第8話
カイスの街から北門を抜けて道なりに進んだ丘の上に、大きな屋敷が在った。
その建物は最近、商人達の間で良く話題に上がる人物が建てた屋敷だそうだ。
屋敷の主人は腕利きの元行商人で、今では自分達で立ち上げた商会を経営して莫大な財力を得ている。
立ち上げた商会の名前はエドウィン商会。エドウィンとレーゲルと呼ばれる二人が行商人時代に稼いだ金と培った人脈を駆使して立ち上げた、彼らの努力の結晶だった。
二人が立ち上げた商会はいつの間にか商人達の間では知らない者は居ないくらいに大きくなっていた。裕福になったエドウィンとレーゲルは各々結婚し、子供が生まれ、家庭が出来た。
エドウィンには母親譲りの黒い髪の女の子が生まれ、レーゲルには金髪の男の子が生まれた。そこでエドウィンとレーゲルはこんな約束を交わすのだ。
「ウチのエレナをお前のエルヴィンの嫁にしよう」
「そうだな、それなら商会の未来も安泰だ」
こうして生まれたばかりの二人の子供は親の意向で許嫁同士となるのだった。
エドウィンは本を使って沢山の知識を娘に与えようとした。本は人の知識を豊かにする、自分の娘は将来商人の嫁になるのだから沢山の知識が在って損は無い筈だと思いエドウィンは彼女に本を読む大切さを教えた。
対してレーゲルは息子に商人とは何かを教えた。人の使い方、商売の基本、商会の運営方法など、エドウィン商会の後継ぎとして育てられた。
そうやって二人の子供が成長していく中である悲劇が起きた。
新しい取引先の開拓と旅行を兼ねてレーゲル夫妻は船で旅をしていた。だがその途中、船が嵐に在って沈没。死体は上がって居ないが、生きて帰ったという報告もなく、死亡と判断された。
そして両親を亡くしたレーゲルの息子は友人であるエドウィンに引き取られた。
友人の息子で在り、エレナの婿なのだから、レーゲルの息子をエドウィンは実の息子の様に可愛がるのだった。
それからは何事も無く二人は無事成長した。エレナは母親に似て美人になり、エルヴィンは明るい好青年として商会を任せるられる程の商人としても成長していた。
そして年頃になった二人に結婚の話が持ち上がる。
「エレナ……そろそろお前も年頃だ。だから結婚を考えても良いと思うのだがどうだろう?」
「お父様、結婚というモノは愛し合う者同士が一生を添い遂げる覚悟を持つ事だと本に書いてあります。私にその様な方はおりません」
「エルヴィンなんて良いんじゃないか? 見た目も商人としての才能も文句無しじゃないか」
「お父様はなぜそこまで私とエルヴィンを結婚させたがるのですか?」
「それは……」
エドウィンは今は無き旧友の約束果たす為でも在り、エルヴィンが商会を繁栄させてくれる逸材だと彼は信じていた。だからこそ、自分の娘と結婚して欲しかったのだ。
だがそれは自分勝手な意見だという事も理解していた。娘の気持ちを無視した言葉だというのが理解できているからこそ、エドウィンは口ごもるしかなかった。
それを見たエレナは逃げる様にその場から立ち去って行った。
そして物陰からそんな会話を聞いていたであろうエルヴィンにこう言うのだ。
「残念だがエルヴィン……どうやら力にはなれないみたいだ」
「良いんですよお義父さん。自分でどうにかしてみせます」
そう言ってエルヴィンはエレナの部屋へと向かう。
「エレナちゃん。ちょっといいかな?」
「なにかしら?」
「その……僕じゃ駄目なのかな?」
「何がかしら?」
「結婚する相手として」
「……」
「僕は君の為ならなんでもする……美味しい食べ物も、綺麗な服も、君の大好きな本だって沢山持ってくる……だから僕と結婚してくれないかな?」
「エルヴィン……アナタは私の事を愛しているの?」
「勿論だよ! 僕はエレナちゃんの事を愛してる!」
「……」
「だから僕と……」
「残念だけど……私は愛してないわ。アナタの事を……」
「でも! 他に好きな人が居るって訳じゃないんだろ!? じゃあ、僕と結婚してくれたって……」
「今の私にアナタとの結婚は必要ないわ。必要ない事をする必要が何処に在るのかしら? それにアナタと結婚して得られるモノなんて何もないもの。まだ新しい本を一冊読んだ方が有益よ」
エレナにとって結婚とは愛する者同士が一生添い遂げる覚悟で、一生を共にする事だと思っている。だからエレナは愛していない者と結婚しようとは考えなかった。それが本によって与えられた正しい知識と信じて揺るがないモノだった。
「話が済んだのなら出て行ってくれるかしら?」
エルヴィンはその言葉に逆らう事が出来なかった。
だがエルヴィンはエレナを愛している。そして結婚したいと考えている。
エルヴィンに言い寄る女はいくらでも居る。見た目も商人としても優秀で、商会の跡取り候補の金持ちなのだから当然だ。だが、そんなモノに寄って来る女は彼にとって滑稽で矮小な生き物にしか見えなかった。そんな女より、彼はエレナという運命の相手を振り向かせることが何よりも大事だった。
だからエルヴィンは彼女にとって必要な存在になる事にした。
ある日、事件が起きた。
エレナがメイドと共に街へ新しい本を探しに行き、帰って来ると屋敷が激しい炎を上げて燃えていた。そんな屋敷の前で涙を流すエルヴィンが居た。
エレナは「お父様! お母様!」そう叫びながら燃える建物に向かおうとする所をメイドに後ろから押さえつけられ、次第に建物は全焼。屋敷の中に居たのはエレナの両親だけで、焼けた死体となって見つかった。
その後、エレナはエルヴィンの屋敷に迎え入れられる。エルヴィンの屋敷にはエレナの部屋が用意されていた。そしてそこに彼女は閉じこもった。
エルヴィンは閉じこもる彼女の部屋の前に食事や本、着替えを用意するがその全てを彼女は拒絶する。両親の死と向き合うのは時間が掛かる事だとエルヴィン自身もそれを知っていた。だからこそ彼は根気強く彼女が心を開くことを待った。
そんな日が数日過ぎ去った時、エレナは「お腹が空いた」と使用人に声を掛けたそうだ。それを聞いたエルヴィンは食事を持ってエレナが閉じこもる部屋に入っていく。
暗がりでエルヴィンは良く見えていないが、彼女の目は虚ろで光を失っていた。
「エレナちゃん……ご飯だよ……」
そう言ってエルヴィンはベッドの上で座るエレナに食事を渡そうとする。
だがエレナはそれを受取ろうとはしなかった。そして代わりにエレナはエルヴィンにこう言うのだ。
「食べさせて……」
「ああ、いいよ……」
そう言ってエルヴィンはエレナの近くに寄り添う様に座り、エレナの口にスプーンで食事を運ぶ。
「美味しいかい?」
「うん……」
その言葉は幼く弱々しかった。前までの毅然とした態度は無く、幼い子供と会話をしている印象だった。
そして数回、エルヴィンはエレナの口に食事を運ぶとエレナはそっとエルヴィンに寄り掛かる。
「ねえ、エルヴィン……」
「なんだい……エレナちゃん……」
「一つ……聞きたい事が在るの……」
「うん……なにかな?」
「なんでアナタは燃えた家の前に居たの? 家の中でもなく、商会でもなく、街でもなく」
「それは……家の中に居たら急に火が上がって……」
「火に気がついた時はどこに居たの?」
「その時は一階に居たよ。だからすぐに火に気が付いて……」
「じゃあ、その時お父様達は何処に居たの?」
「それは二階の広間に……」
「何故一階に居たのに、お父様がその時二階の広間に居たを知っているの?」
「それは……二階の広間で話をしていて、用事が在って一階に行ったんだよ」
「用事?」
「そうなんだ。使用人に紅茶を頼んだんだけど持ってくるのが遅くてね……だから厨房まで見に行ったんだ」
「その後に火事が起きたの?」
「みたいだね」
「なら、なぜお父様とお母様は逃げられなくて、アナタは逃げられたの?」
「さあ……なんでだろうね?」
「アナタが気が付いたなら、お父様もお母様も気が付く筈よ。それに炎が燃え広がるのにも時間が掛かるのだから、二階に居たって逃げる事はできたんじゃないかしら?」
「……」
「それに、アナタは火事に気が付いて一目散に外に逃げた。お父様とお母様を置いて……アナタはそんな人だったかしら? まだ火の手が広がっていないなら叫んだりして、危険を知らせるはずじゃない?」
エルヴィンは無言で彼女の言葉を聞くだけだった。
「アナタがお父様とお母様を殺したの?」
その問いにエルヴィンは何も答えなかった。そして無言でその場から逃げる様に去って行くのだった。
エルヴィンがエレナの両親を殺した。それを確信したエレナは、エルヴィンの屋敷から抜け出そうとした。
使用人達に見つからない様にこっそりと部屋から抜け出し、屋敷の外に出て、そこから門の前まで来た所で聞きなれた声に呼び止められた。
「待ってくれないか……エレナちゃん……」
エレナが振り向くとそこにはエルヴィンが立っていた。
「なにかしら?」
「ここから出て行ってどうするんだい? 君には行く宛てなんてないだろ?」
「行く宛てが無いからここに居ろと言っているのかしら?」
「そうだよ。僕が君の両親の代わりに食べ物や着る物、家に本も用意する。なに不自由なく暮らせるんだよ……だからここで一緒に暮らそう。幸せにしてあげるからさ……」
「お断りよ」
「なんでだよ……エレナちゃんは言ったじゃないか……必要になったら僕と結婚してくれるって……それなのに……それなのに……なんで……なんで一緒に居てくれないんだよ……僕はただ君と一緒に居たいだけなのに……なんで……」
「私はアナタと一緒に居たくないわ」
エレナの絶対的な拒絶。エルヴィンはその言葉を聞いてこう思う。彼女は僕と絶対に結婚してはくれないし、一緒に暮らしてもくれない。叶わぬ恋で在るならば、もっと別の形で彼女と一つになることにしよう。
エルヴィンはその方法を一つ知っていた。それは――彼女に殺される事だ。
人を殺せば毎晩、殺した人間の悪夢を見る。エルヴィンもそれを見ていた。それは永遠に忘れる事の無い罪として生涯その人の心に居続ける事が可能ではないだろうか。ならばエレナに自分自身を殺させれば、エレナの心の中で一生居続ける事ができるのではないだろうか? そうエルヴィンは考えた。
だからエルヴィンは笑いながらこう言うのだ。
「そうだ、エレナちゃん。僕が君の両親を殺した。ナイフで二人を刺し殺し、屋敷を燃やして火事を起こした。そうすれば君のお父様とお母さんは不幸にも火事に巻き込まれて死んだのだと思い込み、身寄りを亡くした君は僕を頼ってくれる。そういうシナリオだった……でも、思った以上に最悪な結果を招いてしまったみたいだ。でも、これで良かったんだ。僕にとって君の両親という存在は邪魔でしかなかったからね……」
「アナタ……最低ね……」
「そうだよ僕は最低だ……君は僕の事を殺したいほど憎いかい?」
「ええ勿論よ……同じ目に合わせてやるわ……絶対にね……」
「じゃあ、僕は楽しみに待ってるよ。君が両親の仇を討つその日まで……」
冷酷で憎悪に満ち溢れたエレナの言葉に対して、エルヴィンはそう言って笑顔で返すのだった。
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