第14話

 僕らはビルを出て、教えてもらったレストランに向かった。

【赤あど】

 木製の看板に太い筆で荒削りに店名が書かれている。店内から漏れる柔らかい光の中、テーブルに着いて談笑するカップルや女性グループ、きびきびとした動作で動き回る店員たちの姿が映っていた。店の構えはお洒落で、女性客が多そうに見えた。

「うわあ、どんなお料理か楽しみー!」

 御厨さんが大げさなくらいに上機嫌な声をあげる。休憩室を出る時には対極の態度だったのだが。

 彼女の態度の変貌ぶりには理由があった。ちらりと御厨さんの隣に目を向けると、中年の男性の姿が。

 僕ら三人の他に、安辺さんがついてきたのだ。僕らは休憩室を出た後、安辺さんに報告しに行った。今日の進展具合、これからレストランに行くこと、そして今日はもう帰ること。それならせっかく来てもらったお礼に、と安辺さんが気前よく奢ってくれることになったのだ。御厨さんが報告の時レストランの話を三回も四回も重ねてしていたのを忘れない。何とかして安辺さんに奢らせようと誘導していたのだろう。その誘導が成功し、自分の財布が痛まなくなったので御厨さんは上機嫌なのだ。僕と六波羅さんはいつか御厨さんの財布に大打撃を与えてやろうと固く誓った。

 店の中は外から見た時よりも照明が抑えられて大人な雰囲気がただよっていた。聴こえてくる声も居酒屋の賑わいではなく、ご歓談といった感じ。店員に案内され、個室のテーブルに通された。

 安辺さんがさっそく手拭きに手を伸ばし、笑顔を見せる。

「ここはコース料理があるから、それで良いですか? 悩まなくて済むので」

 奢っていただく身で反論はない。僕達は頷いた。創作料理ということだが、どんなものが出てくるのだろう。

 最初にビール瓶とグラスが運ばれてくる。御厨さんが安辺さんに肩を寄せてお酌を始めた。

「今日で解決できなくて本当にすいません。今日帰りましたら撮影した映像を事務所で分析して、他にもヒントがないか探してみます。明日は必ず解いてみせますので」

「いやこちらこそ無理難題押し付けちゃってすいませんね。納期が間近に迫っているものだから焦っちゃって焦っちゃって。参りましたよ」

 さて僕は、と思い六波羅さんの分でも注ごうかと思っていたら六波羅さんの方から注いでくれた。

「私はミクりんのように色気のある注ぎ方はできないがね、我慢してくれ給え」

 そんなことを言いつつも、彼女の所作は洗練されていて注ぐ手も添える手も思わず見惚れてしまった。ああそうか、旅館の手伝いでこういうことも慣れているのか。

「いや、凄く……嬉しいです」

 凄く綺麗です、などと思わず言ってしまいそうになり、ぎりぎりで修正。さて僕の手にある飲物は何か。一応ジュースということにしておこう。大学生だから正確な年齢さえ明かさなければ良いはずだ、うん。

 僕が六波羅さんに注ぎ返そうとすると、彼女は遠慮した。

「私は酒が飲めなくてね。未成年だから、ということにでもしておこうか」

「あ、そうだったんですか」

 酒が飲めないという情報よりも、未成年というところに衝撃があった。六波羅さんは大人びた雰囲気を持っていても、僕とそう変わらない年代だと思っていた。やはりそうだったということだ。歳が近いというのは妙に嬉しい。この嬉しさはどういったものだろうか。あまり年齢が離れていると僕が相手にされないかもしれない、という危惧があったから、その心配がなくなったという安堵から来ているのかもしれない。

 六波羅さんは僕の顔を見ると、不思議そうな顔をした。

「おや、どうして嬉しそうな顔をするんだい?」

「同年代の仲間だと分かったことが嬉しくて」

 すると彼女はふふっと良い笑顔を見せた。

「そうか、歳が離れているのはミクりんだけか」

 そうしたら、御厨さんが安辺さんに見えない角度で六波羅さんのスマホを弾いて机から落とした。六波羅さんはそれを予見していたように落下途中のスマホをキャッチした。それから二人でうふふふと笑顔を交わしていた。怖い。

 それとなく僕らは店内を見回したりして中垣さんの残したヒントでもないかと探してみる。でもそれらしいものは見付からない。

 次々と食事が運ばれてきて、食べて飲んでを続けていると安辺さんが愚痴をこぼし始めた。

「しかし中垣が失踪するなんてなあ。ある程度みんなとうまくいってなさそうな雰囲気も感じてはいたんだ。でもそこまでとは思わなかった。私がみんなの話を聞いて仲裁に入れば良かったのかもしれない。現場のことを分かっているつもりでも分かっていなかったんだな」

 お酒の勢いで口調もですます調から変わっている。

 御厨さんが宥めるように言った。

「安辺さんは悪くないですよ。そこまで気に病む事はありません」

 でも安辺さんは首を振る。

「私は少数精鋭の集団を作りたかったんだ。小さい企業だけど強力、あそこに任せれば確実に良い物ができる……そんなところだ。それには社員の定着が必須だ。社員の入れ替わりが激しいと技術が向上しない。先輩から後輩への技術の継承もできない。だから品質の劣化も起こるし、何より社員の幸せもない。私は社員の幸せも考えているつもりだったんだよ」

 すると御厨さんが眉をハの字にして黙ってしまった。同じ経営者として何か思うところがあるのかもしれない。代わりに六波羅さんが声をかけた。

「中垣さんの失踪ですが、不満によるものでもないかもしれません」

 彼女に注目が集まる。意外な言葉だった。果たしてそうなのだろうか。

「本当かね?」

 怪訝な顔をする安辺さんに、六波羅さんは淡々と言った。

「確証はないですがね。会って話を聞く事が出来れば一番なのですが。それができない以上、悲観的な結論を急ぐ必要もないかと。どういう可能性も有り得るのですから」

 安辺さんはううむと唸り、釈然としない感じになった。でも、それ以上悲観的なことは言わなくなった。



 けっきょく、創作料理【赤あど】ではこれといった手掛かりは掴めなかった。

 事務所に三人で戻り、それから今日撮影した映像の上映会。コンビニでお菓子や飲物を買って臨んだので、何だか友達内で集まっての映画鑑賞みたいだった。事務所にはまだちらほらと人が残っていて、それぞれが担当案件に追われているようだった。

 上映会では六波羅さんは殆ど無言だった。じっと映像を見ていたり、首を傾げたり、遠くを見る目をしていたり。頭の中で物凄い情報が行き交っているのかもしれない。

 途中で苦しみだしたりしないだろうか、と心配になる。

「なんだい、私の顔に何か付いているのかい?」

 六波羅さんが僕の視線に気付いて問い掛けてきた。僕は慌てて両手をワイパーみたいに動かす。

「いえ! 六波羅さんはどういう所に着目しているのかな~と!」

 すると六波羅さんはピッと人差し指を僕に向けてきた。

「そうさね、君の挙動不審さ、そして休憩室に君とミクりんが一緒に帰ってきたことがあったという二つの要素。更にその後から君が私に遠慮がちな視線を向けてくるようになったという三つ目の要素。その辺りに着目しているよ」

 僕は冷や汗が滝のように流れる心境だった。そうだ、彼女はプロファイリングの天才。全て見透かされているのだ。

「そんなことはないですよ!」

 抵抗を試みるも、声が裏返った。ごくりと喉を鳴らしてしまう。

 六波羅さんはしてやったり、と口の端を歪めた。

「分かったぞ……君はミクりんと逢瀬を楽しんでいたな? 不健全にも業務時間中に茂みの中に連れ込まれ、君はあれよあれよという間に開錠されてしまった……!」

「……え?」

 目が点になった。

 六波羅さんの予想が外れている……?

 そして、意味が分かってくると笑いが込み上げてきた。

 ああ、そうか。

 恋愛ネタと勘違いしたのか。

 そっち方面に思考が向いてしまえば、彼女のプロファイリング能力は崩壊する。

 恋愛下手。

 恋愛小説作家なのに。

 助かった!

 僕が安堵していると御厨さんが口を挟んできた。

「も~ちょっとお話してただけよ。呑天ちゃんはすぐ変な妄想するんだから」

「おや、外れてしまったか。ミクりんはティラノサウルス並の肉食竜だからね、空腹を我慢できずに見境無くがつがつと貪ってしまったのかと思ったよ」

「わたしはそんな手当たり次第じゃないもん! わたしはそうね……匂いで選ぶのよ」

「金の臭いか、それはミクりんらしい! おおトリュフを発掘するのはメスの何だったかな? 浅薄な私に教えてくれたまえ!」

「わたしの中ではそれは子猫ちゃんよ」

 ぶふっと僕は噴き出した。六波羅さんも呵呵大笑である。部屋に残っていた数人の従業員たちも口を押さえて笑いを漏らしていた。

 御厨さんは目一杯頬を膨らませて不満を露わにした。

 休憩のために外に出ると、遅れて御厨さんが出てきた。

「も~あからさまに変な態度とってたらダメじゃない。呑天ちゃんは勘が鋭いんだから」

「すいません……あの話を聞いてから六波羅さんが急に苦しみだしたりしないかと心配になってしまって……」

 御厨さんは大らかな微笑みを見せた。

「…………呑天ちゃんに本気なのね?」

 なんだか、こういう方面では御厨さんの方が鋭いようだ。

「六波羅さんは……なぜ恋愛小説を書くようになったんですか? その前は推理モノとかを書いていたみたいですけど」

「うーんそれも教えられないなぁ……昔の呑天ちゃんが今とは別人みたいに違っていたということは確かだけど」

「昔は別人みたいだった?」

「そう。元々の小説との出会いなら教えてあげられるけど」

 どうしよっかなーと御厨さんは思わせぶりな態度をとる。

 そんなご無体な、と僕は思った。餌のおあずけをくらう犬の気持ちが分かった。

「ぜひ教えて欲しいな~」

 必死にイラつきを押し殺し揉み手をしてみる。何ならミクりん超美人と言っても良い。

「それじゃあわたしのお願い、聞いてくれる?」

「もちろんですとも!」

 脊髄反射で僕が了承すると、御厨さんはフッと悪女の微笑を見せた。

 あれ、何か寒気が……

 これって、引っ掛けられたんじゃなかろうか?

「じゃあわたしのお願いを一回聞いてくれる、ということで」

「え、ちょ……」

 御厨さんの『何でも』は超怖いんですけど。主に金銭感覚とか。

 しかし極上の餌を目の前にした僕には尻尾を振る選択肢しか無いわけで。

 目の前の女性は勝ちしか有り得ない勝負をわざとゆっくり楽しむように僕の反応を見ていた。

 それから六波羅さんの過去が語られた。



「呑天ちゃんが中学一年生の時が始めて小説を書いた時だと言っていたわ。その頃の呑天ちゃんは地味グループの中でもダントツで喋らない子だった。唯一の友達はガリ勉タイプ。ユカちゃんといっておとなしくて目立たない子だった。けれどユカちゃんは花の様に笑う子で、見えない所で優しさを発揮する子だった……」

 ユカの家に親戚が家庭の事情で息子を預けてきた。その子は既に疲れ果てたのかふさぎ込んでいた。ユカはその子を弟のように可愛がった。

 家に来て一週間男の子は言葉を発さず部屋から出ず殻に閉じこもっていた。よほど家庭が荒れていたのだろう、ユカは不憫に思い根気強く接した。

 そうして遂に男の子の心を開くことに成功、半年後には外に出て遊べるようになった。呑天も一緒に遊んだ。

 そんなある日、男の子を遊びに連れて行く途中でユカが事故に遭った。暴走車の跳ね飛ばしたポールが足に直撃したのだ。暴走車は制限速度を五〇キロも超過していた。

 男の子を庇うことはできたがユカは脚に重大な損傷を負った。

 ユカの見舞いに行った呑天はユカの父の写真を目にする。海外でインフラ指導を行うNGO職員だった。父の周りには現地の人々の笑顔が溢れていた。

『私もお父さんみたいになりたいと思っていたんだけど、夢は諦めるしかないね』

 ユカは苦笑しながら言った。でもシーツを握る手は震え涙も流していた。

 なぜこの子が不幸にならなくちゃならないんだろう、と呑天は悔しい気持ちでいっぱいになった。暴走車の運転手を見つけて引き裂いてやりたかった。

 せめてユカに励ましの言葉を……と思ったが、呑天は喋るのが酷く苦手だった、そこで文章にしてみたのだ。

 海外旅行のパンフレットを読み込み、そしてインフラ指導のことも勉強して現地を想像しながら書いた。最初はぶつ切りの現地の景色を並べただけの文章。でもそのうち現地の人々の会話もあるよね、とそれを盛り込んでいき、最終的にはユカがそこへ行った気になれるようにユカを主人公としてストーリー仕立てにした。

「……ユカちゃんは凄く喜んでくれてね、原稿を大事に胸に抱いてありがとうって言ってくれたんだって。それが呑天ちゃんと小説との出会い」

「…………そんなことがあったんですか」

「人が喜んでくれるのが嬉しいと感じて、次に取り掛かったのが推理モノだったのよ。呑天ちゃんのお父さんが推理モノが好きだからってことで、誕生日プレゼントとして送ったのが最初なんだって」

「ああーそういうことだったんですか!」

 六波羅さんが喋るのが苦手だったというのは意外だったが、本当に良い子だったんじゃないか。ユカちゃんも凄く良い子だ。

 しかし、男の子の方はせっかく心を開いたのにユカちゃんが大変なことになって、またふさぎこんだ状態に戻ったりしなかっただろうか。

「その後の話なんだけど、ユカちゃんは現在自分の身体でもできることはないかと模索中、男の子はユカちゃんの夢を継いで海外ボランティアに行ってきたのよ」

 それを聞いて、救いがある話で良かったと思った。

 でも、僕にしては珍しく小さな違和感に気付いた。

「あれ……? 御厨さんは何で『その後の話』を知っているんですか?」

 六波羅さんの過去を御厨さんが知っているのは良いとして。でも、その後の話を御厨さんが知っているのは妙だと思ったのだ。まあ、最近六波羅さんにそれを聞いたというのなら確かに知っていても不思議ではないんだけど。でも、その後の話をわざわざ六波羅さんから聞くだろうか?

 しかも、話し方も変だ。『行ってきたのよ』である。『行ってきたらしいわ』でなく『行ってきたと聞いている』でもない。

 まるで、御厨さんにとって自分事のような……

 すると、御厨さんは驚いた顔をした。それから躊躇うような間があって、ちょっと恥ずかしそうに言った。

「わたしは家庭が荒れていたからお金しか信じられなくなっちゃったけど、は真人間に育ってくれて良かったわ」

 夜のビルを背にはにかむ御厨さんは、今までに無い家庭的な温かみを感じさせた。

 僕は顎が外れそうになった。

 そんなところで繋がっていたのか!

「えっと、え? ちょっと待って下さい。六波羅さんは旅館で会ったのが最初だと言ってませんでしたっけ?」

「わたしはその前から知ってたんだよ~これ秘密ね? まあ会話を交わしたのは旅館が最初。その頃のわたしは荒れていたから、優しさは敵だーって思って、それで旅館で呑天ちゃんと出会った時に意地悪しちゃったの。弟から聞いていた呑天ちゃん達の青春が、羨ましかったのよね」

 簡単に言えば逆恨みじゃないかよ……という突っ込みはしないことにした。今丸く収まっているのならそれで良い。

 御厨さんと六波羅さんの繋がり、か。良い事を聞けた。

 今回は同時に帰ると怪しまれるので、時間差で戻ることにした。僕はしばらく外で時間を潰してから戻ることになる。

 別れ際、御厨さんが言った。

「そうそう、わたしからのお願いなんだけど。この先呑天ちゃんが困って前に進めなくなった時、キミが助けてあげて。キミにしかできないことがきっとあるから」

 御厨さんのお願いは札束ではなかった。

 僕にしかできないこと……

 手の平を凝視してみる。何の変哲も無い手。でも、魔法の力を貰った気がした。

 その後も戻ってから映像のチェックが続いた。

 それも夜十時にはさすがに終了として、一日目は解散となった。

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