第12話
雷斧亭に戻るとまだまだ客足は少なく、席に座る客は数人しか見て取れなかった。
俺はふらふらとカウンター席の方へ向かうと、途中でローラさんが心配そうな声で俺に話し掛けて来る。
「えっと……大丈夫ですか?」
「ええ……ちょっと色々ありまして……」
そう言いながら俺はローラさんの横を通り過ぎてからカウンター席へと座る。
俺が席に座ると同時にカウンターの向こう側で朝からビールを飲むマスターも心配そうな声を俺に掛けてくるのだった。
「どうした?」
「そのですね……清浄花って薬草を用意しなくちゃいけないんですけど。これって何処かで取れたりします?」
雷斧亭のマスターは元冒険者。それならば薬草の入手方法の一つや二つ知ってるはずだろうと思い尋ねてみた。
「清浄花? なんだ誰か怪我でもしたのか?」
「ええ……今さっきドアの修理を頼みに行った大工の爺さんが腰を痛めてて、清浄花を使った湿布が欲しいそうなんですよ……」
「なんだ、あの爺さん腰痛めたのか。それで人助けとはお前も物好きな奴だな?」
「マスター……。俺もそんな事したくないですけどね。死にかけの爺さんと今にも泣きそうな孫の姿……あれを見て断るなんて出来ませんよ」
「なるほどな……清浄花なら、北門を出て北西の森の洞窟に生えてるらしいぞ」
「なんだ、思った以上に近くに在るものですね」
銀貨五枚も取る物なのだから希少な薬草だと思ったがそうでもないらしい。
「なら、昼の仕事が終わったら午後にでも取りに行ってきますね」
「そうか、なら……」
そう言ってマスターは店の奥へと向かって行った。
そしてしばらくすると剣と先端に布の撒かれた棒を手にして俺の横へと来る。
「洞窟に行くならこれを持っていけ。剣と松明だ」
「……えっ?」
マスターは無理矢理、持ってきた剣と松明を持たせてカウンターの中へ戻り酒を飲み干す。俺はなぜこんな物が必要なのか理解できないでいると、マスターがこう話を続ける。
「北西の森には魔物が居るからな、魔物が出てきたらそれでキッチリ殺すんだぞ」
そうマスターは淡々と説明するのだった。そして何事も無かったようにマスターは店の奥へ向かおうとしたので、俺は全力でそれを呼び止めた。
「ちょっと待ってマスター!? えっ? 魔物? 魔物を殺す? 魔物なんて居たの!?」
マスターは呆れた顔を俺に向け、一つ溜息を吐いてから言う
「当たり前だ。ドラゴンや悪魔、天使に神様だって居るぞ」
「そんな馬鹿な……」
「お前は異世界人だから知らないだろうが、世界を見て周って色々厄介事に首を突っ込むと、そういう奴らと戦ったりするんだコレがまた……」
「……」
俺はマスターの言葉を半信半疑で聞いていた。なんだよ……この世界……とんでもねぇ化け物揃いの危険な世界なの? もっと平和でファンシーな世界かと思ってたんだけど……。
「まあ、普通の冒険者じゃそんなのに在ったりはしないからな……お前も一生に一度在るか無いかだろうよ」
そう言ってマスターは店の奥へと入って行く。
俺は剣と松明を近くに立て掛け、深い溜息を吐くことしか出来なかった。
「いらっしゃいませ! 雷斧亭へようこそ!」
俺がうなだれていると店の入り口から元気の良いローラさんの声が聞こえる。
どうやら客が来たようだ。俺も彼女を見習ってそろそろ仕事をするかと思い、カウンター席から立ち上がって新しく来た客の方を見た。
「すみません。わたくし、人を探していまして……」
そう言って何処かで見覚えの在るメイド姿の客人と俺は目が合った。
「ああ、あの方です」
そう言って黒と白のメイド服のロングスカートを揺らしながら、メイドは俺の方へ向かって歩いてくる。
白髪のポニーテール、腰に黒い刀身の鉈を差した無愛想な顔をしたメイド。たしか、エルヴィンの屋敷に居たメイドだ。
亡き主の報復にでも来たのか知らないが、関わるとろくな事がなさそうなので俺は一定間隔の距離を取りながら店の中を逃げ回った。
逃げ回る俺を歩きながらメイドは追いかけてくる。俺は一定の距離を保ちながら店の中を大きく円を描く様に逃げまわる。そこに店の奥から戻って来たマスターがその珍妙な光景を見ながら言うのだ。
「何やってんだお前ら?」
「助けて! マスター! 殺される!」
「は?」
何を冗談言ってるんだこの馬鹿という顔で俺の事を見るマスター。それはそうだ。この場で彼女と俺の関係性をまともに理解しているのは逃げ回り、追いかける当事者達だけなのだ。それにエレナの一件を簡単に口外することだってできない。
――こうなったら仕方ない……。
俺は上手い具合に店の出入り口の前まで逃げ、そのまま外へと出て行った。
マスターが「おい! 何処行くんだ!」などと大声を上げていたが、今はそれどころではなかった。
前回マスターに教わった追っ手の撒き方を実践した。
雷斧亭を出て北門へ、そこから人で込み合う中央通りを抜けて南門へ、そして一周する形で俺は雷斧亭に戻った。俺は息を荒げながらカウンター席の前に座る。
「お前……何がしたいんだ?」
そんな俺を見て、マスターは呆れた様子で話し掛けてくるのだった。まあ、事情を知らない人から見れば、俺が馬鹿みたいな行動をしているのはわかっている。だが、逃げなきゃあの鉈の餌食になりそうな予感しかしなかった。
――でも、なんであのメイドは俺を探してたんだ?
そう思いながら、俺は雷斧亭の出入り口を見る。
どうやら完全に撒いたらしい。安堵を溜息を一つ吐いた途端、横から女の声が聞こえてきた。
「何を怖がっているのか知りませんが……私はアナタに対して危害を加えようとはしませんのでご安心ください」
俺が視線を横に向けるとそこには俺を追いかけてたメイドの姿在った。
「いつからそこに!?」
するとメイドの代わりにマスターが答えた。
「お前が入って来てすぐに入って来てたぞ」
「なに……完全に撒いたと思ったのに……」
「一度見失いましたが、どのみちここに戻って来ると思っていましたので、店の前の物陰でアナタが戻って来るのを待って居ました」
「なんだと……」
尾行とは、対象者の動向や住んで居る場所などを対象者の後を追って調べる事だ。
つまり対象者の居る場所が特定されている今。尾行を撒いてに目的の場所に舞い戻っても、結局居場所が特定されている訳だから意味がないという事を理解した。つまり、逃げるならエレナの家に戻るべきだった。
まあ、彼女の言葉が本当なら逃げる必要は無いだろう。それにマスターも居る事だし、何か在っても大丈夫だろう。そう思って俺はメイドと話を続ける。
「で、用件は何だ?」
「はい、エレナ様の居場所を教えて頂きたいのですが?」
「それは断る」
「なぜでしょうか?」
「どう考えたって危ないだろ……」
「危ない?」
彼女の主を殺したのはエレナだ。その殺した主に仕えるメイドをエレナに合わせて「主の仇!」なんてされたらたまったもんじゃない。
「わたくしは先ほども申し上げた様に、エレナ様に危害を加えるつもりは一切無いのです。ただエレナ様の元でメイドとしてお仕えしたいだけなのです」
「それもおかしな話だな……」
「はい、アナタが警戒するのは判ります。エレナ様がエルヴィン様をこ……」
「コーヒー!! コーヒーってこの世界に在るのかなぁ~!! マスター! コーヒーって在ります?」
「どうなされたのですか? 突然大声を出して……」
「ちょっと来い……」
俺はメイドの腕を掴み、とりあえず人の少ない二階へと上る途中、マスターに言う。
「すみませんマスター。ちょっと二階でこのメイドと話が在るので部屋借りますね」
「まあ、いいが……」
俺は二階に上がり一番奥の空き部屋に入る。そして振り返ってメイドに言う。
「いいか……あの屋敷での一件は口にするな……」
「そうですね……私も少し軽率でした。ではエレナ様は今どちらに?」
「だから、教えないって言ってるだろ?」
俺がそう言うとメイドは少し考えてこう質問した。
「ところで……アナタとエレナ様の関係は一体何なのでしょうか? 屋敷で初めてお会いした時は「連れ」と表現されておりましたが、ご友人か何かで?」
「まあ、友人ってところだな……たぶん」
「そうですか……残念です。そこまで深い関係で無いのなら軽く拷問をして聞き出す事が出来たのですが……」
――えっ、怖い……友人以外の答えだったら拷問されてたのかよ俺……。
とにかく今の言葉から危険な女だという事は理解した。だから俺は彼女にこう言った。
「何が目的か知らないが、俺にエレナの居場所を聞いても無駄だ。だからそれ以外に用件が無いなら帰ってくれ」
「そうですか……わかりました」
そう言ってメイドは少し何かを考えてからそう言った。
話が終わり俺はドアを開けてメイドが外に出る様に促す。そしてメイドと俺は一階へと向かうのだった。
カウンター席の方ではローラさんとマスターが何か話をしていたので、俺はメイドが出入り口の方へ向かって行ったのを確認した後、二人の話に加わった。
「すいません、色々……」
俺はそう言いながら困った表情を浮かべてマスターとローラさんに向けて言った。
ローラさんは何が在ったのか気になった様子で俺に尋ねて来る。
「何を話してたんですか?」
「まあ、色々と……」
そう言うとローラさんは少し膨れた様子でこう言うのだった。
「むぅ……今日のシンジさんはお話をはぐらかしてばかりです! もっと私の事を信用してくれてもいいじゃないですか!」
「信用はしてますよ……でも、信用の問題じゃないんですよコレは……」
そう言うとローラさんは少ししょんぼりした様子でその場を去って行った。
するとマスターが横からこう聞いてくる。
「なんだ? 女には話せない事か?」
「誰にも話せない秘密って在るじゃないですか……それですよ……」
「まあ、そうだな……言いたくない事の一つや二つ在るもんだからな。それを興味本位で聞くのも野暮ってもんだ」
そう言ってマスターは理解してくれた様子で仕事に戻る。
もうすぐ昼の忙しい時間帯になる頃だろうと思い、俺も動き始める。そんな中で聞きなれた声の話し声が聞こえて来た。
「あの……聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「その……二階でシンジさんと何のお話をしてたんでしょうか?」
「それは……そうですね。個人的な話ですね」
「個人的な……それはどんな?」
「余り公には口外出来ない出来事ですので……」
視線を向けた先にはローラさんと帰ったと思ったメイドが席に着いていた。
ローラさんはメイドの言葉の意味を理解していない様子で首を傾げている。
俺はすぐさまメイドの座る席に近寄って声を上げる。
「何やってるんだ。用件がないなら……」
「ここは酒場でしたね? なので食事を頂こうかと思いまして……いけませんか?」
そう言ってメイドはローラさんに注文を告げる。
「そうですね……サンドイッチなどありましたら、それを」
「は、はい。ありがとうございます……」
ローラさんはメイドの注文を受けた後、悩ましい表情を浮かべながらマスターに注文を伝えに行くのだった。そして残った俺はメイドにこう言う。
「食べたらすぐ出て行けよ」
「はい、勿論そのつもりです」
だがそう素直にいう事を聞く筈も無く、彼女はチマチマとサンドイッチを口にして雷斧亭に居座り続けるのだった。
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