第二話 カットボール

 1


「なぁ、明日から何が始まると思う⁉」

 朝のホームルーム前、藪から棒に後ろから大声で話しかけてきたのは、新クラスになって初めて俺に声をかけてくれた日野という男だ。彼も東京都心からきた生徒の一人だ。生徒の友達作りを円滑にするためにつくられただろう、最寄り駅一覧シートなるものがファーストコンタクトで、入試の時に使っていた住所から作られていたために俺は蒲田駅が最寄りになっていたことから俺を見つけたらしい。

 彼は蒲田の一つとなりの大森からここまで通っているらしい。なんでも知り合いの一人もいないところを狙っていたとか。本物の高校デビューというやつだ。

 俺は別に知り合いから離れたかったとかそういうんでここに来たわけではない。

「知らねぇよ、つまんねぇ授業の日々か?」

「そんなわけあるか、この俺が授業なんかの話をお前にすると思うか?」

「お前のことよく知らねぇからな」

 日野が俺に話しかけてきたのはつい二日前くらいだ。駅が隣といったって中学時代は大森なんて下りなかったし、彼の中学時代を俺が知る由もない。

「知りたいか? 俺の中学時代を」

「いや別にいいよ」

「そうか、ならいい」

「意外と潔いな」

「粘着してほしかったのか?」

「いいや、そんなわけあるか」

 とか適当に受け流していると、日野は思い出したように続ける。

「ゴールデンウィークだよゴールデンウィーク。大事なことなので二回言いました」

「そうだっけ?」

 学生あるあるとして、曜日でしか物事を判断しなくなることが挙げられる。二と五のつく日は煮込みハンバーグということより、木曜だから数学、だるい、とかいう感覚のほうが重視されるのである。

 だから今日が五月二日であることに気が付かなかった。そういや昨日確かに休みだったな。

「問答無用で全国民に休暇が与えられるんだ。俺は一国民として正当に与えられた権利を行使するよ」

「休日出勤の人もいるだろ」

「そうやってすぐ揚げ足取っていくスタイル、モテないぞ」

「知らねぇよ」

「お前こそ高校生にもなって彼女なしでいいのか?」

「…………うるせぇ」

「高校生にもなって、連休に用事がないなんてことないよな?」

「一応な」

 何でこいつに俺の連休事情を教えなきゃいけないのか甚だ疑問なので、適当に答えておく。嘘ではないし。

「まぁ、そんなこと言ってる俺も彼女とかいたことないんだけどな」

 自虐的にそういった後、日野は、俺も漫画みたいな恋してぇよぉーー! とかなんとか言いながら、開いた窓から吹くここちいい五月の風を受けながら、腕を天井につきあげて大きく伸びをしていた。

 俺はクラスの一部の視線をいろんな意味で受ける日野に対し見て見ぬふりをしていたが、しばらくするとすることがなくなった。仕方なく手を付けていない五限までの宿題でもやろうと、真っ白のプリントをクリアファイルから取り出そうとしたところ、「羽村くん」と声をかけられた。

 瞬間的に振り向くと、背後にきれいに整えられた長髪の五ノ神が立っていた。

 あっ、と一瞬日野が驚いた表情を見せるが、すぐにパッと表情をノーマルな笑顔に変え、「弁当買ってこよっかなー」とか言って、俺の横からなめらかにフェードアウトした。日野的には良かれと思っての行動なのだろう。実際五ノ神と俺の間にあいつがいると、なんかめんどくさくなりそうだったので、ありがとう日野。ナイスだ。だが日野、弁当は一限終わらないと売り出さないんだ。

 俺は日野に対するありったけの気持ちだけの感謝を伝えたあと、五ノ神に向き直る。

 まぁ、黙っていればかわいい部類にはいる人間なのである。ただ、口を開くと毒を吐くことがあるので取り扱いには十分注意しなければならない。五ノ神はガスボンベかよ。はいおもしろいおもしろい。

「最初のほうと違ってずいぶんと早く来るようになったのね」

「そうだよ悪いか」

「素晴らしい心がけだと思うわ。早起きは三文の徳っていうしね」

「そうだな、実際早起きしたら三文どころか三百円くらいくれてもいいのに」

「……たぶん、あなたが思っているのは得のほうね。一般的な間違いだわ。よかったわね一般的で。独創的な間違いだったら手を付けられなかったわ」

「いやらしい言い方だな」

「いやらしい? 朝からなんてことを口走るのかしらこの変態は」

「変態ぃ? なんだよ、そんな起伏もない絶壁に誰が興味を示すかっての」

グキッ

「背中痛‼」

 背骨の真ん中あたりが痛い。殴られたのか?

「あなた、今なんていったかしら?」

「あぁ?」

「だから、今、なんていったかと訊いているの。答えなさいこの俗物」

 頭にくる言い方だな。

「なに? 私が何ですって?」

「あんだよ、見る胸もねぇじゃねぇか」

 バキッ

「背中痛‼」

「胸がない、ですって?」

 彼女の顔にみるみる怒りがあふれていく。夕日に照らされた富士山みたいだ。だめだこれじゃ噴火するかもしれないじゃないかもっと安全なたとえにしろよ。

「だいたいあんなの脂肪の塊でしかないの。そんなのでしか競えないなんてそれこそばかばかしいわ」

 と、テンプレートなセリフでこの会話の最後を飾った五ノ神は、ふんっ、と心底気分を害したようにため息をついてから、がたっと割と大きな音を立てて座った。うるせぇよ俺は宿題やりたいんだよ。

 えーと、xにyを代入して…………全然わかんねぇな。やはり友人が言っていたようにxとちゃんと友達にならなきゃいけないだろうか。

 大丈夫、提出までは何時間もある。ちゃんとやれば提出までに全部終わる。大丈夫大丈夫。


 2


 放課後。一年は早く来て準備をしてから先輩を迎えて合同練習といった段取りになっている。なっているというか、なんか雰囲気でこうなった。正直めんどくさいが、上下関係を学ぶのも部活っていうシステムなんだろう。そういうことにしておく。宿題? まぁ、終わんなかったんだけどね。

 なんでP君は池の周りを走るんだよ。Q君と一緒に歩けよ。

 あおむけになって寝そべったら、「今日の空、こんなに青かったのか……」とか呟けそうな澄み渡った青空のもと、これでもかと詰め込まれたボールを落とさないようにグラウンドに運ぶ。マジ重い。

 続いてはバッティング練習用に端に寄せられたネットを集める。十人くらいで一枚のネットを運ぶので精いっぱいだ。

 時刻はすでに十五時四十分。そろそろ先輩が下りてくるころ合いだ。

「どう、そろそろ部活にも慣れてきたんじゃない?」

 黙々と準備を続ける俺に後ろから声をかけたのは、二年生の女子マネージャー、牛浜先輩。地毛だという茶髪を頭の後ろのほうで二つ結んでツインテールにしている。身長は俺と同じくらいあるから、結構背は高いほうだろう。

「あ、はい、さすがに一か月くらいやってますし」

「そう。ふふっ、なかなか元気あるねぇ。さすが一年生」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ、がんばってね~」

 毎日、部員にこまめに声をかけている、真面目な人だ。

 牛浜さんが一通り一年と絡んだあと、一、二分して先輩が下りてきた。

 定番の打撃練習からシートノックをこなした後、監督から招集がかかった。

「新入部員を紹介しようと思う」

 部員がざわつく。まだ五月にもなっていないころだ。野球部にほかの部活から転部してくる人は少ないはずだ。先輩の可能性は低いな……でも一年にしては大会もないのに今転部するのはよほどのことがない限り考えにくいが……

 周りのやつらも同じ考えらしく、ざわざわしている。

「じゃあ拝島さん、どうぞ」

 珍しく監督に「さん」づけで呼んでもらった拝島さんという生徒は、全員の前に歩いて登場すると、

「あ、えと、あの」

激しく狼狽していた。

 対照的に落ち着いていたはずの俺らも、一人、また一人と違和感に気づいていく。

「えと、一年C組、拝島あやかです、よろしくお願いします……」

 拝島さんはぺこりと一礼した後、俺らから見て左に退場しようとしたが、ふと思い出したように、監督の右二メートルくらい離れたところに下がった。まだ終わってないから。

 さて、前述の違和感とは何か。

 違和感その一、でかい。

 汗臭さ漂う男子高生にはあり得ない上半身の膨らみ方である。Dカップくらいあるんじゃないか? 

 違和感その二、声が高い。

 汗臭さ漂う男子高生にはあり得ないほどソプラノである。緊張からかか細くなっていたが、普通に話せば十分に聞こえるだろう。

 以上より推測されるのは――女子マネージャー。

 野球部に巨乳の女子マネが入ってきたということだ。ひゃっほう。

「えーっと、まず二年、テンションを上げるな。これから彼女には一年の体調の管理、試合のスコアはもちろん、選手とコミュニケーションを積極的にとって、日常的にもサポートしてもらおうと思っている。……って牛浜にも言ったよな?」

「あ、はい、そうですよ」

「よし、これで俺が拝島さんに肩入れしてないことが伝わったようだな。だよな、よし、俺は沈黙を肯定と受け取るからな」

 監督がなんか暴走し出したので、俺はちょっと目をそらす。と、視界に拝島さんが入ってきた。

 牛浜さんより明るい茶髪を肩まで伸ばすショートカットがよく似合っている。そして嫌でも目に入るでかい胸は、五ノ神とかいうやつと違い、女らしさというか、そういうのをいかんなく伝えてくる。

 なるほど、あいつとは正反対ということか。

「ざわつくなお前ら、落ち着けー」

 一年いいなーとか、爆ぜろ一年とか言っている先輩をがんばって落ち着かせた監督は、そのあとはいつもと何ら変わりなく進めていった。

「じゃあ、この後一年は俺のところに残るように」


 何人か先輩が拝島に話しかけていたが、拝島はそのすべてに対して適当に返すか受け流すかといったように、半ばコミュニケーションを避けているように見えた。

 それを察したのか、先輩方はそれで拝島へのアタックをあきらめ、練習に戻っていった。一方の拝島のほうも、何か仕事でもあるのか、そそくさと裏手に回っていって、しばらくして姿は見えなくなった。

 監督に招集をかけられたので、体と意識をそちらに向ける。

「四日に練習試合をやるから、その時のために各人のポジションを聞いておきたい」

 前回唐突に宣言された試合の話か。ゴールデンウィーク中にやるとは言っていたが、そういえばもうそんな時期か。

「じゃあまずピッチャー。希望は?」

 俺はとりあえず挙手した。十数名の部員のうち、手を挙げたのは俺以外にはいない。

 ひとまずこの試合での登板は俺になるということか。よし。

「そうか…………」

 監督は視線を落として、しばし腕を組んで考えた後、

「羽村、ちょっと投げてみろ」

と言った。

「荻窪、ちょっと来い」

 振り返った監督は荻窪先輩を呼ぶと、桜の舞い散るグラウンド隅のブルペンに座らせた。

「羽村、直球をいくつか投げろ」

「あ、はい」

 指示を受けて、グラウンドの一塁側に設けられた小高いマウンドに走って上る。

 南風が体の右から左へ吹いている。その風が、頭上まで伸びた桜の花びらを四散させる。不規則な動きをする一枚一枚の花びらを感じながら、監督から送球されたボールを受け取る。

「いつでもいいぞ」

 こういったのは監督か、はたまた荻窪先輩か。わからないが、自分のタイミングで投球しようと、呼吸を落ち着かせる。

 まだ名前を覚えたかも怪しい部員が俺を珍しそうに見る。その視線を一身に受けながら、俺はグローブを空に振り上げる。

 左足を大きく前に踏み込む。軸がぶれないように気を付けながら、上半身をひねる。

 右腕をできる限り強くふるう。その場の空気を断ち切らんばかりに腕を振りながらも、荻窪先輩の構えたコースに投げるよう最低限の注意を払う。長年研究したリリースポイントで、指からボールを離す。

 うまく回転のかかった渾身の直球は、たぶんバッターの手元でヒュンッ、くらいは音を立てているだろう。そのまま荻窪先輩のグラブに収まった。

 バサッ、と、鳥の群れのような桜吹雪が、一瞬俺を包み込む。

 荻窪先輩が捕球したボールは、狙ったコースにしっかりと投じられていた。

 ホッと一息つく。

「ナイスボール」

 涼やかな顔で返球する荻窪先輩に、「ありがとうございます」と礼を告げてから、左手で軽く捕球。

 足元の土をならしてから、もう一度セットポジションに入る。

 要求されたコースは右打者に対しての内角高め。

 俺は前の投球となるべく同じフォームで投球する。内角というコースは投手にとっては一瞬緊張するコースであるが、今は打者がいない。コースに叩き込むだけだ。

 もう一度、荻窪先輩のミットから破裂音を響かせる。

「わかった、もういい」

 藪から棒に監督が宣言した。俺としてはあと二球くらい投げようかと思っていたところなので、物足りない。

 まぁ、これで監督もうなるとかすごいっていうとかするでしょう。

「じゃあ練習に戻ってくれ」

 あれ? まさかのノーリアクション?


 なんだかなー、せっかく割と本気出して投球したっていうのに、涼しい顔で去っていくのはなんかムカつくじゃーん?

 だいたい俺しかピッチャーいないんだから俺で先発決まりじゃないの?

 とか自分勝手な妄言を吐こうとして、目の前を新マネージャー拝島さんが通った。

「なぁ、お前もさっきのピッチング、悪くないと思うだろ?」

 気が付けば通り過ぎた拝島さんに話しかけていた。どんだけ自慢したかったんだよ俺。

「え、あ、えっと……そ、そう……ですね」

「えっ」

 なんかものすごい適当に合わせた感を受けたぞ。避けられてるの?


 3


 練習後、着替え終わって帰路についたところに、新マネージャーこと拝島さんが駆け寄ってきた。

 日が伸び始めて、あたりは五時を過ぎてもいまだに明るい。

「羽村くん……だっけ」

「……ああまあそうだけど」

 さっきスルーというか若干引いたポジションで接してきた――いや接したのは俺のほうだな――拝島さんが話しかけてきたので、俺は接し方がいまいちわからずに適当な相槌をうってしまった。

「ごめんね、さっきは曖昧な返事で」

「ああうん、全然気にしてないよ」

「そうかな、意外と気にしてたみたいだったよ?」

「え? いや、うーん、そんなはずでは」

「あの後簡単なバウンド落としてたけど、明らかに動揺してたよね」

「ああ、あれは別に俺のミスだから」

「そうなの?」

「そう。だからこれ以上追及しないで」

 本当はたぶん動揺してたんだと思う。生返事怖い。 

「そういえば、羽村くん、ピッチャーの経験があるの?」

「すごい話題転換だなおい」

 今時の女子高生ってこんなに話題ころころ変わるの?

「まぁな、中学の時に」

「へぇ、すごいね」

「そんなすごいか?」

「すごいよー、私なんて十八メートル届くか、そこからだよ」

「そんなの、ちょっと慣れれば普通に届くって」

「そうかなー…………あ、そういえばどっからきてるの?」

 また話題転換。

「家? 家は川崎」

「あ、川崎からきてるの?」

「…………そんなに衝撃的か?」

「いや、私も川崎なんだ」

「うん? 拝島じゃなかったっけ」

「それは名前のほうだよー」

「……もちろん知っていたぞ。知っていたうえであえて、あえてだ。あえてこういうボケを入れてみたんだ。嘘じゃないぞ、ほんとだぞ」

「いや、いいんだよ取り繕わないで。よく言われるんだ」

 よく言われるのかよ。

「てことは近くの中学校とか?」

「いや俺、実は引っ越してきてるんだ」

 拝島はしばらく考える。

「引っ越した…………へぇ、すごいね、家族ぐるみでこの学校に来たかったの?」

「いや、両親は神奈川の学校に行くことは反対してたんだ」

「え、じゃあどうして引っ越してきたの?」

「どうしてもなにも、俺一人暮らしだから」

「え、高校生で一人暮らしなの? すごーい!」

「お前さっきからすごいしか言ってないだろ」

「だってほんとにすごいし」

 学校の校門前の長い坂を下りきり、電車の走行音が聞こえてきた。さすがにこの時期、夜は冷える。

「あしたから休みだね」

「ああ、そうだっけ」

 朝も聞いたような会話を振られた。明日からはゴールデンウィークらしい。

「連休って、否が応でもテンション上がるよね」

「そうだな。どうやって経験値稼ぐかとか考えるとテンション上がるよな」

「ゲームじゃん……」

 拝島は心からあきれた様子だった。

 喋りながら歩いていると、普段長く感じる道も短く感じる。すでに駅の跨線橋を上るところだ。もう五分近くたったということか。はやいな。

「私ね、中学女子校だったの」

 謎のタイミングで過去話が始まった。なにこれ、俺死ぬの?

「だからね、男の人ってなんかしゃべりづらいなーって思ってて」

 それでよく野球部に来ようと思ったものである。男臭さがマックスじゃねぇか。

「で、最初女の子ばっかりのダンス部に入ろうと思ったの。経験ないんだけどね」

「中学の時は?」

「ハンドボールやってた」

「嘘⁉」

 この巨乳でか⁉ いやまて落ち着け、これがジャンプしてシュートを打つ一連の動作を落ち着いてイメージするんだ……

 よし、見えた。完全にアウトです。

「何にやけてんの」

「はうっ、なんでもないよ」

「何考えたか知らないけど、女子ハンドボールって意外とえげつないよ? 全然かわいげもないの。そういうことは期待しないほうがいいよ」

「お前…………エスパーかよ」

「何言ってんの?」

「いや、心の中を見透かされたかと思って」

「あっ、やっぱりなんか妙なこと考えたんでしょ」

「話をもどそうぜ、な?」

「なんか腑に落ちないけど……」

 いまいち納得のいっていない拝島を置いて、俺は改札を通る。あとから拝島が小走りで追ってくる。

「私女子校だったから、いまいち距離感がつかめなくてね」

「距離感?」

「そう、ほかの人とのね。男の子なんて三年間一言も話してないから、どう声を書けたらいいのかわからないの」

「……」

「男の子はね、別にいいの。話さなくても」

「なんだよ」

 なんかショックなんだけど。

「でも女の子は違う。ちゃんとコミュニケーションをとって、友達を作らなくちゃならない」

「友達作りって、義務だったのか?」

「そういうわけじゃないけど、最低限学校生活を楽しもうとしたらね、それくらいは必要だよ」

「そうなのか」

 そうなのかとか言っちゃったよ俺。悲しすぎるだろ。

「でも、常に男の子からの目線があった女の子と、そうじゃない女の子じゃ、もう違うの。同じ女っていう性別でも、みている世界は全く別物。注意力が違うっていうか」

 うん、注意力は確かに違うかもね。何を思ったか駅の階段を駆け上がる拝島は、そのスカートがギリギリのラインでひらひらしている。見えちゃうぞ。もっと走れ。

 ホーム上の掲示板によると、電車が来るまでは二分ほどある。

「でも俺と喋れてるよ?」

「ね、ほんとそれ。なんでなんだろ」

「さぁな」

「もしかしてちょっと女子っぽい?」

「え、そうなの?」

 俺がか? 全然そうは見えないはずなんだけどな……話し方も普通だし。

「でも、なにがどうあれ俺とは喋れてるんだから、気にせず周りと関わっていけばいいじゃんか」

「そうかもしれない…………そうかもしれないけど、やっぱり羽村くん、周りの人とはなんか違う気がする」

「そうかー。わかんないけど、まぁいいか。お前と喋るのは気楽でいいからな」

「え、あ、そう?」

「そう。なんかな。よくわからないけど」

 なぜかわからないが、拝島からは話しかけやすいオーラとでもいおうか、なんか親近感を感じる。

 電車が滑り込んでくる。最近の車両は性能がいいから駅の進入速度も速くなっているという。

 そんなスピードで突っ込んで大丈夫かよ……と心配になることもあるが、確実に定位置で止めていく運転手の手腕は、もはや職人技である。

 止まった車両に二人して乗り込む。

 ラブコメの主人公ならこの辺でフラグの一つや二つでも立てていくんだろうが、俺は中学生活を野球に打ち込んできてしまったので、女子と会話するということがすでにハードル高めに設定されている。三メートルくらい。

 ポケットから携帯を取り出して、画面に視線を落としている拝島は、外見上他の人と大して変わらないように見える。胸はデカいけどな。

 女子校とか共学校とか、学校選びをあまり真剣に考えたことがなかった俺には、そういうことの違いがよくわからない。

 異性の視線がないという空間の中では、やっぱり共学と比べてクラスの立ち位置とか違うんだろうか…………だが常に周りには汗臭い男しかいなかった俺でも別に女子と全く会話しなかったわけでもないし、そもそも男女の差なんてそんなに深く考えたこともなかった。

 道を歩けば、ごった返す人々に同性も異性もないと思ってしまう。

 だから、性別という、生まれ持っているものに悩んでいる拝島のことが、よくわからなかった。

 くそっ、目の前でそんなこと言われたらほっとけねえじゃねぇか。

 ここで、最近親父からもらったあるチケットを思い出す。

「五日」

「うん?」

「五日、暇?」

「え、あ、うん」

「じゃあマネージャーの勉強ってかんじで東京ドームでも行ってみるか?」

「えっ……ドームって……野球?」

「そうに決まってんだろ」

「アイドルのライブ以外で行ったことない」

「えっ」

 俺にしては珍しく休日に女子と遊びに行く約束をしたのだが、空振りに終わってしまいそうだ。アイドルのライブとか、そんなのもやってたな。相当儲かってそう。

「まぁ、いけたら行くね」

 不安と裏腹になんとかポジティブな回答を得られた俺は、デイゲームの開始時刻から逆算して待ち合わせ時刻を定める。

「じゃあ川崎十二時な」

「いけたらね」

 拝島の返答と、電車の到着が同時だった。人の波に押されるように駅に降りると、乗り換える拝島とはいつの間にか別れてしまっていた。

 いけたら行くという拝島の返答のあと時間がなかったのがいけないんだが、俺、もしかしなくても拝島の連絡先しらない。

 いけたら行く、なんて典型的な断り方だ。

 俺史上初、女子とどっかに遊びに行く約束を取り付けようとした俺。なかなかに中途半端な回答を得られました。


 これ、やっぱりフラれちゃったやつじゃね?

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