第111話 災厄

 その日、この『二度目の世界』の歴史上、初めての災厄がトラック泊地を襲った。

 「夏島」沖で生じた雷光のような光は、プルトニウム239が一瞬で均等に圧縮され、高密度になることで臨界状態に達したことを示す光だった。

 核爆発による高温で周囲の空気が一瞬で膨張し、爆風と衝撃波が夏島や春島の建造物をやすやすとなぎ倒した。

 爆心地となった潜水艦ノーチラスはほとんど原型を留めないまでに高熱で飴細工のように溶かされ、僅かな痕跡だけを残して溶解した。

 幸いだったのは当初の計画で想定されていた、高度600メートル付近で爆発させるというもっとも被害を与える高度で爆発させられなかったことだ。

 航空機に搭載する爆弾としてのサイズに収めることをはなから諦め、潜水艦で運べるサイズに収めればいいという開発方針に改められたことが原因だった。

 それでも核爆発による高温は屋外にいた人間の皮膚を炭化させ内部組織まで破壊するほどのものだった。

 軍人、軍属、民間人にいたるまで黒焦げの遺骸となって転がるさまはこの世の地獄であった。

 しかし、原爆の被害を知識として知っていた者たちは僅かな時間で地下室や屋内などの場所へ、僅かな時間で避難して被害を逃れた。

 たとえ核攻撃であっても、爆風や衝撃波、熱線による被害は遮蔽物で低減することができることを国防軍の人間は知っていたからである。

 それでも、放射線障害に対する備えそのものは皆無に近く、彼らの努力に限界はあった。

 被害状況の確認すらままならなかった。

 少なく見積もっても国防軍人、並びに民間人技術者などの被害は1200人以上、トラック諸島に居住する現地住民の死傷者は7000人以上に上ると推定された。

 この日をもって、トラック泊地は事実上機能を停止した。

 

 春島の北飛行場に駐屯してトラック派遣飛行隊に所属する整備隊を率いる浅海大尉は、爆発の瞬間、故障したF4-EJ改『ファントム』の整備作業中だった。

 F4飛行隊の格納庫は一トン爆弾の直撃に耐えるとされる半地下式の耐爆格納庫である。工兵部隊が二年前に建設したこの格納庫は、F4飛行隊の定数24機と予備機を収容しても余りある広大な格納庫で、ミサイルや爆弾などの各種武装や交換部品も多数収納されている。

 そのおかげで、整備隊の面々は直接爆風と高熱に曝されずに済んだ。

 しかし、異様な爆発音と凄まじい振動によって、容易に動くことはない重量であるはずの『ファントム』も、車輪止めをはじき飛ばして大きく動揺した。

 耐爆ドアの閉じられた格納庫の中にまで肉の焦げる嫌な臭いが立ち込め、整備兵たちは一様に不安な顔をこちらに向けてくる。

 その無骨な風貌と重戦車を思わせる体格から、ひそかに『森の賢者』と呼ばれている浅海は吠えるように命令する。

「全員、格納庫内にて待機!外に出てはならん」

 浅海はとりあえずそれだけを命令すると、携行していたタブレット型の軍用情報端末を確認する。しかし、電源ボタンを押してみてもまったく反応が返ってこない。

 整備兵たちに各自の情報端末や『ファントム』の電子機器をチェックさせるが、ついさっきまで動作することを確認していた機器まで異常を示していた。

ー米母艦航空隊の爆撃を受けているのか?いや、それにしては爆発は一度きりというのは奇妙だ。それに電子機器の異常というのが気になる。

 いくつかの推論を検討した結果、浅海がいきついたのはあまり考えたくない最悪の結論だった。 

「俺が外を確認する。何か防護装備を頼む。用意できる中でマシな装備を用意してくれ」 浅海の言葉に顔をこわばらせる者もいたが、ベテラン揃いの整備隊であるから行動は早かった。

 パイロット用の耐Gスーツと、作業用ヘルメット、工業用防塵マスクといった簡易防護装備が揃えられる。

 予備の装備品の中で状態の良いものだった。

 浅海は座学で習った放射線防護の基礎知識を思い出す。

 放射線防護で重要なのは遮蔽、時間、距離の三要素が重要(優先度もこの順番)とされる。

 つまりまずは放射線と対象物との間に遮蔽物を確保することが重要であり、ついで放射線に被ばくうする時間を少なくすること、最後に放射線を発生させる原因物質から距離をとることが重要となるということだ。

 この格納庫そのものは遮蔽物そのものだが、反応兵器戦を想定していえるわけではないので空調は浄化フィルターを備えているわけではない。

 可能な限り遠くへ移動する必要があるかもしれない。

 まずは情報が必要だった。

 残念ながら現在格納庫内にはファイバースコープやドローンといった無人での外部偵察を可能とするものはない。

「俺が格納庫外部を偵察する。一時間以内に戻らなければ格納庫を閉鎖したまま、救出を待て」

 浅海はそう指示すると簡易防護装備を身に着ける。

「耐爆扉開け!俺が出たらすぐに閉鎖しろ」

 頷く整備兵たちは、一様に硬い顔で頷く。

 分厚い耐爆扉が開かれる。この扉は戦闘機を出すときに使う大型のものではなく、あくまでパイロットや整備兵の出入りに使われるものだ。

 背後で扉が閉鎖するのを確認すると、浅海は薄暗い照明の灯る通路を進み、もう一枚の耐爆扉の無骨なハンドルに手をかける。

 その途端、ハンドルの帯びている異様な熱が耐火使用の作業用手袋を焦がす。さすがに焦げて穴が開くことはなかったが、思わず手を引っ込めてしまう。

 意を決して熱さをこらえながらハンドルを回すと、耐爆扉がゆっくりと開いていく。

 はじめに感じたのは目を射抜く太陽光のまぶしさと、肉の焦げる異様な臭いだった。

「うっ…」

 思わず呻き声をあげてしまったのは、折り重なるように倒れている黒焦げの遺体だった。

 耐爆扉の外側のハンドルには、第二関節から先がない黒焦げの腕がぶらりと垂れ下がっている。扉を開けようとして力尽きた誰かのものなのだろう。

 炭化が酷過ぎて、もはや日本軍兵士か現地住民なのかさえ判別がつかなかった。

 燃えているのはそんな彼らの亡骸だけではなかった。

 視界にある何もかもが燃えていた。

 浅海は喉の奥から酸っぱいものがこみあげてくるのを感じながらも、このろくでもない地獄からどう生き残るかを考えていた。

―おそらくはこの俺も相当の放射線を被曝してしまっているだろう。格納庫内で救援を待つか、それとも放射線量の低い場所へ移動すべきだろうか。

 そんなことでも考えて気を紛らわせないと、怒りで頭がどうにかなりそうだった。

「反応兵器の使用を決めた米国の政治家も、そしてその蛮行を阻止できなかった日本軍も、俺も含めてみんなクソ野郎だ」

 いつの間にか、拳を強く握りしめ過ぎているのに気が付く。

 耐火作業手袋を着けていなければ、爪が掌に突き刺さって血が滲んでいただろう。

 強張った指を一本ずつ引きはがすように、拳を広げる。

「この戦争はどうにかなっちまうぞ。これまで平和を望んでいた奴でさえも、復讐を叫び始める。落としどころを探すどころじゃない」

 浅海の呟きは、熱風と炎の中にかき消された。

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