第10話
月明かりが照らす夜、ベッドの上で俺は寝付けずに居た。
エレナが人を殺す事を止められなかった。それが彼女の望んでいた結果なのだろうが、それは間違っていると今でも俺は思っている。だが間違っていると思うだけで、結局は殺させてしまった。だが、俺がどんなに考えた所で何も変わらないというのもまた事実だった。彼女は今どんな気持ちなのだろうか。人を殺すという事はどういうことなのだろうか。そんな事を考えてしまって眠れないでいる。
寝付けない俺は取りあえず部屋を出る事にした。ベッドから体を起こして広間へと続くドアへ向かう。そしてドアを開けると、そこには暗闇の中で膝を抱えてソファーに座るエレナの姿が在った。
彼女も寝付けないのだろう。そう思いながら俺は彼女に声を掛けてからいつもの様に反対側のソファーに座った。
「寝れないのか?」
「ええ……アナタも?」
「まあな……」
「そう……」
そして少し間を置いてから、エレナは突然おかしな事を口走る。
「ねえ、寝れないのなら、性行為というモノをしてみないかしら?」
「は? お前……大丈夫か?」
「大丈夫に決まっているでしょ? 本で見た事が在るわ。性行為をすると適度に体が疲労して、その後はよく眠れるって……だから、どうかしら?」
そう淡々と説明口調で彼女は言うのだった。
「どうかしらって……そんなの出来る訳ないだろ」
「私が相手だと不満なのかしら?」
「不満って訳じゃ……逆にお前は俺で満足なのかよ?」
「別に不満ではないわ」
そう言うと彼女は再度確認する。
「それで、どうかしら?」
「どうもこうもない、今のお前は正気じゃない、とりあえず部屋で横になってろ」
俺の言葉を聞くとエレナは溜息を吐きながら立ち上がる。だが彼女は部屋に戻るのではなく、外へと続くドアの方へと足を向けるのだった。
「おい、何処に行くんだよ? そっちは外だぞ?」
「わかってるわ、そんなこと……」
そう言ってエレナはドアの手前で振り返って俺に言う。
「アナタが私としてくれないなら、街の酒場にでも行って適当な男とするだけよ」
俺はその言葉を聞いて立ち上がる、そして彼女の腕を掴んでこう言った。
「だからやめろって言ってるだろ……そんな事したら後で後悔するって……」
「後で後悔したって別にいいわ……私は今眠りたいの……」
「他の方法だって在るだろ……」
「なら、その方法を今すぐ試してよ……何か在るの?」
「それは……」
「ないでしょ? だから私は最初にアナタに頼んだの。でもアナタは断った。それなら別の誰かを探すだけよ」
俺はその言葉を聞いて、少し間を置いてから一言呟く。
「……わかった」
「そう……私の部屋は散らかっているから、アナタの部屋でしましょう」
そう言ってエレナは俺の腕を払って、俺の部屋の方へと向かって行く。俺は重い足取りで、彼女の後ろをついて行くのだった。
エレナは部屋に入るとすぐにベッドの上に座る。そして仰向けに倒れた。
「さぁ、早くして頂戴……私を寝かして……」
だが俺はまだコレが間違っていると思っている。だからこそ入り口で仰向けになる彼女の姿を見ながら、立ち尽くしているだけなのだ。だが、それをエレナは急かす。
「早くして……」
俺はベッドで仰向けになる彼女の前に立つ。そして、彼女に体重を掛けないよう四つん這いで彼女の上に覆いかぶさる。こんな状況でもエレナの顔はいつもの様に冷静だった。俺はこれでいいのかと困惑した表情を浮かべ、俺は彼女に確認した。
「本当に……いいのか?」
「ええ、好きにしていいわよ……」
そう言って彼女は目を閉じた。俺は少し考えてから行動に移した。
ベッドに置いた右手をゆっくりと彼女の頬の方へと動かし、指先で思いっきり……。
「アナタ……何をしているの?」
「見てわからないか? 頬をつねってるんだ? そんな事もわからなくなったか馬鹿女」
「痛いから離して頂戴」
「離す代わりに約束しろ、馬鹿女。自分の身体を安く売ったりしませんって」
「私が何をしようと勝手でしょ、アナタに関係ない」
「なら、仕方がない……」
俺はもう片方の空いた手で、エレナの頬をつねる。
「アナタ……」
頬をつねられたエレナは怒りの視線を俺に向ける。だが、俺は上に乗っかりこの女は抵抗できない状態だ。こんな状態でいくら睨まれても怖くなってない。だから俺はこう続けた。
「さあ、言え、馬鹿女! 自分の身体を簡単には売らないと!」
圧倒的優位、覆る事の無い絶対的優勢、今までエレナがしてきた事のお返しと言わんばかりに俺は高笑いを上げながらそうエレナに言うのだった。
「放しなさい」
「はっ、約束するまで誰が放すか……」
エレナがそう言葉を言った途端、無意識に俺は両手を宙に上げ、いつの間にかお手上げのポーズをとっていた。
何が起こったのか理解できないで居る俺は、両手に視線を向けた後、凄まじい殺気を放つ、俺の下に居る生き物を見てしまった。
「さて……どうしてくれようかしら……」
そう言いながら殺気を放つエレナはにこやかな笑みを浮かべていた。
俺はそれに恐怖しながらも、まだ俺が上に乗っかている以上彼女は身動きとれないと思いこう言った。
「ふっ、まだだ……何故か知らんが両手を放したのは計画通り……お前は俺が上に乗っかている以上、お前は何も出来な……」
「退きなさい」
俺の身体はまた無意識に動く。俺はエレナから退き、ベッドの近くに立った。
これは非常にまずい。そう思った俺はこの場から本能的に撤退を判断し、走り出そうとする。だが……。
「動くな」
そしてエレナは続けて俺に命令する。
「ここに座りなさい」
俺の身体はエレナの言う通りの指示に従い、エレナが指さす床に正座して座る。
「さて……誰が馬鹿女だったかしら?」
「違うんだ、これはアレだ……」
「何かしら?」
「アレが、アレで、こうなってだな……」
「意味がわからないわ……とりあえず拷問を始めましょうね」
その後彼女は天使の様な笑顔で悪魔の様な所業を行うのだった。
ベッドの上でいつもの様に目が覚めた。
今まで見ていたことは全て夢なのか。途中から途切れた記憶を思い返そうとしても、思い出せない。そんな曖昧な状況で俺はいつもの様に広間に向かった。
広間に向かうとエレナがいつもの様に本を読んでいた。そして、俺に気が付くと嬉しそうな顔をしてエレナはこう言って来る。
「昨日は楽しかったわね」
昨日、それが何のことなのか理解できなかったが。その言葉がとても恐ろしい事に関係しているのは本能的に理解できた。
「そう言えば……これからアナタはどうするの?」
「どうするって……そりゃ雷斧亭に……」
「そうじゃないわよ。アナタが元の世界に戻る為に何をするかって事よ」
「ああ……ならこの前、マスターが魔導師の情報を何処かから聞いてくるとか言ってたから、まずはそれを待ってる」
「そう……それは良かったわね」
「まあな。じゃ、俺は行くからな」
そう言って俺はいつもの様に雷斧亭へと向かおうとする。
だが今日は珍しく彼女が俺を呼び止めるのだった。
「ねえ……」
「なんだよ?」
「私も……アナタが元の世界に戻れる様に手伝ってあげるわ」
「そうか、ありがと。んじゃ、行ってく……」
「アナタ……それだけ?」
「それだけって……何が?」
「もっと喜んでも良いんじゃないかしら? 私は珍しくアナタの為に動いてあげると言っているのだから……」
「なんだよ、今まで俺の為に……そうだな。俺の為じゃなくてお前自身の厄介払いの為だったか……どうしたんだ? やっぱりまだおかしいのか?」
「おかしくないわ、もういい。さっさと酒場であの子と一緒に働いてきなさい、この馬鹿男」
何故か彼女が不機嫌になっていたがそれを気にせず俺は外へ出る。
そこで初めて俺は気が付いた。この前までは俺が彼女に声を掛けていたのに、今日は彼女から声を掛けて来た。少しばかり関係が進歩したのか、ちょっとした彼女の気まぐれなのかは知らない。だが何かが少しずつ前に動き始め出しているのを俺は微かに感じ取る。この先に何が起きるか判らないし、いつ元の世界へと帰れるかも判らないけれど……。けど今、俺はこの世界で生きている。
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