第19話 思い出の帰還
智慧の怒りのこもったテレパシー。
それが、今まさに放たれる!
『やめなさい! 』
止めようとしたのは、ボルケーナだろうか。
(そんなことは関係ない! もうだめだ! )
その確信が、シエロに衝動的な行動をとらせた。
「いやだぁ!!! 」
シエロは精いっぱい体を揺るがし、武志の手から逃れた。
ドラゴンメイド、達美の同型サイボーグであるワイバーン。
本当につかまっていたのなら、その手から逃れられたことは奇跡に等しい。
武志は相手を傷付けることなく支えていたからなのだが、今のシエロに気づく余裕はなかった。
「いやだ! いやだぁぁぁ!!! 」
立体映像の向こうで、外へのドアが開いている。
装甲車はいつの間にか止まっていた。
シエロはドアへ走った。
立体映像を潜り抜けるたびに、アプリなどが動く。
そんなことは、気にしない。
レイドリフト1号2号、アウグル達が止めようと立ちはだかる。
それらさえ強引に押しのけ、外へ駆けだした。
最後に立ちはだかったのは、赤いレンガの壁だった。
突然、背中に強い衝撃を感じた。
「ぐふっ! 」
次の瞬間、服ごと後ろへ引っ張られ、あおむけに引き倒される。
肺や胃から空気が追い出された。
転んだ瞬間、受け身を採ったため、それほど痛みは感じない。
だが、それは更なる絶望を感じることを意味した。
(逃げられない)
体が重い。
脳への血流が弱くなる。
気持ち悪い。
手がしびれて、視界が暗くなる。
深呼吸するような、自分の息遣いだけが聞こえる。
それとも、激しい息遣いが、興奮によってゆっくり聞こえるのだろうか。
(分からない。なにも。どうしよう。どうすればいい?)
10秒、20秒。
体を動かす気はなくなった。
そして湧き上がるのは、無気力。虚無感。
『前に、前藤総理の本で読んだの。
興奮した兵士への取材の仕方。
戦争のことを思い出すと人は、激しい興奮状態になる。
その時アドレナリンという神経伝達物質が全身にいきわたっている』
アドレナリンは逃走か戦うか、のような危機的状況に対応するための準備をしてくれる。
酸素を全身にいきわたらせるため、呼吸が荒くなり、心臓が高鳴る。血管も拡大する。
血流が増えて体温が上がれば、汗が噴き出す。
しかしそれがいきわたりすぎると、今のシエロのように倒れてしまう。
『でも、その興奮は30分と続かないの。
後には心に静寂が訪れて、恥ずかしい思いをする』
「城戸さん。まさかこれが目的で? 」
武志が聴いた。
『さあ、どうなります事やら』
智慧のテレパシーは、不思議なくらい、シエロの心に沁み込んだ。
無力感。敗北感。
シエロは、そんなものに支配されるかと思っていた。
だが、地下室の記憶を見てみると、そうでもなかった。
――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――
記憶の終わり。
部屋に、前藤総理が入ってきて、手を打ち鳴らした。
【みなさん! あなた達のおかげで私たちがもって帰らなければいけなかった荷物は、だいぶ片付きました!
でも、まだ別腹が空いていませんか? 】
陽気に語る総理につづいて、SPが大きな皿を運んできた。
乗っているのは、みずみずしいフルーツだ。
【異世界移動は厳格な重量制限があります。
ですが、あなた達に害がないようでしたら、食料を置いていくのを許していただけますか? 】
檻の中から、うなずきが返ってきた。
そのどれもが恐怖にひきつった、おずおずした物だった。
それでも、前藤総理は明るく振る舞う。
【ありがとうございます。これで多くの人を地球へ運べます】
相手のメンツを絶対つぶさない。
それも彼の流儀だ。
だが、檻の中から、男の怒声が上がった。
【そんなことを言って! 我々を太らせて食べるつもり――】
人間の姿にされた地中竜、春風 優太郎だ。
その言葉は、無理やり打ち切られた。
四方八方から打ち出される拳によって。
【ヒイィ。申し訳ありません! 】
人間の姿にされた三種族たちだった。
【ア・ア・アの歌! ボルケーナ様の歌!
あれは事実なのですね! 】
その時、カツオが檻と総理達の間に割り込むように入った。
【この者は、あの。『ボルケーナの手紙』の歌を、地球人が勝手にでっち上げた物だと決めつけておりまして、成敗いたし――アーっ! 何をする! 】
天上人が驚いたのは、カツオの手がポイズン・チェーンに触れたからだ。
すると、硬く張りつめていたチェーンが緩み、四方にずれて丸い入口を作った。
檻に差し込まれた手から、新たなポイズン・チェーンが放たれる。
【出獲君! 彼らを引き離すだけにとどめるんだ! 】
前藤総理が言った。
チェーンは、優太郎を攻撃していた三種族に縛りつく直前で停止。
そして、チェーンの中での暴力は止まった。
【彼らに敵意は無い】
その総理の言葉を聴いて、三種族はわなわなと震えだした。
【あなた方は、{ボルケーナの手紙}で歌われた、{神の前の平等}を信じているのか……】
彼らは笑顔をうかべた。
【やはり我々は、神の前の平等にふさわしくないのですね】
いや、笑顔なのか? と、その表情を見た者達は疑問に思った。
強いて言うなら、笑顔のようなものを顔にはりつけている?
【ならば、せめてものお詫びに!
みんな、歌うぞ】
三種族が歌う。
それは、地球で作られた新しい讃美歌だった。
神は、自らに似せて人を創られました。
神は宇宙を7日間で創られました。
ならば、地球にいない命も、神の御手によるものだと認めてください。
神は人に、「汝隣人を愛せよ」とおっしゃいました。
そして、人を楽園へと導く大いなる計画を立てられました。
ならば、宇宙で生きる命も、隣人愛を示すために作られた物だと認めてください。
進むべき道は皆同じ、一つだと信じています。
私たちは、神の創造力のしもべ。
さまよえる良き人のための、宿を提供します。
危ない道の先駆けとなります。
雨が降れば傘になります。
アーメン
彼らが歌いだしたのは、{ボルケーナの手紙}
地球からスイッチアへ送られた資料の中にあった歌。
本来ならアップテンポで陽気な歌なのだが、歌い手が混乱状態では歌詞が聞こえるだけでも不思議だ。
元々は、大学時代にボルケーナがクリスマスカードに書いた詩である。
それをデビュー前の達美が曲をつけ、大手動画投稿サイトにアップロードした。
人工知能+ネコの脳が作曲したとあり、それなりに話題になった。
しかし、話はそれで終わらない。
優れた悪魔祓い師として知られた現メイトライ5のマネージャー、ミカエル・マーティンの目に留まったのだ。
『ボルケーナの手紙』は、カトリック系キリスト教の中心地、バチカン市国へと送られた。
そして、神の前での平等愛を示したとして、本物の讃美歌に認められたのである。
達美にとっても、名を知られるきっかけとなった一曲。
まさに運命の曲なのだ。
その時、あの声が響いた。
【バカかあんたは! 】
それまで、痛めつけられていた男。
春風 優太郎だ。
周りが歌に集中していたのは、春風にとって最後のチャンス。
春風はこれにかけ、立ち上がり、走り出そうとした。
だが、その足元にはポイズン・チェーンを踏みつけていた。
当然、黒い火は足を飲み込み、固まる。
【くそう! どけっ! 】
優太郎はその体勢のまま、手当りしだいに周りの者を殴り始めた。
【やめろ! 】
威厳のある叫び。エピコス中将の声だ。
シエロは驚いた。
父が両腕を、大きく左右に広げた!
その後ろには、惑星スイッチアすべての者がいた。
チェ連人、天上人、地中竜、海中樹。
エピコス中将は、その手で三種族との戦いを指揮した。
時には直接銃を向けた。
その手を、かばうために差しだしている!
だが、優太郎はシエロが思い至ったことを気にしていなかった。
【俺は戦士。当たり前だ。俺は戦士……! 】
春風自身が自分を呪うように放たれた、低くて不気味な声。
【俺は、人間と平等になんて、なりたくないんだ! 】
固まった魔法火の中から、皮膚と肉を引き裂く嫌な音がする。
ひときわ大きくなった音の中心から、爆風の様に巨大な金属の足が現れた。
その姿は、生徒会のいるシェルターに現れた姿!
魔法火の拘束を逃れ、何とか立ち上がった春風は、巨大なつま先を尺取虫の様に動かす。
それはシエロの予想以上の速さだ。
その直後、優太郎の口の中へ天上人の視線が飛び込んだ。
そこで記憶は途切れた。
――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――◆――
達美専用車の中から、一本のワイヤーが伸びていた。
レイドリフト1号の右腕を守る、ガントレットから。
ワイヤーガン。
高性能モーターでワイヤーを飛ばし、先端についたヤモリテープで壁などに張り付く。
モーターは人2人を余裕で引き上げる。
ヤモリテープとは、トカゲのヤモリをモデルに開発された。
ヤモリの足には細かい毛が生えており、それが壁などの目に見えないような凹凸に引っかかり、張り付くことができる。
しかもこの毛は一方向に並んで生えるため、ある方向に向かって動かせば簡単にはがせる。
ワイヤーガンに仕込まれたそれは、細いワイヤーで操られるシリコンによって操られていた。
シエロを転ばせた後は、すぐに外れて戻っていった。
シエロにはもう、驚くという気持ちはなかった。
それを奮い起こす神経伝達物質は、使い切ってしまったと思った。
「父達は、その後どうなった? 」
それでも、心配する気持ちは消えない。
ボルケーナが答えた。
『大丈夫。けが人もなく、無事に会議室へ入ったよ』
シエロは、久しぶりにうれしい気持ちになった。
「そうか……」
もう、逃げても無駄だという事は分かった。
それどころか、逃げる必要さえないことが分かった。
「ごめんな・さい。 ごめんなさい」
達美専用車から、すすり泣く声がする。
見れば、アウグルに腕をつかまれた、カーリタースが泣いていた。
逃げようともせず、ただ静かに泣いていた。
「地球人を、召喚することが、地球を実効支配、することだなんて。
僕は信じてなかった!
副主任が! そう言えば地球人は怖がるから安心だって!
僕が臆病でグズだからこんなことに!
ごめんなさい! 」
激しく泣くカーリタース。
その鼻から、一滴の血が流れた。
「カーリ君! 血が!
どこかにぶつけたのか? 」
アウグルがあわてている。
「違います……。これは僕がとろいから。小さいころ、怪獣の血液を浴びたんです」
その言葉を聴いた時、その場にいた全員が息をのんだ。
「お前、怪獣毒素合併症だったのか?! 」
最初に驚きの声を上げたのは、シエロだ。
怪獣とは、通常物理ではありえない能力を持つ、巨大生物。
当然その体組織は人類にとって未知のものが多く、それによる病気には治療方法が確立されていない物も多い。
それに、新陳代謝が遅くなるため、体が太ることも知られている。
『あなた、そんなリスクを背負ってたのに、チェ連で最高の科学者になったの!? すごい! 』
達美が尊敬のこもった声を上げる。
『待ってよ。カーリ君が怪獣合併症だとして、どうして智慧のテレパシーとかでわからなかったの? 』
シェルターではキャロが、智慧を見つめて聴いている。
あちらの人たちの視覚は戻っていた。
『カーリ君自身が体の不調を病気のせいだと思わず、自分のせいだと思い込んでいたのよ。
強力な思い込みまでは、テレパシーも無力だわ』
智慧の声には、心から申し訳ないという気持ちが滲んでいた。
シエロとカーリタースは、この時、再び絆が繋がるのを感じた。
「ところで、ここはどこだ? 」
シエロは立ち上がる。
さっき見たとおり、目の前にはレンガの壁がある。
その持ち主は、3階建の小さなビルだった。
日差しはさしてこない。
どこかの路地裏だった。
立ち上がり、唯一明るい方向を見てみると。
うっそうとした、杉林があった。
ビルと林の間には、2車線の道路。
地面に段差は見られない。
道路まで出てみると、左右に市街地と林が並行して伸びているのがわかった。
林の奥から、天に向かって尖塔が伸びていた。
高さは約50メートル。先はスリット状に天窓がはめられた、直径20メートルはある大きなドームだ。
それを、何段も重なった大きな屋根が支えている。
茶色の石で組まれた壮大なそれは、年月によるしみ一つなく、ガラスはキラキラ輝いている。
シエロの知らない建物だ。
いや、思いだした。
「臆病者の城? 」
知ってはいるが、それは宇宙からの攻撃で、半分以下の高さにまで崩れた廃墟のはずだ。
それでもあまりに大きくて、危険なので、解体されることもなくのこっている。
「マトリクス歴王大聖堂……」
すぐさま、カーリタースが説明した。
シエロが呼んだのは、大聖堂の蔑称だ。
そこは、今やすっかりさびれてしまったチェ連固有の宗教。
それを、はるかな昔にこの地を治めた、マトリクス王国が建立した寺院だ。
全てが戦争のために使われ、現実主義が尊重されるチェ連では、現実にはない物に救いを求める宗教は、臆病者のしるしなのだ。
「そのレプリカ。そして隠れた科学者たちの最後の砦だよ」
怯えてはいたが、カーリタースの声には、チェ連の評価に立ち向かう強い意志が込められていた。
空は、どこまでも澄み渡った青空。
そこに、オウルロードが操る兵器や砲火が飛び交う。
それまで美という物に特別興味がなかったシエロにさえ、それは大聖堂にふさわしい光景には思えなかった。
だが、何よりふさわしくないのは、大聖堂の真上に空いたあのポルタだ。
割れ目はさらに鋭く割れ、大きくなっている。
その向こうには、燃えるフセン市が。
だが、その火は徐々に小さくなっている。
見れば、街のあちこちで勢いよく水が噴き出している。
「消火栓か? 」
シエロは思った。
「いや待て。あれほどの水圧でいっぺんに水をだすことなど、できるのか? 」
そんな水道など、意味がないように思えた。
ビルなどがあっても、その都度ポンプでくみ上げればいいはずだ。
にもかかわらず水は、どれも何十メートルも上がっているように見える。
しかも、その水はビルの屋上の高さ。ありえない低空でとどまっている。
雲から火災現場に、強力な水流となって降り注ぐ。
その時、雲の中から、青い宝石のような輝きが見えた。
それに伴い、巨大な翼を持つ青い影がうかびあがる。
「竜崎 咢牙」
シエロが、りゅうざき さいが、とつぶやいた。
恨みも怒りも込めず、ただ3年B組学級委員長の名を呼んだ。
あだ名はサイガ。
実年齢は182歳。
全長70メートル。
地中竜のように、前足が翼になった飛竜ではない。
独立した前足と翼を持つ怪獣、ドラゴン。
しかも、ボルケーナと同じように、高い知性と無数の能力を持つ、龍神。
ボルケーナがボルケーニウムを扱うように、サイガの能力を支えるのは、水だ。
確かに、彼ならつじつまが合う。
彼は海流や天候さえ操る。
もう一つ、灰色の大きな影が通る。
「ノーチアサン」
ホオジロザメのような姿をした、全長170メートルの機械の体。
召喚された者の中では最大の装甲とバリア、最大のパワーをもつ水泳部部長。
生徒会の活動拠点も務めた、人工知能を搭載した宇宙戦艦。
元々は20年前以降に日本政府が雇った、言わば宇宙からの傭兵だ。
当然、サイガもノーチアサンも普段は人間の姿に擬態している。
そんな彼らが、あの街で何をしていたのか……。
【シエロ君、カーリ君。もう、記憶は受け取ったはずだよ】
智慧が言った。
そう言えば、カーリタースにカーリ君とあだ名をつけたのは、智慧だった。
【受け取った記憶は、時間順に思いだすといいよ】
シエロは、おびえる心はまだ消えていないが、その指示に従った。
それが何の役に立つかは、わからないが。
きっと何かの役に立つと信じて。
そして、生きる理由ができた。
なぜ父は、それまで敵であった者のために身を賭ける気になったのか。
それを聴くまでは、死ねない。
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