第35話 マリアナの海で

 トライデント作戦と銘打たれたアメリカ軍の作戦の主目的は、マリアナ諸島の占領であった。


 ニューギニアのラエやビアク島、ガダルカナル島に前線基地を建設し、補給物資の集積を終えたアメリカ軍は慎重に航空偵察を進めていた。


 掩体壕の建設をはじめとした要塞化工事を終え、不沈空母化しつつあるトラック諸島に対する空襲作戦は中止された。


 その判断にはトラック泊地から戦艦や空母といった主力艦艇が丸々姿を消していたことも影響していた。

 

 有力な艦隊がいないのであれば、素通りしても後方を脅かされる可能性はない。

 

 その結果、アメリカ軍の第一目標はグアム島の奪還に置かれることとなった。航空偵察により、グアム島は他の島ほど防衛施設の建設が進んでおらず、兵員の数も少ないということが判明していた。 


 日本の委任統治領であり、トラック諸島に次ぐほど防備を固めていることが判明しているサイパン島との距離は近く、グアム島を占領すればサイパン島も続けて容易に陥落させることが可能である。


 少なくとも、アメリカ軍上層部はそのように考えていた。


「そんなパンケーキを切るようにうまくいけば苦労はない」


バンデクリフト准将は輸送艦隊旗艦「マーコレー」の戦闘艦橋で、壁に貼られたグアム島の地図に目を落としていた。彼の率いる第1海兵師団は、ガダルカナル島攻略時の編成のまま、グアム島攻略作戦「トライデント」の主力上陸部隊として参加していた。


 ガダルカナル島の消耗が最低限で済んだため、一部の負傷者と休養配置の者をのぞいて、第1海兵師団の将兵はそのまま参加することになった。


 休養や補給も万全であり満を持しての戦闘。


 師団将兵の雰囲気をある下士官の軽口を借りて言うならば、「ジャップは臆病風に吹かれた」というものだった。


 ガダルカナル島の戦いの頃の日本軍の勇猛さと粘り強さに対する恐怖と警戒心は薄れ、海兵隊は楽観と軽侮に染まりつつある。


 准将にはそれが危険なものに思えて仕方なかった。


 敵を過大評価するつもりはない。だが、怒涛のような攻勢を繰り広げていた日本軍が、まるで別物に豹変しつつある。その事実が准将の第六感に警鐘を鳴り響かせていた。

 

 航空偵察や潜水艦による偵察の結果も准将の懸念を裏付けるかのような結果を見せていた。このグアム島やトラック諸島に対する航空偵察は順調に行っていたが、反面サイパン島や硫黄島に対する航空偵察は未帰還機が多過ぎて中止になった。


 潜水艦による通商破壊作戦を兼ねた偵察活動はさらに酷い有様で、今月に入ってから未帰還潜水艦のグラフが垂直に近いカーブを描きつつあった。特に日本本土近海や小笠原諸島、フィリピン近海などで消息を絶つ潜水艦の数は数えるのも面倒になるほどだった。


 日本海軍の対潜水艦戦能力は児戯に等しいというのがこれまでの常識だっただけに、潜水艦隊は衝撃以上の何かを受けて未だ立ち直れていないというのが現状だ。


「まるで見せたいものは見せて、見せたくないものは見せないとでも言うようだな…」


 自分でつぶやいた独り言に心臓を鷲掴みされるような錯覚を覚える。幸い、幕僚たちは作戦行動の推移を見守るのに精一杯で、独り言を聞かれた様子は無かった。


――作戦行動中に考えることではないな。


 准将は金属製のコーヒーカップに手を伸ばした。ぬるくなったコーヒーを胃に流し込むとともに、思考のスイッチが目の前の作戦に切り替わる。


 トライデント作戦は至極単純な構成で成り立っていた。

 第61任務部隊の中核である第18任務群、「サラトガ」、「エンタープライズ」、「ホーネット」「ワスプ」の四隻からなる機動部隊を中核とした戦力で徹底的に空爆を加えた後、第16任務群-戦艦「ノース・カロライナ」を中心とした水上打撃部隊による艦砲射撃を敢行。


 その後は上陸部隊である海兵隊の第1海兵師団が両部隊による支援を受けながら、上陸作戦を敢行するというものだった。


 現在、第一段階たる空爆は成功裏に終わっており、島内の主要な陣地や施設は徹底的に破壊されていた。第二段階の艦砲射撃も作戦計画どおりならあと数分で始まる頃合いである。


 問題となるのは日本海軍の機動部隊の動向が不明のままであるということであった。日本海軍の動向はソロモン海戦の後、まったくといっていいほどつかめていなかった。


 乏しい情報から分析した結果はトラック諸島に停泊していた艦隊が姿を消して以降、南太平洋はおろかマリアナ諸島近海や小笠原諸島近海にも姿を見せていないということだ。


 これはアメリカ海軍上層部にとって頭の痛いことだった。マリアナ諸島攻略に進出した結果、日本海軍の機動部隊に奇襲を受けたのではミッドウェー海戦を逆の形で再現することにもなりかねない。


 レーダー搭載艦による防空体制を整えているとはいえ、不安は消えない。守勢に立たされた機動部隊がいかに短時間で戦力を喪失するかは、外ならぬアメリカ海軍自身が証明するところだった。


 しかし、そんな上層部の懸念はまったく別の形で的中することとなった。

 腹に響く音とともに、戦闘艦橋に爆発音が響き渡る。


 衝撃がわずかであることから推測するとこの艦自体は無事のようだが、輪形陣の真ん中に位置するこの輸送艦隊の近くにいる艦がやられたことは間違いなかった。 


「やられただと?空襲か」


 准将の疑問に無線電話TBSで報告を受けていた艦長は、首を振って否定した。


「魚雷でワスプが喰われました。しかも、あの自ら探信音を発してこちらを追尾してくる魚雷だと」


 受話器を壁に戻しながら、苦い顔で言う。

 准将はほんの一瞬、言われたことを理解できずに固まった。しかし、すぐに艦長からひったくるように双眼鏡を受け取ると、戦闘艦橋の狭苦しい窓から外へ向けた。


 ほどなくして見えてきた視界には一目で艦を救う手立てがないことを悟らせるほど

の破口部が右舷艦首付近に黒々と開いている、航空母艦「ワスプ」の姿だった。


 右舷から流れ込む海水が艦を傾斜させ始めており、艦載機がブリキの玩具のように海面へ滑り落ちていくのが見えた。


 その手前では数隻の随伴駆逐艦が白い航跡を描きながら、狂ったように爆雷を海に叩きこんでいる。


「自動追尾魚雷…噂は知っていたが、戦場伝説の類ではなかったということか。それにしても潜水艦がこんな輪形陣のど真ん中までよく見つからずに来れたものだ。勇敢というよりも無謀というものだぞ」


「准将、これは単なる推測に過ぎませんが、あれは機雷のようなものかもしれません」


 艦長の声は至って冷静だった。


「しかし、機雷だとするなら、こんな輪形陣のど真ん中で爆発するワケがない。それに探信音の件はどう説明する」


「これは単なる推測ですが、例えば艦艇がいくつか通り過ぎてから仕掛け魚雷を発射するような装置があるのかもしれません。そんなことが可能な装置がどんなものか想像も付きませんが。」


「たしかに日本海軍にどれだけガッツのある潜水艦乗りサブマリナーがいるとしても、ここまでソナーで探知できなかったのは我々が相当に間抜けだったか、そもそも最初からこの海域に伏せられていたかのどちらかだな」


 准将は納得の行かない顔で、双眼鏡を構える。

 今度は空母の護衛についていた軽巡洋艦が触雷したらしい。アトランタ級防空巡洋艦だ。おそらくはネームシップの「アトランタ」だろう。


 艦尾付近の甲板がめくれあがり、最後部の砲塔――-38口径5インチ連装両用砲――がターレットごと上空へ吹き飛ばされる。

 稲光のような閃光が発生したあと、この艦橋の中にまで低く鈍い爆発音が響いてくる。

 火災が発生しているらしく、真っ赤な炎がアトランタの甲板を焼いていた。


「くそっ、またか。このままだとやられるばかりだぞ」


 准将は歯痒い思いで、目の前で起きている光景を双眼鏡で見入っていた。

 自分たちは上陸を開始するまでは、ただの荷物でしかないことを思い知らされていた。


「このまま突破するほかありません。我々は既に島へ接近し過ぎている。敵は泡を食って退避してきた艦隊を、航空攻撃で叩くつもりなのかもしれません。我々は犠牲を覚悟しても輸送艦隊を突入させるほかない。艦隊司令部もそう判断した、そういうことでしょう」


 さっきから一件の通信も入っていないにも関わらず、艦長はその推測に微塵も疑いを持っていないようだった。


「確かニホンの言い回しでは『肉を切らせて骨を断つ』というらしいな、求めよ、さらば与えられん。 尋ねよ、さらば見出さん。 叩け、さらば開かれん。我が海兵隊に神の恩寵あれ、合衆国万歳、ジャップどもに呪いあれ」


 准将は凄みのある笑顔を浮かべると、従兵に新しいコーヒーを要求した。

 爆発音が響き渡るマリアナの海を、輸送艦隊は規定通りの速度で一路グアム島の海岸を目指していた。

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