第22話
沁みる様に痛む腹部。そんな痛みに促されるように朦朧とする意識の中で俺は目を覚ます。手足は縄で縛られ、身動きが取れない。目の前には見知ったフードの顔を隠した男が、テーブルの上に置いた小さな袋を浮かしては落としを繰り返す姿が見て取れた。そして男は俺が起きた事に気が付き、何も無かった様な口ぶりで陽気な挨拶をするのだった。
「おはよう、少年」
俺は男の挨拶を腹立たしくも思いながら辺りに血まみれで倒れている死体の山についてこう聞いた。
「アンタがこれをやったのか?」
男は辺りを見回してからその言葉を否定する。
「いいや、これは全部メイドの仕業さ……」
「メイド? メアリーがやったのか?」
「残念ながら、あの無表情なメイドじゃなく。金髪の人殺しを楽しむ酷いメイドだよ」
俺はイグナシオが何を言っているのか理解できなかった。だが今はそんな事ははどうでも良かった。ミラとメアリーもここに捕まっている筈だ。彼女達が無事なのか、今はそれが大事だ。
「ミラとメアリーは?」
「それなら君が寝ている間に運ばれたよ」
「何処に?」
「北の王都、そこから北東に在るヘイオスって有名な貴族のお屋敷かな」
「なんで貴族の屋敷なんかに……」
「売ったのさ。彼女達を含めると十七……いや十六人だったかな?」
目の前の男は淡々と俺の質問に答えるのだが、俺はそれに疑問に感じた。人を裏切り、売り飛ばし、最後にはミラ達を売った場所まで丁寧に教える様な男が何故こんなにも簡単に俺の質問に答えるのかと。
唯一の手掛かりはこの男しかないのだが、その言葉が真実という確証がない。だから俺はこう聞いた。
「なんでそんな簡単に教えるんだ。そんなに優しい人間だったのか? アンタ」
「こんな奴でも根は優しいんだよ少年」
そう言いながらイグナシオはテーブルに置かれた短剣をこちらに投げ捨てた。
「まあ、君が自力で脱出してる間。聞きたい事が在ったらなんでも聞くと良い」
俺はそんな男の言葉を無視し、体を上手く動かしながら床に投げ捨てられた短剣を拾った後、慣れない手つきで手を縛る縄を切ろうと試みる。後ろを向いたまま短剣の柄を指先で掴み、縄に立てる様に固定して少しずつ削っていくが、そう簡単にこの縄は切れないらしい。
その光景を見ていたイグナシオは人を小馬鹿にしたような楽しそうな口調で俺を応援するのだった。
「ほらほら、頑張れ少年」
「コイツ……」
イグナシオの言葉に苛立ちを覚えながらも、俺は慣れない手つきで縄を削って行く。
その最中、イグナシオがこんな言葉を口にする。
「ところで少年。君が俺に聞きたい事が無いみたいだから聞くんだが……君、弱すぎないかい?」
「だからどうした? 俺が強い様に見えたかこの間抜け」
「おいおい……縄で縛られてる少年とテーブルで踏ん反りがえる俺。どっちが間抜けに見えると思う? 俺は勿論、縄で縛られてる少年の方が断然間抜けに見えるね」
そう言いながらイグナシオはこう続ける。
「なに、君が弱いという事を攻めたい訳じゃない。ただ、君が異世界人の癖に弱すぎないかと聞いているんだよ」
その言葉を聞いて俺は動かす手を止めてイグナシオに聞いた。
「なんで俺が異世界人だって知ってるんだ?」
俺の事を異世界人だと知っている人は限られている。少し前に雷斧亭でローラさんとその話をして以来、俺は異世界人という話題について口にしたことは無い。その時は客少ない時間帯だった為、この男が居ればすぐ目に付く。だからその時に聞いたという可能性はないだろう。ましてローラさんやマスターがわざわざ口にすることもない筈だ。ならこの男はどうやって俺の事を知ったのだろうか。その疑問に答える様にイグナシオはこう返答するのだった。
「俺も少年と同じ異世界人だからさ」
「……」
俺はイグナシオの言葉に困惑した。異世界人というのはそんなに珍しいモノではないことはマスターから聞いていた。だが、目の前で「俺は異世界人だ」と言われても正直ピンと来なかったのだ。
だからなのかイグナシオは同じ異世界人だという事を証明する為、俺の良く知る言葉を口に出すのだった。
「日本、東京。これを知っているだけでも信じてくれるんじゃないのか? 俺も君と同じ黒髪に黒い瞳の日本人だからね。同類は見ればすぐわかるさ」
「アンタ……日本人だったのか……」
「そうだよ」
イグナシオの言葉に俺は更に困惑した。同じ異世界人が、同じ日本人が、どうしてこうも人を裏切り、人を売り飛ばしたりできるのだろうか。彼がここに来て何を見て、何を考えているのか俺には理解することが出来なかった。だから俺はこう聞いた。
「こんなことして……よく平気でいられるな……」
「なんでも慣れる事が大切だ。誘拐も泥棒も人殺しも、全て慣れてしまえばどうってことないさ……」
そう言ってイグナシオは視線を逸らす。逸らした視線は何処か遠くを見つめているようにも見えるが、フードのせいで彼が今どんな顔をしているのかは理解できなかった。だが、彼との共通点を見つけた俺はイグナシオになんとなくこんなことを尋ねるのだ。
「アンタ……向こうでは何をしてたんだ……」
この男は今はこんなだが、ここに来る前、向こうの世界では何をしていたのか、ついそれが気になってしまった。その質問にイグナシオはこう返答する。
「そういう事を聞く時はまずは自分から話すもんぜ、少年」
「俺は……」
その言葉の続きを口にする事を少し戸惑う。だがイグナシオの言う通り、片方の事情ばかりを聞くのは不公平とも感じながら、俺はゆっくりと口を開くのだった。
「俺はずっと部屋に閉じこもってたよ……いわゆる引きこもりさ……」
「へぇ、それは意外だね。平穏な人生を送る一般人にしか見えないけど……」
「そう、アンタの言う通り。俺の生活は平穏そのものだったよ。勉強にスポーツ、友人関係だって良好だ。何不自由なく生活出来ていた。でもな、そこで気が付いた事が一つ在る。最終的に就職さえ出来ればあの世界では勝ち組だってことにな」
「まあ、そうだな」
「俺の両親はそういう事に顔が利くんだ。だから俺は学校に行く時間のほとんどを娯楽に消費する事にした。ネット・ゲーム・アニメ・ドラマ・小説・映画……学校で無駄な勉強をするより、上辺だけの友人関係より、それは随分と楽しかったよ」
「ああ、随分と楽しそうじゃないか」
「で、そんな幸せな暮らしをしていたら……神様が外へ出て働けと言わんばかりにここに来てしまったって訳さ。で、アンタは?」
俺がそう聞くとイグナシオはこう話始めるのだった。
「そうだな……こっちと余り変わらない生活をしてたよ」
そう言ってイグナシオはこう続ける。
「人を殺してた」
その言葉を口にする彼の口調はとても冷めていた。冷血、冷徹、そんな見た目通りの印象の口調だった。陽気な口調の時の彼は偽りの姿で、この姿こそ本当の彼の姿なのではないかと思うくらいだ。
そんな一言を口にしたイグナシオはそれ以上何も言わず、話題を変えるのだった。
「そうだ、昔話を聞く為に君が起きるのを待っていた訳じゃないんだった……それで、君はなんでそんなにも弱いんだい? 俺はそれが気になったんだよ」
「弱いって言ったって……これが普通だろ……」
「いいや、それはこの世界じゃ異常だ」
そうイグナシオは何かを確信しているような口調だった。
だが俺はそんな事は気にせず、手に持った短剣でまた縄を削り始める。
「少年。異世界人っていうのはそこらの冒険者より強い存在じゃなければ、そもそも理屈が合わないんだよ」
「意味がわからないな……別に強くない奴だっているだろう。俺みたいに」
「だからその理屈が合わないんだ」
「じゃあ、なんなんだよ……その理屈ってのは?」
「異世界人がこの世界に来る方法にどんな手段が在る?」
「さあな? 俺は召喚されたけれど……それくらいなんじゃないのか?」
「そう、異世界人がこの世界に来る為には召喚されなくてはならない。その時に必要なモノ、それは魔法触媒だ。その魔法触媒の良し悪しで召喚された異世界人の力が決まる」
「なら、その触媒の質が悪かったってだけなんじゃ……」
「そんな質の悪い触媒で召喚するほど、君のお姫様は馬鹿なのかい?」
なるほど、あのエレナに限ってその様な事はしないだろう。悪魔を召喚するつもりで彼女は間違って俺を召喚したのだから、それ相応の触媒を用意して召喚に臨んだはずだ。それなのに俺はこんなにも弱い。それは何故なのか。イグナシオにそう言われて初めてそのことに気が付いた。
「じゃあ、もしかしたら俺にも特殊な力が在るかも知れないってことなのか?」
「ああ、そういうことになるけれど……まさか本当に自分自身の力について理解してないのかい?」
「もしも俺にそんな素晴らしい能力が在ったらこんな目に遭う前にどうにかしてるっての……」
「それもそうか……。なんだ、能力を隠している訳じゃなかったのか……残念だ」
そう言ってイグナシオは小さな袋から垂れる紐を片手の指先で持って立ち上がる。
「なら、聞きたい事は聞いたし……俺はここら辺でおさらばするよ」
「そうか……」
イグナシオはそう言って俺に背を向けてその場を立ち去ろうとする。その時に丁度、腕を縛っていた縄がやっと切れた。その後、俺は急いで手に持った短剣で足の縄を切り、短剣をその場に捨てて、イグナシオに向かって一心不乱に駆け出した。
「おい! イグナシオ!!」
俺はそう叫び声を上げ、背後からの声に反応して振り返るイグナシオの顔面に目掛けて拳を放つ。だが、その不意打ちは呆気無くイグナシオの空いた片手によって止められた。俺の拳を止めたイグナシオは余裕の表情を浮かべてこう言う。
「おいおい少年。俺を殺す気なら、ちゃんと短剣を使わなきゃダメじゃないか?」
「別に殺す気はない! ただ一発殴らせろ! 糞野郎!」
「いいかい、少年」
そう言ってイグナシオは俺の空いた腹に向かって蹴りを入れる。イグナシオのゆっくりとした蹴りは見た目よりも重く、痛く、俺の身体が宙を浮くほどの威力だった。そして俺は嗚咽交じりの声を出しながら地面へと仰向けに倒れ込む。
「この世界じゃ無力な奴は何もできやしない。守りたいなら強くなれ。助けたいなら強くなれ。俺を殴りたいなら俺より強くなれ。だからもし強くなりたいのなら、自分の事を良く知る事だ。俺もそうして生きて来た。自分に何が出来て、自分に何が出来ないのか。必要なモノ、不必要なモノ。それを考えて選んできた……」
そしてイグナシオはこう続けるのだ。
「それに……。今、俺を殴った所で誰も救えないぞ? 今やるべき事が何なのか思い出してみるといい……」
俺はその言葉で冷静を取り戻した。今、大事なことはミラとメアリーの救出。この男を殴る事じゃない。イグナシオへの怒りを抑え込み、出口へ向かうであろうイグナシオの後を追った。土で作られた太い通路を抜け、洞穴から出るとそこは森の中だった。洞穴の入り口近くにはミラの荷馬車が在り、食料の入った樽が手つかずのまま放置されていた。他にも山賊達の馬が数匹、近くの木々に繋がれていたり他の荷馬車が放置されていたりしている。そしてイグナシオは適当な馬に乗り、俺にこう言った。
「そこの道を進み、分かれ道を右に行け。大通りに出て真っ直ぐ進めば王都だ。そこからは北東に住むヘイオスって貴族の屋敷にお嬢ちゃん達は居る筈だ。後は自分でなんとかするんだな……」
そう言ってイグナシオは馬をゆっくりと道の前へ歩かせる。
「ここまでしてやったんだ。もしまた会う時が在ったら殴るのは勘弁してくれよ、少年」
そんな言葉を残してイグナシオは馬で道を駆け抜けて行く。
今ではあの男が良い奴なのか悪い奴なのか判らなくなっていた。でも、嘘を吐いている様にも見えない。それに他に手掛かりの無い今、俺はイグナシオの言葉を信じて動くことしかできなかった。
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