治樹の座るベッドにユックリと歩みを寄せる。


「…………京香、今は一人にしてくれ。大丈夫だ。明日までには元の俺に戻る。だから今は弱みを見させてくれ」

  

    治樹は俯いたまま、優しく聖徳院に話しかける。


「唖々、ズルい人です。普段は苗字で読んでいるのに、こんな時だけ名で呼ぶなんて。愛おしいのに、悲しくなってしまいます」


「そうか、俺はズルい男なのかもしれないな。俺のせいで友を死なせてしまった。


    聖徳院はゆっくりと治樹に近づき、子供に対して行うように優しく抱きしめた。治樹の顔を自分の胸にうずめさせる。そしてあやすように後頭部を優しく撫で始めた。


「今の貴方様は心の中が悲しみで満たされているはずです、ですから無理をなさらず私の胸の中で思う侭に泣いてください。それを咎めるモノは誰一人としていません。私には悲しみを癒す事はできません、ですが悲しみを他人から隠す事ならばやってみせます。ですから、今だけは自分に素直になってください」


    甘く優しい誘惑だ。


    京香は真に治樹の事を信頼し、親愛し、恋愛している。


    故に治樹の弱みを見るのは自分だけで良いと考えた。


    それがパートナーとしての役目、副会長としての役目、許嫁としての役目、妻としての役目。 


    他の誰から毒婦と罵られようが構わない。ただ一人、愛する人が、治樹が自分を必要としてくれるのであれば構わない。聖徳院京香はそんな人間になってしまった。


「ああ……あ、ああ!」


    治樹は京香の腰に手を回し、より一層胸に埋まる。


    涙が溢れ出し、声を殺さずに慟哭を漏らす。治樹から吐き出された声は京香の胸の中で消えていく。


「今だけは……今だけは泣かせてくれ。泣いたら、泣き終わったら、いつもの俺に戻るから」


    感情を剥き出しにして話す治樹は、いつもより幼く見えた。


「ええ、わかってます。治樹さんは強いお方ですから。今は気が済むまでお泣きになってください」


    京香の身体に埋れ、治樹は泣き尽くした。だがその悲しみは晴れる事はなかった。















「…………ああ」


     此処は何処だ。


    皆、無事なのか。


    霞んでいた視界が綺麗になっていく。


    あの戦いから何時間が過ぎたのかわからない。俺はあの戦いの後落盤に巻き込まれたが、奇跡的に助かった。それでも今の今まで気を失っていた。


    場所は未だ洞窟の中のようだ。ドーム型とは違い細い通路のようになっている。しかし、行き止まりは目と鼻の先に確認でできる距離にあり、もう一方は落石で塞がれている。


    それにドームと同じように光源が存在しないのに、洞窟の中は明るくなっている。


    両腕が動かない。左腕は石のように重く、右腕からは大量出血していて、今にも腕が千切れ落ちそうになっている。


    だが不思議な事に胸から溢れていた血が止まっている。無意識のうちに魔法を使って止血でもしたのか。


    足と胴体を動かして、壁に寄りかかる。


    天井から落ちてくる冷たい雫が肉体を目覚めさていく。


「…………ザマアみろ、あの糞国家が。今頃俺の事死んだと思っているに違いない。待ってろや、葵、治樹。約束は絶対に守ってやる…………だがどうやって此処から脱出するか。武器もねえし、体力もない。両腕は使えない………………ああ、詰んだ」


    足と壁に寄りかかる背中を使って立ち上がる。


    洞窟の奥にはなにかあるかもしれない。俺は奥にむけて歩き出した。


    そしてそこで俺は見つけた。



    槍が突き刺さっている白骨を。



    いったいどれほどの時間が経過しているのかわからない。何故こんな場所に遺体が存在するのか見当もつかない。


    死因は槍で自分の心臓を貫いたのだろうか、自殺だ。不思議な事に白骨死体だというのに、亡骸の手は今でも槍を掴んで離さない。それどころか、今も生前の姿のままだ。


    突然、頭蓋骨が動いて俺を見た。いや、そう感じただけだろう。衝撃か何かで動いただけだろう。


「お前が呼んでたのか…………俺を、ソロア」


    アレは裏切りの英雄ソロアだ。何故わかるのか、何故かわからない。


『ようこそ……この世に』


    亡骸は嗤った。そして粒子のように細かく崩れ落ちていく。長く永く彼は人を待っていた。そしてようやく待ち人が来たから、奴は満足して朽ちていった。


    全ての骨が粒子となって地面に落ちた。遺されたのは地面に突き刺さる一本の槍。


    赤い紅い朱い赫いその槍は全てを飲み込んでしまいそうな貪欲な禍々しさを放っている。一やニではない、秒や分ではない。あの槍に込められている怒り、憎しみ、悲しみといった負の意思は。


    だがそれと同時にその奥からはそれとは真逆の光が見える。


    槍が一人でに地面から抜けた。


    そして宙に浮かび上がり、円錐形の穂先を俺に突きつける。


    死刑宣告、それは今の俺では逃げる事ができない。ただ俺ができる事はその死が楽に終わるように祈るだけだ。


    槍が撃ち出され、刹那のうちに俺の胸を貫いた。


「あ………ああ!」


   痛い、ただ突き刺されただけではない。その直後に説明可能な痛みと説明不可能な痛みが俺の肉体を駆け巡る。


    斬られ、灼かれ、潰され、轢かれ、圧される。


    俺が経験したことのある痛みと俺の経験した事のない痛み。


    肉体的な痛みだけではない、俺の精神を蝕み、壊してしまうような精神的な痛さも生まれてくる。


    僅かでも気を許せば俺は壊れる。


    肉体が槍に侵食されていく。


『さあ、壊せ』


『貴様が持つは呪怨の槍』


『身を寄越せ』


    意思が亡くなっていく、視界が塗りつぶされていく。


    俺は此処でもうダメだ。


    俺の意識があるうちで最後に聞いた音は、背後の石の壁が崩れる音と、若い男女の声だった。


     唖々や、壊してやる。

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