第20話
雑用係の朝は早い。というより朝が来る前に俺は目を覚ました。
今が何時頃なのかよくわからないがとにかく暗い。ここには時計というモノが無く、外の月と太陽の位置を確認して大体の時間を測る。太陽が昇り始めたら朝、太陽が真上なら昼、太陽が沈む頃には夕方。逆に月が昇り始めたら夜、月が真上なら夜中、月が沈む頃は日が明ける手前と言った所だろう。
昨日は雷斧亭で夜まで仕事をして帰って来て、そのまま寝た。睡眠時間はおよそ六時間程度だろうが、しっかり寝てた為そんなに眠くは無い。だが寝起き故に欠伸を掻きながら俺は広間へと向かうのだった。
「お前……まだ本を読んでたのか?」
「ええ、悪い?」
広間のソファー、そこにいつもの様にエレナの姿が在った。こんな日が出ていない早朝前だというのに彼女は本を読んでいる。だから俺は不思議そうな表情を浮かべてエレナに聞いた。
「本当に寝てないのか?」
「いいえ、寝たわよ」
「じゃあ、起きて来たってことなのか?」
「ええ、そうね」
「いつも、この位に起きてるのか?」
「そんな訳ないでしょ? たまたま目が覚めたのよ」
「そうか……」
毎朝、俺が目を覚まして広間に行くと大体彼女が先に起きている。一度だけ俺が先に起きた事が在ったが、それ以来彼女より先に起きた事がないことに俺は気が付く。だが、そういう生活サイクルなのだろうとそれ以上気にはしなかった。
「それじゃあ俺は行くよ……」
俺は扉の近くに立て掛けた剣を手に取って、外へ続くドアへと向かった。
「あのメイドがまだ起きてないみたいだけれど……日が昇ったら起こして、北門に来いって言っといてくれ。それじゃ……」
俺はそう言いながら軽く片手を上にあげ、エレナに背を向けながら手を振った。そしてドアを開けて外へと出ようとした時、エレナが突然声を掛けて来るのだった。
「ねえ……」
俺はその声に反応して振り返る。いつもの様にソファーに座り、本に視線を落としながら彼女はこう言うのだ。
「気を付けて行ってきなさい」
「……ああ、気を付けるよ」
そう言って俺は心配そうな声を掛けるエレナに笑顔を見せ、その場を去って行った。
カイスの街の西側には商人や職人が店を連ねる場所が在る。このことからカイスに住む人々は西側を商業地区と呼び、商人達の荷馬車が良く行き交う光景をよく見かける。日の登らない時間帯でも、西側には人がまばらに見て取れる。皆、商業関係の仕事をしているのだろう。
あの女の子の商人が言っていた店。名前は忘れたが、確か赤い屋根で看板を掲げてて、荷馬車の止まっている店だと言っていた。屋根が赤い色の建物、なんて書いて在るかわからない看板、店の前に止まっている荷馬車。そして、昨日見かけた厚い布でこしらえたスカートの服を着た女の子の後姿を確認した俺は彼女の元へと近づいて行くのだった。
「よう、おはよう」
そう言うと少女は不機嫌そうな顔をして俺にこう言うのだ。
「遅い!」
「遅いって……まだ日は出てないだろ……」
空を見上げればまだ日は昇ってない。昨日言われた通りの時間帯の筈だ。
「もうすぐ日が昇って出発よ! 日が昇る前までに荷物を荷馬車に全部積み込みなさい!」
「荷物って……?」
彼女は俺の言葉に答える様、赤い屋根の建物の扉を開けて中を見せる。
そこには木製の樽が数十個。扉の出入り口を塞ぐようにして置かれて居た。
「これを全部、積むのか?」
「これを積まずに、何を積むのかしら?」
――まあ、そうですよね……。
俺は溜息を吐きながら、仕事だから仕方がないと呟きながら店の中に置かれた樽を持ち上げる。中々に重いが持ち運べないモノではなくて少しばかり安心したが、これがまだ数十個在る事を考えると少し憂鬱になりそうだ。俺は一つ目の樽を荷馬車に乗せてから、商人にこう尋ねた。
「中身は何なんだ?」
「果物と野菜よ。リンゴにキャベツにオレンジ、タマネギ、ジャガイモ。北の王都じゃ寒いから野菜の収穫量は少ないのよ。だから南で野菜を仕入れて、北へ売りに行く。で、北で肉やチーズを仕入れて南へ売りに行くのよ。」
「なるほどな、上手く出来てる訳だ……」
そんな事を関心しながら俺は樽を運び、どうにか日の出前までには全ての樽を荷馬車に運び終えるのだった。
もうすぐ日が昇る。商人が乗る荷馬車の近くから北門に視線を向けると、目の前の一本道が連なる草原に東の方からオレンジ色の日差しが差し込むのが見えてきた。それが合図の様に丁度良く他の二人がやって来る。
「おはよう。少年、少女達」
「お待たせいたしました……」
一人は東の通りから灰色のフードで顔を隠して陰気そうな人間に見えるのだが、陽気な口調でこちらに近づき。もう一人のメイドは西側からいつもと変わらない無表情で腰に鉈を携えてやって来る。
一応、俺も腰に差した剣に手を触れて確認する。そして準備が整った様に視線を商人に向ける。商人は荷馬車の上で立ち上がり、それぞれが来たことを確認するとこう言った。
「さて、揃った所で出発としましょうか……。ああ、自己紹介がまだだったわね。私の名前はミラ・ランデルセン。ランデルセン食料品店の商人よ」
「俺の名前はイグナシオ。宜しく頼むよお嬢ちゃん」
「メイドのメアリーでございます」
そう言って自己紹介を終えた三人は残った俺の方を見るのだった。
――何これ、そういうシステムなの? 自己紹介するシステムなの?
俺は初めての護衛仕事に戸惑いながら彼らの視線にこう答える。
「えっと、俺の名前は如月信二(きさらぎしんじ)。その……よろしく」
そう言って俺が慣れない自己紹介を終えると商人は掛け声を上げる。
「それじゃあ、行くわよ! アナタ達の仕事ぶりに期待してるわ!」
そんな威勢の良い掛け声を上げ、商人は荷馬車の手綱を鞭のように叩く。そして荷馬車と俺達は北へ向かうのだ。
北にはカイスやその周辺を治めるフロスト王という王様が住まう、フロストという街が在るそうだ。そこは一般的に王都と呼ばれ、カイスよりも街の規模が大きく、沢山の人やモノで賑わっている場所らしい。
そして俺達、つまり俺とメイドと商人とフードの男。この四人の目的はその王都へ向かう事だった。
商人は荷物を王都へ運ぶ為、俺とメイドは雷斧亭の修繕費を稼ぐ為、フードの男は自分の生活費の為だろう。
まあ、そんなこんなで始まった護衛仕事だがなんとも暇なモノだった。商人は荷馬車の手綱を握って左右を木々で囲まれた一本道を進み、メイドはその商人の横に護衛として座る。残った俺とフード男は荷馬車から少し離れた後ろで左右に分かれて辺りを警戒するのだった。
この状態で一日王都に向かって歩いているだけで金貨一枚貰えるなら、なんとも健康的な仕事だろうと考えていると、横からフードの男が退屈なのか俺に話し掛けて来るのだった。
「なあ、少年。君は如月信二(きさらぎしんじ)って名前だったか?」
「ああ、アンタは……えっと……イグナシオ? だっけ?」
「そうそう、俺の名前はイグナシオ。ところで少年の名前はずいぶん変わってるな」
「俺にとってはアンタの方こそ、変わった名前だよ」
「なあ、その名前に由来とか意味とか在るのか?」
「さあな……そんな事を気にしないだろ普通。アンタは? その名前に由来や意味が在るのか?」
「俺もこの名前に意味や由来なんてモノが在るのかどうかは知らないが、そこそこ気に入っている名前だ。なんせ珍しくて、なかなか他人と被らないだろ?」
そう言って男は笑いながら陽気に俺と会話をするのだった。イグナシオ、彼は頭から全身を薄汚れた灰色の布で覆い、暗そうな雰囲気を放つ寡黙な男だと思ってた。だが話してみると、見た目とは逆に陽気な声で良く話す男で俺は少し拍子抜けした。もっと物静かで、怖いイメージが在ったがそんな事はないらしい。
最初はこの護衛仕事の不安要素として彼の事を見ていたが、そう悪い奴でもないらしい。
俺は彼の事を知らない。だから俺は彼の事をもう少し知った方が良いのではないかと考え、色々と質問をすることにした。
「なあ、いつもフードで顔を隠してるのか?」
「ん? ああ……そうだが?」
「じゃあ、なんで顔を隠してるんだ?」
「そりゃ、少年。見られたくないんだよ」
まあ、顔をフードで隠すということは顔を見られたくないからだという事は理解できる。だが俺が聞きたいのはその理由だった。
「なんで見られたくないんだ?」
「そりゃ……」
そう言ってイグナシオは一瞬言葉を詰まらせた後に続ける。
「頭の天辺が禿げてるんだよ……」
「嘘だろ?」
「本当だ……」
「いやいや、声からしてアンタまだ若いだろ? それで頭が禿げるってどういうことだよ?」
「おい、少年。髪ってのは、神様並に気まぐれな生き物なんだよ。覚えておけ……」
「いや、髪と神で掛けて何くだらないこと言ってんだよ?」
「君にはくだらなくても……俺には重大な事なんだよ……」
そう言ってイグナシオの先ほどまでの陽気な口調は何処かへ行き、見た目通りの暗い落ち込んだ雰囲気を醸し出しているのだった。この事について、俺はこれ以上触れないように話を切り上げた。
「なんか……悪かったな……」
「いや、いいんだよ少年……」
彼の事をもっと知る為に話し掛けて見たが、どうやら的確に地雷を踏んだらしい。
後ろの俺とイグナシオが気まずい雰囲気の中、唐突にメアリーが声を出すのだった。
「何か居ます」
その言葉に商人のミラは荷馬車を止め、ミラの横に居るメイドは鉈を構えてその場に立ち上がる。荷馬車の後方に居る俺とイグナシオは少し前へ進み、荷馬車の横につく様にして辺りを警戒する。
すると辺りの木々に隠れていた小汚く武装をした男達が数十人姿を現し、その一人が道を塞ぐように荷馬車の前へと立ちふさがる。
「この状況を見ればわかるな?」
そう言って男は不敵に笑みを浮かべて居た。こちらの人数は四人。むこうはその約五倍の人数。数では圧倒的に不利だからこそ、目の前の男は勝ちを確信して笑って居られるのだろう。だがこちらにはメイドが居る。圧倒的強さを誇る最強のメイドが……。だから俺は周りの男達に聞こえる様に言ってやるのだ。
「おい、お前ら。命が惜しければさっさと何処かに消え失せた方がいいぞ。さもなきゃ、そこのメイドがお前らを殺しに行く事になるぞ?」
俺がそう言うと男達は大声で笑う。一人の無表情なメイドが彼らを殺すなどと、彼らにとっては信じられない事だろう。それにメイド一人でこの人数を相手にするなど不可能とも考えているはずだ。だが、俺達がこの状況を乗り切るの為にはその油断が必要だ。
――そうやって馬鹿にしていろ。その分、油断が生まれお前達はそこのメイドの恐ろしさを知ることになる。
男達が笑って居る中で俺はメアリーに支持を出そうとした。なに、「全員を殺せ」なんて無残な命令を出すつもりはない。だが「死なない程度に痛めつけろ」などと命令すれば、彼女はそれを忠実に実行し、その姿を見た男達はそれを見て逃げて行くだろうと思っていた。だが……。
「そんな事は知ってるさ」
そう言って道を塞ぐ男は笑いを止めて言うのだ。その言葉を聞いた俺の思考は一瞬止まり、その意味を理解する前に後ろから短剣の刃を首に突き付けられた。その時、男の言葉の意味に俺は気が付くのだった。
「少年。声を出さないでくれ。殺すことになってしまうからね?」
そう言ってイグナシオは俺の首元に短剣を突きつけ、俺の身動きを封じていた。
それを見た薄汚い男はメイドと商人にこう告げる。
「そこのメイド、武器を捨ててこれを飲め。そこの商人もだ」
そう言って薄汚い男はメイドが武器を捨てるのを確認すると小さな袋を投げ渡す。メイドは袋から二つの小瓶を取り出し、その片方を隣の商人に渡すのだった。そしてメイドは薄汚い男にこう聞いた。
「これは?」
「ああ、心配するな。ただの眠り薬だ」
薄汚い男がそう言うとミラはこう叫ぶ。
「ふざけないで! なんで私がこんなもの飲まなきゃいけないのよ! メアリー! アンタは私が雇ったメイドでしょ! 目の前の男達を全員どうにかしなさい!」
だがメアリーはミラのその言葉にこう返答するのだった。
「申し訳ありません、ミラ様。私はシンジ様のメイドで在りますので、護衛の依頼よりシンジ様の命を優先させて頂きます」
「ふざけないでよ! この役立たず!」
そう言ってミラは受け取った小瓶を投げ捨てる。こんな状況でもメイドは無表情を貫き、その場に座って男に言われた通りに瓶を飲んで倒れ込む。それを確認した男達は徐々に荷馬車へと近づいて行くのだった。
「たっく……眠り薬もタダじゃねえってのに……」
そう言って薄汚い男は困った顔をしながら商人に近寄って続けて言う。
「まあ、自分で瓶を割ったんだ諦めろよ嬢ちゃん」
そう言って薄汚い男は何の躊躇も無くミラの腹部を殴るのだった。ミラは嗚咽の混じった鈍い声を上げる。
だが、彼女は一発で意識が飛ぶことは無く。困った男達はこう言い出すのだ。
「おい、一発で決めろよな?」
「仕方ねえだろ? いつもだったらおとなしく薬を飲むんだから」
「でも、いいのか? 体に跡が残ってたら値が下がるんじゃねえのかよ?」
「つっても、叫ばれたり抵抗されたら面倒だからな。仕方ない……順番に殴って上手く気絶させた奴に金貨一枚な?」
そう言うと男達は何かの玩具で遊ぶように楽しそうな声を上げている。俺はその光景を見て虫唾が走った。人間という生き物はこんなにも下卑た生き物だったのか。いや、アレは人の形をした別の何かだ。そして、そんな奴らに俺は何も出来ずに居た。無力で情けない。俺は何もできない自分に腹が立った。
奴らがミラを使って遊びを始めようとしている光景を俺の首元に短剣を突きつけながら見る男はこう言った。
「とんでもなく腐ってるだろ? アレが人間だ」
「わかってるなら、止めろよ……」
「残念だが、それは無理だ。なんでだかわかるか? 俺には関係ない話だからだ」
「それでも目の前で困ってる人間が居たら助けてやるのが普通だろ……」
「いや、それは違う。目の前で困ってる人間を見かけたら見捨てる。それが生きて行く上では利口な判断だ」
そう言ってイグナシオは小さな小瓶を取り出してこう言う。
「ここに少年の分の眠り薬が在る。どうする?」
それは今から気絶するまで殴られるミラと代わるか? という男の問いだろう。
俺はその言葉を聞き、躊躇しながらイグナシオに聞いた。
「その薬、俺が飲まなかったら。ちゃんと渡してくれるのか?」
「まあ、提案だけはしてあげよう」
「そうか……ならさっさとやってくれ」
俺がそう言うとイグナシオはミラの周りを取り囲む男達にこう提案した。
「お~い。そのお嬢ちゃんを殴って価値を下げるより、薬で眠らせた方が良いんじゃないか?」
そう言ってイグナシオは男達に向かって薬を投げる。それを受け取った男達は少し残念そうな顔をして「まあ、金にならないよりマシか」などと呟き、ミラに眠り薬を差し出すのだった。その差し出された薬をミラは素直に受け取り、飲み干し、倒れる。それを確認した男達は、倒れたメアリーとミラを荷馬車の後ろに乗せてから俺とイグナシオの方へと近づいてくるのだった。
「さて、残ったのはお前だな……眠り薬は残念な事に品切れだ。一応、男も売れるだろうからお前も一緒に連れてってやるよ……喜べ!!」
そう言って男の拳が俺の腹部を強打する。ミラが最初に味わった攻撃、コレは凄まじく堪える。俺の身動きを封じていたイグナシオはいつの間にか離れ、俺は自由の身となっていた。だが、腹部の痛みが尋常じゃなく、呼吸も細くなり、動けずに居た。だが、男達にそんな事は関係なかった。
「さて、まだ気絶はしてないな……」
そう言って俺は両腕に腕を回され、貼り付けの様に立たされる。そして、男達は躊躇せずに俺の腹部を殴るのだった。それが俺の意識が飛ぶまで続くのだ。
俺はミラを守れなかった。メアリーさえ居れば何とかなると単純に考えていた。だが、そうやって油断していたのは俺の方だった。イグナシオの裏切りにも気が付かず、何も起きない事を願うだけしかしてなかった。俺は余りにも無力で、弱い。その弱さの罰を今、俺は受けているのだろう。
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