第13話

 弐平さんが執務室へ戻っていくと、僕達は順位表に目を向けた。

「2位が刈葉さんで9位が弐平さんか」

 僕が呟くと、六波羅さんが順位表に指を向ける。

「順位表の書き換えをしてみようか。現在9位が刈葉さん、ここを弐平さんに変更。そして現在2位は公指さん、ここを刈葉さんに変更。すると公指さんは余り、5位が弐平さんだったので5位が空白となる。だから5位を公指さんとする」

「公指さんは2位じゃないかって言ってた人が多かった気がするけど、何で5位なんでしょうね。本当にこれで合ってるのかな」

 順位表に修正を加えながら僕はぼやいた。

「中垣さんが見る限りでは、そうだったのかもしれないね」

「……やっぱり独自基準なんじゃないですか?」

「さあ、それはどうだろう」

「え、でも六波羅さんだって公指さんを褒めてませんでしたっけ? 経営の観点があるとか」

 すると六波羅さんは薄い笑みを浮かべた。

「その後私が質問したのを覚えているかい? 『今回は売れそうですか?』と私は尋ねた。すると公指さんは『さっぱり分からない。売れなくても給料さえもらえれば良い』と言っていたね。経営的観点などないさ。私がしたのはリップサービスだよ。彼は中垣さんの悪口を言うためだけに経営的観点があるかのように見せかけていただけだったのさ。彼は今回の件の依頼を『ウチとしては金がかかって大損害』と言っていたけど、内心では会社の負担する費用なんて微塵も興味が無いだろう。後で喫茶店に入った時私が『事件の解決よりも気持ちを優先したい人がいる』と言ったが、彼は間違いなくそれに当てはまる」

 六波羅さんの説明に僕は目を剥いた。確かに彼女の言う通りだ。

『ウチとしては金がかかって大損害』と『売れなくても給料さえもらえれば良い』の二つは矛盾するじゃないか!

 公指さんと会話したわずかな時間で、そこまでのプロファイリングをしていたのか。恐ろしいほどの観察眼だ。会話の細かな矛盾点も、砂漠からガラス玉を取り出すように見つけ出している。

 それから、一つ分かったことというか、僕が勘違いしていたことも分かった。

「僕はてっきり『事件の解決よりも気持ちを優先したい人』を弐平さんだと思ってました。そこは僕の勘違いだったんですね」

「可能性としては弐平さんだってあるにはある。というより、誰だって可能性はあるよ。公指さんはすぐに見抜けたというだけさ」

 六波羅さんはフォローするように言ってくれたけど、それはそれでちょっと悲しい。六波羅さんの言っていることをもっと理解できるようになりたいところだ。

 順位表の修正が完了。



【1位:阿藤瑛都(あとうえいと)】

【2位:刈葉候周(かりばこうしゅう)】

【3位:安辺大衛(あんべだいえい)】

【4位:土能夕香(どのうゆうか)】

【5位:公指慶太郎(こうしけいたろう)】

【6位:州輪真査緒(しゅうわまさお)】

【7位:市野鉄太(いちのてった)】

【8位:壱松隆弘(いちまつたかひろ)】

【9位:弐平亜果莉(にひらあかり)】

【10位:資島叶多(ししまかなた)】



 まず真っ先に思い付いたことを口にしてみた。

「前回間違ったパスワードの文字列を入れ替えるだけじゃ駄目ですか?」

 順位に入れ替わりがあったのだから、前回間違ったパスワードの文字列を新しい順位表の通りに並べ替えるだけで正解とならないだろうか。素人らしい無難な意見だけど。

 六波羅さんは淡々と答えた。

「うん、可能性はありそうだね」

 一見すると好意的な感触。でも直感で分かった、六波羅さんほどの人が可能性に言及するということは、確証が無いんだ。だから僕は肩を落とした。

「うーん駄目かあ」

「でも念のため試しておこうよ。前回のように大々的に推理劇をやってさ。ふふ、私は君の演技に魅了されたよ。ぜひ再演してもらいたい」

「あれはもうやりません。それに六波羅さんが可能性に言及するってことは確証が無いってことなんじゃないんですか?」

「じゃあ確証がある。君の言った文字列の入れ替えが正解だと思うよ。だからやろう」

「『じゃあ』っておかしいでしょう。そんなに僕の恥ずかしい姿が拝みたいんですか」

「助平だね。私は君の裸コートを所望しているんじゃないよ。それとも見せたい願望でもあるのかな? 猥褻物陳列罪で逮捕されるよ?」

 ウニを弄んでくつくつと笑う六波羅さんはとても楽しそうだ。僕はげんなりして額を押さえた。『助平』なんて言葉を使う人初めてみたよ。

 とはいえ可能性がなくはない、というのは本当なので、僕がひっそりとパスワードを試してくることになった。

【@kAu2o1184】が前回間違いだったパスワード。

 これを最新の順位表の通りに並べ替えると、

【@8Auko1124】となる。

 結果はまたも間違いだった。僕はそそくさと執務室を出て休憩室へと帰還する。今度は周囲の目もさほど集めなかったと思う。

 休憩室の窓からは夜景がのぞいていた。

 そこで、僕は見てしまった。



 御厨さんは席を外しているようで、部屋には一人しかいなかった。

 六波羅さんが窓際で、伏し目がちにウニを見詰めていた。

 形見を見詰めているような眼差しだった。

 僕は声をかけられず固まってしまった。

 目に映った光景の解釈に頭がフル回転を始めた。

 彼女はウニを記憶のための道具だと語っていたはずだ。

 だが、それだけではないのだ、と直感がサイレンを鳴らす。

 あのウニには、その他にも何か意味がある。

 特別な何かが。

「済まないね……」

 彼女は顎の高さに持ち上げたウニに謝罪していた。

 感情の波が流れ込んでくるようだった。空虚。押し込めた悲哀。やりきれない。切ない。苦しい。泣きたいのに泣けない。

 胸が締め付けられる。

 ウニはFBI元捜査官に記憶と刺激のことを教わってから持ち始めた物だという。

 それを形見みたいに扱っているということは。

 まさか……

 僕は休憩室の入口で立ち往生していたが、そこで御厨さんがやってきて連れ出された。



 二人でエレベータに乗り、一階まで降りる。

 無言のまま御厨さんは進み、僕も無言でついていった。

 ビルから出てコンビニの裏手に回る。そこには人がいなかった。

 そこでようやく御厨さんが口を開いた。

「……あそこで話しかけなかったのは賢明ね。人は誰しもパーソナルスペースがあるわ」

 パーソナルスペース。誰しも持っているもの。まあ、僕にもある。興味本位で踏み込まない方が良いもの。

 でも、好きだから興味が勝ってしまう。

「あのウニは」

「本人が話したくなったら話すハズよ」

 僕の話を遮るように御厨さんは言った。『わたしからは話せない』という意思表示だ。

 半ば予想していたことだ。本人から聞くべきことである。

 でも六波羅さんのことをもっと知りたいという欲求が燻る。彼女が抱えているものは何か。僕が何か助けになることはできないか。

 そんなもどかしさを酌んでくれたのか、御厨さんはふっと穏やかな笑みを見せた。

「その代わり、ウニ以外のことなら教えてあげる。呑天ちゃんはね、気丈に振る舞っているけど、本当はとても大きな哀しみを抱えているの」

「……哀しみですか」

 御厨さんはこくんと頷き、壁に背を預ける。それから夜空へ視線を移した。

「この仕事を始めて二年くらいになるけど、呑天ちゃんは初期の頃からずっと無理をしているの。あの娘は小説を書いている途中に激しい頭痛に襲われて気絶してしまうこともあるのよ。書いている内容がキッカケで哀しい記憶を思い出してしまうことがあるの。その哀しさを押さえつけようとするから頭痛になるのかもしれない……」

「えっ……!」

 僕は冷水を頭から被ったように、ハッとさせられた。

 六波羅さんはそんなに苦しみながら小説を書いていたのか。

 執筆に没頭している時の六波羅さん。

 調査中に思考を巡らせウニをお手玉する六波羅さん。

 恋愛話に『これは使える!』と言ってニヤリとする六波羅さん。

 そんな彼女を見て、楽しんでいるものだと思っていた。

 趣味だから報酬は要らないと言っていたのも鵜呑みにしていた。

 勘違いだったのだ。

 全て、勘違い。

 表面的にしか見ていなかった。

 いそいそと彼女のアパートに呼びに行く僕を振り返り、自己嫌悪に陥る。なにウキウキしてんだよ、六波羅さんは苦しい思いで書くのに。

「最初の案件なんて酷かったわ。高級住宅街に住む実業家のお宅で、半年間家出中の娘を捜して欲しいというものだった。娘さんの交友関係について尋ねたら『彼女の自由を尊重しているので知らない』と夫婦揃って言うのよ。自分の娘を『彼女』って呼ぶ時点でちょっとね……それに親として全然知らないっていうのも呆れたわ。そんな中でも呑天ちゃんは部屋にある痕跡だけで交友関係の洗い出しに成功した。凄いでしょう? それから友達二人に聞き込みをした段階で呑天ちゃんには全てが視えた。でも小説を書き始めたと同時に……頭を押さえて椅子から転げ落ちたのよ。そのまま救急搬送になった」

「そ、そんなに酷い症状だったんですか?」

「高熱、それから涙が止まらなかった。哀しみの記憶が洪水みたいに押し寄せたのね。でもね依頼者夫婦はそこで何て言ったと思う? 呑天ちゃんの心配なんか一言も口にしなかった。詐欺だと言って警察呼ばれちゃったのよ。おかげで病院で鉄面皮の警察官二人組に小説を披露することになったわ。間違っていたら逮捕しても良いからと言って警察に動いてもらい、そこからは言わずもがな。それまで無表情だった警察官も目を点にしていたわ。警察とパイプができたのは怪我の功名かしら」

「最初から警察呼ばれちゃってたんですね……でも六波羅さん、よく書き上げられましたね」

「何が何でも完成させるって言って、点滴しながら書いたのよ」

「何故そこまでして……やっぱりプロ意識高いじゃないですか」

 すると御厨さんは唇に指を当て、慎重に言葉を選ぶように。

「ん~……そうねぇ……あえて言うならね、これは『再生』なのよ。失われたものの、ね」

 僕は首をかしげ、それから考え込んでしまった。

 再生。再生。再生……?

 六波羅さんの?

 御厨さんは壁から背を離し、戻りましょうと言って歩き始める。

 六波羅さんのことがまた一つ分かり、そして分からないことも一つ追加された。



「やっぱり駄目でした。『みんなの名前を文字列に変換する』というやり方自体が間違っているんでしょうか?」

 僕はテーブルに着いて報告した。六波羅さんは頷いた。

「『偶然で素敵な奇跡』とは何か。『二人で頑張れば』とは何か。それがキーワードになりそうだよ」

「『偶然で素敵な奇跡』『二人で頑張れば』……何でしょうね?」

「さあ、ね。でも、キーワードが分かっただけでも中垣さんの思いにだいぶ近付けた気がするよ。ふふ、厳重なバリケードで守られた舞台袖もようやく視えてきた」

「それじゃあもう順位表とのにらめっこだけでいけそうですか?」

「それは厳しいね。もっと情報が欲しい」

「次は誰に話を聞こうかな……」

 そうやって考え始めた時、ちょうど良いタイミングで土能さんがやってきた。休憩室に隣接する喫煙室から出てきたところで目が合うと、こちらに向かって歩いてくる。目つきが厳しいのが特徴でちょっと気遅れしてしまいそうだ。

「パスワードは分かりましたか?」

 直球で質問されて、僕は言葉に詰まった。何となく分かっていませんと答えるのに抵抗を感じてしまう。それはもう何時間も経つのに分かっていないことに引け目を感じてしまうからかもしれない。それに、土能さんの厳しい目つきは分かりませんと返答すると怒られそうな空気があるというか。

 代わりに返答したのは御厨さんだった。

「残念ながら、まだ……しかしながら、徐々に答えに近付いてきていると思います」

 丁寧ながら、うまい回答だ。まだ分かっていないという事実を伝えつつ、前進していることもさりげなくアピール。しかもその部分は『思います』という言葉で主観を入れているのがミソ。全体としては主観を述べているように見えづらいけど、ちゃっかり主観を述べているのが心にくい。

 土能さんはちらりと御厨さんを一瞥すると、テーブルに着いた。それからテーブルに置いてある順位表を眺める。

「順位表はけっきょくこうなったのですか。何だか奇妙ですね。弐平さんなんて優遇してもっと順位が高いものだと思っていたのに。みなさん知ってます? 弐平さんは中垣とデートしていたこと」

 僕は何と言って良いのか分からず曖昧に頷いた。御厨さんも同じ。六波羅さんは淡々と応答した。

「そうらしいですね。彼氏がいながらにしてデートしてしまったとか」

 すると土能さんは険しい表情で溜息をついた。

「弐平さんも結婚を考え始めた時に馬鹿なことを……信じられません」

 新しい情報が出てきた。六波羅さんがふむ、と身を乗り出す。

「結婚ですか」

「はい、もうそんな段階だということを話していました。その時はとても嬉しそうに話していたものだから、余計に信じられないんです。しかも相手があの中垣でしょう? いったいどうしてそうなったんだか」

 中垣さんはここでも酷い扱いだった。やはりこれを聞くとあまり良い人には思えないのだがどうなんだろう。六波羅さんはそこには触れずに話を進める。

「一度だけ、夕食を食べに行ったようですね。そこで見られてしまったとか」

「彼氏に見付かってしまうところが皮肉ですよ。罰が当たったんじゃないかと思ってしまいます。そもそも近場のレストランに行くのが不用意なんですよ。いえ、慎重にやれば良いということではないんですけど」

「おや、近場のレストランですか」

「ええそうですよ」

「念のため、教えてもらっても?」

 六波羅さんがいやに食いつくので、土能さんは怪訝な顔をした。

「良いですけど、それがパスワードに何か関係が?」

「中垣さんに関係する情報は、全てパスワードに関係があると見ています」

 そうしたら土能さんも納得の表情を見せた。レストランのことを教えてもらう。

「では私は仕事に戻ります。時間も時間ですし、レストランに行ってみては?」

 土能さんの提案に、六波羅さんが首肯した。

「そうしようと思います。ありがとうございました」

 また三人だけになると、御厨さんが口を開く。

「もう七時すぎてるから、行きましょう。業務も終わり」

「え、でも」

 僕は咄嗟に反応していた。レストランに行くのは賛成だ。でも業務終了は抵抗がある。まだパスワードを解けていないし、個人的にも六波羅さんとの時間が終わってしまうのが寂しい。

 そんな賛成と反対の混じった『え、でも』はどう受け取られたのかは分からない。御厨さんは微笑を浮かべた。

「切り替えは大切よ。帰って撮影した映像を洗い直したりするのがこういう時のセオリー。ここに張り付いているだけじゃ視えないものも、視えてくるかもしれないわ。それにアルバイト代もこれ以上出すのはちょっとねえ」

 最後の一言が無ければ良い話だと思った。押してダメなら引いてみろ、みたいに攻め方を変えて撮影した映像を洗い直すのも悪くない。一つだけ気になるとすれば、その映像の洗い直しにはアルバイト代を出さないと彼女が予防線を張っているのではないかということだけだ。まあ僕の場合個人的に参加したい理由があるのでアルバイト代が出なくても構わないが。

 僕が了解を示すと、六波羅さんがすっと立ち上がった。

「さあミクりんの奢りで一番高いメニューを頼んでやろうじゃないか」

 わざわざ宣言するところが洒落っけがある。僕もとりあえずそうですねと言って立ち上がった。本気じゃない。こうした洒落っけもコミュニケーションの一環だ。

 御厨さんが眉をハの字にして僕らに続く。

「えー常識の範囲内にしてくれないと経費で落とせないよお」

「それならミクりんのポケットマネーで出せば良い。おお良かったじゃないか、生まれて初めて人のために財布が使えるぞ。新たなミクりん史の幕開けだ」

 そんな六波羅さんの言葉に御厨さんはとんでもない返しをした。

「わたしそんなにお金持ってないしー」

 六波羅さんは大仰に肩を竦めて僕を見た。

「嗚呼嘆かわしや。風呂に札束を撒くことはできるのに人にご飯を食べさせてあげることはできないと言う。こんな魔性の女に手加減をする必要があるかい?」

「値段の高い順に三つ四つと注文しましょう」

 ついさっきまで本気じゃなかったが、今僕は本気になった。手加減をする必要はない。

「も~みんな意地悪なんだから」

 御厨さんが抗議の声をあげたが、聴かなかったことにした。

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