第13話
雷斧亭で昼の仕事を終えた俺は北東の森に来ていた。
腰には剣と木の皮を編んで作られた筒状の入れ物、左手にはまだ火を点けて居ない松明、そして後ろには何処か見覚えの在るメイドが俺の後ろをついてくる。
俺が足を止めると後ろのメイドも足を止める。俺が歩き出すと後ろのメイドも歩き出す。これが雷斧亭を出た時から続いている。後ろのメイドに何度も「ついてくるな」と言っても「たまたま行き先が同じなのです気にしないでください」などと返答が返って来るので、もう無視することにしていた。
北西の森は緑で生い茂り、エレナの別荘の周りとは大分景色が違った。
そして緑生い茂る草木を掻き分けて見つけてのはマスターが言っていた洞窟だった。
大人が三人ほど横並びして入れそうな洞窟。洞窟の中は一切の光は無く、音は何も聞こえて来ない。ここには魔物が居るらしいが、どんな魔物なのかちゃんと聞いては来なかった事を今更後悔していた。
まあとりあえずここまで来たのだから、洞窟に入り清浄花を探す事にしよう。もしも魔物が出てきたら全力で撤退すればなんとかなるんだろう。
「よし……行くか」
俺は腰の筒状の入れ物からマッチを取り出し、マッチに火を点けて松明に灯す。
左手に火の点いた松明、右手には剣を手に持ち、俺は洞窟の中へと入って行った。
洞窟に入りしばらくすると幾つかの疑問点が浮かんできた。
一つは洞窟と言うには余りにも整備されている様に感じた。足元には石一つも落ちていない平らな地面、そして一定間隔に広がり続ける洞窟。自然に出来たと言われればそこまでだが、少し違和感を感じる。
二つ目は魔物の存在だ。マスターの言う通りなら洞窟には魔物が要る筈。そして周辺の森にも魔物が居てもおかしくない筈なのに、それが今の今まで見当たらないでいる。マスターの言葉が嘘である可能性も考えたが、嘘を吐く必要性が何処にも見当たらないのだからそれは無いと考えを改めなおした。
三つ目は後ろのメイドだ。洞窟に入れば流石に諦めると思ったが、そう簡単な話では無かったようだ。魔物が出て来る洞窟、それを理解しながらついて来ているのかは知らないが、ここまでついてくる彼女の理由も気に掛かった。色々と疑問点は在るがまずは手近な所から対処していこう。
俺は足を止めて後ろを振り返る。そして後ろからついてくるメイドに話し掛けた。
「なあ……この洞窟には魔物が出るって知ってるか?」
「そうなのですか?」
その言葉に対してメイドは顔色一つ変えず淡々とそう答える。それは余裕なのか、俺の言葉を信じて居ないのかは知らない。だが一つだけ確かなことは彼女はそんな場所であろうとも躊躇無くついてくるという事だった。
「それでもついてくるのか?」
「ついてくる? 何をおしゃっているのか判りません。私はただ何となくこの洞窟に入ってみたかっただけなのです。なのでお気にせずお進みください」
メイドはあくまで俺の後ろをついて来ている訳ではなく、たまたま行き先が一緒という設定を通すらしい。まあ、魔物が出てきたら流石に逃げるだろう。そう思いながら俺は先へと進む。
洞窟中をしばらく進んでいると何回か分岐点が在った。迷わない様に俺はずっと右の道を進み続けた。これならば帰る時もずっと右の道を進めば元の道に戻れるという考えだ。そして三回ほど分岐点を通り過ぎ、かなり奥深く洞窟を進んだ所でおかしな音が聞こえて来た。
何かが擦れる音、それは無数に奥から聞こえて来る。そしてその音に混じり正面からは小さな足音が近づいてくるのが聞こえる。俺は松明の先端を前に向けて小さな足音が聞こえてくる方を照らした。
「キシシシ……」
そんな何かの擦れる様な音を上げながら現れたのは巨大な蟻だった。体長は二メートル程、黒光りの身体に二本の触覚、八本の足に鋭い顎。俺の知っている蟻という生き物をそのまま巨大化したモノで、たぶんこいつがマスターの言っていた魔物だろう。
とりあえず俺は近づく蟻に松明を向け、威嚇しながら徐々に後ろに下がろうとした。
だが、後ろに居たメイドが突然こんな言葉を発する。
「後ろに逃げ道は在りませんよ……」
後ろを振り向くと同じ様な蟻が数匹見えた。どうやら俺達は蟻の罠にまんまとはまったらしい。
メイドは腰に差した黒い刀身の鉈を構える。それを見た俺も剣を構え蟻の攻撃に備えた。
「なあ、アンタ……戦えるのか?」
「ええ、それなりにですが」
「そうか。音から察するに、正面には大量に蟻が居るはずだ。だから後ろへ逃げるいいな?」
「そうですね。私も前に進むより後ろへ進みたいと丁度思っていたところです」
メイドは余裕そうな口振りでそう言うと、後ろ方向へ向かって駆け出した。それと同時に俺の目の前に居た蟻が飛び掛かって来る。
俺は咄嗟に剣を蟻の頭に突き立てて運良く仕留める。誘い込む知能は在っても攻撃は単調の様だ。
緑色の血を流しながら串刺しなる蟻を振り払い、俺は後ろへと振り向いた。するとそこには集団の蟻に対して、軽やかな足取りで蟻の頭を鉈で削ぎ落すメイドの姿がそこには在った。どうやら彼女の戦闘能力は俺なんかが足元にも及ばない程強いらしい。
「退路は確保しました」
集団の蟻を瞬殺したメイドは鉈を片手に淡々とそう言った。
「よし、逃げるぞ!!」
そう叫び声を上げながら俺は猛ダッシュで右へ右へと道を進む。そして、見覚えの無い広い場所へと出た。
「なんだ……ここ」
洞窟の中で在りながら天井や周囲の壁が見えない程に広い暗闇に覆われていた。
松明の火で辺りを灯しながら少し進むと、今までの洞窟の岩肌とは違う大きな黒い壁が目の前に在った。
「岩か?」
黒い岩の様な何かに触ってみるとツルツルとした手触りで明らかにそれは岩では無かった。
じゃあ何なのだろうかと思い、ドアをノックする様に軽く叩く。響きの悪い鈍い音、壁にしては柔らかい材質なのだろう。次に俺は剣で試しに刺してみることにした。すると……。
「キシャァァァァァァァァァ!!」
聞いた事の無い特大の奇声が洞窟に響き渡る。思わず俺は耳を塞ぎながら、目の前の剣の状態を確認する。
剣は綺麗に黒い壁に刺さり、刺した場所からは何処かで見た緑色の液体が流れ落ちていた。そして剣で刺したモノの正体を察した俺はゆっくりと上を向いてその正体を確認する。
赤く大きな瞳が二つこちらを睨み付ける様に俺を見つめる。二本の触覚に大きな顎、黒光りするその姿はまさに蟻だ。だがその大きさは先ほどまでの比では無い。約十メートルは在るであろう巨体、まさに化け物だ。
「ここも駄目だ! 逃げるぞ!」
そう言ってすぐに来た道を戻ろうとした。だが、来た道からは後を追って来た蟻達が道を埋め尽くす程の量で迫って来ていた。
「おいおい、どうするんだよ!!」
諦めに満ちたそんな声を上げる。だがそんな言葉に返答する者は誰も居ないかった。
俺は困った表情でメイドの方を見ると、メイドは諦める様子はなく大量にこちらに向かって来る蟻達に備えて鉈を構えていた。彼女の強さは蟻よりも強い、だがあの量では彼女に勝ち目はないだろう。
この絶望的な状況の中でメイドは大声を上げて俺に支持を出すのだった。
「死にたくないなら戦ってください!! 目の前のクイーンアント、それを倒せば蟻達は撤退します!!」
「そんなこと言われたって……」
「死にたいんですか!?」
「あぁぁぁぁぁぁ!! くそっ!!」
目の前の巨大な化け物。コイツがメイドの言うクイーンアントなのだろう。これをどう倒せばいいのか判らないが俺は刺し込んだ剣を引き抜き、力一杯切りつけた。
「キシャァァァァァァァァァ!!」
クイーンアントは叫び声を上げる。攻撃は聞いているみたいだが、どれだけ斬りつければコイツは死ぬのだろうか。そんな事を考えながらも俺は力任せに斬りつける。斬りつけた剣先からは緑色の血が俺の身体を濡らす。汚くて、変な臭いがするが今はそんな事は関係ない。とにかく斬って斬って斬りまくった。
「くっそぉぉぉぉぉぉ!!」
斬っても斬ってもこの化け物は悲鳴に似た奇声を上げるだけで一向に倒れる気配は無い。その内、俺が振るう剣の勢いが衰える。そして俺は荒い息を上げながら、後ろで無数に迫りくる蟻を倒すメイドに言った。
「どうすれば倒せるんだよ!!」
「とにかく斬り続けてください! 魔物と言っても所詮は生き物! 身体を動かす血を抜けば死ぬはずです!」
――つまり……大量出血させて殺すということか……。
「それを先に言え!!」
俺は荒い息を無理矢理整えた。そして目の前に在るクイーンアントの黒い身体に剣を深々と刺し込む。
そして深々と刺さった剣先をクイーンアントの身体に沿って切り裂き始める。
「どりゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
クイーンアントの身体を切り裂く最中、視界の端に何か光の様なモノが見えた。
奥の方に見えるのは青白い光だった。出口に繋がっているのか?
そう思った俺はメイドに向かってこう叫んだ。
「おい! たぶん出口だ!!」
そう言うとメイドは通路の防衛を止め、即座に俺の方へと駆け寄ってくる。
それを見た俺はすぐさま青白く光る場所へと向かった。だが……。
「くそ……」
こんな暗闇の洞窟で光が見えたのだから、それは出口に続くモノだと思っていたが違った。狭く小さな空間に大量の青白く光る花が咲いている。辺りは壁で囲まれ逃げる場所など何処にもなかった。
俺は近づいてきたメイドにこう言った。
「悪かった……」
「いえ、あそこで消耗戦をしているよりはこちらの方が幾分かマシかと思います」
そう言ってメイドは俺の手を掴んで花の咲く方へと向かって行く。そして一番奥の壁際に座り込むのだった。
「諦めるのか?」
「いえ、ここで助けを待ちましょう」
俺は彼女が何を言っているのか理解できなかった。助けを待つ前に蟻共に食い殺されるしかないのではないのかと思いながら、唯一の出入り口に視線を向ける。出入り口には無数の蟻が確かに居る。だが、蟻はこちら側に攻め入ろうとはしなかった。
「なんで襲って来ないんだ?」
そう言うとメイドは青白く光る花に視線を向けて言う。
「清浄花。コレを魔物達は怖がっているのです」
「これが清浄花なのか……」
一つ銀貨五枚の値が付く高価な薬草。まあ、これだけ危険な場所に生えていればその値段も納得だ。
今更だが普通に買った方が良かったと思いながらも、俺は目的の薬草を試しに一つ摘み取ってみた。
すると青白く光る清浄花の花は光を失い、そこら辺に生える花と区別がつかない見た目になってしまった。
「これ、摘むと光らなくなるんだな……」
「はい」
「使えるのか?」
俺がそう言うとメイドは近くの清浄花を摘み取る。俺が摘み取った清浄花と同じ様に光を失ったその花を彼女はおもむろに口にするのだった。
「光を失っても清浄花には薬効作用は在ります。疲労した体を癒したり、傷口を治したり、魔力を補ったりと様々な効力が在りますのでアナタも一つ食べておいた方が良いですよ」
そう言われるがままに俺は手に持った清浄花を口にほうばった。
味は……甘くも無く、苦くも無く、紙を食べている様な感覚だ。
だが不思議と体の疲労が無くなっていくのが感じられる。疲労回復などの効果は本当らしい。
ここから無事に出られるかは判らないが、とりあえず目的の清浄花を腰の入れ物一杯になるほど摘んだ。
それから俺はメイドと少し離れた場所に座って彼女に聞いた。
「なんで蟻達はこれを怖がっているんだ?」
「魔物の弱点は光なんです。太陽の光、月の光、星の光。闇の住人である魔物はその光を嫌っています。それは自分達の力を弱めるからです。この清浄花の放つ光は太陽の光と同じ効力を持ったモノなので魔物にとっては近寄り難い存在。だから魔物はこれ以上は近寄って来ないのです」
「近寄って来ないのはわかったが、ここでずっと助けを待つのか? そもそもこんな場所に人が来るのかよ?」
「そうですね……助けが来る可能性は低いでしょう。だからといって戦って勝てる勝算が在りません」
俺は溜息を吐きながら上を向いた。目の前には大量の蟻と巨大な蟻が一匹。逃げ場は何処にもなく、ここにいた所で助けが来る保証も無い。ここで勝ち目の無い戦いを挑んで死ぬか、何もせずに飢え死にするか、そんな選択肢しかない訳だ。ただのドア修理から良くもこんな事になったものだと自分に呆れていた。
「なあ、何か方法は無いか?」
「そうですね……先ほども言った様にクイーンアントを倒せばここから脱出することは可能なはずです」
「デカいのを倒した所で小さい蟻共をどうにかしないことには、どうにもならないだろ?」
「生き物の本能的習性は種の存続に在ります。それは蟻も同じ事。蟻の生態系は一匹の雌蟻と大量の蟻が群れをなして生活しています。雌蟻は卵を作り、その他の蟻は食料の補給、外敵の排除、卵の管理などの決められた雑務をするのです。そんな中、卵を作る雌蟻が死んだ場合、他の蟻達は今居る世代で絶滅してしまいます。絶滅しない為に蟻は雌蟻を守り、守れなかった場合は別の雌蟻を守ります」
「別の雌蟻って……二匹もこんな奴が居るのかよ……」
「いえ、正確には次に生まれて来る雌蟻の卵を守るのです」
「種の存続の為に卵を守りに行くって事か……本当にうまくいくのか?」
「蟻は雌蟻に忠実な生き物です。なので雌蟻を守る事を全ての行動を優先して動いています。だから、雌蟻を殺された蟻達はきっと卵を守る為の行動に出るはずです」
「でも、よくそんなことを知ってるな。冒険者なのか?」
「いいえ、私はメイドですよ」
そう言って彼女はこんな状態でも表情一つ変えず冷静で居た。
この状況で何を思い、何を考えているのかは理解できない。だがこの現状を打開するには彼女の協力は必要だろう。そう思いながら俺は打開策を模索する。まずは現状で使える物を考えた。
「剣に松明、鉈に清浄花……他に使えそうなモノは何かないか?」
「使えそうなモノですか……あとは魔法位ですかね」
「なんだよ……魔法が使えるならさっさとあの怪物を倒してくれよ」
「魔法と言っても身体強化の魔法ですので、魔法による遠距離攻撃は不可能です」
「身体強化……だからアンタはそんなに強いのか……」
彼女の凄まじい戦闘能力はその魔法による物なのだろう。
「じゃあ、その身体強化の魔法であの化け物を倒せないのか?」
「身体強化魔法に全力の魔力を供給すれば、クイーンアントの頭を削ぎ落すには十分過ぎる程の力を手に入れられると思います。ですが、その攻撃が届くかどうかが問題です」
「周りの蟻が邪魔なのか?」
「それも在りますが。クイーンアントの頭上まで跳躍出来るかが問題です」
「出来ないのか?」
「人並み外れた跳躍は可能ですが、あの巨体の頭上まで飛べるかどうかは……もしも跳躍距離が足りなければそこで終わりです」
「なら、そこまで飛ぶことが出来れば仕留められるのか?」
「ええ、もちろんです」
クイーンアントの頭上までの跳躍、そして下に蔓延る無数の蟻達。これをどうにかすれば俺達はこの場所から生還出来るに違いない。
「跳躍距離を補う方法なら一応在るぞ……」
俺がそう言うと、メイドは首を傾けて俺を見るのだった。
「手の平を踏み台にして飛ぶのはどうだ?」
いつか見た映画の知識だ。高い壁に侵入する時、一人は手の平を踏み台にして、もう一人はその上に足を乗せる。踏み台は手に乗ったもう一人が飛ぶと同時に手に力を入れて跳躍距離を延ばすという手法だ。
「なるほど」
「でも、問題が在る。まず最初にアンタには俺を上へ飛ばす力が在るかもしれないが、俺にはそんな力は無い。次に踏み台は地上で蟻の相手をしなければいけない、更にもし俺が飛んだとしても頭を切り落とせる力が在るかどうかわからん」
「なら、身体強化魔法でそれを補いましょう」
「俺に魔法を掛けるって事か?」
「そうです。それならばクイーンアントの頭を切り落とす事が可能でしょう。ですが全力の身体強化魔法の使用限界は私一人で約1分程……私とアナタに身体強化の魔力供給をするとなるとその半分の以下の時間しか持ちません。その間に決着をつけなければ残された選択は「死」のみです」
「それでも……ここで野垂れ死ぬよりましなんじゃないか?」
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