第43話
世界が塗りつぶされていく。
完成された美しい絵画を絵の具で台無しにするように。
俺の世界が泥のような、腐っている血が塗りつぶされていく。
いくら足掻いても、その侵食は止まらない。
だが決して失ってはいけない心はある。それを塗りつぶされてしまえば、俺は唯の愚醜な生物に堕落していく。
だから俺はその心を守る。
心の中にある光を護る。
だから俺は…………血に手を伸ばす。
鬼子宗麻は目が覚めた。あの洞窟で胸を貫かれてから自分に何が起きたのかわからない。
徐々に明るくなってくる意識、そして宗麻はある事に気づいた。自分の視界が緑に埋め尽くされている事を。
「っ!ごぼっ!」
慌てて息を吸ってみれば、気管に大量の液体が雪崩れ込んできた。呼吸器官を埋め尽くし、空気との繋がりをなくした。
そして自分が今何かの液体の中にいる事に気がついた。
それでも息苦しさは一切感じられなかった。呼吸できなくても酸素が送られてくる。
だがその事を宗麻は慌てていたために気づかない。
必死に手足を動かして水面に向かう。水面には直ぐに到着した。水面から飛び出して、宗麻は直に酸素を肺に取り込んだ。
「はーっ、はーっ、はー…………は?」
そして気づいた、今自分のいる場所が何処かの部屋だという事に。木製の床に木製の扉、更には木製の壁。素材は原始的だが、部屋のデザインは近代的、それどころか宗麻は一歩先をいってるとさえ思った。
宗麻のいた場所はまるで風呂桶のようであった。大人が二人寝そべっても余裕があるほどの大きさ。そこには半透明の緑の液体で満たされていた。
「なんだこれ?」
右腕をみれば肩口から指の先まで血の色をした包帯のような物に覆いつくされていた。だが動きに何かの問題があるというわけではなく、五本の指先までいつものように動かす事ができる。
宗麻はそれを外そうと思ったが、全く外れない。
そのことにイラつきながら、宗麻は風呂桶から出た。近くに置いてあったバスタオルを手にとり、緑の液体塗れになった身体をふきあげる。
「なんだよ、ここ。なんか妙に元の世界のニオイがしやがる」
部屋に関する違和感を感じながら、タオルの近くに置いてあった衣服一式を着込む。患者服のようなゆとりのあるデザインである。
腹の音がなる。自分がどれほどの間飯を食べていなかったのかわからないが、腹が減っているのは確かなことだ。
そして鼻腔を香ばしい匂いがくすぐる。唯それだけで宗麻の肉体を食欲が埋め尽くした。この世界に来てからは一切かいでいない。しかし、元の世界では毎日のようにかいでいた匂いが存在する。
「…………白米だ」
米、白米、ご飯、ライス。
主食だ。
この世界に来てからその存在に思い焦がれていたモノが扉一枚を隔てて存在している。それだけで宗麻の足が動く。
宗麻は匂いがやってくる扉を開ける。
扉の先にあった光景は長閑な食卓であった。長方形のテーブルが存在していて、その周りには四つの椅子が置かれてある。
そして目を見張るのはテーブルの上に置かれてある豪勢な食事。それを嗅いだだけで、見ただけで宗麻の口の中から涎が溢れ出てくる。
「やはり、この時間に起きたか。シキノ、飯を食べるぞ」
「わかった」
一人の黒髪の男が厨房らしき場所からやって来て、つけていたエプロンをはずした。一人の美しい狐色の髪をした女性がソファーから起き上がった。
二人は宗麻を見ることはなく、隣り合わせにテーブルに座った。
宗麻はわけがわからず、その場に立ち尽くしていた。
「なんだ、食べないのか?」
男が宗麻に声をかけた。
「あ、ああ」
男の声に促され、宗麻は椅子に座った。
「あんたたちは、誰なんだ?」
「そんなことは今はどうでもいいと思わないか?飯があるのだぞ、腹が減ってるだろ。冷めないうちに食べたらどうだ」
「そう……だな」
男の言葉は不思議と説得力があった。別段変わったことは何もいっていない。だが男の放つ俗世離れした雰囲気宗麻は飲み込まれてしまった。
「そうだ、食べる前にこれを飲むといい。数日ぶりに、いきなり飯を入れたら、胃がビックリするぞ」
そういって男は近くにあったグラスにピッチャーから半透明の青い液体を注いだ。それを宗麻の目の前に差し出すと、何も言われずとも宗麻は飲んだ。
胃が開いた。そう感じる。
「さあ、食べるといい。安心しろ、調理の腕に関しては自身がある」
「ならば」
その言葉が合図だった。
宗麻は目の前に置かれてあった木製の箸を手にとり、ご飯が山盛りにつがれた茶碗を持ち、ご飯によく合うおかずに手を伸ばす。
それから宗麻の手は暫くの間止まらなかった。
久しぶりに食べる白米に宗麻は感動していた。完璧な炊き具合であった。もしかしたら今まで食べたご飯の中で一番美味しいのかもしれない。
そしてご飯を際立たせるおかずの数々、唐揚げやハンバーグなどの肉料理、干物や刺身といった魚料理、そして喉を整える野菜料理。そのどれもが一級品であった。
二分もしないうちにお茶碗の中にあったご飯はなくなった。
だがまだ満腹感にはならない。
「カレーもあるぞ」
「食べます」
「カツは?」
「乗せます」
男はテーブルから立ち上がると厨房に向かっていった。その間も宗麻はテーブルの上に置かれてある料理の数々を胃に運んで行っている。
「よく食べるのお」
頬杖をついて、宗麻を観察していた女がそんなことを言い出した。だがそんなこと宗麻には関係ない。
今は身体に栄養を与えることしか考えられないのだ。自分の欲を満たすしか考えはない。
「はい、カレー」
「ども」
目の前に置かれてたカツカレーに匙をいれる。
ご飯とルーを混ぜ合わせ、スプーンの上に乗せるとまずは一口。旨味が口の中に広がり、そして僅かに遅れて辛味が肉体を刺激する。
辛い、それでも手は止まらない。辛味がより食欲を刺激してくる。
カツに手をかけ、一口。
「なんだこれ?」
食べたこのない味の肉であった。決してまずいわけではなく、寧ろ美味しい。
「龍肉だ、食べた事ないと思ってな。お気に召したか?」
「ああ、あんた凄いな。どれも上手い」
カレーを完食。皿をテーブルの上に置いて、休憩を挟む。大量の食事をとった。けれど満腹による辛さはない。
宗麻は目の前に出された料理の美味しさと懐かしさに感動している。もう二度と食べる事ないと思っていた故郷の味。
そして宗麻は気づいた。
「よかった、態々君たちの故郷の料理を作った甲斐があったよ」
その言葉に宗麻は直様反応する。力をいれて、テーブルから離れようとする。
しかし。
「あっ?」
身体が動かない。気づいた時には細い糸のようなモノで身体を縛り上げられていた。
「食後は、食事の余韻を楽しむ時間だ。戦う時間ではない。だから落ち着け」
何時の間にか攻撃されていた。何が起きたのかわからないが、宗麻は目の前の男の実力の片鱗を見た。だが宗麻にとって一番恐ろしいのは男の様子に何の変化もないことだ。
「お前…………何者だ。何で俺が異世界からやって来た事を知ってる。それに何故故郷の料理を知っている!」
「そうだな、食事も終わったようだし話すか」
目の前の男が右腕を動かし、それと同時に宗麻を縛り上げていた何かがほどけた。だが宗麻はさっきのようにテーブルから離れようとはしない。実力差を知らされたからだ。男は何時でも自分を殺せる。
「俺の名前はアーク・ディウォード。そして彼女はシキノ・ユーディア」
アークと名乗った男は隣に座るシキノの肩を抱き寄せながら自己紹介をした。
マイペース過ぎるアークに宗麻は戸惑っている
「あ、ああ……俺は鬼子宗麻。色々聞きたい事があるが良いか」
「構わない」
「なら一つ目だ。何故俺を助けた」
「…………君に利用価値があったから助けたと言えば納得するか?死にそうになっていたから助けた、助けないとと思ったからなんて考えはない。善意もない、唯君に利用価値があったから助けた。
それだけさ」
「…………」
宗麻はアークの話す内容に絶句していた。嘘を付いてる様子はない。本当に利用価値があったから宗麻を助けたようだ。歯に衣着せぬ発言は宗麻にとってはありがたかった。
「それと助けたのには他にも理由があってね、ギルドに頼まれたんだ。それであの洞窟に行くと連絡を受けて、君たちを観察していたんだよ。君は気づいていただろ?」
「何を…………あ」
そこで宗麻は気づいた。洞窟にはいる前に感じていた二つの視線を。
「あれはあんたたちだったのか」
「そう、それでお前たちが洞窟の中に呑み込まれた後、貼られた結界を解除してたんだよ。それで全ての結界を解除したと思ったら、今度は落盤。そしてその後、お前を見つけて保護したというわけさ」
「そうなのか、ありがとう」
宗麻は素直に頭を下げた。アークは幾らか怪しい人間ではあるが、助けて貰ったことはお礼を言わなければならない。
「そして何故俺が君たちの故郷の料理を知ってるのかというと、俺の父親が先代の勇者だからさ。それで話は戻すけど……」
「待て……待ってくれ」
話を続けようとするアークを宗麻は慌てて止めた。
流れるように出た言葉ではあるが、その内容は宗麻にとって聞き逃せないものであった。
「先代勇者?御伽話だったら死んでたはずだ。それに子どももいないはず。どういうことだ」
宗麻は自分にある僅かな知識を脳から引き出す。とはいっても情報源は如月葵が見つけた本からなのだが。
「それについては後で此奴が話すじゃろ。それよりも今は他に聞きたいことはないのか?」
沈黙を保っていたシキノが値踏みするような視線を向けながら、宗麻に尋ねる。
「……じゃあ、一つ尋ねるよ。この腕はなんだ」
地の色の包帯で巻かれた右腕を見せつける。
「俺はここに来るまでにこんなのは身につけていなかった。こんなのをつけられるのはあんたらしかいないはずだ」
確信を持って、宗麻は目の前に座る二人に問いかける。
「ふむ、それは良い問」
腕を妙に艶めかしく動かしながら、シキノは宗麻の問いかけに答え始める。
「その腕に巻きつけてあるのは封呪の破帯と呼ばれるものでな。簡単に効力を説明するなら呪いを抑え込むためのものだ」
「呪い?俺に呪いが罹ってるったいうのかい。今の俺に別段苦しいところはないぜ」
自分の身体を触って調子を確かめながら、宗麻は自分に何処も異常がないことを告げる。
その様子を見てシキノはクスリと笑った。
「違う違う、そうじゃない。お主にかけられている呪いはそんな簡単に蝕まん。寧ろ厄介過ぎて妾も解呪できずに止める程度のことしかできなかった」
両手を上げて冗談混じりに降参のポーズをとるシキノ、だが宗麻の顔は強張っており一切笑っていない。
「それで……結局俺にかけられている呪いはなんだ、教えてくれ」
真摯な目つきで宗麻は問いかけた。
「ふん、そうじゃのう。その呪いはある一つの武器が原因になっている」
「武器?」
「そう。しかもその武器というのが……最悪じゃ。貴様はソロアを知っているか?」
「ソロア……前に童話をよんだ」
宗麻は前に城で読んだ本のことを思い出していた。あの時は何故か何時の間にか涙を流していた。
「原初の時代に神より授けられた一本の槍、叛逆英雄ソロアの象徴。そして数万の人間の血を吸い上げ、肉を喰らい、悪意を狩り、怨念を呑み込んだ。たった一人と一本の槍だけで一つの大国が滅びかけた。歴史上でもこれほどまでの負を冠する武器は存在しない。そんな武器が今はお主の肉体と同化しておる」
シキノからの言葉に対して、宗麻は何も言葉が出なかった。
ただ、自分の右腕を左手で押さえつけることしかできなかった。そしてゆっくりと目線を腕に移した。
(槍が……体に?信じられるか)
身体と武器が同化するなどあり得ない。それが宗麻の元の世界にいた時の考えだ。けれど今は違う。ここは違う世界、違う法則に動く世界。故に過去は通用しない。
「そして、呪いの効果じゃが何とも奇妙なものだ。英雄ソロアは愛したものを殺されたが故に、他者から愛しいものを奪う。禁愛の呪い、己が親愛し、己を親愛するものを殺そうと思う呪い。つまり貴様はもう二度と元の鞘に収まることはできん」
ソレは宗麻にとって死に近い言葉であった。
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