第25話
俺はヘイオスに連れられて一階のとある部屋の前に連れて来られた。
するとその扉の前で金髪のメイドと背の低いメイドが何かを口論している様子が目に映るのだった。
「だから!! 仕方が無かったんだって!!」
「まったく、アンタは本当に使えないチビね」
「チビって言うな!!」
そんな口論をしている最中、メイド達はやって来た俺達に気が付き、畏まった態度で頭を下げる。
「ヘイオス様……何か御用でしょうか?」
「ご、御用でしょうか……」
金髪のメイドは毅然とした態度で、背の低いメイドは少し落ち着かない様子で、ヘイオスに対してそんな畏まった挨拶をするのだった。
「何を揉めていたんだ?」
ヘイオスの言葉に対してメイド達は少し口ごもってから、金髪のメイドの方が淡々と説明し、小さいメイドは慌てた様子で言い訳じみた言葉を口にする。
「その……商品を一人、前頭首様のメイド。アリシアに持っていかれたらしいのです」
「わ、私は駄目だって言ったんですよ! でも、殺すって言われて仕方なく……」
だがヘイオスは言い訳などどうでもいいと言わんばかりに、詳細について言及する。
「……アリシアが? どんな女を連れて行ったんだ?」
「その、どうやら誰かの旅に同行していたメイドの様です……」
「メイド? まあいい……後で俺が話をする。扉を開けろ」
「はい、只今」
ヘイオスの言葉に従い金髪のメイドは扉を開ける。それを確認したヘイオスは「さあ、こちらへ」と俺を部屋の中へと招待するのだった。連れていかれたメイド……その言葉に思い当たるが人物が一人居る。だがそれが人違いであることを願いながら、俺は部屋の中を見渡した。
「さあ、ゆっくり探してください。その女性を」
ヘイオスがそう言い、俺は辺りを見回した。
部屋には沢山の女性が手、足、口、目を塞がれている状態で監禁されていた。
幼い子供も居れば、大人びた女性までと様々だ。俺はその中で普通とは違う分厚い布で作られたスカート服を着る少女がすぐに視線に入った。それを見た俺は心の中で安堵しながら、もう一人の救出対象であるメアリーの姿を探す。あのメイドも格好は特徴的なのですぐ見つかると思ったが、どうやらここには居ない様だ。そんな時、唐突に何処からか叫び声が聞こえてくるのだった。苦痛を耐えるような女性の叫び声が屋敷中に響き渡る。
何事かと思いながら俺が後ろを振り返ると、知らないメイドが慌てて部屋の出入り口に立つメイドの方へ駆け寄る姿が目に映る。
「大変です! 侵入者です!!」
走って来たメイドの言葉を聞き、金髪のメイドはヘイオスにこう尋ねた。
「どうなさいますか?」
金髪のメイドにそう聞かれるとヘイオスは駆け寄って来たメイドに聞く。
「侵入者の数は?」
「一人です! 白髪の鉈を持ったメイドです!」
そう聞くとヘイオスは溜息を吐いてから走って来たメイドに冷たい視線を向けて言う。
「メイドの一人くらいで一々騒ぎ立てるな……こっちは商談中だ」
「も、申し訳ありません。ですが……アリシアさんと同じ位の力の持ち主だと思われますので……」
「だからどうした? 相手はメイド一匹、俺の手間を煩わせるんじゃない」
「も、申し訳ありません……」
侵入者を報告しに来たメイドは落ち込んだ様子でその場で下を向く。それを聞いた金髪のメイドはヘイオスにこんな提案する。
「侵入者が一人で尚且つアリシア並の戦力ならば、こちらの全勢力を持ってその侵入者を排除します。よろしいですか? ヘイオス様」
「ああ、好きにしろ。さっさと始末してこい」
「かしこまりました! 行くわよアンタ達!」
そう言って金髪のメイドは近くのメイド達を連れて侵入者の討伐へと向かって行く。
運がいいのか悪いのか。部屋に残されたのは俺とヘイオスと捕まった女性達だけとなった。とにかくこれで心置きなく動く事が出来る。そう思いながら俺はすぐさまミラの方へと駆け寄り拘束を解いた。
それを見ていたヘイオスは取り乱した様子で声を荒げながら俺に言う。
「何をやっているんですか!?」
「ああ、すいませんね。たぶんコイツですよ。俺が探していた商品は……」
そう言って俺が拘束を解くと目の前の茶髪の少女は困惑した表情をしていた。そして目の前に居るのが俺だと理解すると、自由になった拳をいきなり俺の顔面に放って来る。その拳を条件反射で俺が避けるとミラは怒った口調でこんな叫び声を上げるのだった。
「この役立たず!! 足手まとい!! 疫病神!! 死ね!!」
そう言いながらミラは俺の身体を力一杯殴る。だが少女の力などたかが知れている。少しばかり痛むだけで耐えられない程でもない。徐々に彼女が俺を叩く力が弱まっていき、彼女は徐々に涙を流しながすのだった。彼女は俺の不甲斐無さのせいで今ここに居る。それは彼女にとって恐ろしい経験だ。その責任は俺に在る。だから俺は彼女にこう言うしかなかった。いや、こんな事しか言えなかった。
「悪かった。大丈夫か?」
「大丈夫じゃない……」
そう言ってミラは俺のジャケットで涙を拭く。そんな光景を見ていたヘイオスは何が何だかわからないといった表情でこちらを見ながら聞いてくる。
「一体……一体なんなんだ!? お前は何者だ!? 何が起きてる!?」
俺はミラから離れて困惑するヘイオスの方へ近づいて言う。
「俺はエドウィン商会の人間でも、商人でもない……悪かったな」
「なら……商談は全て嘘ということか……」
「そうだ。俺には金貨払う余裕も、払ってくれそうな人間も居ない。ただの酒場の給仕係だからな」
そう勝ち誇った様な顔を見せるとヘイオスは怒りに満ちた表情でこう叫び声を上げる。
「くそっ!! よくも俺を騙したなゴミ虫が!! 生きて帰れると思うなよ!!」
「まあ、生きて帰れるように頑張るよ……」
俺はヘイオスに拳が確実に届くように距離を詰めながら唐突に、ヘイオスにこんな質問を投げかけた。
「人を思いっきり殴る時、必要な事って何だと思う?」
「は?」
「それはな、嫌いな奴の顔を思い出しながら、思いっきり叫び声を上げて殴ると自分でも驚くくらいの力が出るんだよ」
そう、この原因を作ったのもアイツ。そしてここの場所を教えたのもアイツだ。あの男には散々迷惑掛けられっ放しで俺の拳一つ届かなかった。だから、俺はその時の怒りをこの男にぶつける事にした。
思いっ切り拳を振りかざし、俺は渾身の一撃を大声と共にヘイオスの顔面へと放った。
「イグナシオの……糞野郎ぉぉぉぉぉぉぉ!!」
俺の拳はヘイオスの顔面にめり込み、俺の全身全霊を込めた渾身の一撃によって彼の身体は宙を浮き、そのまま力無く床に倒れるのだった。俺はヘイオスを殴った右手の痛みを我慢しながらミラに振り返ってこう言った。
「全員解放するぞ、手伝え……」
「え、ええ……」
俺とミラはヘイオスに捕まっている女性達を解放し始めた。一人の縄を解き、自由になった女性がまた別の人の縄を解く様にしていくとすぐに捕まっていた女性達は全員解放されて、逃げ出し始める。俺はそんな中でヘイオスを捕まっていた女生達と同じ様な状態に拘束していた。すると、ミラが急かす様に俺に対して大声を上げる。
「アンタ何やってんのよ! そんな奴、ほっといて早くしなさい!」
「先に行け、まだメアリーが残ってる……」
「そう言えば、アンタの所のメイドが居ないわね……何処に行ったのかしら……」
「たぶん、この屋敷でなんか知らないけど暴れてる……。たぶん……」
「なんでそんな事になってるのよ……」
「知るか、こっちが聞きたいよ」
俺はヘイオスをがっちり拘束し、出入り口に居るミラの方へと近寄った。
「そういう訳だから、王都で落ち合おう」
「なら、王都の南。葡萄酒亭で待ってるからそこに来なさい」
「ああ、わかった」
そう言って俺は駆け出した。屋敷の何処かで派手に暴れまわってるメイドを助ける為に。
女の掛け声や叫び声が上の方から聞こえて来る。俺は二階に駆け上がって音のする方へと走った。
「囲んで殺しなさい!!」
「無理だよ~!! あのメイド馬鹿みたいに強いよ~!!」
「これ以上、被害は……」
俺の目の前では凄まじい戦闘が繰り広げられていた。廊下の端には身体を切り裂かれて倒れるメイドの姿が何人も目に取れる。そして生き残ったメイド達は一人の白髪のメイドを囲むようにして攻撃するのだが、彼女はその全てを避け、受け止め、全てを対処していた。そして徐々押し負けて行くのは大人数で囲んでいるメイド達の方だった。そんな中、俺と最初に顔を合わせた黒髪のメイドが俺を見てこう声を上げる。
「ここは危険です! 下がってください!」
俺はそんな黒髪のメイドの忠告を聞かず彼女達の元へと近づいて行き、彼女達に対してこう嘘を吐いた。
「アンタらのご主人様がすぐに全員戻ってこいと言ってたぞ……」
それを聞いた金髪のメイドは即座に生き残るメイド達に対して指示を出す。
「全員、一時撤退!!」
それを聞いたメアリーと戦闘中のメイドはメアリーと距離を取ろうとする。だが、その隙を突かれ致命傷を喰らい床に転がる。それを見た金髪のメイドは黒髪のメイドにこう言った。
「アンネ、アイツの足止めをしなさい!!」
「な、なんで私が……」
「アンタが不良在庫だってことはアンタ自身が良く知ってるでしょ!? ヘイオス様の為に死ぬ気であのメイドと戦って時間を稼ぎなさい!! いいわね!?」
「は……はい……」
金髪のメイドと小さなメイドの二人と他二人のメイドが戦線を離脱した。そして一人残った黒髪のメイドが何もない所から長剣を生成して身体を震えながらそれを構える。命を賭けて戦え、捨て駒として扱われた今の彼女の気持ちはどういう心境なのだろうか。そんな事を考えながら、俺は彼女にこう言った。
「死にたくないなら戦わない方が良い……」
そう言って俺は黒髪のメイドの横を通り過ぎてメアリーの前に立ち塞がった。
血塗れのメアリーは俺に気が付き、視線を俺に合わせていつもの様に平然とこう言うのだ。
「御無事で何よりですシンジ様……」
「ああ、お前も無事で良かったよ。怪我はないか?」
「はい。ですが少々服を血で染め過ぎたみたいです……」
「そうか……じゃあ、帰るぞ……」
「ミラ様は? ご無事なのでしょうか? もしもミラ様が御無事でなければ、わたくしが命を賭してお救いしますので……」
「ミラはもう大丈夫だ。今は王都に逃げ込んでるはずだからな……」
「かしこまりました。では、シンジ様もお逃げください。私はまだここでやる事が在りますので」
「やること?」
「はい。今回の不始末は全ては私の責任でございます。ですのでその後始末をしてからシンジ様とエレナ様の元へ戻りますので、今しばらくお待ちください」
「後始末……それがこれか?」
「はい」
彼女がこの屋敷に居るメイド達を惨殺している理由は自分が起こした不祥事の後始末の為。ということなのだろう。だが、俺はそんな事を望んだことも命令したこともない。
「なら、今すぐ止めろ。後始末なんてしなくていい。ただ一緒に帰る。それだけで十分だ」
「ですが、そうなりますとヘイオス様の指示が遂行できません。私はヘイオス様にこう命令されました。不名誉を認めて死ぬか、名誉を挽回するか。その二つの内、私は後者を選びました。ヘイオス様に作られた私という人形が優秀だということを、ここにいるメイド達を皆殺しにして証明するという手段で……」
メアリーがヘイオスと呼ぶ人間は、彼女に対して「ここにいるメイド達を皆殺しにしろ」などと命令を出した様だ。そして彼女は馬鹿正直にそれを鵜呑みにして行動している。だがこれの何処が優秀なメイドなのだろうか? 主人でもない人間の命令を鵜呑みにして、次々と人を殺していくこのメイドの何処が……。
「なあ、メアリー……お前の主人ってのは誰なんだ?」
「エレナ様とシンジ様です」
「なら、もう殺しはやめて。ここから逃げるぞ」
「それは出来ません。ヘイオス様のご命令がありますのでそれを遂行しなくてはなりません」
「そいつはお前の主人じゃないだろ? それなのに、そんな奴の命令を聞くのか?」
「はい。ヘイオス様の命令は私という存在を査定する試験の様なモノなのです。私が不出来な人形でないことを、ヘイオス様に知って頂かなくてはなりません。そうしなければ私は処分の対象。つまり殺されてしまいますので、エレナ様とシンジ様にお仕えすることすら出来なくなるのです」
「つまり、ここのメイドを皆殺しにしなきゃお前が殺されるのか?」
「はい」
彼女にも彼女の考えや理由が在る。だからといって俺はここから逃げ出して見過ごす事はできない。目の前の血塗れのメイドが人を殺す姿も、後ろの黒髪のメイドが死ぬ姿も見たくない。ならばどうするか……。俺は再度メアリーにこう確認する。
「俺が何を言っても止まらない? そうなんだな?」
「はい。これが私のやるべきことですので」
「そうか……なら力尽くでお前を止めるまでだ……」
そう言って俺は後ろの黒髪メイドに向かってこう叫ぶ。
「黒髪メイド!! 今さっきお前の主人からお前を買い取った!! だから、お前は今から俺のメイドだ!!」
そう言うと後ろで剣を構えて居るであろう黒髪のメイドは困った口調でこう返答する。
「えっ? そ、その……ど、どういうことですか?」
「言葉の通りだよ。さっきの話を聞いてただろ? 俺はお前を金貨三百枚で買ったんだ! だから俺に従え!!」
「えっ……で、でも……」
「お前の主人はこう言ってたぞ。不良在庫が売れて良かったってな」
「そう……ですか……」
そう言って俺はまた虚言を吐く。この屋敷に来た時、黒髪のメイドに連れられてヘイオスと嘘の商談を始めた。その時、彼女を俺が購入するという話題が上がったことを彼女もその場に居たのだから知っている。そして自分が売れ残りの不良在庫であることも自覚し、主人のヘイオスも早く手放して金貨に変えたい雰囲気を出していたのだ。それを知っているからこそ、彼女は戸惑いながらも俺の言葉を簡単に信じるのだった。
「わかりました……ご、ご主人様……」
黒髪のメイドは自分が売られたという俺の嘘に戸惑いながらそう言うのだ。
まずは目の前のメイドと戦う最低限の戦力は確保できた。後はこのメイドをどう倒すか……それを考えるだけだ。まず現状では確実な勝算が無い。なら、打てる手は一つだけだ。
――まずは作戦を練らなければ……。
俺は唐突に振り返り、黒髪のメイドの腕を掴んで走り出した。階段を駆け下り、屋敷の外へ続く出入り口へと向かう。そして、出入り口の手前で振り向いてメアリーが追いかけて来る事を確認すると、俺は黒髪のメイドと一緒に外へと出て行くのだった。
屋敷の外に広がるのは大きな庭園。草花が生い茂り、人が隠れられそうな場所が沢山在った。俺と黒髪のメイドは近くの壁の様に綺麗に揃えらた草の裏に隠れるのだった。
――さて、ここから作戦会議だ。
俺はすぐ隣で一緒に隠れる黒髪メイドにこう尋ねる。
「アンタ何ができるんだ?」
「は、はい……家事全般は一通り出来る様に……」
「違う違う。俺が聞きたいのはアンタが戦う時に使う武器や魔法の類だよ?」
彼女はメアリーと対峙する時、何もない空間から長剣を生成して見せた。それは魔法の類であるのは確かだ、それならば彼女は長剣を出す魔法以外にも何かしら魔法を持っているのではないかと考えたのだ。それを聞いた黒髪のメイドは俺の質問にこう返答する。
「わ、私が戦う時に使うのは剣で……魔法は……生成魔法と身体強化魔法しか使えません……」
身体強化魔法。握力、脚力、視力、反射神経、体の強度。人間の基礎能力を魔力によって強化する文字通りの意味を持った魔法だ。これを使えば俺でもメアリーと戦う事が可能に違いない。だが同じ条件下での戦いの場合、経験が物を言う事になるのだろう。ならこれだけでは不十分だ。だから俺はもう一つの彼女の魔法について尋ねるのだった。
「生成魔法ってのはどういうモノなんだ?」
「は、はい……。生成魔法は想像した物質を魔力によってその場に生成する魔法です」
「具体的に何が生成出来て、何が生成出来ないんだ?」
「私が生成できる物は剣や盾の様な鉄製の物しかできません。それ以外の生成は不可能です」
「武器と鉄製の物か……それだけじゃ、あのメイドをどうにか出来そうにないぞ……」
俺は頭を抱えて考える。この条件でどうやって彼女の動きを封じて捕縛するのか。
このメイドの様に嘘で俺の言葉を信じでくれれば容易いなのだが、聞く耳すら持たないメアリーには通じないだろう。
「ご、ご主人様……あのメイドと戦うおつもりですか? お逃げになった方がよろしいかと思いますが……」
「本当はこんな場所から今すぐにでも逃げ出す方が良いんだろうな……」
そう、俺はこんな血生臭い光景を見たい訳じゃない。ただカイスから出発し、何事も無く王都に到着して帰って来る。そしてミラから報酬を貰い、その金で雷斧亭の修繕費を払う。そして俺はいつもの様に雷斧亭で働きながら、自分が元の世界に帰る方法を探す。そんな平穏な毎日を送りたいだけなんだ。
誰かが殺し、誰かが死ぬ、そんなモノは出来るだけ見たくない。それが俺だ。
「でも、そう出来ない……いや、そうしたくないんだ。あのメイドが誰かを殺すその姿を、俺はここで見て見ぬ振りはできない。それが彼女なりの後始末の方法だとしても、それを俺は間違っていると否定する。だから俺がアイツを止めて、いつもの平穏な日常に戻す……」
だから俺は考える。自分に出来る事を精一杯考える。
今、俺の手元に在るモノはなんだ? 黒髪のメイド、身体強化魔法、生成魔法。俺自身は嘘を吐く事しかできない。だがメアリーに虚言は通じない。なんせ人の話をまともに取り合うタイプの人間じゃないからな、アレは。メアリーの弱点はなんだ? 狙いはなんだ? 目的はなんだ? その全てを考えて、その全てから打開策を捻り出せ。それが俺に出来る唯一のことなのだから。
「なあ、アンタ……あのメイドと一対一で戦って勝てる自信は在るか?」
「申し訳ありません……。あのメイドと戦っても勝算は万が一も無いです」
そう、それはわかっていた答えだ。今ここにメアリーと戦って勝てる程の猛者は居ない。廊下で死んでいたメイド達が複数人で相手をしても返り血を浴びるだけで、致命傷は愚か、掠り傷一つさえ与えられていた様子もなかったのだから当然だ。なら身体強化魔法を使っての、俺と黒髪メイドの二人での短期決戦は明らかな愚策。
「まともにやっても勝てないなら……不意打ちを狙うしかないだろうな……」
ヘイオス家の屋敷には大きな庭園が在る。その中央には大きな噴水が在り、それを囲むようにして綺麗に切り揃えられた草の壁が大きな広場を囲む。そこで黒髪のメイドに魔法で生成させた鉄製の木刀を模した刃の無い剣を持ち、俺はメアリーの目の前に姿を現すのだった。
「メアリー。一つ約束して欲しいことが在るんだが、聞いてくれないか?」
「なんでしょうか? シンジ様」
「お前に勝ったら、俺の言う事をなんでも聞いて欲しいんだ……」
そう言って俺は剣先をメアリーに向けて構える。
「……私は主人に忠実な人形ですので、そんな事を言わずともシンジ様の命令はどんなご命令でも無理の無い範囲でしたら了承しますが?」
「でも、今すぐここから逃げるって命令は聞いてくれないんだろ?」
「はい、後始末は私に課せられた仕事です。それを放棄することはメイドとして失格です。そして処分の対象になりますので、その命令は聞き入れられません」
「なら、俺が勝ったら。どんな事が在っても、どんな理由があっても、全てを放棄して俺について来てもらう……いいな?」
「では、こちらからも一つ提案が在ります。私がシンジ様に勝った場合、わたくしの仕事の邪魔をしないで頂きたいと思っております。それでよろしければ、お相手いたしますが?」
「なら、その約束。絶対守れよ」
「シンジ様も約束をお忘れなき様に……」
そして俺は掛け声を上げながらメアリーの方へと走り出す。
「行くぞ!!」
黒髪メイドの身体強化魔法によって強化された俺は、渾身の一撃をメアリーに叩き込んだ。勿論、その単調な攻撃は簡単に防がれる。攻撃の勢いが無くなった俺は後ろへと飛んでメアリーとすぐさま距離を取る。
「なるほど……身体強化魔法をお使いになってるようですね。ですが、私の使う魔法とは使い心地が違いませんか?」
メアリーの言う通り、以前メアリーに詠唱してもらった身体強化魔法とは全く別の代物だ。メアリーの詠唱する身体強化魔法は、全てのモノの動きがゆっくりとした動きで見え、非常時だった時にも心が常に落ち着いていた。だが黒髪メイドの身体強化魔法は、身体が軽くなり、握力や脚力などの基礎的な能力が向上しているだけでメアリーの時の様な感覚にはなっていなかった。
「どうやら、身体強化魔法ってのも色々種類が在るみたいだな!!」
そう言って俺は再度メアリーに飛び掛かって怒涛の連撃を彼女に浴びせる。だがその全ては彼女の鉈によって弾かれる。だがそれでも俺はひたすらに、がむしゃらに剣を振るう。正面から戦って勝てやしないのはわかっている。この剣撃が一発も当たらない事をわかっているからこそ、俺は全力で打ち込んでいるのだ。そう……こうやって俺は全身全霊の攻撃を彼女に浴びせる。
「……」
何も言わず無表情で俺の攻撃を防ぐメアリーは、不意に鉈で受け止める事を止め、身体を少し逸らして俺の攻撃を避ける。それによって俺の体勢は崩れ、大きな隙が生まれた。その隙に合わせる様にメアリーは俺の手に持った剣を鉈で弾き、鉈で俺の腹部を峰打ちするのだった。意識が朦朧とするほどの強烈な痛みが走り、俺はその場に倒れる。
「暫く、そこで眠っていてください。すぐ仕事を終わらせてシンジ様をエレナ様の元にお運びしますので……」
そんな事を呟くメアリーを呼び止める声が何処からともなく聞こえてくるのだった。
「ア、アナタの狙いは……私達なんですよね……」
それは黒髪のメイドの声だった。彼女は俺とメアリーの戦闘の行く末を隠れて見守っていたのだ。
「てっきりシンジ様が囮になって逃がしたと思いましたが、流石にメイドとして主人が危機に瀕しているのに逃げはしないということですか……」
そう言いながらメアリーが黒髪のメイド方へと振り返り、歩き出す音が聞こえる。
――ここからが本番だ。
メアリーは強い。それもとてつもなく強い。ならばどうやって彼女に勝つか。その方法として俺は不意打ちという方法しか思いつかなかった。ただの不意打ちでは意味が無い。予想外の不意打ちでなくてはならない。そうでなくては彼女に全て防がれてしまうであろう。だから俺はこんな手段を考えた。彼女に全力で挑み、精根尽き果てて負けた者が後ろから隙を付いて彼女を倒すという姑息な手段を。
俺はメアリーに気が付かれない様に呼吸を止めながら音も無く立ち上がる。そしてメアリーが手に持つ鉈を後ろから奪いとり、それと同時にメアリーの襟首を後ろに思いっ切り引っ張って彼女の体勢を仰向けに崩して叫ぶ。
「今だ! 押さえつけろ!」
その掛け声に反応した黒髪のメイドは仰向けに倒れたメアリーの上に乗っかり、メアリーの両手を押さえつけた。そして俺は奪い取ったメアリーの鉈を彼女の首元に突き付けてこう言うのだった。
「俺の勝ちだ……約束通り言う事を聞いてもらうぞ……」
正攻法では勝てやしない、だからこそ俺は姑息な手段で勝つのだ。騙し、欺き、虚言を吐く。力が無いからこそ、知恵を使う。それが俺にできる唯一の手段なのだから。
「確かに……この状況を客観的に見ると私の負けです。シンジ様」
「なら、さっさと帰るぞ」
「ですが……ここから逃げたとしてどうするのですか? 私の上に乗るメイドと何の力も持たない主人に劣る人形……これで私は使えない人形として処分される事は免れないでしょう。そんな荷物を抱えるより、シンジ様御一人でお逃げになった方がよろしいのではないのですか?」
「そうだな、メアリー……お前は俺以上にお荷物だ。勝手に知らない奴の命令で人をバンバン殺すし、俺の言う事聞かないし……ホント散々だ。でもな、俺はお前を見捨てない。それはお前が俺のメイドだからだ」
「……」
「俺は平穏な毎日を過ごしたいだけなんだよ。人を殺すとかそう言う血生臭い日常はもうやめにしよう」
「……かしこまりました」
メアリーがそう言うと、黒髪のメイドは俺の方を見て指示を待つような視線を向けて来るので「離していいぞ」と言い、黒髪のメイドはメアリーを解放する。解放されたメアリーは身体を起こして、その場に座り込んで俺に視線を向けてこう言う。
「申し訳ありません、シンジ様。倒れた時に足を挫いてしまったようです……手を貸して頂けませんか?」
俺はメアリーの手を掴んで彼女を立ち上がらせる。片方の足を浮かせ、どうやらまともに歩けないらしい。そのまま俺は彼女に肩を貸して屋敷の出入り口まで進もうとすると、後ろから黒髪のメイドがついてくる事に気が付いて、俺は黒髪のメイドにこう言った。
「ああ、そう言えば。アンタはもう自由だ。俺についてくる必要は無いぞ」
「そ、それは……どういうことでしょうか?」
「どうもこうも……もう好きに生きろって言ってるんだよ。アンタも捕まって魔法で服従されたみたいだからな、自分の故郷にでも帰ればいいんじゃないか?」
「故郷……」
「何か困った事が在ったらカイスの街の雷斧亭にでも……ああ、自分から面倒事を増やしてどうするんだ俺は……。とにかく頑張れよ黒髪メイド」
そう言って俺はメアリーと一緒に王都へ向かって歩き出した。
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