第7話

黒いドレスを身に纏い、上半身が隠れるほどの白いシーツを被りながら、俺は枯れた木々の間を駆け抜ける。後ろからは俺の事を追いかけてくる男の足音が聞こえる。

とにかく全力で走っているが、持久走となると中々厳しいものが在った。

別荘からかなり離れたであろう森の中。そろそろ息が続かなくなってきた俺は、走りながらも近くを見回し、丈夫そうな木の棒を見つけた所で足を止める。

それと同時に後ろの足音も止まり、少し離れた所から追いかけて来た男が俺に声を掛けて来た。


「さあ、お嬢さん……ここら辺で追いかけっこを終わりにしよう。まあ、なかなか頑張った方だと思うけど……そういえば君の騎士ナイト様は何処に行ったのかな? 君を置いて逃げたのかい?」


そう言いながら男は勝利を確信した様子で饒舌に喋りながら一歩一歩と近づいてくる。


「これ以上の抵抗はよしてくれよ、君を傷つけないよう連れて帰るのが俺の仕事なんでね」


俺は近くに落ちている木の棒を拾って男の方を振り返る。


「なんだい? 諦めた訳じゃないのか?」


俺は男に正体を明かす為、上半身を隠していたシーツを地面に落として言ってやった。


「残念だったな」


男は驚いた顔をしていた。無理もない、こんな単純な作戦に引っかかってしまったのだから……。


「残念なのは君の方なんじゃ……」


男は生暖かい視線で俺の事を見つめる。うん、格好じゃなくてさ……作戦に引っかかった事を残念がってくれないかな? うん。

俺はすぐさま自分のいたたまれない格好を理解し、ドレスをその場で脱いで地面に叩きつけた後に言う。


「残念だったな!!」


「……」


男は無言で俺を呆然と見つめているだけだった。

そんな中、俺は木の棒を両手で握り剣に見立て男に向かって構える。

すると男は俺に対してこんな事を聞いてきた。


「まあ、格好はとにかく……さっきのお嬢ちゃんは何処だい?」


「アンタの雇主の所にでも行ったんじゃないか?」


「まあ、そうか……君の言う通り。行く場所は限られてるか……」


そう言って男は振り返り、その場を立ち去ろうとする。

俺の言葉を信じたのかどうかは知らないが、何にせよ簡単に引き下がるのはおかしいと思い、俺は男に声を掛けた。


「アンタ……俺を殺さないのか?」


「ん? 君は死にたいのかい?」


「いや、死にたくはない……」


「そうだろ?」


そう言って男はその場を去って行った。それはエレナ以外の標的は眼中にないと言った口振りだった。俺は安堵の溜息を一つ吐いてから、すぐさま次の行動に動き始める。





カイス郊外の南の森から、俺は遠回りをしてカイスの東門へと向かった。

あそこからここまで来るのにかなりの時間が掛かったが、ようやく雷斧亭に辿り着いた。中に入ると徐々に人が入って来ている様子で、店内はそこそこ賑わい始めていた。俺が来た事に気が付いたローラさんは心配そうな顔をしながら俺に近づいて来て尋ねて来る。


「大丈夫ですか?」


俺は荒い息を整えながらローラさんに尋ねる。


「エレナは?」


「エレナさんがどうかしたんですか?」


「ここに来てないんですか?」


「ええ……来てないですよ?」


雷斧亭に逃げ込めと言ったのに、あの女は別の場所へと逃げた……。いや、逃げるのではなく立ち向かいに行ったのだろう。彼女が「エルヴィンの屋敷に向かう」そんな事を言っていたのを俺は思い出した。


「えっと……じゃあ、エルヴィン……エルヴィンって言う奴の屋敷は? 何処に在りますか?」


「えっ……たしか北門を出て道なりに進めば大きな屋敷が在るので……」


北門を出て道なりに進んだ屋敷。その言葉を聞いた俺は雷斧亭を出て走り出していた。後ろからはローラさんの声で何か聞こえてくるが、今はそれ処ではない。

雷斧亭を飛び出し北門へ、そこから北へ真っ直ぐ道なりに進んだ途中の道。そこで見慣れた長い黒髪で黒ドレスを着た、片手に革袋を持つ女の後ろ姿が目についた。

俺は走ってその女に近づく、そして後ろから近づく俺に気が付いた女は振り返って驚いた表情を浮かべていた。


「アナタ……なんでこんな所に?」


俺は荒い息を整えながら返答した。


「お前こそ……なんでこんな所に居るんだよ? 雷斧亭に逃げ込めって言ったろ?」


そう言って俺はエレナの手を掴もうとした、だが彼女はそれを拒絶するように避けた。


「何かしら? いきなり」


「雷斧亭に逃げる。今からでもまだ間に合うだろ?」


「逃げてどうするの?」


「わからない。けどこの先に進んで人を殺すよりマシだろ?」


「私が何をしようと関係ない事じゃない?」


「ああ、お前が何をしようと関係ない。なら俺が何をしようとも関係ないだろ?」


「ふざけている場合じゃないのがわからないのかしら?」


「ふざけてなんかない……真面目に言ってる」


俺はそう言ってエレナの手を掴む。だが、彼女はその手を払って言う。


「雷斧亭に逃げ込めばゴードンさんとあの子が庇ってくれるでしょうね……でも、そうなれば迷惑が掛かるのは目に見えている事よ。それにアナタだって私に関わったから追っ手に追われたのよ? 私を差し出せばそれで良かったのに、女装までして囮になるなんて馬鹿みたいなことをして。それでもアナタが私に関わる理由は何? なんで私に関わるのかしら? どうせ他人同士なのだから見捨てても構わない筈でしょ?」


そうだ。エレナの言う通り、俺は彼女を見捨てたって構わないだろう。でも俺はそれを見過ごすことが出来ずに居る。それは何故なのだろう。彼女が人殺しは間違っていると見過ごせないからか? 彼女を見捨てるという罪悪感から逃れる為? どれも理由としては当てはまるだろう。だが、それが自分の正直な気持ちというのは違うと思う。俺は彼女を見て何を思ったのか……。


「俺はお前に傷ついて欲しくない……ただそれだけだ」


「だから、アナタには関係ないでしょ……私とアナタは他人同士なのだから」


「今はもう違う。俺とお前は友人同士だ」


「私はアナタの事を友人とは認めないわ」


「でも俺はお前を友人として認めてる」


彼女との出会いは奇妙な物で第一印象も最悪だ。勝手に俺を召喚して勝手に帰れと言う身勝手な女で、俺が見ているだけで気持ち悪いなどと暴言を吐く女、挙句の果てには雷斧亭の食事代を俺に擦り付ける女だ。それでも彼女は彼女なりに、俺を元の世界に戻す方法を模索してくれている。

俺が元の世界へ戻る為の魔法を偽書の中から探そうとしたり、雷斧亭で働くきっかけを与えたり……。

口が悪く行動の真意を説明してくれないが、彼女は俺を元の世界に帰る為の助けになるであろう行動を今までを取ってくれていた。だから俺は彼女の事を友人として認識している。そんな友人である彼女に人殺しをして欲しくないし、傷ついて欲しくなかった。


「アナタの理論は破綻してるわ……無茶苦茶もいいところよ。私には親しい友人は一人も居ない。アナタも友人として認めない。関係ないのだから早くどっかに消えて頂戴」


エレナは俺の言葉を否定する。だから俺も彼女の言葉を否定する。


「断る。お前に人殺しもさせないし、お前を追ってる奴らからも逃げ切ってやる」


「そこは……逃げるのではなく追い払ったらどうかしら?」


「追い払うのは無理だ」


俺が彼女の言葉にそう返答すると、エレナはクスクスと小く笑い声を上げる。

そして優しいく柔らかい笑みを浮かべてからこう言うのだ。


「そうね……わかったわ。認めてあげるわ……アナタの事を友人として」


そう言いながらエレナは一冊本を革袋から取り出して開く。


「動かないでね」


そう言いながら、彼女は開いたページの魔法陣に指を乗せて呟く。


「静寂の彼方に音も無く沈め……」


そう唱えた途端、本に描かれた魔法陣に触れたエレナの指は青い光りを放つ。

そしてエレナはゆっくりと俺に近づき、青く光るその指で俺の身体に触れようとしていた。

これは何かあると感じ取った俺はすぐさま彼女と距離をとろうとしたが、何故かその場から動くことは出来なかった。動きたくても身動きが取れない金縛りの様なそんな状態だ。その最中……。


「ヒュプノ」


その一言と共にエレナは青い光を放つ指で俺の身体に触れる。そして最後その一言を唱えると同時に俺の意識はゆっくりと遠退いていき、その場に力無く倒れる。


「ありがとう」


力無くその場に倒れ、視界が徐々に暗くなってから、エレナのそんな一言が聞こえるだけだった。






「お~い、兄ちゃん生きてるか~?」


そんな男の声で俺は目が覚める。朦朧とする意識の中、頭を押さえて体を起こすと二人の冒険者らしき男が俺の事を心配そうに見つめていた。俺は何も考えずに辺りを見回した。


――俺は何をして……


そんな自分自身の問いを答える様に記憶が蘇る。


――エレナに何かをされた……アレはたぶん魔法だ。


周囲を見渡してもエレナの姿は無い。だから咄嗟に俺を起こした男達にこう尋ねた。


「ここに居た黒いドレスの女は?」


「黒いドレスの女? 魔女でも見たのかい兄ちゃん?」


二人の男はそう言って不思議そうな顔をしていた。どうやら彼らはエレナの姿を見ていないようだ。まだ太陽が昇って居るから、まだ時間はそんなに経っていないはず。ならまだ間に合う筈だ。そう思い俺は軽くふらつきながらも立ち上がる。そして俺は北へ道なりに進み始めた。

北へ進むとしばらくして大きな屋敷が見えてきた。見晴らしの良い丘の上に立つ塀に囲まれた大きな屋敷。たぶんあれがエルヴィンの屋敷で、あの中にエレナは居るだろう。

屋敷の前まで来ると大きな入口の鉄格子の門が少し開いていた。辺りを警戒しながらその門を通ると、正面には一本道の先に屋敷の中へと続く扉が見える。俺は扉に向かって進み始めようとした時、後ろから女の声で呼び止められた。


「どちら様でしょうか?」


振り返るとそこにはいつの間にかメイドが居た。ここの使用人であろうメイドは白と黒の布地で出来た清楚なロングスカートのメイド服を着て、白髪の長い髪を後ろで結び、そして手には鉈を持っていた。俺は鉈を持つ彼女に対して少しの恐怖心を抱きながらもこう答えた。


「お、俺はここの客人で……いや、ここに黒いドレスの女が来ただろ? その連れなんだが……」


「エレナ様のお連れの方ですか。では、こちらへどうぞ」


そう言ってメイドは俺の横を通り過ぎ、屋敷の入口へと歩いて行く。

どうやらエレナはここに来ているようだ。だがエレナの連れだから通すなんて明らかにおかしいと思い、前を歩くメイドを警戒しながら後を追う様にして進み始める。

そして鉈を持ったメイドに案内されたのは、この屋敷の主人であるエルヴィンの部屋だった。メイドは「こちらにエルヴィン様とエレナ様がいらっしゃいます」と言って扉を開け、俺は中に入る。それと同時に扉は閉まり、部屋の様子が目に映る。

椅子に縄で縛られる金髪の男、それを見下す様に立つエレナの姿。

エレナは俺が部屋に入って来た事に気がついて振り向いた。


「来たのね……」


振り向いたエレナは無表情で冷静な顔をしていた。そして椅子に縛られている金髪の男の身体中には無数の刺し傷や抉られた跡が在り、止めに胸にナイフが突き刺されて死んでいた。


――間に合わなかった。


彼女を止められなかった俺はその凄まじい光景を見て呆然としていた。だがここで足を止めている訳には行かないと思い、俺はエレナに近づきながらこう言った。


「とにかくここから逃げるぞ……」


「少し……待って……」


エレナはそう言うと近くの革袋から一冊の本と赤い魔法陣の描かれた小瓶を取り出す。それが何なのかは知らないが、彼女が待てと言ったのはこれを袋から取り出すから待って欲しいという意味だと解釈した俺は、それを確認してから彼女の手を掴み、出入り口の方に向かった。

部屋の出入り口から辺りを見回して、誰も居ない事を確認してから俺は部屋の外へ出た。その時、エレナは俺の手を振り払って出入り口から部屋の中を見つめる。


「なにやってるんだ。はやく……」


早くしなければさっきのメイドや俺を追っていた男がここに来るかもしれない、それ以外の人間がここに来る可能性だって考えられた。だから俺は急いでここから彼女を連れて出て行きたかった。だが彼女は俺が早くしろと促しても、彼女はただ部屋の中を見つめる。


「おい! エレナ!」


俺がそう叫ぶと彼女は赤い小瓶を持った手を見つめながら一言呟く。


「火を灯せ……」


エレナの呟きに反応したのか赤い小瓶は仄暗い光を放つ。そして彼女はそれを部屋の中へと投げ込んだ。

部屋に投げ込まれた瓶は割れ、それと同時に床に火が点く。徐々に火は燃え広がり、燃え広がった火は部屋を飲み込んだ。


「もういいか……」


「ええ……」


「じゃあ行くぞ……」


そう言って俺はエレナの手を掴みその場から逃げる様に去って行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る