第18話
俺が寝泊りしてる場所から少し北へ行った所にカイスという街が在る。
城壁と水の張った堀で周りを囲み、東西南北の跳ね橋を渡って人々はカイスの街へと入って行く。
俺はその街の東に在る雷斧亭という酒場で給仕係として日雇いで働き始めた。
今日もいつも通りの時間に雷斧亭の前に着くとローラさんが店の前を箒で掃除をする姿が目に入り、俺は少し不思議そうな顔をしながら彼女に話し掛けるのだった。
「おはようございます、ローラさん……店の前で掃除なんて珍しいですね」
早朝や客の少ない時間帯のローラさんは、いつも店内の清掃をしている印象が在った。だから店の前を箒で掃いている姿は初めて見る光景だったし、店の前がそんなに汚れている様子にも見えなかった。
「お、遅いですよ……シンジさん」
そう言ってローラさんは俺に近寄り小声でそう言うのだった。いつも通り。いや、いつもより若干早く来た筈なのだが……。そう思いながらローラさんはこう話を続ける。
「マスターがカンカンに怒ってますよ……」
「な、なんで……?」
そう言うとローラさんは不機嫌そうな顔をしてこう続ける。
「覚えてないんですか? 昨日の事ですよ?」
「昨日……」
そう言われて俺は昨日の事を思い返し始める。
早朝に起きたらドアが壊れていて、それを直す為を命懸けて奔走した俺の雄姿が目に浮かぶだけで、これといって怒られる要素が見当たらなかった。
俺がまだ理解出来てないで居るとローラさんはこう言うのだった。
「もう……そこのメイドさんが暴れて大変だったんですからね!」
「……」
俺はゆっくりと後ろについて来ているだろうメイドに視線を向けた。
そうだ、俺はこのメイドを撒く為に金貨一枚を報酬に使って冒険者達を焚き付けた。そしてその後の事を俺は知らないで居た。つまりローラさんの口振りとマスターが起こっている事から察するに、この女は凄まじい勢いで暴れまわったらしい。たぶんだが。俺は無表情のメイドの顔から視線をローラさんの方に戻して尋ねる。
「その……どれくらい暴れたんですかね」
「テーブル三つと椅子二つが壊れて、床とカウンターに一つずつ穴が空きました」
ローラさんの言葉に思わず俺は手で顔を覆った。
――どうしよう……家に逃げ帰りたい……。
だがここまで来てしまった以上、逃げられない。それにもし逃げたとしても、それは問題の先送りで在って解決にはなっていないのだから無意味だ。仕方がない……覚悟を決めよう。
「じゃあ……その……全力の土下座をしてきますね……」
「ドゲザ?」
俺の言葉に不思議そうな顔をするローラさんを横目に俺は覚悟を決めて雷斧亭へと入って行く。
だが、そこで見た光景はいつもの雷斧亭の様子だった。あれ、ローラさんの言ってた事は全て冗談だったのかな? と思うほどに、壊れた場所など見当たらなかった。少ない客は普通に食事をして、カウンターには雷斧亭のマスターであるゴードンさんが食器の整理などをしていた。
俺は何がどうなっているのか困惑しながら、カウンター席に座ってマスターに尋ねた。
「えっと……おはようございます……マスター。と、ところで……ローラさんから、昨日メイドが暴れて店に穴が空いたとか聞いたんですけど……」
そう言うとマスターはにこやかな笑みを浮かべながらこう返答してきた。
「ああ、安心しろ安心しろ。最初は怒ってたけど今となってはいい思い出だ。とりあえず店の修繕費分は毎日働けよ、シンジ」
「ええ、わかりました。修繕費分はちゃんと働きますよ……ちなみに幾ら位掛かったんですか?」
「金貨三枚だ」
「えっと……」
さて、俺の雷斧亭での日給は一日、銅貨二十枚。これは銀貨一枚分に相当する金額である。なので雷斧亭での日当は一日、銀貨一枚と言っていいだろう。そしてこの銀貨二十枚分の価値が金貨一枚の価値と同等だ。すなわち金貨三枚とは、銀貨六十枚分の稼ぎが必要なのだ。一日の日当が銀貨一枚なら、銀貨六十枚稼ぐのには六十日働かなくてはならないという事だった。ここで初めて俺は二ヶ月の労働の義務を背負わされる事に気が付いた。
「ちょ……六十日もここで働くんですか……?」
「そうだな。まあ、安心しろ。ちゃんと休みの日も用意してやるから。いつも通り毎朝来て、六十日間はタダ働きして家に帰るんだな」
「なんだと……」
借金返済の為の地獄の労働六十日、これは拷問だ。日雇いで気楽に仕事が出来て、ローラさんが居るから楽しかったのに……。俺は色々と思考回路を巡らせてこの状況を打破することを考え始めるのだった。
だが、何も思いつく筈も無く。地獄の労働六十日の初日、午前の部が始まった。
俺とローラさんが大量に流れ込んで来た客の対応に追われる中、メイドはカウンター席に座って一足早い昼食を食べるのだ。客に注文された料理を大体運び終えた俺はメイドの横の席へと座り、これから先の労働に絶望しながらマスターこう尋ねるのだった。
「マスター……地獄の六十日労働以外の稼ぐ宛てを紹介してください……」
店の修繕費である金貨三枚。とにかくそれを稼いでしまえばいい訳で、わざわざここで六十日労働しなくても他の賃金の良い仕事を見つければ働く回数を減らし、一日でも早く自由を得られると考えた。
それにここで働いててわかったが、酒場には冒険者が多く集まりその冒険者を雇おうとする依頼人達もたまに店に来たりもするのだ。ならばそんな仕事の一つや二つ、マスターの耳に入っていてもおかしくない訳である。
「稼ぐ宛てねぇ……。一応あるにはあるぞ?」
「ここより賃金は良いですか?」
「そうだな、一日銀貨五枚ってところだな」
一日銀貨五枚。銀貨二十枚で金貨一枚分の価値ならば、四日で金貨一枚分。雷斧亭の修繕費は金貨三枚、ならば十二日で返済できる夢の様な仕事ではないか。二ヶ月も働かなくても済む、そう思った俺は慌ててその話に飛びついた。
「なら、その仕事を紹介してくださいよ!!」
「紹介してもいいが……わざわざお前を雇う物好きはいないだろうな」
「ちなみに……どんな仕事なんですか?」
「商人の護衛だ」
「護衛……それくらいなら俺でもできそうじゃないですか?」
「じゃあ聞くが……お前一人で三人の冒険者と対等に戦えるか?」
「んなの、無理に決まってるじゃないですか……俺をなんだと思ってるんですか? マスターとは違うんですよ?」
「だろ? 護衛ってのは常にそんな状態を対処する強さがなきゃいけないんだよ。特に商人の護衛の場合は積み荷を奪われたり傷つけられたらそれが損失に繋がる。商人の運ぶ商品は金になるんだからよく狙われる訳だ。勿論、襲う方はそれなりの人数を揃えて襲いに来るんだから護衛一人で数人を相手取るのはよく在るってことだ。積み荷と商人を守りつつ、襲って来る敵を返り討ちにする強さ。それが必要なんだよ。どうだ? お前に出来そうか?」
「そうですね……」
雷斧亭に居る冒険者一人とまともに戦う事すら出来ない俺に、そんな芸当は出来る訳がない。だが、そんな事を出来る人間には心当たりが在った。俺は視線を横に向け、サンドイッチをチマチマと食べるメイドを見るのだった。
「俺は無理ですけど……このメイドなら……」
「まあ、そのメイドの強さは飛びぬけてるな。だがそれでも雇う物好きは居ないだろう」
「強ければ雇ってくれるんじゃ?」
「まあ、強ければ護衛として雇うのは当然だ。でもな、新しく護衛を雇うなんて物好きは居ないってことだよ」
そう言ってマスターは雷斧亭で食事を取る冒険者達に視線を移してこう続ける。
「この街に居る冒険者の仕事の殆どは商人の護衛で稼いでいるんだ。商人がここから東西南北の街へ荷物を運ぶ時などの移動の際には必ず護衛を付ける。命と商品を奪われない為に最低限の護衛は必要な訳だから、冒険者を毎回護衛として雇う訳だ。だが毎回違う冒険者を雇うのは面倒だし、なかなか信用も出来ない。ならばと考えた商人達は毎回同じ冒険者を護衛専用に雇うことにした。長年雇用してきたそこそこ腕の立つ冒険者と凄まじく腕の良い知らない冒険者。どちらを護衛に付けるかと言えば前者に決まっている」
「つまり、新参者には護衛の仕事は無いと?」
「そういうことだ。だが、雇ってくれそうな場所に心当たりはいくつか在る。紹介は出来るが、雇ってもらえはしないだろうな。それでもいいなら紹介するが?」
「な、なら他には……何かないんですか?」
そうだ、殆どの冒険者が商人の護衛を仕事としている。だがそれ以外で暮らしている冒険者も居る訳なのだから、それだってここの賃金よりはマシなのではないかと考えた。するとマスターはこう返答する。
「そうだな。魔物が住み着く場所には良い物が在って、それを売ればかなりの金になるだろうよ」
「魔物は懲り懲りです。他ので」
「じゃあ、大工のウタさんの所はどうだ? 一日、銅貨十枚で雇ってくれるんじゃないか?」
「大工の爺さんの所で働いたら、地獄の百二十日労働に早変わりじゃないですか……」
「なら、諦めてウチで働くんだな」
そうマスターは呆れた顔で言うのだった。諦めきれない俺はカウンターに上半身を倒れ込み、この労働地獄を打開する方法をまた模索し始めるのだった。
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