第3話

「いらっしゃいませ! 雷斧亭へようこそ!」


短い金髪の少女が雷斧亭にやって来た客に対して元気良く挨拶する。

そんな彼女の後ろ姿を店の中心で俺はただ見ていた。

数時間前、俺、如月信二はここの客として来店していた。

だが、今ではここの新入りとして働くことになっていた。


「おい! 注文だ!」


「酒はまだかぁ!」


昼時を過ぎて繁盛する雷斧亭。俺が来た時の朝とは打って変わって賑わい過ぎている。ここに来るときに見た、カイスの中央通り並にお祭り騒ぎだ。

大量の客の注文、配膳、会計、片付け。これを俺とローラさんの二人で捌かなければいけないらしい。俺は主に配膳と片付けを担当し、ローラさんは注文と会計を担当する。料理は酒場のマスターであるゴードンさんが人並み外れた手捌きで次々と作って行く。


――なんでこんなことに……


だが、そんな事を深く考えている余裕はなかった。


「シンジさん! 二組、お会計終わりました! テーブルの片付けお願いします!」


「わかりました!」


「おい! 新入り! シチューと香草焼き出来たぞ!」


「はい!」


俺はローラさんの指示に従い、マスターが作った料理を運び、雷斧亭の一員として身を粉にして働くのだった。





昼時の賑わいはいつしかなくなり、雷斧亭は閑散としていた。

その中で俺は、上半身をテーブルに預けて倒れる様に椅子に座るのだった。

俺がなぜこの酒場『雷斧亭』で働くことになったのか。

まあ、言わずもがなあの女が全ての原因だ。

雷斧亭に入った俺とエレナは何事も無く食事を終えた。そこまでは良かった。だがその後エレナに「ゴードンさんがアナタに用事があるそうよ?」などと言う訳だ。俺は「なんでだよ?」と答えると、エレナは「いいから行ってきなさい」と言い、畳みかける様にローラさんが「さあ、こっちですよ」と俺を酒場のカウンター席の更に奥の倉庫まで案内された。そこでゴードンさんと対面すると「仕事は簡単だ。料理の配膳と片付け、後はローラの指示に従え」そう簡単に仕事の内容を説明されるだけだった。呆然とする俺、それに対してローラさんが「一緒に頑張りましょうね!」などと言い、断れない雰囲気に流され今に至る。


「疲れた。本当に疲れた……」


「お疲れ様です。シンジさん」


俺は体をテーブルに預けたまま、声がする方へと顔を向ける。

俺の隣に座ったのはローラさんだった。短い金髪の明るい少女で、雷斧亭に入った時に俺に注文を聞いてきた女の子である。


「いつもこんなに大変なんですか、ここ?」


「はい、これがいつも通りですよ。でも今日は少しだけ楽ができました。シンジさんのおかげです」


「俺は言われた事をやっただけですよ。猿でもできる」


「猿?」


――ああ、ここには猿って生き物は居ないのか。


「指示通りに動くだけなら、犬でもできるって事ですよ」


「ああ、犬ですか。でも、私が少し楽だったのは本当にシンジさんのおかげですよ」


そう言ってローラさんは俺に向かって無邪気な笑みを浮かべていた。

その言葉がお世辞か本心かは判らない。だがそれは俺がここに来てから初めて掛けられた優しい言葉だった。例え嘘であっても、例えお世辞であっても、その言葉はとても嬉しいものだった。エレナが悪魔の様な女なら、ローラさんは天使の様に輝いていた。俺は身体を起こしてローラさんの方を見つめた。するとローラさんは首を傾げて言う。


「どうかしましたか?」


「あの……ローラさん。彼……」


俺はローラさんに「彼氏とか居るんですか?」などと聞こうとしたが、その言葉を全て口に出す前に頭上から何か固い物が俺の脳天に直撃した。


「だ、大丈夫ですか!?」


激痛走る頭の天辺を手で押さえ、痛みを耐える様に唸り声を上げていると、男の声がテーブルに何かを叩きつけた後に聞こえる。


「おい……新入り……。ここのルールを一つ教えてやろう。ローラに言い寄って良いのは俺より強い奴だけだ! ローラと結婚したいなら俺を倒せるくらい強くなってからにしろ!!」


「マスター! アンタ、無茶苦茶だ! 俺の頭がカチ割れたらどうするんですか!?」


「ふん! その時はその程度の人間だったというだけの話!!」


芝生の様な茶色の短髪に口髭を生やした体躯の良い男。彼の名前はゴードン。雷斧亭の店主で現在の俺の雇主となっている。


「エレナが仕事を探している奴が居ると聞いて試しに雇ってみたが、そこそこ使えるようだな」


そう言ってマスターはローラさんと反対の席に座り、俺の頭を強打したであろう樽ジョッキのビールを一気に飲み干してから空のジョッキをテーブルに叩きつける。


「これから昼前には来い。一日飯付銅貨二十枚で雇ってやる」


そんなマスターからの唐突な申し出に俺は戸惑いながらも呟いた。


「仕事か……」


「なんだ、不満か? 不満なら別の仕事を探すんだな」


「ちょっと考えさせて下さい」


「ふむ、まあ今日食った分はちゃんと働けよ」


「えっ?」


そう言うとローラさんはマスターの言葉に付け加えるように言った。


「豚肉の香草焼きが銅貨八枚。魚の香草焼きが銅貨五枚。飲み物が二人分で銅貨二枚。合計銅貨十五枚です。一日の働いて貰える銅貨が二十枚なら、半日で銅貨十枚分。なので、あと半日働かないと返済できない計算になりますね」


「まさか料理の代金を払っていないとは……しかもあの女の分まで負担させられるなんて……」


俺はあの女にはめられた悔しさの余り握り拳をテーブルに叩きつけた。

そして一つ疑問が出て来た。俺がここで働いているなら、あの女は何処に行ったのかという。


「そういえば、あの女は何処行ったんだ?」


「エレナさんなら、食事とは別に小魚の燻製を買って帰って行きましたよ」


――あの女、金持ってたのかよ。





夜の雷斧亭での仕事が終わり。今日の食事代を差し引いた銅貨5枚の入った巾着袋と晩飯に良い匂いを醸し出すお土産をマスターから受け取り、月明かりが照らすカイス郊外の一本道を歩いていた。まだ雷斧亭は店を開けているが、人で賑わう時間が過ぎたので帰っていいと言われ俺は帰路に着く。

今日一日雷斧亭で働いて、少しばかりだが労働とは良いものだと認識を改めた。優しくて可愛い天使の様なローラさんと一緒に働けるのは魅力的だし、マスターはぶっきら棒だが料理は上手いし、中々良い職場だ。

そうやって雷斧亭で働くかどうかを考えながらも、俺は無事エレナの別荘へと辿り着く。そして中に入ろうとドアの取っ手を掴み開けようとしたが、ビクリとも動くことは無かった。


――あれ、鍵がかかってる? まさかな……。


何かの勘違いだろ。そう思って再度ドアを開けようと試みるが、やはりドアには鍵が掛かっているようで簡単に開きそうになかった。

とりあえず俺はドアを数回叩いて客人が来たことを家主に知らせる。

するとドアが少し開き、その間からエレナが顔を覗かせる。


「どなたかしら?」


「お前の同居人だ」


「同居人? ここに住んでいるのは私一人です。おかえりを」


「帰れって言われても、ここしか帰る場所が無いんだ。仕方ないだろ?」


「酒場……雷斧亭の二階には宿が在るのでそこで寝泊りすれば良いのではないかしら?」


「そんな事したら、一生雷斧亭で働く羽目になるだろ」


「あそこで働くのは嫌だったかしら?」


「いや……嫌って程じゃないけど……」


「ならいいじゃない。どうせあの子とも仲良くやっていけるでしょうし、ゴードンさんは意外と助けになってくれるはずよ」


「何が言いたいんだお前は?」


「アナタ……元居た場所に帰りたいのでしょ? それなら私と居るより、雷斧亭で働いていた方が色々と手掛かりは掴めると言っているのよ。ゴードンさんは元冒険者でそれなりに世界を見て周っているし、あそこに来る冒険者達からも色々と話が聞けることでしょう。そこに手掛かりが在ると言っているのよ」


「なんだ……そんな事を考えてたのか……」


「だから言ったでしょ。私にもほんの少しだけ非がある事を認めると」


そして続けて彼女は言う。


「私には私のやることが在る。アナタにはアナタの目的が在る。だからここに戻ってくる必要は無いのよ」


エレナの言う通り俺がここに戻ってくる理由はなかった。

彼女の言う通り雷斧亭で働けば何かしら手掛かりが見つかるかもしれない。

この別荘に居た所でそんな手掛かりらしい手掛かりは見つからないだろう。

だから彼女は俺を雷斧亭で働ける様にして、雷斧亭に帰る様に言うのだった。


「そうか……」


別にここに戻らなくても今は頼れる人が他にも居る。

だから別に困りはしないし、寂しいとも感じない。

コイツは自分勝手に俺を呼び出して、無責任で、毒舌で、食事の代金を全て俺に擦り付ける女だ。

そもそも俺と彼女は他人同士なのだ。偶然知り合って、それが元に戻るだけだ。


「わかった。雷斧亭に戻るよ」


「そうしなさい」


彼女はそう言って少し開いたドアを閉じ、俺はその場を後にした。




そして数分後、俺は再度別荘のドアを叩くのだった。

すると不機嫌そうな顔を浮かべたエレナが俺を睨み付けながら言う。


「三歩歩いてさっきの会話を忘れたのかしらこの鳥頭」


「そうじゃない。勿論、戻ろうとしたさ。だけど跳ね橋が上げられてた……」


「……それで?」


「入れてくれ……部屋なら余ってるだろ?」


エレナは少し間を置いてからドアを開いて俺を招き入れた。


「わるいな」


そう言いながら俺は昨日使った部屋に入り、振り返ってドアを閉めようとする。その最中ソファーに座って本を読み始めるエレナの姿が見えた。

彼女は何故ずっと本を読み続けているのだろう。そんな疑問を持ちながらも、他人の視線に敏感な彼女に気が付かれないようそっとドアを閉めるのだった。

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