第58話 泣いちゃいそうなのは、うたかたの夢

銀色の金属で輝く、中に肉の部分が入っているとは思えない、細く長いククの指。

それはリトクも同じだ。

その指がさしたものは壁一面に広がるモニターによって、空中の豪華客船ルルディックからも見えた。


シエロ・エピコスは、それを見て感嘆という言葉の意味をかみしめていた。

学生ながらチェ連の代表としてここにいる、魔術学園と最も近づいた少年が。

ここには父親のヴラフォスも母親のエカテリーナも。

チェルピェーニェ連邦書記長のマルマロス・イストリアも。

同世代の仲間たちもいる。

親友で科学者のカーリタース・ペンフレットも。

空軍からの女子幹部候補生のサフラ・ジャマルも。

陸軍幹部候補生でライバルのワシリー・ウラジミールも。

海軍からきたウルジン・パンダエヴァもいっしょだ。

皆、ここまで逃げずにいた事をうれしく思った。

だが、気になることもある。

モニターに対して、人びとが斜めに立っている。

床が傾いていたのだ。

無理もない。あの激戦をくぐりぬけたのだから。

この船のどこかが故障してもしょうがない。

シエロはそう思っていた。


映しだされた、かつては約6万人が暮らしたフセン市。

崩れた脱け殻となった、灰と消し炭。

そこに、これまでなかった物がそびえ立っていた。

100年以上昔に新たな未来への信念を結晶させた象徴。

場違いな白亜の輝きを放つ、鋭い尖塔が。

「臆病者の城」その蔑称をシエロは口にしかけた。

だが、魔術学園の生徒たちと最も接してきた経験が、それを押しとどめた。

「マトリクス聖王大聖堂……」

誰かがつぶやいた。

その、想いを込めた名の方がふさわしい気がした。

等の壁には色とりどりのガラスが交わった丸い窓がある。

そのガラスは幾何学模様のステンドグラスと言い、バラ窓と呼ばれるものとは、シエロは知らなかった。

「なんと煌びやかな……」

誰かの感嘆があらわすその威光には、すなおに共感した。

「ロマネスク調なのね」

日本の官房副長官、正院 恵が感心して言う。

バラ窓を囲むのは、精緻な像に彫られた歴代の王。

「ビューティフル!」

叫んだのはたしか、イギリスの外交官だとシエロは思いだした。

周辺には破壊された遊園地が打ち捨てられている。

天高い塔は遊園地が無事だったとしても、街のどこからでも目にできたと思わせる。

「メイリダ!」

「プレクラースヌィ!」

中国とロシアの滞在武官たち。

地球中から集まった様々な言語で、すばらしさや美しさを感じるまま口にしていく。

「マニフィックス!」

次はフランスの。

そしてある瞬間、最前列にいた赤い瞳の少女は、二筋の銀髪を揺らしてあたりを見回す。

「……アレ? なんか多くない?」

見回したのは、狗菱 武産。そしてレイドリフト2号。

ルルディックの警備を司るルルディ騎士の隊長だ。

決して狭くはない会議室ほどのスペースは、足の踏み場もないほどの人で覆い尽くされていた。

そうだ。この状況がおかしい事には、シエロも気づいていた。

地球人も、自分をふくめたスイッチア人も、可能な限り地球へ送られたはずなのに。


「俺たちが呼んだんだよ」

明るく説明を始めたのは男の声だった。

「タイムパラドックスが何度も起こっていたから、スイッチアから追い出される前に戻るたびに、みんなにここに留まるよう言って回った」

その声のぬしを見たとき、レイドリフト2号は目をむいた。

「前藤総理!!」

真っ先に帰されたはずの、前藤 真志内閣総理大臣。

閣僚たちも一緒だ。

「なぜここに!?」

驚愕が渦となって部屋中の騎士たちにも広がっていく。

「未練、だな。タイムパラドックスが起こると、記憶以外に残るものがないから」

対する前藤総理は、少し後ろめたそうにうつむいた。

「だったら、多くの人に見てもらうべきと思ったんだ」

「そうで〜す」と、連れてこられた男女が声をそろえた。

そして、皆で諸手を挙げて。

「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ! 」

しっかりと三唱した。

地球人だけかと思ったが、見るからに機械である者や、翼やツノのある者、ウロコでおおわれた者もいる。

それにしては、警護をするはずのSPがいない。

まいてきたのだ。

「この人は、ルパン3世並みの自由人だから」

これも地球人から。

レイドリフト2号が、長い諦めのため息をした。

「あの、それはどういうことですか?」

質問したのはマルマロス・イストリア。チェ連の総書記長だ。

だが、大聖堂への賞賛は止まる事はない。

総書記長は手をメガフォンにして声を張り上げなくてはならなくなった。

「おーい! オーイ! タイムパラドックスが何度も起こるとは、いったいどういう事なんですか!?」

声は、前籐総理たち人びとを振り向かせた。

「‥‥‥以前、日本にスイッチアの無人兵器が暴走状態で攻めてきた件は、ご存知ですね」

「はい」

それは、時空をまたいだ複雑な歴史だ。

日本は、たしかにチェ連の無人兵器に攻め込まれた。

その出所は、シエロたちにとっては未来のスイッチアだった。

数十年後に、チェ連人もありとあらゆる生物も絶滅した世界だ。

動くものはAIで動くロボットのみ。

ロボット達は、いなくなったチェ連人にいつまでも尽くしていた。

そして、スイッチアの公害を消し去るため、地球を異能力者を捕らえるために侵略した。

そのAIを最後に更新したのが、シエロ・エピコス。

「その侵略は、シエロ君の勇気によって歴史から消えました。

これが最初のタイムパラドックスです」

前籐総理に名指しされ、シエロは例えようのない衝撃に揺さぶられたような気がした。

(いや、そんな衝撃はない。 これは錯覚だ)

そう確信はしたものの、自分が緊張のあまりふらついたのは事実だ。

そして緊張を積み重ねる話は続く。

「そのタイムパラドックスの余波を押し広げ、もっと時間を戻そうという方が現れました。

ボルケーナさんですよ」


あの赤いデブワニ天使ちゃん……。

そんな普段の様子や評価は無意味だ。

「彼女が消した、スイッチアを覆った火山灰。あの原因になった火山への砲撃より前には戻せるそうです」

そうだ。ボルケーナは本質的には宇宙を、時空を支配する神なのだ。


「あの……質問があるのですが」

カーリタースにおずおずと話しかけられたのは、レイドリフト2号。

「どうぞ」

「ありがとうございます。タイムパラドックスは、過去に起こったことが無くなって、歴史が書き変わるから起こる現象ですよね? 」

レイドリフト2号は「その通りです」

「その余波とは存在しないと思うのですが」

「それでも、研究しなさい」

真っ直ぐに見つめ返す2号。

「そうしなければ、何も進まないのです」

カーリは青ざめてはいたが、しかし逃げることなく質問を続ける。

「あの時の砲撃が無かったことになれば、地球との接点が無くなるということですか? 」

「あなた方が望まなければ、そうなりますね」

「何を望めばいいかは、我々が考えましょう」

そう請け負ったのはイストリア書記長。

「我々は、この50年あまり、あまりにも多くの物を失った。

しかしそれは、この宇宙全体に言えることだ。

そこに挑むことに、道がある気がする」

立ち姿に力がない。声にハリがない。

はっきりしない「道がある気がする」などと口にするのも、シエロは知らない。

だが、こんな状況でも考えることをやめない彼と、それを見守る父。

その2人にシエロは誇らしい物を感じた。

「そして、スイッチアからスクラップになった宇宙戦艦を輸入し、自前の艦隊を作りたい前藤くんの計画は、うたかたの夢に終わったわけです……」

日本の内閣に囲まれる様にいた、足に包帯を巻き、車椅子にのる男。

シエロの知らない男だ。

記者時代からの先輩、池井 秋男にそう言われ、総理大臣の目に涙が……。


「あーあー聴いてください! 」

その時、都丹素 巧、レイドリフト1号が部屋全体に聞こえるよう、声を張り上げた。

「今、私の個人アドレスに、VIPを探していた魔術学園高等部生徒会から、メールが届きました」

その機械式ヘルメットが受信した。

「読み上げます! 」

部屋が無音になる。

「『こういう事態には政府の存続を最優先にするべきなのに、スイッチアに戻るなんて。断固抗議します! 』とのことです」

「お前らが帰れ! と伝えてやれ!」

すかさず反論。

タカ派の外務大臣、井田 英雄だ。

その直後、井田の口が稲妻の速さで突きだされた手でおおわれた。

「経済界の重鎮が集まる結婚式は数あれど、みんな手弁当なんて初めてじゃないの? と伝えて」

鬼の形相のまま、メールで送る文面を上書きする。

防衛大臣の堺 洋子だった。

1号は少し無言になったが、読み上げを続ける。

「送り主は、連名です。

竜崎 サイガ、3年B組学級委員長」

送り主は、外を映すモニターにいた。

ルルディックに並走する、全長70メートルの青いドラゴン。

青空の下に、あり得ないほどの黒い嵐雲をまとい、腹ただしげに稲妻を轟かせている。

「オルバイファス、テニス部長」

戦闘機形態でジェット音と飛行機雲を引いている。

空を切り裂く黒い影は、巨大な殺意を思わせた。

「レミュール・ソルヴィム、魔法部長」

顔の左側と左腕、元からあった背中のたおやかな鳥のような羽根を、なめらかな木工でおぎなった美女だ。

こんな時でも紹介は神族や貴人からする魔術学園は、さすがだと思うシエロ。

その学園の中でもっともマルチな異能力者を相手に、逃げる手段は思いつかなかった。

「ノーチアサン、水泳部長」

サイガと並ぶ、全長170メートルの狂暴な灰色。

サメの姿をした宇宙巡洋艦。

「黒木 一磨、生徒会書記」

この予知能力者がいる限り、逃げ道はないと思えた。

そして読み上げられる生徒会のほとんどが、ノーチアサンに乗り込んでいるか甲板にいる。そう見当がついた。

「アラン・オーキッド、新聞委員会長」

電撃が強力な黒いドレッドヘアと肌の男も来ていた。

成り行きとはいえ、尊敬する前藤と敵対することになって、嘆きはどれほどだろう。

「ティッシー・泉井、科学部長」

スカラー・ブースターと自ら名付けた、可能性を100パーセントにする能力者。

彼女自身に戦闘能力はないから、他のメンバーとの連携を乱されたのだと、思った。

「熊 明明、2年B組学級委員長。ハッケ、図書委員会長」

天才発明家と、彼が発明したロボットのコンビ。

それに大量の魔法道具のコレクション。

2人の参謀力、道具の使い方は目をみはる。

「カーマ、野球部長」

甲板に身長50メートルほどの、カマキリの様な異星人が。

腹立たしいのか、両手首のカマを研ぐようにこすり合わせるのが彼女だ。

「ディミーチ、バスケットボール部長」

彼もカーマと同じくらいの身長。横幅が大きい。

一方こちらは微動だにしない。

全てが垂直だ。

ひたいのツノ、青い、カーマと同じ約50メートルの体、両手で甲板に支えられたハンマーまで真っ直ぐに納め、ルルディックを見ている。

「デジレ・イワノフ、格闘部長」

甲板を覆い尽くす黒い霧。

中からルルディックをにらみ、ギラつく無数の目。

その中でもデジレの金色の髪と白い肌は、よく目立つ。

彼女の肩にストールの様に翼を垂らす黒いドラゴンも。

「ティモテオス・J・ビーチャム、環境美化委員会長」

身長3メートルの赤毛、ヒゲの濃い巨人。

大きさでは異星人に、面を抑えるならデジレに敵わないだろうが、それで見下す者はいないと思えた。

「ダッワーマ、料理部長」

機械のように進化した人が見える。

身長は20メートルほどだが、シルエットは物々しい。

その腕にドリルを持つ右半身が彼だ。

「クライス、美術部長」

ダッワーマと一緒にフォルテス・プルースとなっている。

左腕のエンジンが円形の刃を猛スピードで回転させる。


「生徒会は、たしか……30人と1匹だったわね」

サフラが青い顔で言った。

「そのうち15人に追われて逃げ切れるの!? 」

シエロも頭がクラクラしてきた。

「キャロライン・レゴレッタ」

不意に、読み上げがつづいたかと思った。

いや、違った。これは自己申告だ。

振り返ると、日焼けした目の大きな少女がいた。

着ているのは魔術学園高等部の制服。

紺色のブレザーに緑のスカーフ。

紺の地にチェックの入ったスカート。

体育委員会長のテレポーテーション能力者が、腰に手を当て閣僚たちを睨んでいる。

その隣には、似た顔立ちの大人の男性が、青い顔でキャロを見つめていた。

(思い出した。キャロラインはブラジルという国にある財閥の令嬢だ。

隣にいるのは、彼女の父親だ)

テレポーテーションを使ったなら、もっと疲れきっているはず。

だが、目の前の彼女は元気だ。

総理たちに親子で連れて来られたのだと察した。


「それにしても……誰だ? 」

「なあ、あれは誰だ? 」

ワシリーとウルジンに、同時にたずねられた。

「あれか? 」

デジレの霧に覆われた、ノーチアサンの甲板。

そこに、人がいる。

「見たことない人だ」

デジレより小さな、つまり平均的な背丈。

3メートルほどの、金属の揺るぎなさを感じさせる者もいる。

戦車のようなものも見える。

「ここからは、レイドリフトたちです」

レイドリフト1号の読み上げが、答えをくれた。

「ファントム・ショットゲーマー。

シスター・ボア。

竜灯。

ジェネラル・ジェラシー。

ルイン・バード。

モガラ。

ガン・ウィットネス」

デジレの霧に包まれて立つ影たち。

あれが読み上げられた7人のレイドリフトたちなのだ。

「レイドリフトが政府の対応に逆らったことを、ここにお詫びいたします」

そして一礼するレイドリフト1号。

その声に、感情が含まれているとは思えなかった。

(つまり、政府に対して悪いとは思っていないということか? )

シエロは察した。

新たな脅威の出現したかの様な、恐怖を感じた。

「その割には、うれしそうじゃない」

いきなり投げかけたのは、2号だった。

「ヒッ!」

息を飲む音が、変な声になる。

今のはウルジンか。

みればカーリもサフラもワシリーも、みなが青い顔をしている。

ヒーローの官僚トップによる政府への裏切りが、今明かされる!?

「分かる? 」

シエロたちのおどろきに反比例したかの様に、1号は2号に指摘された通りの声で答え、ノーチアサンを指差した。

「生徒会たちがいかにエリートで力が強くったって、あの曲者ぞろいのレイドリフトを従えられるわけがない。

ちゃんと説得して手を貸してもらえる、人間的な魅力ののある人たちなんだ。

それが分かると嬉しくて、僕もう泣いちゃいそうだよ! 」


……話を変えよう。

日本の閣僚たちは、自分の意思でここに来た。

その理由も政治を決める者として正しいと思える。

だからなのか外からの視線は、「せっかく助けたのに……」と悔しさを感じさせもした。

「それしても、向こうの空が赤いな」

ワシリーの言うとおりだ。

ノーチアサンの向こうの空が、夕日か朝日に見える。

まだ、そんな時間ではない気がするが。

「度重なるタイムパラドックスで、時差ぼけにでもなったのかも知れない」


「ところで、俺の体にダメージはないかな」

前藤に言われた2号は、彼を凝視する。

「見たところないようです。でも、何か恐ろしいことが行われた気配を感じます」

さらに詳しく見ようとしたとき。

「やはりそうか。実はタイムパラドックスの途中で、墓場に行った事があってね。

死んだはずの両親にずいぶん怒られ、卒都婆で叩かれたよ」

そして、シエロたちを向いて。

臨死体験という言葉は知らなくても、それがゾワゾワする寒気をともなって、ありえない事だというのはわかる。

「卒都婆が何かわかるかな?」

いいえ。

「死者の名前や、経文や梵字……ありがたい言葉を書いて、墓の後ろに立てる木の板のことさ。

長くてこれくらいある」

そう言って腕を広げ、長さを表す。

確かに、棍棒にされたら痛そうだと思った。

「死してなお戦ったのですか!」

総理の説明の説明を聴いて、震えあがる。

あのレイドリフト2号、ルルディ騎士団長、狗菱 武産が、驚愕している。

シエロも知っている。

死と呪いを司る騎士団の長が彼女だ。

墓地とは、死者の眠るところ。

そこへ前藤総理が行ったということは、数かずのタイムパラドックスの中では彼が死んだ可能性があったということだ。

それなのに帰ってきた。

レイドリフト2号にとって、自分が司る物を乗り越えた人がいる。


「あ、1番下の石像はエピコス師団長ではないですか?」

レイドリフト1号は、関係なさそうに塔の画像を拡大していた。

そして、前藤が連れてきたスイッチア首脳陣の1人と見比べる。

見られたヴラフォス・エピコス師団長、シエロの父もそれを見ると。

「ああ、その様だ。すると、下の空いたスペースは息子たちの誰かか?」

隣にいるシエロは3人いる息子の1番下だ。

親子は驚いた顔で見つめ合う。

それをどう解釈すれば良いのかは分からないが、何となく誇らしい気がした。


「元々あった大聖堂が、タイムパラドックスで現れたわけではないのは明らかです」

レイドリフト1号が述べる。

「歴史が変わり出す、はるか前に壊れたはずですから」

答えは人ごみから身をひねり出した、意外な人からもたらされた。

「あらぁ。ボルケーナったらぁ、随分機嫌が悪いのねぇ」

生まれつきの、語尾から空気がぬけているような声。

「あなた、なぜここに?」

レイドリフト1号が聴いた相手はグラマラスな女性。

瀬名 花蓮。

レイドリフト・ドラゴンメイドを慕ってやってきたアイドルたちのマネージャーだ。

「ボルケーナの結婚式だも〜ん。

友人代表よ〜」

1つ教えてあげる〜。と言って、大聖堂を指差した。

「あの子、機嫌が悪い時は尻尾を変形させるのよぉ〜。

もし抑えようとすれば、自分が吹っ飛んでしまうのよぉ」

ルルディックが動くにつれ、大聖堂に正面から上がるスロープが見えた。

車いすで上がりやすいだろう、長くゆるやかな坂だ。

あれも過去の大聖堂にはない。

「あの子ぉ、結婚式はキレイな教会であげたいって言ってたからぁ。

おメガネにかなったのねぇ」

スロープの真ん中に丸まる赤い影がある。

その背後から広がる2枚の白い羽。

ボルケーナだ。

しかし、あの特徴的な長いしっぽが見えない。

「もしかして、あの大聖堂はボルケーナさんの尻尾ですか?」

思わず、シエロは口を開いた。

「もしかしなくても、そうヨォ」

あの大きな緑色の目は見えない。

ボルケーナの様子は、力なく座りこんでいるように見えた。


「じゃあ、こっちに映ってるのはスイッチアのある恒星系の全体図だよな?」

隣のモニターを指さしたのは外務大臣の井田だ。

そう。太陽系と同じように、燃える恒星を中心としてスイッチアをふくむ惑星や小惑星が回る広大な宇宙空間だ。

その回る軌道はすべて並行して円を描くはずだった。

ところが、今は恒星を斜めにまわる軌道が加わっている。

それも何本も。

「そこに、こんな人工衛星みたいな軌道の惑星がふえるのか? 」

人工衛星という名前。

それを聞いて、何かと思いだすのにシエロはしばらくかかった。

その軌道と言われると、もう分からない。

「どういう事です!?」

と問いかけだけが、辛うじて口からでた。

その問いを聞いて井田は、まずシエロを見た。

「……惑星の軌道は、かさなりあえば平行な円を描くからだ」

数秒言いよどみながらも、話しだした。

「どんな星も、もとは宇宙のチリやガスが固まったものだ。

地球の場合、まず太陽が生まれた。これが最も重い……」

怒りっぽいが、なんだかんだで共感力が強く人を無視できな外務大臣であった。

「……つぎに木星や土星のような重い惑星が生まれる。

これらの星は重力によって引き合い、最も安定した軌道を描く。

チリやガスが重力でその軌道に集められ、地球や火星など新たな惑星が生まれる。

だから太陽のまわりを上下する軌道など、外部からやってきた星でない限りありえない。

これで良いかな」

レイドリフト1号が。

「パーフェクトです!」

シエロはヒーローの官僚トップの太鼓判を聴いて、ようやく人工衛星の事を思いだした。

無理もない。

スイッチアにとっては、かつて存在したものの、歴史の彼方へ消えた機械だ。

「そしてこの、惑星を多数送りこまれたスイッチア宇宙が、宇宙帝国の侵略の最終段階、祖星封印の義です。

我が国の情報機関による成果です」

説明したのはイストリア書記長。

「奴らは、我われの宇宙に自分たちの住む惑星を送り込み、あらゆる方向からの侵略に対抗できるあの軌道に並べる」

送り込まれた惑星の軌道は、少しづつ中心の恒星からの距離を変え、あらゆる角度をおおえるように回っていた。

「巨大なガス惑星も送り込みます。

居住空間の外側で打ち砕き、全体を覆う球状の幕にする。

これは外宇宙の目から隠すカーテン、そして恒星の力を吸収するための物です」

ダイソン球。

シエロには、生徒会の異星人メンバーが話していた事を思い出す。

同時に書記長のすがたに、ようやくチェ連人が意義深いことをなす時がきたと思えた。

「そしてスイッチアは、平たいプレート状に打ち砕き、恒星を周回するリングにすると。

球内部の食料生産モジュールに利用するとーー」

マルマロス書記長の話を、モニターからのブザーと音声が止めた。


『恒星のタキオン恒星化が完了しました。

これにより、恒星系の表示が予測からライブ映像に切り替わります』

タキオン。

その事も聞いていた。

光より、絶対に遅くならない粒子。

そうだ、それで照らされれば、星系中の様子がリアルタイムでわかる。

『了解しました。

アマテラスは、そのまま恒星の監視をしてください。

それ以外の方は作業がすみしだい、スイッチアの護衛に当たってください。

現在、ボルケーナの死を抑える可能性は停止しています。

狗菱 武産の死の可能性が優先します。

スイッチアの護衛を急いでください……』

画面が切り替わる。

星々は、わかりやすい大きさの球として。

ふたまわり大きな黄色い球が恒星で、惑星はその周りに浮かんでいる。

しかし。

星々の間を、あり得ない速さで移動するする球がある。

1つや2つではない。

突然消えたと思ったら、突然現れる球もある。

名前も表示されているが、動き続けるうえ、読みなれない名前でわかりにくい。

恒星の横にいる、タキオン恒星化を司った球は動いていなかった。

「アマテラス……」

スイッチアの横に現れた球も動いていなかった。

こちらは読み慣れている。

「ボルケーナ……」

そして、気づく。

「そ、そうか。この祖星封印の義は、ボルケーナの仲間の神々が実行したものなんだ。

……なんのために?」

周りから、一斉に視線を向けられた。

その全てが驚きか、憐れみを込めたものだった。

それを見て、さすがのシエロも察した。

「本当に、これが結婚式のイベントなんですか?」

ボルケーナの座り込むモニターに、変化が起こった。

「少なくとも、彼らはそうだ」

井田外務大臣の言葉と、視線の先。


マトリクス聖王大聖堂の前。

天から人間の5倍以上の身長を持つ巨人がジェットの青い炎とともに降り立った。

明らかに金属と分かる、みどり、茶、黒のマーブル模様の、その装甲。

ポルタ社の人型搭乗ロボット、ドラゴンドレス・マーク7。

新たに送られてくる映像は、そのドラゴンドレスから送られてきた。

大聖堂が堂々とした姿で、見下ろしている

膝立ちになり、胸のハッチが空いた。

降りてくるパイロットの背中が映る。

背中にソケットをつけた、太めのスーツ。

シエロたちは、あのパイロットの同じ姿を見た。

生徒会を最初に送り返す時、真脇 達美の兄でもあるポルタ社社長と合流した。

丸まっていたボルケーナが顔を上げている。

潤んだ緑の目と、震えながらも笑顔をづくる口元が、相手への感動を物語る。

間違いない。真脇 応隆がやってきた。

彼らの向こうの空は、赤く輝いていた。

「この……出し物を考えたのはレイドリフト・デットエンド、応隆さんですよ」

1号が言った。

「ボルケーナさんは、本質では時を司る女神です。

ペーパー試験も優秀だったと聴いています。

それなのに神獣、神を信じる獣という立場にあるのは、身体的な問題のためです。

彼女の体である超常物質ボルケーニウムは、本来、高熱と大質量を伴わなければ使い物になりません。

じつは、一人前の神になるには、育った世界を離れて異世界で暮し修行しなくてはならないそうです。

それを、身体の特徴が邪魔をしたのです。

どこへ行っても熱と質量が目立つため、未知の天体が衝突すると思われて攻撃されたそうです。

新手の惑星間兵器と思われた事も少なくないそうです。

どれも、地球より技術が進んだ星だったそうです。

応隆さんは、そんなボルケーナさんを攻撃するような世界がどんな物かを知りたがりました。

そして、どうやればそれを潰せるかを試したかったのです」

「それで、その世界というのは、どうなっているのですか? 」

ワシリーが聴いた。

「ここにいます」

1号が指さしたのは、恒星系の中。

打ち砕かれたガス状惑星が、みるみる広がっていく。

恒星系を丸ごとおおう、ダイソン球の内側だ。

全く目立たない、小さな点が並んでいる。

「監視のため、合同で艦隊を派遣したのですよ。

度胸試しみたいなものです」

明確な侮蔑がこめられていた。


そのとき、シエロは気づいた。

恒星系の全体図を見る。

ここに記された神々の表示は、タキオン恒星化された星に照らされ、観測された姿だ。

ボルケーナの表示も同時に現れた。

あの大聖堂にいるのは、とっくにわかっている。

大聖堂前の個体を表示したんじゃない。

「この表示は……」

口がうまく回らない。

あの赤い空の正体。

切れ切れの言葉にならないのが不思議なくらいだ。

「ボルケーナさんの本体、惑星ボルケーナですか?」

レイドリフト1号が答える。あの子供とは思えぬクールな声で。

「その通りです」

惑星ボルケーナならば、重量はスイッチアの5倍以上のはず。

「では。さっきから感じる船の傾き。

これは惑星ボルケーナの重力だったのですか!? 」

「そうです」


『ウワアアああ!!!』

大勢のざわめきさえ貫く、悲鳴!

恐怖が塗り込められ、確信に裏打ちされたその響き!

凝固剤によって固められた、合体黄金怪獣の集められた谷の映像からだ。

他は全身を固められ、金色の像の様になっている中で。

『アー! アー! アー! 』

腕のみを固められた個体が、全身を使って両腕を振り回している。

『おい! 止めろ! 』

動ける他の合体黄金怪獣が捕らえようとする。

ククが恐ろしいからだ。

だがそのたびに、怒り狂う拳に殴り倒される。

その拳は、ククに向いた。

映像は、その襲撃を正面からとらえていた。

『お前たちが! この星を、食ったのかー!!?? 』

迫る惑星ボルケーナのせいだ。

その叫びは、シエロの予想外の共感を持って耳をつんざいた。

したがう組織は違っても、スイッチア人なら、地中竜なら、海中樹なら、天上人なら、故郷を失うことが恐怖だからだ。

この映像では、ククの後ろ姿が大きく写っていた。

銀の鎧と赤いマント姿が、しっかり見える。

そして元いた空中から微動だにしていない。

その姿に、戦う意思は感じられなかった。

そもそも、彼女に近づく攻撃は次元ごと曲げられ、当たることはない。

襲撃者は、そんな事情をかつて体感したはず。

だが、確信と正義への渇望が、そんなことを忘れさせていた。

『お前の所為かー!!! 』

襲撃は、いきなりの衝撃で断ち切られた。

轟音と共に見えなくなり、背中で木々をなぎ倒し、山にめり込んだ。

だが、今度は小さな個体が飛び出した!

『お前の所為かー!!! 』

再び、砲撃で撃ち戻される。

『吠えるな。小僧』

男の声だ。

生徒会顧問の高山 恵二。

ルビー・アガスティアからだった。

あの、ありとあらゆる方向に砲口をむけた黒い学園艦隊旗艦。

だが、その一撃にしては爆炎を起こしていない。得体の知れない反応も起こらない。


ククが振り返る。

撮影者にして砲撃者を見るため。

いかなる防御なのか、今の衝撃は、ククのマントを揺らすことさえできなかった。


その後ろを、足音を響かせて合体黄金怪獣に近づくのは、青い半透明の人型。

ヤラ。青いゲルが巨大な機械をおおった多次元管制艦。

もう1人の生徒会顧問、六 富美が、合体黄金怪獣が倒れたあたりを掘りおこした。

ヤラよりもふた周りは小さな、人型の個体が力なく抱かれている。

ただの人型ではない。

ムダなぜい肉の全くない、まっすぐな手足。

シエロたちと同世代の少年に見えた。

それは、介抱するためではなかった。

『なるほど。本当に子どもを使ってたのか』

『わ、我々の世界に、子どもは、いない! 』

高山のかけた声に、息も絶え絶えのまま叫ぶ合体黄金怪獣。

『全てが勇敢で、誠実で、げ、現実を見据えーー』

首は、半死半生を思わせるほど力なく垂れ下がっている。

『そんなに賢いのなら、観なさい』

ヤラだ。

『ウワー! 何をする! 』

叫び続ける少年の顔を無理やり天に向けると、青いゲルの手で目の部分をおおう。

宇宙を、次元を超えて見渡すための液体レンズで、まぶたを開けさせた。


「何だ……。誰かご存知ありませんか」

船内を見回しても、シエロと同じくらい、困惑と恐怖する沈黙があるだけだ。

「あれはぁ、友人代表の贈り物よぉ〜」

瀬名 花蓮を除いて。

「これから起こることを〜合体黄金怪獣とやらに見せるのよぉ」

その顔は、とても悔しそうだった。

神の前で不浄を働く友を嘆く感じではない。

シエロには、「自分も同じことができるのに」と考えているように見えた。


『配置転換は完了しました』

恒星系を俯瞰するモニターからだ。

『惑星同士の殲滅するプログラムは、順調に進行しています』

スイッチアと恒星をのぞく、すべての星が毒々しい赤色のラインで結ばれていく。

『各惑星、およびステーション、攻撃準備中。

ターゲットの設定を確認。

キーボードがモニターを、反物質弾頭ポルタミサイルでロック。

タッチペンはマウスを荷電粒子ビームでロック』

キーボードもモニターも、惑星を識別するコードだ。

スイッチアのスイッチから、機械を操作する装置から連想した。

『レバーはライトを重力子砲でロック。発射3秒前。

デスクはリモコンをタキオン砲で、攻撃しました。

また全ての惑星で、惑星間ミサイルを乱射中』

赤いラインが、乱れ飛ぶ。

『リモコン、消失。

デスクはキーボードを目標に再設定。

ライト、消失。マウス、消失』

星の表示が、消えていく。

なのに、現実感が湧かない。

外からは、キラッとした小さな光や、音も感じない。

『モニター、消失。キーボードは、タッチペンに目標を再設定』

ナレーションも、ただのBGMのように感じられて……。

「おえっ」

吐く声。

すすり泣きも聞こえる。

思わず、あたりを見回した。

自分が、シエロが、とてつもなく心の冷たい人間のような気がした。

今、自分が感じた無関心は、モニター越しの真実というものに、慣れていないからに過ぎない。

惑星間の事実が映るモニターに、慣れていないからにすぎない、と。

『惑星間ミサイルがレバーに到達。惑星表面が消失していきます』

拡大表示された惑星レバーを、赤い光がネバネバした波となって広がってゆく。

「ズズズー」

大きなシェークを、すすっている者がいる。

それでも、モニターに映る事実を知っていることは間違いない。

のどの渇きが耐えられないというなら。

(そうだ。あれは、あれで正しい)


『もしかして、我々は……』

捉えられた黄金の少年が声をあげた。

『とっても優しいことを、されてる? 』


『不定形で、良かったなぁ』

感慨深く声を上げたのはボルケーナだ。

その手には、ブーケがあった。

口ぶりから言って、ボルケーニウムの肉体で作ったのは明らかだ。

大きく立派な白ユリを中心に、淡い紫の流れ落ちるようなヤマフジの花が。

『このユリは、達美が買ってくれた。

フジの花は、山みちの涼しいところに咲いてた。

ちょっと前まで、目にやかましいくらい咲いてたのにね……』

その声は静かで、とにかく幸せそうだ。

『それを武志くんがブーケにしてくれた。

その形を、城戸ちゃんが伝えてくれたの』


うれしそうに紹介された、城戸 智慧。

保険委員会長のテレパシスト。

スイッチアに来たばかりの時、チェ連の攻撃で足に大ケガを負った少女だ。

一度はシエロたちに自分たちの苦境をテレパシーで見せる拷問をした彼女だが、今は心は癒えたのだろうか?

シエロはそうだといいな、と思った。


『各宇宙ステーションからのレーザーが、恒星系全体をおおっています。

スイッチアも狙われていますが、防衛線は機能しています』

その次の瞬間だ。

大聖堂の向こうで、太陽のような黄色い光が生まれた。

「なっ!」

「被害状況を把握します!」

ハチの巣を突いたような騒ぎ。

宇宙からのモニターもそうだ。

『オイ! 今のはどこに当たった! 』

『一発だけだ! クク! どうなった!? 』

「レーザーは、精密に山脈の要塞を直撃しています! 」

オペレーターが叫ぶ。

「破口を確認! 山肌からバンカー(掩体)の12層まで到達したと、システムは予想しています! 」

その爆音が、ボルケーナと応隆のカメラを叩いた。

「破片が飛び散っています! 衝撃に備えてください! 」

揺れる画像、次に爆煙が迫る中、2人は口づけしたように見えた。

「山頂が落下していく! 」

シエロは、2人の口づけが美しいと思った。

それと、見えなくなったブーケの花が、散らなければ良いな、と思った。

「破口の直径は400メートルと確認! 」

その瞬間、時がめぐり返した。

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