第6話

雷斧亭が賑わうのは一日で昼と夜の二回だけだ。なのでそれ以外の時間はお客が少く。やることは殆ど無い。

だから休憩を取る時間帯はいつもそんな暇な時間帯だ。まずは俺が休憩に入り、俺の休憩が終わったらローラさんが休憩に入る。

現在はローラさんがカウンター席でマスターお手製の昼食を食べながら休憩中。なので俺が接客や掃除などをするのだった。

そんな時、一人の客が入って来た。灰色の薄汚れた一枚布で作られた服に同じ色のフードを被る見るからに怪しい男。だがこの酒場に来る冒険者の中にも、こんな恰好をしているのもたまに見かける事があったので、俺は気にせずその男に「いらっしゃいませ」と声を掛ける。すると男はいきなりこう尋ねて来る。


「ここに黒い長髪の女が来なかったか?」


「黒い長髪の女……?」


俺は男の言葉を繰り返す様に呟く、そこで真っ先に思いついたのはエレナの顔だった。彼女の黒くて長い髪。俺がここで働いて居てその条件に当てはまるのは彼女以外考えられない。


「えっと……」


俺はすぐさまエレナの名前を口に出そうとしたが、その前に何処からともなくやって来たローラさんが俺と男の間に割り込んでこう返答した。


「そんな人は来ていませんよ?」


そう言ってローラさんはにこやかな笑みを男に浮かべてそう言う。

ローラさんもエレナの事を少なからず知って居る筈だ。初めて在った時も彼女はエレナの名前を呼んで挨拶していた。だからローラさんも「長い黒髪の女」と聞かれれば、エレナという名前がすぐ出て来る筈なのに……何故か彼女は嘘を吐いた。

なぜ彼女は嘘を吐いたのだろう? その真意がわからない俺は黙って二人の会話を聞く事にし、その話の行く末を黙って見守った。


「それは確かか?」


「ええ、勿論ですよ」


ローラさんは笑顔を崩さず男の言葉を頑なに否定する。

だが男は何かしらの確証が在ってここに来ている様子で、フードの中から鋭い視線でローラさんを睨み付けながら言う。


「もし嘘なら、タダでは済まされないぞ?」


「嘘なんて吐きませんよ? それに嘘を吐いて何の得が私に在ると思います?」


「そうか……」


そう言って男は諦めた口調で一言呟き、店内を少し見回してから店の外へと出て行った。それと同時にローラさんが俺の腕を突然掴む。


「ちょっと来てください……」


男が出て行くと同時にローラさんは腕を引っ張り、無理矢理マスターの居るカウンターへと連れて行かれ、そこでローラさんはマスターに真剣な表情でこう言うのだ。


「どうやら追っ手の様ですね……」


「みたいだな……」


「どうしますか?」


「ふむ……」


二人が何の話をしているのかわからなかった。だから俺は二人に何の話をしているのか聞こうと思ったが、その前にマスターが視線を俺に向けて言う。


「お前はエレナの所にこの事を知らせに行け」


「この事って……? 男が探してるって事をですか?」


「そうだ」


たぶんだが、話の内容的にエレナはあの男に追われて居る。だからそれを伝えて来いという話だろう。

だが、なぜ彼女は追われているのだろうか? それが気になった俺はマスターに尋ねた。


「でも、なんであの女が追われてるんですか?」


「それは本人から聞け」


「……わかりました」


たぶん何か大変な事が起ころうとしている。たぶんエレナの身に危険が及ぶであろう何かが。それを感じ取った俺はそれ以上は何も言わず店の外に出ようと振り返って歩き出す。だがそれをマスターは呼び止めた。


「待て」


「なんですか?」


「店を出たらまず怪しい奴が居ないか辺りを確認しろ。確認したら左の道を進んで北門へ、そこから中央通りを進んでいつも通り街を出ろ」


「なんでそんな事を……」


「尾行される可能性が在る。気を付けろ」


「……わかりました。気をつけます」


俺はそんなアドバイスを聞いて店の外へと出て行った。

外に出た俺はマスターの言う通りに辺りを確認した。冒険者が数人話している姿が目に付く、その中にさっきの怪しい男の姿は見えなかった。何処かに隠れているかもしれないと警戒しながら俺は北門へと向う。途中何回かさりげなく後ろを確認してみたが、追っ手の様な姿は見かける事なく北門へと到着した。そして北門から混雑する中央通りへ入り、南門からいつも通りに街の外へと出て行った。






街を出てエレナの別荘へと向かう。その途中も俺は背後を警戒したが、特に誰かが尾行している様子は無かった。安堵の溜息を一つ吐きながら、俺はドアを叩く。

数秒後、少し間をあけてから開いた扉の隙間からエレナがいつもの様に顔を覗かせる。


「なにかしら?」


「お前を探してる男が雷斧亭に来た」


そう単刀直入にここに来た用件を口にすると、彼女は小声でこう言った。


「辺りを確認しなさい」


「追っ手なら居ない。さっきも確認した」


そう言いながら俺は頭を掻く素振りをしながら、通って来た道の方に一瞬だけ視線を向けて確認した。やはり、誰にも尾行はされてはいないはずだ。


「大丈夫だ」


俺がそう言うと、エレナは「入りなさい」そう言って中へと俺を招き入れる。

エレナは焦った様子で部屋の中で何かを探し始める。


「何を探しているんだ?」


「本と瓶と縄とナイフとそれを入れる革袋よ。ところでアナタはそこでぼさっと立っているだけなら、外を見張っていてくれないかしら? 何かを監視するのは大好きでしょ?」


追っ手を警戒しているのであろう彼女の言葉に従って、ドア近くの窓から外の様子を眺めた。特に異常は無い。いつも通りの枯れ木が殺伐と生える森の風景だ。


「なあ、聞きたい事が在るんだが……いいか?」


俺は窓の外を見つめながらエレナにそう言った。


「何かしら?」


エレナは慌ただしい音を出しながらそう返事をする。


「なんで追われているんだ」


「さあ? 私を探したい人物に心当たりは在るけれど、その理由までは知らないわ」


「じゃあ、お前の事を探したい人物って?」


「エルヴィン・レーゲル」


「誰だそれ?」


「そうね……エドウィン商会の責任者・私が殺したい男・私の元許嫁よ」


エドウィン商会の名前に俺は心当たりが在った。それは彼女の名前エレナ・エドウィン。俺が最初に彼女と在った時に彼女が名乗った名前だ、忘れるはずがない。つまり彼女もエドウィン商会の関係者だという事がそこからわかる。そして商会の責任者である元許嫁を殺したい理由が彼女には在るらしい。そこまで状況を理解した俺はこう呟いた。


「なんとも面倒な事に巻き込まれたようだな……俺は……」


「なら、私を探す男が居るなんて知らせに来なければ良かったじゃない?」


「見捨てろって事か?」


「そうよ、だってアナタ。私の事が嫌いでしょ?」


そう言って彼女は直接的な物言いをする。

確かに俺はこの女が嫌いだ。だが見捨てる程嫌いな訳でもない。


「確かに……お前の事は嫌いだ。でも、そこまで嫌いって訳でもない。そこそこ嫌いだ」


「結局嫌いなんじゃないそれ……私はアナタの事が好きよ?」


「はぁ!?」


驚きの余り、俺は視線をエレナの方へと向けるのだった。


「私に対して反抗的な態度や、私の事を『お前』呼ばわりする所とか、自分の立ち位置を認識していない知能の低さとかが好きよ」


「それはただの悪口なんじゃ……」


「悪口ではないわ。率直な私の意見よ。私はねアナタの様な馬鹿にこれまで会った事はなかったわ、いつも周りは当たり障りのない会話で私をお嬢様と褒め称えながら、裏では陰口を話しているの。そんな人達よりアナタの方がわかりやすくて張り合いが在るわ」


そしてエレナはこう続ける。


「それに、アナタは何事においても私には絶対勝てない生き物なのよ?」


そう彼女は何かを確信した様な口振りで言うのだった。

なぜ彼女がそこまで確信しているかは知らないが取りあえず反論しておこう。


「それはどうかな? 運動能力の競い合いなら流石の俺でも、お前には勝てそうな気がするけどな」


「いいえ、何事においてもアナタは私に負けるわよ。勿論、何もできずにね」


――まあ、そんな事は今はどうでもいいか……。


そんな事を話している内にエレナの準備は整った様子だった。

探し物を全て中に詰め込んだ紐付きの大きな革袋をテーブルに置いて言う。


「これからアナタはどうするの?」


「どうするって言われてもな……お前はどうするんだ?」


「私はエルヴィンの屋敷へ向かうわ」


「おいおい……探してるのはそのエルヴィンって奴なんだろ? わざわざ自分から出向いてどうするんだよ?」


「それは勿論……殺しに行くのよ……」


「お前……本当に……」


俺が言葉を口に出した瞬間。入り口のドアがゆっくりと開き軋む音が聞こえてくる。

俺は振り返って開いたドアに視線を向けると、そこには灰色の薄汚いフードを被った男が立っているのだった。


「当たりか……」


男の視線は俺の後ろに居るエレナを見つめていた。奴の目的は長い黒髪の女、つまりエレナだ。標的を確認した男はゆっくりと一歩踏み出す。俺はそこで反応し、すぐさま振り返ってエレナの手を掴み、強引にエレナの部屋へと駆け込みすぐさま扉を閉めた。


「アナタ! ちゃんと外を見張ってなさいと言ったでしょ!?」


「仕方ないだろ! お前が俺の事を好きとか言うからだ!」


「そんなの冗談に決まってるでしょ!? ほんと馬鹿ね!!」


「うるせぇ! とにかく……」


俺は近くのタンスを動かし扉を塞いだ。扉の向こうに居る男はドアを叩き壊そうとしている。俺は扉の向こうの男に聞かれないよう小声でエレナに話し掛けた。


「お前は先にそこから逃げろ」


そう言って俺は視線の先に在る窓を見る。窓は人が通れるには十分なスペースが開いている、それにここは二階でもないから飛び出しても安全だ。だが彼女は首を横に振った。


「駄目よ。荷物を広間に置いて来てしまったわ……」


「荷物と命。どっちが大事だ?」


「両方よ」


――この女は……。


俺は溜息を一つ吐いた。そして彼女に確認する。


「本当にどっちも大切なのか?」


「大切よ」


「じゃあ……」


俺は頭をフル回転させて考える。この状況で彼女を逃がしながらも広間の荷物を確保する方法を。男が追っ手いるのはエレナだ。俺がエレナの代わりに囮になれれば彼女を助ける事が出来る。だが、俺がただ逃げた所で男はエレナの事を探すだろう。ならば俺がエレナになって囮になればいい……ならば。

俺は小声でエレナに告げる。


「おい……あまり騒がないで聞いてくれ」


「何かしら?」


「服を脱いでくれないか?」


俺の言葉にエレナはゴミを見る様な視線を俺に向ける。


「アナタ……こんな時に……気持ち悪いわ……」


「別にお前の裸が見たい訳じゃない。そのドレスを使うんだから脱げ」


「なんでかしら? 変態」


「違う、囮作戦だ。囮作戦」


そう言うと俺が何を言いたいのか理解したエレナは少し考えてから言う。


「目を……瞑りなさい」


「ああ、わかったよ」


俺は目を閉じ上を向いた。背中からはドアを叩く衝撃音と木片が床に落ちる音が聞こえてくる。


「まだか……?」


「いいわよ……」


俺が目を開いてエレナの方を見ると手には今脱いだ黒のドレスが、そして下着姿を隠す様にベッドのシーツを身体に纏う彼女の姿がそこには在った。俺はすぐさまドレスを受け取って無造作に着る。その様子を見ていたエレナは本当に冷たい視線を俺に向けて言うのだった。


「本当に着るなんて……同じ人間として恥ずかしいわ……」


「やめろ、それ以上何も言うな……」


そして俺は空いた手をエレナに向かって差し出す。


「何かしら? ドレスなら渡したわよ?」


「そのシーツもだ」


「アナタ……」


「頭を隠すのに必要なんだよ。目瞑ってるから、シーツを渡してベッドの下に隠れろ。俺が奴の注意を引いている間に雷斧亭にでも逃げ込め」


「こんな屈辱的な目に遭わせられるなんて……」


俺は目を瞑り手を差し出す。エレナはそんな言葉を呟きながら俺にシーツを手渡した。数秒後、エレナがベッドの下に隠れたのを確認するとシーツを頭に被って窓から外にでた。外に出ると同時にドアが壊され、タンスが倒される音が聞こえる。

俺は振り向くことはぜず全力で枯れ木の森を駆け出した。

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