第9話

エルヴィン・レーゲルはエドウィン夫妻を殺した人殺しだ。

そんな噂話がエルヴィンの屋敷で働く使用人達の間で広まり、使用人から商会の商人達へ、そして世間一般へと噂は広がっていった。

その結果。彼の下で働いていた使用人達は殆ど辞め、エドウィン商会に所属する商人達はなるべく彼に近づかない様、エルヴィンは周りから距離を置かれる存在になっていた。

エドウィンの屋敷の使用人達がメイド一人を除いて辞めてしまった翌日、一人残ったメイドがエルヴィンの部屋に紅茶を運んで来る。その時エドウィンは彼女にこう尋ねる。


「メアリー。一つ聞いてもいいかな?」


「なんでしょうか? エルヴィン様」


紅茶をエルヴィンのテーブルに運んだ長い白髪を後ろで結わいたメイドは一歩下がり、銀のお盆を隠す様にしながら両手を前で組んで佇む。


「君はなんで辞めなかったんだい?」


人殺しと噂される男の元で働き続けるメイドをエルヴィンは不思議に思っていた。

だからその理由をエルヴィンは知りたかったのだ。


「私はメイドです。メイドとして、一番高いお給金を支払ってくれる方に仕えるのは当然の事ではありませんか?」


「それでも、人殺しの主人は気味が悪いだろ?」


「ご主人様がどんな人間でも私には関係ありません」


「そうか……」


「それでは、失礼いたします」


そう言ってメアリーは一礼してその場を去ろうとした。だがエルヴィンはメアリーの事を呼び止める。


「少し待ってくれ」


「はい」


エルヴィンは呼び止めたメイドを見て何かを考えた。そして、何かを決心した様子で彼女に話し掛けた。


「ちょっと話し相手になってくれないか?」


「はい」


「実は僕がエドウィン夫妻を殺したという噂は本当なんだよ……」


「はい」


メアリーは特に驚いた表情を見せることなく淡々とそう答える。


「なんで僕がエドウィン夫妻を殺したか、君に理由がわかるかい?」


「いいえ」


「僕はね、エレナちゃんと結婚したかった……その為には彼女にとって必要な存在にならなきゃいけなかったんだ。だから僕は彼女から全てを奪い取り、全てを奪い取った後に、僕が彼女から奪い取ったモノを与え、彼女は僕にとって絶対的に必要な存在になる筈……そう考えたんだよ」


エルヴィンがエレナにとって必要な存在になれれば、それは彼女と一緒に居る為の口実になる。そしてエルヴィンを必要としてくれるなら、結婚についても了承してくれると思ったのだ。


「最初はそんな考えが不意に頭に過っただけだった。実践するつもりなんてなかったんだよ。だってエレナちゃんから全てを奪うって事は、エレナちゃんの両親を殺す事なんだよ。それって僕の育ての親を殺す事でも在るんだ。そんな事をして幸せになったって……」


そう言いながらエルヴィンの瞳からは徐々に涙が溢れ出してくる。


「でも、このままじゃエレナちゃんと結婚する事ができない。それは彼女の言動から理解できた。エレナちゃんは僕よりも、本の方が大切で、彼女の両親さえいれば不自由なく暮らして行ける。そこに僕が干渉する余地は無い……だから僕はちょっとした賭けをしたんだ。僕が勝つ確率の極めて低い賭けにね」


そう言いながらエルヴィンはテーブルに置かれた紅茶に視線を向ける。


「エレナちゃんが屋敷の外に出かけている時。エドウィン夫妻に睡眠薬を混ぜた紅茶を二人に振る舞った。二人が眠った事を確認すると、僕は暖炉で燃える薪を種火として、部屋の隅に落として屋敷を出た」


「……」


「外に出た僕は門の前でずっと屋敷を見守ったよ。部屋の隅に置いた火種がどんな結果を招くのか……もしエドウィン夫妻が目を覚ましても、火種が燃え尽きても、僕はそれはそれで良かったと思ってた。でも結果は……僕が最初に望んだモノになってしまった。屋敷は全焼、エドウィン夫妻は炎に焼かれて帰らぬ人となった。僕は涙を流したよ……エドウィン夫妻は両親が死んだ僕を引き取り、息子の様に育ててくれた人だからね」


エルヴィンは涙を手で拭き取って続ける。


「その後は君の知っての通りだよ。両親を亡くしたエレナちゃんを僕は屋敷に迎え入れ、僕は彼女にとって必要な存在になろうとした。けれど彼女の両親を殺した事が知られ、周りにもそれを知られた。僕に残ったのは後悔だけだ」


メアリーは単調な受け答えでなく、無言でエルヴィンの言葉を聞くだけでなく、初めて疑問を口にした。


「なぜそのような話を私に?」


「真実を墓場まで持ち帰っても良かった……けど、誰かに真実を知って欲しかった。たった一人でも、僕が何を思い、何を感じ、何故そんな事をしたのか……そんな言い訳じみた話をただ聞いて欲しかっただけなんだ」


そう言った後、エドウィンは「ありがとう」と彼女に感謝の言葉を述べるのだった。




あれから約一年の歳月が過ぎた。

エルヴィンは全焼したエレナの両親の屋敷を元通りに建て直し、そこにメイドと一緒に住んで居た。

商会の仕事を毎日こなし、商談を成立させ、新しい市場の開拓など、彼は商人としての日々を送っていた。だが彼には商談の成功や新たな市場開拓などどうでも良かった。そんな事よりも、エレナが何処で、何をしているのかそればかり気になって仕方が無かった。

彼女が復讐を誓ってから約一年。エルヴィンの元に彼女は姿を現さない。

復讐の準備段階なのか、復讐を諦めたのか、全てを忘れて何処か遠くに行ってしまったか。それはエルヴィンの知る術は無かった。だからエルヴィンは商人や冒険者を使ってエレナの情報を探し始めた。

そして雷斧亭という酒場に長い黒髪の女を見かけたという情報を聞いたエルヴィンは、すぐさま腕利きの冒険者を一人雇って詳しい調査を依頼するのだった。


「君にはエレナちゃん……いや、エレナ・エドウィンという黒髪の女の子を探して貰いたい」


「人探し……まあ金さえ貰えれば何でもしますよ。居場所を探し出す、それだけで良いんですか?」


「居場所を見つけ、出来れば捕まえてきて欲しい」


「誘拐か……構いませんよ。方法はどんな手段を使っても構いませんか?」


「傷つけないでくれれば手段は選ばなくていい。とにかく僕の元に連れて来てくれればそれでいい、後は僕がどうにかするからね」


「では仰せの通りに……」


そう言って冒険者は一礼して部屋から出て行く。そして入れ違いに入るメイドのメアリーはエルヴィンにこう尋ねた。


「ここに無理矢理招いてどうするのですか?」


「そうだね。そろそろ彼女に僕の事を殺して貰うことにするよ」


「そんな事をしたら私のお給金はどなたから支払って貰えればよろしいのでしょうか?」


「そんなにお金が欲しいならメイドなんて辞めて、商人にでもなった方が良いんじゃないかい?」


「私はメイドです。命令された事を要領よくこなす事しかできない人形ですから、自分の考えで商売をすることなど出来るはずがありません」


「自分の給金を心配する人形とはこれまた珍しい。そうだね……次の奉公先はエレナちゃんのメイドにでもなると良い」


「エレナ様のメイドですか?」


「また僕の自分勝手な考えだけど……僕の代わりに彼女の傍に居てくれないか?」


「……」


「勿論、ちゃんとお金は払うよ」


そう言ってエルヴィンは丸めた一枚の証書を取り出し、メアリーに手渡した。


「これは?」


「エルヴィン商会から僕は、商会利益の百分の三程度のお金を商会責任者として毎月貰っていてね。その証書は僕が死んだと同時に効力が切れて白紙になる。そこで僕はその責任者の権利を他人に譲った。その条件として、商会利益の百分の一程度を有能な商人に、そしてもう百分の一割をこの証書に記載された人物に、そういう契約を交わしたんだよ」


メアリーは受け取った証書に目を通す。証書にはエドウィン商会の利益の百分の一を毎月得る事が出来ると書かれており、受取人の名前の欄は空白だった。


「商会はこの話を快く承諾してくれたよ、なんせ商人達の負担が減るんだから大喜びさ。これさえ在れば毎月金貨十枚は君の給金として入ってくる。これで僕のお願いを聞いてくれないだろうか?」


「これはメイドが受け取るお給金としては申し分無い額です。ですのでエルヴィン様のご命令を承知したしました」


そう言ってメアリーは証書を懐に仕舞い、エルヴィンに言う。


「ですが、よろしいのですか?」


「何がだい?」


「エルヴィン様が殺された後、私は約束を守らずにこの証書を使う可能性が在るのですよ?」


「その時は、その時さ……最初からコレは僕にここまで仕えてくれた君への対価。エレナちゃんを見守って欲しいって言葉はちょっとした思い付きだよ。だから僕が咄嗟に思いついたお願いを聞くか聞かないかは好きにしてくれ」


「かしこまりました」


「さあ、もうお昼だ。今日は最後の食事になるかも知れない。メアリー、飛び切り美味しいモノをこしらえてくれ」


「私が調理してよろしいのですか?」


「勿論、ちゃんといつものシェフを呼んでくるんだ。君はエレナちゃんに殺される前に僕を殺す気かい?」


「かしこまりました」






エルヴィンは商談でよく使う二階の広間で座って待って居た。

するとノックの後にドアが開き、入ってきたのは彼が一年待ちわびた女性の姿だった。

一年で一層美しくなった彼女の顔を見てエルウィンは心の底から喜んだ。だがそれを表情に出してはいけないと思いながら、エルヴィンは来客したエレナに話し掛ける。


「やあ、久しぶりだね。エレナちゃん。一年も見ない間にとても綺麗になった」


「ええ、久しぶりね。アナタは一年経っても相変わらず平凡な顔付きね」


エルヴィンは彼女の性格も変わっていないと苦笑いを見せながら、話を続ける。


「それで、何の用件かな?」


「そうね……さっさと終わらせましょう」


そう言うとエレナは革袋から一冊の本と縄を取り出した。左手には開かれた本、右手には縄。そして彼女は呪文を唱える。


「我が眼前の敵を捕縛せよ、ヴュルゲン」


そう唱えた後、エレナは右手に持った縄を前へと投げ捨てる。すると縄はまるで蛇の様に素早くエルヴィンの手、足、胴に絡みつき椅子に縛り付けた。身動きの取れなくなったエルヴィンはその一瞬で何が起きたのか理解できなかったが、彼女持つ本と彼女が唱えた言葉からコレが魔法によるモノだと認識した。

身動きが取れないエルヴィンは一瞬驚いた表情を浮かべた後に聞いた。


「魔法……凄いね、エレナちゃん……それで、これからどうするんだい?」


エレナはエルヴィンを縛り付けた椅子の目の前に立ち、革袋の中に本を持った手を入れ、中で一本のナイフと交換した。ナイフを手にしたエレナは革袋をすぐ近くに置いてからエルヴィンにこう言う。


「アナタ……覚えているかしら? アナタが私のお父様とお母様を殺した時の事を……」


そう言いながらエレナは手に持ったナイフの先端を、身動きの取れないエルヴィンの手の甲にゆっくりと近づける。そしてゆっくりと手に持ったナイフに力を入れた。

ナイフの先端は徐々にエルヴィンの肉に食い込み、激痛が走る。叫び声をあげるエルヴィンを無表情で見るエレナは、ナイフが沈み切るまで力を入れ続けた。


「まだ、片手よ? そんなに叫び声をあげてたら最後まで持たないわよ?」


そう言ってエレナは沈み切ったナイフを引き抜き、もう片方の手の甲に同じようにナイフを刺し込む。

エルヴィンは再度、叫び声を上げる。コレが自分に対する罰であると思いながら彼は、痛みに耐えようと必死に叫ぶ。

両手の甲をナイフで貫かれたエルヴィンは荒い息を上げながらも、まだ喋るだけの余裕が在った。


「これで終わりかい? 僕への復讐心はそれだけだったのかな?」


エルヴィンはエレナに安い挑発した。彼女には自分を苦しめる権利が在る。そしてエルヴィンを苦しめた分だけ、エレナはエルヴィンの叫び声を罪の意識と共に、一生消えない記憶として刻まれ、彼女の記憶の中で永遠に存在する事ができる。彼はそう望み、愛しい彼女から与えられる死をもってこの人生に幕を下ろしたかったのだ。


「勿論……まだ始まったばかりでしょ?」


その言葉の後に聞こえるのはエルヴィンの叫び声だけだった。

エレナはエルヴィンの身体をナイフで刺し、刺した傷口を広げる様に動かす。

エレナは飽きるまでエルヴィンの叫び声を聞きながら、ナイフを使ってエルヴィンの身体を傷付け続けるのだった。


「あら、死んだのかしら?」


痛みに耐えられなくなったエルヴィンは一瞬気を失っていた。だが、すぐに目を覚ましてこう言った。


「いや……まだ……死んでないよ……」


エルヴィンはこんな状況になっても笑っていた。絶望的な状況で、苦痛から逃れられない状況で、彼は笑っていた。ここまで来たら後は死ぬだけだ、もう終わりは近い。そう思っていた。だが……。


「そう……ならもうこれで終わりにしましょうか……」


「そうだね……君が満足したのならそれは良かったよ……」


「ええ、もう満足よ。だから、アナタを殺さないであげるわ」


その言葉を聞いた瞬間、エルヴィンの形相は突如にして変わった。


「なんで……なんで殺さないんだ……」


彼は彼女に殺される事。それだけを願っていたのに、今更になって殺さないという言葉を聞いて動揺を隠せなかった。エレナはエルヴィンの言葉にこう返答する。


「何処かの馬鹿がこう言ったの。人を殺すなって……だから私はアナタを殺す事をやめる事にしたわ」


「なんで……君は人の言う事を素直に聞く子じゃないだろ……自分の信念を持って、自分の価値観で、自分が正しいと思った事を……」


「アナタへの復讐は果たしたわ、十分にね。だから命を取るまではしない……アナタはアナタの人生を、私は私の人生をこれから歩んで行くの……それに、私には新しくやる事ができたの……だからアナタに構っている時間はないのよ」


「ふざけるな……。ふざけるな。ふざけるな! ふざけるな!!」


そう言ってエルヴィンは怒りを剝き出しにして怒声を上げる。


「復讐は僕を殺すまで続くんだ! そうじゃなきゃいけなんだ! 僕を許すだと!? ふざけるな! 僕は君の許しが欲しくて生きてた訳じゃない! 君の傍に一生居たいだけだったんだ! それなのに全てを忘れて自分達の人生を歩んで行くだって!? 僕はそんなこと許さない! 逃がさない! 絶対に!」


エルヴィンは傷付いた体で怒声を上げ、息を荒げて考える。

彼女がエルヴィンを殺す為に必要な復讐以外の理由を。


「そうだ……」


エルヴィンは大声を上げた後にエレナに言った。


「今、僕を殺さないと大変な目に遭うよ? それでもいいの?」


エルヴィンは不吉な笑い声を上げながら続ける。


「君の知り合い……君に人を殺すなって言った奴、まずはそいつを捕まえよう。次に君を庇った雷斧亭の店主とそこで働く女の子が居るそうだね? その二人も捕まえて……そして最後にエレナちゃんを捕まえる……。それで君の目の前でその三人を殺すことにしよう」


エルヴィンは高らかに笑い声を上げる。ここで生かされようとも、殺されようとも、もはやどっちでも良かった。だから彼は続けてエレナを挑発する。


「今、君には二つの選択肢が在る……一つは僕を殺して君を含めた四人を救う事。もう一つは僕を生かして君を含めた四人を苦しめる事。君はどっちを選択肢するんだい? まあ、君が選択する方は決まってるよね? ほら、早く殺してくれよ! エレナちゃん!」


エレナはその発言を聞き、エルヴィンの胸元にナイフを突きつける。

エルヴィンは自分の思惑通りに自分の事を殺そうとするエレナの姿を見て、冷静さを取り戻す。


「そう、それでいいんだ。君は僕の事を殺す。それでいい……」


だがエレナはどうにもエルヴィンの言動に納得が行かなかった。

なぜ、こうまでして死に急ぐのか。だからエレナはエルヴィンに聞いた。


「なぜ……アナタはそんなに死にたいの?」


「君が僕と結婚してくれないからさ……」


「じゃあ、今、私がアナタと結婚したら死ぬのをやめる?」


「その言葉は一年程遅いよ……君の両親を殺して、それを君に知られた時から僕は君に殺される事を望んでるんだよ……ずっとね」


「お父様とお母様を殺したことを悔いているなら、私はもう許したわ……」


「さっきも言ったろ。君の許しが欲しい訳じゃない。ただ君と一緒に居たいんだ……君の罪と共に、僕を君の記憶の中に居させてくれ……さあ、殺すんだ。僕が君の友人達に手を掛ける前にね……」


そう言ってエルヴィンは目を瞑り、彼女のナイフが胸を貫くのをじっと待つ。

エレナは彼を殺す事を決意した。それと同時に彼と過ごした思い出が走馬灯の様に思い出される。そして最後にエレナはエルヴィンに言った。


「子供の頃から、私はアナタの事が嫌いよ……だって私が本を読んでいる横でアナタが「好きだ」なんて言うんですもの……本の内容がちっとも頭に入ってこないのだから困ったものよ。私はただ本を読んで居たいだけだったのに、アナタが来ると邪魔ばかりする。だから私はそんなアナタが嫌いだった。でもね、それ以外は嫌いじゃなかったわ……」


「そうか……じゃあ今度から本を読んでいる君と出会ったら、その時は本を読む君の姿を黙って見守る事にするよ」


「そうね。そうしてくれると助かるわ」


そう言ってエレナは胸に突き付けたナイフを刺し込む。

エルヴィンは胸にナイフを刺されたのにも関わらず、彼は幸せそうな微笑みを浮かべて息を引き取るのだった。

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