第4話
気が付いたら朝だった。
昨日は久しぶりに労働というモノに従事した。そのせいだろう、体が若干筋肉痛で痺れている。昨日貰ったマスターお手製の手土産も食べないままに、俺はベッドに横たわって寝てしまったのであろう。
俺は腕を伸ばして唸り声を上げながら立ち上がる。そして広間へと向かう。
広間に向かうと珍しい事に、いつもソファーに座って本を読んでいるエレナの姿が見当たらなかった。
何処に行ったのだろうかと思いつつ、俺はエレナを探す様に外へ続く扉を開ける。
日が昇りかけの早い時間。外は肌寒く、乾いた風が吹いている。そんな外に彼女の姿は見当たらない。
――自分の部屋か?
そう思って俺は中へと戻り、エレナの部屋へと向かう。
「居るか?」
そう言いながらエレナの部屋のドアを開けると、そこにはエレナの姿が在った。
だが、それと同時に俺は死を悟った。
目の前には確かにエレナの姿が在った。だがそれはいつもの黒ドレス姿のエレナではなく、上下白い下着姿の無防備なエレナがそこに居たのだ。
「……」
俺はすぐさま何か言い訳を口にしようとも考えた。だが何を言って良いのかわからなく、ただ茫然と彼女の純白の下着姿を本能的に凝視することしか出来なかった。
そうやってエレナの下着姿に目を奪われていると、エレナの足がこちらへ向かって動き始める。そこで初めて俺は視線を首から下の下着から、エレナの顔に視線を動かす。その瞬間、彼女の手から放たれた二本の指が俺の目を貫いた。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は叫び声を上げ、両目を覆いながら床に転げ悶え苦しんだ。
「アナタが今見たモノを正直に答えなさい……」
そう言ってエレナは冷静な口調の中に凄まじい殺気を込めながら言う。
「な、何も見てない!!」
「嘘を付くと為にならないわよ? もう一度聞くわ。何を見たのかしら?」
「だから! 何も……」
「そう……嘘吐きは死刑……」
「み、見ました!! でも、わざとじゃない!! 本当だ!!」
「では、何を見たのかしら?」
「そ、その……白い下着が……」
「そう……」
俺が正直に彼女の下着姿を見てしまったと白状すると、エレナの足音は俺から徐々に遠ざかって行った。
ここで辺りを確認しようと目を開けようものならまた目つぶしが来るに違いない。なので俺は目を瞑り、手で目を覆い、その場に座ってエレナに向かって謝罪の言葉を口にした。
「えっと……本当に悪かった」
遠ざかったエレナの足音が俺の方へと近づいて来るのがわかる。そして、目を瞑って座る俺の前に立っている事が音で判断できた。
「いいのよ。全て無かった事にするから……」
そんな言葉を口にしながら、彼女の指先が俺の額に触れる。
「汝の記憶を忘却の彼方へと誘わん。静寂の闇に沈め……ネルグビオン」
その言葉の直後、俺の意識は途切れるのだった。
気が付いたら朝だった。
背中には硬い違和感が在り、体を起こして確認するとそれは床だった。珍しく俺の寝相が悪く、ベッドから転げ落ちたらしい。俺は近くのベッドに視線向けると、ここは自分が寝ていた部屋ではない事に気が付いた。タンスやテーブル、ベッドの位置や間取り、それは俺が居た部屋と全然違った。
俺は何故こんな所で寝転がっているかと不思議に思いながら近くのドアを開けた。
ドアを開けた先はいつもの別荘の広間と繋がっていた。そこで初めて俺は、エレナの部屋の出入り口で寝転がっていたという事に気が付く。だが、なんでそんな所で寝ていたのか皆目見当がつかない。
だからいつも通りソファーに座って本を読むエレナに俺は尋ねるのだ。
「なあ、なんで俺……こんな所で寝てたんだ?」
「さぁ? 昨日の事を思い出して見なさい」
「昨日の事? えっと……そうだ、お前にハメられて雷斧亭で働く羽目になって……夜まで働いて……雷斧亭に戻れなくて……自分の部屋で寝て……」
「じゃあ、今朝の事は?」
「今朝? 俺は今起きたばっかりなんだぞ?」
「つまり、アナタの寝相が凄まじく悪かったという事ね」
「そんな馬鹿な……」
俺が眠った部屋とエレナの部屋は一つ部屋を挟んだ反対側だ。そこまで移動する寝相の悪さとは一体どういう事だ。だが俺がそこで寝ていたのも事実だし、エレナがわざわざ移動させるなんて意味不明な行動は起こさないだろうし……。まあ、どうでも良いか。
寝相が悪いなんてどうでも良いだろう。そう強引に呑み込んで俺は、エレナの反対側に在るソファーに座るのだった。するとエレナが不満気そうな口調で俺に話しかけて来る。
「何をしているのかしら?」
「何って……何も?」
俺はソファーに座っているだけで文字通り何もしていない。
「そうでなく。なんでまだここに居るのかしら? と聞いているのよ」
「なんでって……別に良いだろ? 雷斧亭に来いって言われているのは昼前。まだ朝だから、今行っても何もする事が無いだろ」
「だからと言って私の家で寛がないでくれるかしら?」
「そう固い事を言うなよ」
そう言って俺は適当に近くに置いて在る本を手に取った。
それを見たエレナは突然怒った様子で口を開く。
「アナタ……やっぱり鳥頭ね。本に触れて欲しくないと言ったのを忘れたのかしら?」
「本の一冊や二冊見たって、別に良いだろ?」
そう言いながら俺は手に取った本を開くが、やはり見慣れない文字が並び何が書いてあるのか理解できなかった。
「それに、俺は字が読めないんだ。こういう本を読んで字を学んだ方がこの先色々役立つだろ?」
そう言って俺は本を閉じ、タイトルが書かれているだろう表紙をエレナに向けて尋ねる。
「この本の表紙にはなんて書いてあるんだ?」
エレナは俺の顔と本の表紙を一度だけ交互に見てから、自分の手に持った本に視線を落としてから言う。
「鳥頭は本が読めないって書いてあるわ」
それは明らかにお前なんかに教えないという意味を持ったエレナの言葉だった。
――まあ、いいか
「教えてくれないならそれで構わない。でもその代わりにこの本、少し借りるぞ」
俺がそう言うとエレナは一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに冷静な表情をを取り繕ってから言う。
「それは私の本よ? 絶対に貸さないわ」
俺はエレナの言葉から何か焦りの様な物を感じた。彼女にとってコレは何か大切な本なのだろうか? 手に持った本に少し興味が湧いた俺は彼女にこう提案してみることにした。
「じゃあわかった。これは借りない。その代わり他の本を貸してくれないか?」
エレナは俺の言葉に少し考えてから返答する。
「わかったわ。一冊だけ貸してあげましょう」
そう言ってエレナはソファーから立ち上がって本棚へ向かい、一冊の本に手に取った。
「なあ、おかしくないか?」
俺は本棚から本を取り出し、こちらに振り向いたエレナにそう言った。
「何がかしら……」
「いや、だっておかしいだろ? 本は貸さないと言っていた直後に、別の本なら貸してくれるって言うんだから」
そう言って俺は手に持った本をエレナに見せつける様にして続ける。
「お前にとってこの本は特別な何か。だから別の本を貸そうとしてまで守りたい。じゃあそこまでして守りたいコレって、なんなんだろうな?」
「……」
「何が書いてあるんだ?」
「答える義務は無いわ」
「答える義務は無い。その通りだ。でも俺は知りたいんだよ」
「何故?」
「そうだな。ただの好奇心」
「その好奇心で人が死ぬかもしれないわよ」
「そんな訳ないだろ。ただの本だぞ?」
エレナは溜息を吐き諦めた様にこう言った。
「それは魔道書よ」
魔道書という単語を聞いて最初に頭に浮かんだのは、俺が彼女に召喚されたという不可解な出来事だった。
「魔道書……じゃあ、ここに俺が元の世界に戻る方法が書かれてるんじゃ……」
「いいえ。そこに書かれている事は人を呪ったりする呪術の方法よ」
「じゃあ、俺を召喚する方法が書かれた本は……」
そこで俺は思い出した。最初に彼女と出会って投げ渡された本を。
「そうだ! あの本に元の世界に戻る方法が書かれてるんじゃないのかよ!?」
「もしも書かれてたのなら、最初からやっているわ」
「なんでだよ!? 召喚の方法が書かれてるなら帰還の方法が書かれててもおかしくないだろ!」
「普通ならそうでしょうね。でもアレは普通の魔道書じゃないのよ。召喚に必要な魔法陣や呪文は原本の書物から書き写し、そこに色々と手を加えて作られた偽書なのだから」
「偽書……偽物って事か?」
「殆どが偽物。でも、その中の一部分だけが本物なのよ。」
俺は彼女が何を言っているのか理解できなかった。
彼女は俺の表情から俺が理解できていない事を読み取ったのか、その話を補足する。
「魔道書には二つ種類が在るの。原書と偽書。原書は嘘偽りの無い記載がしてある魔道書の事で。偽書は全ての記載が偽物、または一部が本物でそれ以外が偽物の記載をしている魔道書のことを言うの。それでアナタを召喚する時に参考にした魔道書は偽書。つまり一部が本物の魔術に関する記載で、それ以外は本物に似せたデタラメな記載で埋め尽くされた偽書なのよ」
だがそれなら、その偽書とやらにまだ試していない方法が幾つも在るのではないだろうか。そんな考えが頭を過った。
「試してないだけで、もしかしたら戻る方法が……」
「無いわ」
だが彼女は俺の言葉を即座に否定する。
「なんで断言できるんだよ……」
「私が何度見てもそんな類の魔術は載って無かったのよ。全て初歩的な召喚に関する事柄ばかりなの。それもアナタを召喚した魔術以外全て偽物だったわ」
「もしかしてお前……いつも本を読んでるのって……俺を元の世界に返す方法を探してたのか?」
そうだ。彼女に在った時から、俺が彼女に視線を向ける度に必ずと言って良い程本を読んでいた。それはただ単に本が好きなのだろうと思っていたが、彼女は彼女なりに責任を感じて色々調べていたのかもしれない。
――もしかしたら、コイツは意外と良い奴なのかもしれ……。
「当たり前でしょ? いつまでもここに居られるのは鬱陶しいもの」
「……」
そう言ってエレナは呆れた様な溜息を一つ吐きながらそう言うのだった。
――そうそう。この女はそういう奴だ。オーケー、オーケー。
彼女の行動に一瞬感動しかけたが、彼女のなんとも自己中心的な発言によって無事阻止された。俺はどうかしていた、そう自分に言い聞かせて話を元に戻す。
「でもなんで偽書? なんて傍迷惑な代物があるんだよ?」
「お金になるからよ」
そう言ってエレナは俺が座るソファーへと近づき、俺の手元から本を奪い取る。そして代わりに彼女は持っていた本を俺に渡してから反対側のソファーへと座るのだった。
「魔法って言うのは金の成る木よ。傷付いた身体をすぐに癒したり、何も無い場所で火を起こしたり、アナタの様に別の世界の人間を召喚したりね。使い方によってその力がお金になる事はアナタでも理解できるでしょ? だからその力の使い方が書かれた本も高く売れるということよ」
そう言って彼女は俺から奪った本を俺に見せて言う。
「この本には人を殺す方法・人を眠らせる方法・人の記憶を封印する方法・人を病気にする方法・人を操る方法。人に対して効果の在る呪いの数々が書かれているわ。でも実際に書かれた手順を踏んで使える魔法は一つか二つよ」
「もしかして全て試したのか?」
「いいえ、流石に人を殺す魔法は試してないわ」
――それ以外は実験済みなのかよ……
「でも、なんで偽物なんだ? 完全な魔道書を売った方が偽物を売るより金になるんじゃないか?」
「魔術・魔法・魔道書。これらは勿論お金になるわ。偽物を売るより、本物の方が高く売れる。それは確かな事なのだけれど、そんな事をすれば魔術師達もただでは済まないのよ」
「?」
「魔法は無秩序な秩序と呼ばれているの。秩序とはモノの道理。例えば重いモノは床に落ちるし、火種がなければ暖炉に火は点かないでしょ? それが当たり前、それが普通、つまり秩序なのよ。でも魔法は違う。重いモノを空中に留めることも、火種が無くても暖炉に火を点ける事もできる。それは秩序に反している無秩序。つまり魔法は無秩序な現象を秩序として上書きしてしまうという現象の事を魔法というの」
「……」
「まあ、いいわ。はっきりと理解は出来ないでしょうけれど……。例えば人を念じるだけで殺す魔法があったとするわ。その魔法が世界中の人達にに広がったらどうなるかしら?」
「そりゃ……大惨事になるだろ」
「つまりそう言う事よ。無秩序が当たり前の世界になったら、世界は崩壊する。だから魔術師は魔法を教える相手は慎重に選び、世界を滅ぼす可能性の在る魔法は厳重に保管したり、破棄したりするの。それでも魔術師も人だから、お金が欲しいって思うのよ。だから世界が滅びない程度に本物の魔術の断片を混ぜた偽書なんて本を作って、それを売ってお金にする。そして、その偽書の話を聞いた商人達は本物の魔術すら無い偽書を作る。その結果、大量の偽書が世界中に溢れることになったわ」
「そして俺の召喚の為に使った魔道書もまた、偽書だったって訳か」
「そう、本物の記載は一部のみ。それ以外は全て偽りの偽書。召喚の手順だけが書かれ、帰還の手順は書かれていない不完全な魔道書なのだから、仕方がないわね」
「でも、それって……。原書を見つける事ができれば、戻る方法が見つかるって事なんじゃ……」
「そうね。でも……」
「でも?」
「もし原書を見つけるなら、絶対と言って良いほど魔導師に接触しなくてはならないわ。その魔導師が優しくてこの現状を信じてくれる人ならいいけれど。こちらを警戒し、信用してくれなければ、元の世界に戻る事は難しいでしょうね」
「俺が元の世界に戻れるのは魔導師次第って事なのか……」
「そうね」
俺が元の世界に戻る為には、俺を召喚した魔術を知っている魔導師をこの世界で探さなければいけないらしい。手掛かりは見つかった。だがその手掛かりは余りにも漠然すぎていて、元の世界に帰る事はまだまだ先の話になりそうだった。
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