第15話

 翌日の朝、少し眠気が残りながら僕は起きる。家に帰った後も僕は順位表とにらめっこしていた。僕でも何か気付けることはないかと頑張ってみたのだ。寝たのは午前二時くらいだと思う。

 やや呆然としながら顔を洗い、朝食の準備。頭にもやがかかったよう。何か分かったかというと、今の僕の状態が示す通り。

 溜息をつきながらパンを焼いてバターを塗りたくる。ホットミルクと共にもそもそと胃に収めていった。チェック柄のテーブルクロスに目を落とす。別に柄のマス目がいくつあるか数えようというわけではない。そこに順位表が置かれているかのように、視線を落とした。全員の名前を文字列に変換するのが間違いだとしたら、他にどんな読み方をすれば良いのか。

 それが簡単に分かるわけもなく、時間が来たら家を出る。今日は午前から安辺さんの会社へ向かう予定だ。電車に乗る時も、電車の中でも、事務所へ行ってベンツに乗り込んでからも、運転しながらも考え続けた。せっかく順位表があって、それを読み解けば正解に辿り着くと分かっているのだから、あと一歩なんだと思う。六波羅さんの代わりに正解とはいかないまでも彼女に良いパスを出したい。

 途中で六波羅さんも拾って車に乗せたが、彼女もまだ閃いていないようだった。

 安辺さんの会社に到着。ビルを見上げながら思う。いったい中垣さんはどんな意図でパスワードを設定したのだろう。それが分からないことにはどう順位表を読んだら良いのか分からない。そうしたら、あることに気付いた。六波羅さんが『中垣さんの思い』が分からないといけないって言っていた気がするけど、今僕が思ったことと同じなのかもしれない。ということは僕は今ようやく『中垣さんの思い』を口にしていた時の六波羅さんに追いつくことができたのだろうか。



 エレベーターに乗り安辺さんの所へまずは挨拶に行く。安辺さんは頭がボサボサになっていて目が虚ろになっていた。徹夜したそうだ。休憩室にまだがいるから驚かないでくれと言われた。休憩室に行ってみると、寝袋が一つ転がっていてミノムシみたいだった。阿藤さんが寝袋に収まっていた。こちらも徹夜だろう。

 僕らは阿藤さんから一番離れたテーブルに着き、声量を抑えて話し始める。

「今日こそは解決したいですね」

 僕の言葉に六波羅さんが頷いた。

「ああ、不可能な案件でないことは確かだ。このまま観客となっているだけではもどかしい、早く語り部となりたいね」

「早く解決して安辺さんを安心させてあげましょ」

 御厨さんがわざとらしく良い事を言うので六波羅さんがニヤリとした。

「そしてミクりんはこう囁くんだな。『お代は十万でけっこうです……ドルですが』」

 僕も慣れてきたのでこの流れに乗ってみることに。

「金額の所を隠した契約書を持って『何も言わずにここにハンコを押して下さい』かもしれませんよ。後でとんでもない金額だと判明してトラブルになるかも」

 すると御厨さんはぷりぷりと怒る仕草をした。

「もーキミまでそんなこと言って。呑天ちゃんが変なこと言うから影響しちゃったじゃない」

 六波羅さんは舞台女優のように大仰に肩を竦めた。

「『変なこと』だそうだよ?」

「『変なこと』ですかね?」

 僕もつられて肩を竦める。

「二人にいじめられてわたし悲しい~。泣いていい?」

「どうぞ」「遠慮なく」

 六波羅さんと僕で突き離すと、御厨さんは頬を膨らませ恨めしそうな顔をした。

 順位表を眺め、ようやく本題に入った。

「けっきょくこれどう読むんですかね。やっぱりまだ情報が足りないのかな」

 僕の言葉に六波羅さんが頷いた。

「そうだろうね。まずは情報を整理してみようか。順位表が鍵となるのはほぼ間違いがない。順位はこれで正解と思われるが、口頭のみの情報もある。『偶然で素敵な奇跡』『二人で頑張れば』という言葉が順位表の読み方のヒントである。ここまではかなりパスワードを解くにあたって重要度が高い情報。パスワードに直接関係するか分からないものは、中垣さんが周囲とうまくいっていなかった。でも弐平さんのように悪く思っていない人もいた。中垣さんは弐平さんとデートしたことがある。順位のことも含め中垣さんは仕事の話を飲み会などでみんなに話していた。その他細々とした情報なら沢山あるね」

 こうして整理してみると実に沢山の情報があるものだ。それでも不足しているのだからこの事件の難しさは相当なものである。

 僕は額に拳をこつこつ当ててみた。そうすれば刺激で脳が活性化するんじゃないかというように。効果は不明。

 情報が足りないのなら、足せば良い。地道な作業だがそれが一番だろう。

 では次に誰の話を聞くか、ということになる。もう弐平さんのような重要人物の話も聞けたし、まだ話を聞けていない人が良いか。

 まだじっくり話せていないのは、阿藤さん……は寝ているから除外して、後は州輪さんと市野さん辺りか。



 しばらく休憩室の出口を見張っていると、州輪さんと資島さんが喫煙室へ入っていったので二人が出てきたところで声をかけた。

 テーブルへ来ると二人は最新の順位表を眺める。

「えーと、なにこれ……っていうかまあ、中垣さんが勝手に決めたものですしね」

 乾いた笑いを漏らすのは州輪さん。同意を求めるように隣の資島さんに視線を向ける。資島さんはうんうん頷いた。

「わたしだって頑張ってるのにー。州輪さんだってもっとできる人ですよね」

 六波羅さんがそこに話しかける。

「まあ順位の妥当性については置いておくとして、中垣さんにまつわるエピソードか何かはありますか? パスワードを解く鍵というのは、中垣さんの思いです。中垣さんがどんな思いでパスワードを設定したのか、そこに迫らなければなりません。そして思いを知るには、中垣さんの情報が少しでも多く欲しいのです」

 すると州輪さんが腕組みして上を向いた。記憶を探す仕草だ。それから顔を元に戻し、話し始めた。

「これはもう半年前のことですけど……公指さんとか僕とか中垣さんとか五人くらいで手分けしてシステムを作っていたんです。僕や公指さんは順調だったのでそれなりの時間に帰っていたんですけど、そうしたらある日突然中垣さんが怒り出しちゃってー。『早く終わっているのなら手伝え』っていうんですよ。それで公指さんが言い返してケンカになって、なんか最後は中垣さんが阿藤さんに働きかけたみたいなんですよね。それで僕達にも手伝って欲しいって阿藤さんから言われたんですけど、でも僕達も余力があるわけじゃないからって断ったんです。それで中垣さんがまた怒って、何か阿藤さんに提案したみたいなんですけどそれがこじれて、その後ぐらいに中垣さんが順位をもっとみんなに意識させる必要があるって言い出したんですよ。なんか、終始あの人が空回りしてるっていうか? 変な人ですよねー」

 州輪さんは常にちょっと上目遣いに相手の顔色を気にするような感じで話していた。声の調子も、一つ一つに同意を求めるような色が窺える。聴いているとついつい頷きたくなる調子でやっぱり中垣さんのイメージは悪くなった。六波羅さんはそうでもないんじゃないかって言っているんだけど、中垣さんの味方は弐平さんだけで、他が軒並みこんな感じでは多数派を信じたくなるものだ。

「順位をもっと意識させる必要がある……ですか」

 六波羅さんの呟きに州輪さんは頭を掻いた。

「なんなんでしょうね? でも今回のパスワードに繋がるかもしれません。だって順位表がパスワードを解く鍵ということは嫌でも順位をみんなが見ることになるし。そうした中垣さんの自己顕示欲がパスワードに絡んでいるってのは考えられないですかね?」

「それはまあ、可能性としてはありますね」

 六波羅さんは話を合わせて薄く笑った。これはてきとうに流している時の彼女だ。まあ、六波羅さんは『中垣さんが自分を1位にしていない』というところを重要視しているので、自己顕示欲の線は考えていないのだろう。僕もそれは納得できるところがあるので、流しておくことにする。

 とはいえ、他にどんな線が考えられるのかという話でもあるんだけど。

 州輪さんは六波羅さんの曖昧な同意に『深い賛成は得られなかった』と察知したのか、焦った調子になる。

「中垣さんって土能さんとか資島さんからも良い話を聞かなくてー。人の仕事を否定してきたりするんですよね。その割には自分が納期守れてなかったりとか」

 六波羅さんは薄く笑ったままだが、視線をさまよわせ言葉を探しているようだった。その視線が僕と交差する。何だかサポートするように求められているような気がした。話が脱線してきた気がするので、流れを変えてみるか。

「中垣さんの残した言葉によると『偶然で素敵な奇跡』『二人で頑張れば』というのが順位表の読み方のヒントらしいんです」

 僕の言葉に州輪さんは意外そうな顔をした。

「……何だか中垣さんが言いそうにない言葉ですね」

「この言葉を聞いた弐平さんもそう言っていました。中垣さんはこういうことを普段言わないみたいですね」

 すると州輪さんと資島さんが顔を見合わせた。それから恐る恐るといった感じで州輪さんが訊いてくる。

「もしかして、中垣さんと弐平さんのことってもう聞いてます?」

「ええ、まあ、デートしたらしいですね」

 そうしたら、資島さんが目を輝かせて話し始めた。

「弐平さんもやりますよねぇ、あの中垣さんが相手っていうのもアレですけど、弐平さんの身の上も、ねえ~?」

 恋の話を動力源にしています、と言わんばかりのパワーだ。しかも恋の話でこじれているから余計に熱が入るのかもしれない。順当なものよりもこじれている方が外野にとっては興味が惹かれるというのはワイドショーが証明している。

 僕も完全に外野であれば無責任にあれこれ言えたかもしれない。でも、弐平さんの言い分を聞いてしまった後だと複雑だ。

「どうなんでしょうねえ」

 曖昧に笑ってごまかす。何だか六波羅さんの気持ちが分かったかもしれない。情報は提供してもらわないといけないから下手なことは言えないし、かといってこれ以上聞くつもりもない話を広げる道理もないのだ。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、資島さんはずいと身を乗り出して指を立てた。

「パスワードって、もしかしたら恋が関係しているのかも! 中垣さんは弐平さんへの想いを募らせていて、でもデートが見付かってしまった以降は離れ離れになってしまった。だから失踪して弐平さんの前から消えるけど、この想いだけは伝えておきたい……それをパスワードにした……どうです? わたしの推理、イケてないですか~?」

 何だかてきとうに言っている気がする。

 けど、意外にそれだとしっくりくるような気がした。資島さんが言うように、弐平さんのために中垣さんが失踪したというのなら理解しやすい。デートが見付かってしまって以降、気まずい状態が続いていただろう。僕ならそんな状態では逃げ出したいと思う。

「あー……恋の路線かあ。有り得るかもしれませんね」

 ただ、その路線でどう順位表を読めばいいのだろうか。テーブルに手を伸ばし、順位表を手元に持ってきて眺めてみる。

「きっと弐平さんに向けて『あの思い出の場所で待ってる』とか『愛してる』とか、そんな感じのメッセージが入っているんですよ!」

 このノリは女性ならではなのだろうか。思い出の場所、ねえ……思い付くのは【赤あど】くらいだけど。弐平さんに思い出の場所とか他にないかもう一度ヒアリングしてみようか。

 そんなことを思っていると、僕は順位表の一点に目が止まった。

 驚愕で目が飛び出しそうになった。

 順位表に、【赤あど】を見つけてしまったのだ。

【1位:阿藤瑛都(あとうえいと)】

【2位:刈葉候周(かりばこうしゅう)】

【3位:安辺大衛(あんべだいえい)】

【4位:土能夕香(どのうゆうか)】

 平仮名の先頭一文字だけを読んでいくと『あかあど』になるのである。

「ちょっ……これ見て下さい!」

 僕は思わず大声を上げて順位表をみんなに見せた。そして指で示して説明する。

「1位から4位の平仮名の先頭一文字を繋げて読むと『あかあど』になるんです!」

 みんなからはおおっというどよめきが起こった。資島さんが手を祈りの形にして恍惚の表情を見せる。

「これって素敵な偶然ですね! やっぱりこれは恋のメッセージなんですよ~」

……ああこれが『偶然で素敵な奇跡』なのかもしれない。これは偶然にしてはできすぎてますよ」

 僕の言葉にも力が入る。六波羅さんが順位表をまじまじと覗き込んだ。

「ふむ、『あかあど』ね……とすると、他の部分は何かな? 最後の方は日付に見えるけど」

 そうして示されたのは最後の四人。

【7位:市野鉄太(いちのてった)】

【8位:壱松隆弘(いちまつたかひろ)】

【9位:弐平亜果莉(にひらあかり)】

【10位:資島叶多(ししまかなた)】

 この場合漢字の先頭一文字を繋げれば『いち・いち・に・し』、数字にすれば『1124』となる。これが日付に見えると六波羅さんは言っているのだ。

「十一月二四日……何か特別な日付なんですかね?」

 僕が呟いていると、資島さんがぽんと手を打った。

「弐平さんって確か十一月が誕生日だった気がする! きっと十一月二四日なんですよ。ということは、十一月二四日に【赤あど】で、何かあるんです!」

 何だか本当にそうなんじゃないかと思えてきた。中垣さんが弐平さんに向けたメッセージをパスワードにするというのは充分ありえる。『二人で頑張れば』というのも中垣さんと弐平さんの思い出を辿れば、という意味なのかもしれない。

 では、残りの部分はどう読めば良いのか。

【5位:公指慶太郎(こうしけいたろう)】

【6位:州輪真査緒(しゅうわまさお)】

 一同が黙りこんでこの二人の名前を注視した。共通項はないか、何か繋げたら言葉にならないか。しばらく考えてみたけど思い付かなかった。

 州輪さんと資島さんは業務に戻って行った。

 思わぬ収穫だった。一気にパスワードの回答に近付いた気がする。

「十一月二四日に【赤あど】で、中垣さんは何をするつもりなのだろう。単純に考えると、告白とかそういうのですかね」

 僕が一人ごとのように言うと、六波羅さんが顎に手を当ててニヤリとした。

「ふっ……略奪か。これは使える!」

 会話が繋がっていない気がするが、たぶん彼女の小説のことだろう。御厨さんがそこに茶々を入れた。

「そういう展開は駄目よ。もっと綺麗な純愛が良いわ」

 六波羅さんはやれやれと大袈裟に残念を表現し、僕に水を向けた。

「『札束で男の頬を叩けば必ず振り向いてくれる』と豪語する女が『純愛』ときたもんだ。これは謎かけか何かかい? 『純愛』とかけて『ミクりん』ととく、そのこころは?」

「どちらも欲しいものを抱き締めています。『純愛』は恋人を、『ミクりん』は札束を」

 僕なりに考えて返してみたら、六波羅さんはうんうんと頷き御厨さんは頬を膨らませた。



 お昼になり、僕達は再度【赤あど】へ行った。というより、近くで食事処を探しても五件程度しかなく、【赤あど】の建つ通りにその五件が集中しているのだ。五分以上歩けばもっと選択肢が広がるみたいだが。

 幸いランチの方は店の前に出ている看板を見る限り高くないようだった。

「いやあ、もう少しでパスワードも解けそうですね」

 僕が楽観的にそう言うと、六波羅さんはテーブルに視線を落としながら返事をした。

「うん、そうだね」

 言葉だけは同意を示しているけど、何か引っ掛かる。これは六波羅さんが何か考えているのかもしれない。順位表の残りの解読を進めているのかも。

 御厨さんはランチメニューで迷いながら話す。

「解けそうな希望が出てきて良かったわ。どうせなら成功した方が報酬を多く請求できるし。それに安辺さんの納期も守れるしね」

 まるで安辺さんの納期をついでのことみたいに言うところに僕と六波羅さんはジト目になった。まあ、僕も人のことを言えるほど良き人間ではないんだけど。

 それから御厨さんと六波羅さんの過去案件でのトラブル話が始まり、依頼者が激怒した時とか近所の人に不審に思われて警察に通報されたりとか、色んな苦労話を聞くことができた。今でこそ笑って話せるけど、トラブルが起こった時は毎回大変だったようだ。佐伯さんの時みたいに怒りだす人は割と多いらしい。まあ、当然かもしれない。事件解決のために小説を書くなんて聞いたことがない。

 食べ終わってそろそろ店を出ようかというところで、六波羅さんが何かに気付いた。一点を凝視しているので、その視線を辿ってみる。すると、意外な組み合わせの人物達がいた。

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