第2話

彼女の名前はエレナ・エドウィン。

長い黒髪に黒いドレス、瞳の色は青く、身長は俺より少し低い。

顔立ちの整ったお嬢様と言われても不思議ではない優麗な見た目である。

対して俺は黒髪に白いシャツと黒のズボン。中性的な顔立ち。

まあ、見るからに典型的な今時の日本人と言えるだろう。

昨日の夜。俺は手違いで彼女に召喚され、今現在彼女の家に住み着いて居る。

この家には広間の他に三つ部屋が用意されていて、正面減から見て左から一つ目の部屋はエレナの部屋、二つ目はエレナの両親の部屋。三つ目は客人用の部屋らしい。

俺はその客人用の部屋で夜を過ごし、用意されていた服に着替え、広間へと向かった。

昨晩、最後に広間で見かけた時と同じ格好でエレナがソファーに座って本を読んでいる。彼女は俺に気が付いて一瞬だけこちらに視線を向けた後、何も言わず視線を本へと落とす。

不本意ながら一応、家主兼同居人なのだからと思い。俺は彼女への挨拶をぎこちなく口にした。


「えっと……おはようございます」


エレナは小さな溜息を吐いた後、小声で「おはよう」と返すだけだった。

昨日の毒舌やら屁理屈やらのせいで彼女の印象は最悪だ。だが今の彼女の挨拶はなんとも弱々しそうな声で、昨日の様に毒を吐く事が無いと、ただの優しそうな女の子に見えてしまうのが不思議だ。

だがこの女は自己中で毒舌な悪魔の様な女だ。そう自分に言い聞かせながら、俺は何気ない会話を切り出すのだった。


「いつも、熱心に何を読んでるんだ?」


「アナタには関係ない事よ」


「別にいいだろ? それくらい」


「それくらいの事なら、聞いたって聞かなくたって同じでしょ?」


「そう言われるとそうだな。じゃあ、言い方を変える。どんな本を読んでるのか凄く気になるんだ。何を読んでいるのか教えてくれないと死んでしまうかもしれない」


俺はそう冗談を言って見るが彼女の返答は凄まじく鋭かった。


「なら、教えないから。死になさい」


「いくらなんでも冷たすぎやしないか? 別にいいだろ、どんな本を読んでいるのか位……」


エレナは諦めた様に溜息を吐いてから本の表紙を俺に見せて言う。


「題名は『魔物の呼び声』。魔物を呼び出す手順が書かれた本よ」


「へぇ、なるほど。魔物って言う人間を呼び出す本か」


俺がそう言うと彼女は少し睨み付けた後、小さな微笑みを俺に向けてこう返答する。


「魔物の召喚には生贄が必要だそうよ? よかったわね。何も出来ないアナタが役に立つ時が近々きそうよ。おめでとう」


「……」


――流石に冗談だよね? 生贄にされないよね?


これ以上の口答えは死に直結すると感じ取った俺はすぐさま話題を変える。


「腹……減ったな」


「食べ物なら。外に草と泥水が在るから好きなだけ飲んで食べてきなさい」


「パンとか肉は……魚でも良いんだが」


「だから、外の草と泥水……」


「いや、食べ物じゃないから。それ」


「アナタ。別の世界から来たから知らないのでしょうけど、庶民の主食は草よ。飲み水は川の水。パンや肉、魚なんて食べれる人はそんなに多くないのよ?」


「えっ、嘘だよね? 嘘だと言ってよ」


エレナは大げさに溜息を吐き、俺に見せつける様に呆れた素振りを見せてから続けて言う。


「勿論、冗談よ」


――この女……。


「でも、一概に冗談と言える物でもないのかもしれないわね。ほんの一握りだけどもお金や仕事が無い人は草を口に含んで、泥水を啜って暮らしてる人も居れば。毎日、肉や魚を食べて裕福に暮らしている人も居るのは事実よ。まあ、良い暮らしをしたいならお金が必要ということね」


「先立つ物は金とは良く言ったものだ」


「何かしら、それ?」


「何事にも金が必要だってことだよ」


「そうね。でも、お金だけが全てではないわ」


「お前、そんな事を言うんだな」


「当たり前でしょ? 現にお金で買えない物が在るのだから」


そう言った後、彼女は手に持った本を近くのテーブルに置いて立ち上がる


「お腹が空いてたのよね? 街に出て食事でもしないかしら?」


「勿論、行くに決まってるじゃないですか。お嬢様」


俺が喜んでそう返答すると、彼女は俺の言葉に対してどう返答しようか少し考えてからこう言った。


「さあ、行くわよ。駄犬」


「誰が駄犬だ……」






エレナの別荘を出て左の道をしばらく進むと『カイス』という街があるそうだ。どうやらそこは商人の街らしい。人が多く物流も盛んで、貴族や冒険者相手の商売に商人同士の商談取引が良く行われ、大きな中央通りには露店が立ち並び、そこに住む人々も他からやって来た人々も関係無く。毎日がお祭り騒ぎなのだそうだ。

枯れ木の道を抜けるとカイスの街が見えて来る。石の城壁に囲まれ、その外側を更に水を張った堀で囲い、東西南北の四方に跳ね橋が設置されている。

かなり離れたこの場所からでも跳ね橋には沢山の人が通っている光景が目に入る。


「あそこがカイスよ」


エレナはそう言ってから少し止めていた足を動かし、前へと歩き出し始める。


「なぁ、何か企んでないか?」


「なんのことかしら?」


「さっきまで草と泥水を食べて来いって言ってたんだぞ? それなのに「食事に行かない?」なんて突然言われたら警戒するのは当たり前だろ?」


「そんなに警戒するなら一緒に来なければいいのではないかしら? 別に私は強制なんてしてないのよ?」


「うぐっ……その通りだな」


そう、彼女は俺に「一緒に食事でもどうか?」と提案しただけで、「一緒に来なさい」なんて強制はしていないのは確かだ。だが、さっきまで草と泥水を食べろと言っていた女をそう簡単に信用して良い訳がない。それに、今の今までの俺に対する対応も酷いものだ。なので警戒は怠らず、彼女から目を離さない様にしなくては……。

そんなことを思いつつも俺はエレナの事を凝視していると、それに気が付いたエレナは不満げな声で俺にこう告げる。


「昨日も言ったのだけれど。じろじろ見ないで貰えるかしら。気持ちが悪いわ」


「そう言うな。何もお前に見とれている訳じゃない。お前が怪しい行動を取った時、いつでも逃げられる様に監視しているだけだ」


「なら、その監視をやめてくれるかしら? 人の視線ほど居心地の悪いものはないわ」


「だがな……」


「なら、こうしましょう」


そう言ってエレナは立ち止まり、後ろを歩く俺に振り返って言う。


「私は一人でもカイスへ行くわ。アナタは一緒に来なくて構わない。別荘に戻って草を食べるか、ここで分かれて一人でカイスに向かうか、私と一緒に来るか、選びなさい。もしも私と一緒に来るのなら、私をじろじろ見るのはやめなさい」


そんな選択肢を提示された。

別荘に戻ってもまともな食事にはありつけない。一人でカイスに向かっても、何処で食事をすれば良いのかわからないし、もし見つけたとしても金が無いから食事にありつけもしない。つまり、まともな食事にありつくには彼女を頼るしか無かった。


――俺も警戒し過ぎた所も在った。


もしも彼女が本当に善意で食事をご馳走してくれると言っているのならば、その好意は素直に受け取るべきだし、疑うのも間違っていた。


「すまない、俺が悪かった」


「別に構わないわ。他人を信じろという方が無理なのだから……」


そう言って彼女はカイスの方へと振り返る。その時、微かに彼女の口元が笑っている様にも見えた。


「なあ……今、笑ってなかったか?」


「いいえ、不機嫌よ」


――気のせいか……。


そう、彼女が笑みを浮かべた様に見えたのはきっと気のせいなのだろう……。







荷馬車や人が行き交う跳ね橋には銀の鎧と槍を持った兵士が4人居た。彼らは荷馬車の荷を確認したり、怪しい人を見かけると声を掛け「何処から来た?」などと尋ねるのだ。俺も「何処から来た?」などと尋ねられるかと思ったが、特に引き止められる事無くカイスの街へと入ることが出来た。

跳ね橋を渡った先には三本の大通りが広がっている。その中でも目を引いたのは中央の露店の数々だ。露店は先が見えなくなるまで真っ直ぐ続く大通りに沿って並んでいる。その露店目当ての人達で中央通りは賑わい、込み合って居る。

賑わう中央通りとは反対に左右の道は荷馬車や武器を持った者が少し見えるだけで、中央通りほど込み合った様子は見られない。

エレナは中央通りを少しの間眺めてから右の道へと進み、俺はその後を追いかける。


「武器を持っている奴らは何なんだ?」


「冒険者よ。面倒事に巻き込まれたくなかったら余りじろじろ見ない事よ。アナタの視線は人を不愉快にさせるのだから」


「まあ、面倒事を避ける為に視線を合わせないってのは確かに賛成だ」


俺とエレナが進む道の端々には、二、三人の集団が話をしている姿が何組か居た。

彼らは皆、剣や斧、弓や槍など、様々な武器を手にしている冒険者だそうだ。

そうやって、辺りに居る冒険者と視線を合わせない様に進んでいると、エレナの足取りが急に止まる。


「ここよ」


エレナの視線の先には大きな木製の建物が在る。

建物の出入り口には大きな扉。その上には横長な看板で文字が書かれ、更にその看板の上には大斧と大剣が交差するように設置されていた。


「武器屋?」


「違うは、酒場よ」


――そうなのか。


そして俺はエレナの後を追う様にして武器のシンボルマークを掲げる酒場へと入って行く。

酒場の中は広く大きな空間が広がっていた。木製の丸テーブルが十席程、奥にはカウンター席も見え、二階へ上がる階段も見て取れる程大きな造りになっている。だがこれだけ大きな酒場なのに客は数える程しか居なかった。


「余り繁盛はしてないようだな」


「はい。朝は大体こんなものですよ」


俺に対して敬語で返答したのは勿論エレナでは無く、ここで働いているであろう女の子が横から声を掛けて来た。短い金髪で白っぽいベージュのワイシャツ、下には同じ色のロングスカートを履きその上に前掛けをしている。背丈はエレナよりも少し低い女の子だった。

酒場の女の子はエレナと俺に笑顔を見せて「いらっしゃいませ」と言い、「どうぞこちらへ」と席へと案内を始めようとしたが、その前にエレナは女の子に対してこんな事を聞いた。


「ゴードンさんは、奥?」


「あっ、マスターに会いに来たんですか? それなら、奥で暇してると思いますよ?」


「そう、ありがとう」


「えっと、注文は……?」


「ああ、ごめんなさい。私は……魚の香草焼きで。そっちは適当に聞いといて頂戴」


「はい、魚の香草焼きですね。ご注文ありがとうございます」


そう言ってエレナは酒場の奥へと向かって行くのだった。

俺もその後を追おうとしたが、注文を羽ペンで紙に書き留めた女の子が注文を尋ねてくる。


「ご注文は何にしましょうか?」


「えっと……おススメは?」


「そうですね……。子豚の丸焼きなんてどうでしょう? お腹一杯になりますよ」


「丸焼きじゃなくて、切り身で調理してくれ」


「では、豚の香草焼きでどうでしょう?」


「ああ、それで」


「はい、ご注文ありがとうございます。ではそちらの席でお待ちくださいね」


俺は女の子に言われるがままに近くのテーブル席に座り、注文を受けた女の子は店の奥へと走り去って行った。

それと入れ違いになる様に奥からエレナがこちらへやって来て、俺と対面するように座った。


「何してきたんだ?」


「ええ、少しばかり無理を言ってきたわ」


「何を言ったんだよ……」


「それは後でわかるわ」


「ん?」


この時の彼女の言葉の意味に気が付くのはこの食事が終わってすぐの出来事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る