第10話

 六波羅さんは何の事はないという風にウニの由来を説明した。

「重要情報を刺激と共に記憶するためですよ。例えば今私は頬でウニを転がしていましたが、後で私が思い出そうとする時も頬でウニを転がすのです。そこで頬でウニを転がしていた時には壱松さんとこんな話をしていた、と芋づる式に思い出すわけですね」

「それだけで思い出せるものなんですか?」

「割と効果は期待できますよ。何もしないでいると後で思い出そうとしてもなかなかうまくいきません。ですが刺激と共に記憶すると割と思い出せるものなんです。これはFBI元捜査官から教わったのですが、元々は事件と一緒にコーヒーを思い出していたのがきっかけだと言っていましたよ。例えば……」

 彼女は指折りしながら例を挙げていく。

 十年前の強盗事件の張り込みでは犯人が出てくる直前にとても苦いエスプレッソを飲んだ、そういえばその時相棒が親戚の結婚式が来月にあると言っていた……とか。

 八年前の依頼殺人の現場を押さえる時、コーヒーが熱すぎて口が火傷してしまった、そういえばその時犯人である奥さんは大学時代に十八人も恋人がいたと話していた……とか。

「……そこで、コーヒーと記憶が結び付くのかもしれないと思ったそうです。試しに次の捜査からは、これは重要だ、と思った時にとびきり苦いコーヒーを飲むようになり、それによって劇的に捜査効率が上がったと言っていましたよ。ある時脳科学の教授にそれを話したら、刺激と記憶は非常に相性が良いのだと教わったそうです。刺激なら何でも良いからやってみなさいと言われたので、私はこのウニを選んだ……というわけですね」

 壱松さんはふうむと唸っていたが、僕には分かった。そういうことだったのか。

 僕は六波羅さんが佐伯さん邸で小説を書いていた時の姿を思い出した。

 その時彼女は何をしていたか?

 ウニを額に当てたり頬に当ててぐりぐりしたり、匂いをかいだりしていた。

 そしてその動作は、佐伯さん邸の調査をしていた時の動作と悉く一致していたのだ……!

 あの動作によって六波羅さんは調査していた時の見たこと聞いたことを思い出していたのだろう。

 遂にウニの由来が明らかになった。FBI元捜査官に教わったのか。凄いなぁそんな人に指導してもらえるなんて。英語で語り合う様子を想像してしまう。かっこ良すぎるだろう。

 それから六波羅さんは何を思ったのか、休憩所の調査を始めた。机や椅子を丹念に観察していく。僕は心配になったので、スマホを取り出して念のため公指さんと市野さんの順位をメモしておいた。しばらくすると、彼女はある机の裏で声を上げた。

「これは断片だね」

【4位:土能 6位:州輪】

 こんな所に断片があるとは。中垣さんのヒントは執務室以外にも散らばっているということがこれで分かった。

 壱松さんは目を丸くし、説明してくれる。

「まさかこんな所にあるとは。これは中垣の行動範囲全てに断片が散らばっている可能性が出てきましたね。土能は土能夕香どのうゆうかという四年目の女性社員で州輪は州輪真査緒しゅうわまさおという二年目の男性社員です」

「これで六人分の断片が集まった。でもまだ四人分残りがある……他に中垣さんが寄りそうな場所は?」

「うー……ん、下のコンビニかなあ」

 そう壱松さんが呟くと、喫煙所から男性社員と女性社員がやってきた。

「コンビニがどうかした?」

 男性社員が壱松さんに訊くと、壱松さんが事情を説明する。すると男性は案内を買って出てくれた。

「それじゃあ俺がコンビニまで案内しますよ。ちょうど行こうと思ってたんで」

 確かこの人は公指さんという人だ。笑顔に少し影があるのが特徴。

「じゃあわたしもついて行きますー」

 女性社員は話し方がちょっと甘え上手というか、可愛らしい感じだった。確か資島さんという人。ふにゃっとした笑顔が特徴か。

 こうして壱松さんからバトンタッチし、公指さんと資島さんにコンビニまで案内してもらうことになった。



 エレベータに乗り込むと公指さんが口を開く。

「探偵さんも大変ですね。まさかこんなことをするとは思わなかったでしょう? 中垣のせいでその尻拭いみたいなことさせてしまってすいませんね」

「いえ、我々は依頼されたことをするだけですから」

 六波羅さんがそう言うと、公指さんは皮肉げに笑った。

「ウチとしては金がかかって大損害ですよ。ああ、あなた方を責めるつもりではないんですがね。ここでかかった金額を中垣に請求したいくらいです」

「いや、会社としては余計な支出でしょう。公指さんは経営的観点をお持ちのようだ」

「ははは、社員として当然ですよ」

 公指さんは上機嫌になって笑う。六波羅さんも薄く笑みを浮かべているが、どうも作りものの笑顔に見えた。てきとうに流しているようにも見えるが、何故だろう?

 そこへ資島さんが加わる。

「公指さん、さすがー」

 好意的な視線を上目づかいで向けるのは、なんというか男を扱うスキルが高いような気がした。公指さんは照れたように鼻を掻く。

「大したことじゃないよ。資島さんだって中垣からは迷惑を受けているだろう?」

「ん~何というか、怒ってばかりで怖いというか。仕事にのめりこんで画面にかじりついていることが多いから声かけづらいし。ちょっと苦手かなぁ」

 そこへ六波羅さんが尋ねた。

「ほう、怒ってばかり?」

 資島さんは一瞬苦い顔になり、それからまた人懐っこい笑みを浮かべる。

「そのぅ……中垣さんの指示で作業することがあったんですけど、いや、わたしも不出来なんですけど、怒られることが多くて。たぶん、自分の思った通りにならないと気が済まないタイプなんじゃないのかなぁ、と……」

 歯切れが悪く、言いづらいことのようだった。僕は資島さんに同情してしまった。理不尽に怒るタイプなんて、厄介だよなあ。

 しかし、六波羅さんは意外なことを訊いた。

「ふむ、では中垣さんが指示者として、資島さんはその下で作業をしていたのですね?」

「……あ、あの、はい。でも、たまたまその時はわたしと中垣さんしかいなくて、それでどっちかがまとめ役をやらないといけなかったからそういう風になったんです」

 資島さんはひきつった笑いで答えた。

「ああ、ですか。まあそういうこともありますよね」

 六波羅さんは薄く笑った。あれ? またてきとうに流しているように見える。

 それから資島さんは話題を移した。

「そういえば、公指さんって中垣さんから何か順位みたいなのを聞いたって言ってませんでしたっけ? ええと、公指さんが2位で市野さんが7位だったかな?」

 すると公指さんはああ、と思いだしたように言った。

「確か、そんなような感じだったな。すっかり忘れてたわ。うん、確か……そうだった気がするな、うん」

 突然出てきた情報に、僕は慌ててスマホを出してメモした。これも貴重な情報だ。

 それからは何でもない世間話に花を咲かせ、コンビニへ到着。コンビニを撮影するわけにはいかないしあからさまな調査をするわけにもいかないのでどうしようかという話になる。それをするには許可が必要になるだろう。警察にも相談したくないという事情を考えて、とりあえず店長に許可を求めない範囲で探ってみることにした。みんなで店内に入り、それとなくヒントの断片がないか見てみる。しかし、コンビニには無いようだった。

「じゃあ、俺達は戻りますので」

 公指さんがそう言い、資島さんは僕の方を向いて微笑んだ。

「頑張って下さいねぇ」

 好意的な笑顔で何だか嬉しくなる。六波羅さんは何かを思い出したように尋ねた。

「そう言えば、無事納品できればゲームは売り出すんですよね。今回は売れそうですか?」

 公指さんは苦笑いで返した。

「さあ、そういうことはさっぱり分かりません。ま、売れなくても給料さえちゃんともらえればそれで良いですし」

 そして公指さんと資島さんはエレベータへ消えていった。

 六波羅さんは視線を横に向け、ふうむ、と考えている。今のやりとりはいったい?

 僕が訝しげな表情を向けると、彼女はそれに気づいたようで取り繕うように笑った。

「喫茶店にでも入ろうか?」

 僕は御厨さんに視線を向ける。何だか僕がうなずくだけでは駄目な気がしたから。御厨さんは快く了解を示した。



「駄目だな、全然視えてこない」

 周囲に知っている顔がいないか確認した後、六波羅さんは言った。

 チェーン店の喫茶店の中。奥のテーブルに僕たち三人は座っていた。客足はまばらで、落ち着いた照明がテーブルを始めとした木材を柔らかく映し出している。

「視えてこない、というのは?」

 僕が質問すると、御厨さんが教えてくれた。

「たぶんね、複雑なのよあの人たちは」

「複雑、ですか?」

「そう。佐伯さんの時は多くが物証だった。それに佐伯さんの証言を加えてプロファイリングすれば良かった。でも今回は、物証がヒントの断片だけ。それにあの職場の人たちの証言を加えてプロファイリングをするんだけど、ここでが出てくるの」

「人間関係ですか?」

「惜しい。そうしたものに伴って、『事実をありのままに語ってくれない』ことがあるの。物証だったら、ありのままに語ってくれるでしょう?」

 そうした御厨さんの説明は漠然としていたが、隣で六波羅さんが肩を竦めた。

「嘘をついている者がいるのさ、簡単に言えばね。そうするとストーリーの整合性が保たれない。人数が多くなると、そこが難点なんだ。佐伯さんの時は佐伯さんの話だけ聴いてストーリーを読めば良かったのだがね」

 僕はコーヒーにミルクを入れてかき混ぜながら、そうか、と思った。でもまだ微妙に疑問が残る。

「でも、嘘なんかついたら事件が解決しなくなっちゃうじゃないですか。それだと困りませんか?」

 すると御厨さんが眉をハの字にする。言いにくそうにしているのを横目に六波羅さんが豪快に笑った。

「はははは、君は人をそんなに信用するのかい?」

「え、いや……」

「事件の解決よりも気持ちを優先したい人なんていくらでもいるよ。簡単な例を挙げるとするならば、好きな人が何か罪を犯してしまった、そしてあなたは尋ねられた……あの好きな人は犯人ではないのか、と。でも好きだからあの人は犯人じゃありません、と嘘をつく。こういうことがないと思うかい?」

 ここで僕は完全に理解した。そうか、事件の解決よりも自分の気持ちを優先してしまうケースは、あり得る。解決に来た人間にとっては厄介な事象だが。というか、。人数が多いと誰が本当のことを言って誰が嘘をついているのか分からない。

 僕達の観ている劇場がにわかに胡散臭い空気を帯びてきた。劇場で展開される安辺さん達の芝居は、誰かが真実を口にし誰かは虚実を口にしている。安辺さん弐平さん刈葉さん……十人の中で誰かが仄暗い笑みを浮かべている。しかも何人がそうなのかすら分からない。六波羅さんはそんな思惑の張り巡らされた中から正しいストーリーを取り出そうとしているのだ。

「ありそうですよね……そういうことでしたか」

「私はミクりんの傍にいる間に随分嘘を学ばせてもらったよ。ミクりんは嘘の権化みたいなものだからね。おお女狐という都市伝説は実在したぞ、と高らかに叫んだものさ」

 すると御厨さんが六波羅さんに肩をぶつけて非難した。

「わたしは女狐じゃなくてうさぎさんなの。寂しいから構って欲しくてユーモアを紡ぐのよ」

 六波羅さんだけでなく僕も噴き出してしまった。じろっと睨まれてすぐに顔を引き締めた。

 それから六波羅さんはコーヒーをスプーンでかき混ぜながら昔話を始める。

「ミクりんと出会ったのはいつだったかな……私が中学生でミクりんが大学生?」

「そんなに離れてないもん!」

「おっと失礼。私が中学生でミクりんが高校生だったか。その時まだ私は実家にいて地元の中学校に通っていた。のどかなところだったよ。その頃には既に旅館の手伝いをするようになっていたね。ある日ミクりんは客として来たのさ。今思えば何故叩き出さなかったのかと不思議でならないね。それくらい失礼な客だった。いくら私が忠実な従業員だとしてもミクりんをお客様などとは呼びたくないね」

「あらあらだめよ、客商売は笑顔笑顔」

 のほほんとそんなことを言う御厨さんに六波羅さんが肩をぶつける。

「こともあろうにミクりんは廊下を歩きながら『お金なさそうな所ね。セクシーな衣装で出迎えれば少しは集客できるかもしれないのに』とのたまったんだったかな。その頃の私はまだまだ子供でね。荷物を運びながら怒り狂ったものさ。旅館の仕事を侮辱された、と。私の母は女将として嫁ぐ前は税務署勤めで不正を許さない鬼として恐れられていたらしくてね、教育方針も曲がったことを許さないものだった。セクシーな衣装で出迎えるなどと許せる筈もない」

 そうだったのか。六波羅さんは泰然として芯が強いけれども、母親がそもそも強い人だったのか。鉄は熱いうちに打てと言うが、幼少期から心の芯が厳しく鍛造されれば一本芯の通った人となりになるのも頷ける。母の不正を許さない気質も名探偵に受け継がれているのかも。

「いや、それは『ちょっと大変そうだなあ、何かアクセントがあれば良いんじゃないかなあ』という意味で……」

 御厨さんが慌てて自己弁護を開始するも、僕は苦笑しかできない。御厨さんって探偵事務所の受付の容姿が大事って話をしてくれたけど、昔から見た目を稼ぎに繋げる思考だったんだなあ。

「それで私は荷物をフルスイングしてミクりんの背中に投擲したのさ。漫画みたいに体が弓の形になって派手にすっ転んだもんだね。そしてこう言ってやったのさ。『ウチの服装はウチの誇りだ!』ってね」

 僕はその場面を想像してしまい可笑しくなってしまった。御厨さん、痛かっただろうな。六波羅さんが着物に愛着を持ったのって、もしかしたらこの時なのかもしれない。

「それは、でも、問題になりませんでしたか?」

「それがね、ミクりんは全く怒らなかったんだよ。その場では素直に頭を下げたんだ、。でも……それが後になって起こる仁義なき戦いの予兆だったんだ。殊勝なふりをしてその仮面の下では煮えたぎっていたのだよ」

 うん、なんか、容易に想像できてしまうのが怖い。御厨さんはそういう系だ。

「もう、それは過ぎたことなんだから良いじゃない」

 御厨さんが頬を膨らます。六波羅さんはくつくつと笑った。

「そうだね、まあ端折るとその後互いに周囲に見えないようにやってやり返されての連続さ。ミクりんの家族は二泊三日で来ていたけど、計二五回くらいやりあったかな。忘れたくても忘れられない出会いになった。私が高校生の時偶然が重なってアメリカへ留学したのだが、向こうでミクりんと再会した時にはたまげたもんさね。宿命の敵というのはいるものだと運命をたいそう呪ったよ」

「またまた~その時は仲良くなったじゃない」

「まあね。最初のうちは牽制をしあっていたが、悲しいことに異国で日本人に会うとむしょうに安心してしまったのだよ。だから互いに仲良くした方が精神衛生上で健全だった。二人でいる間は日本語で話せるしね」

 まさか二人とも留学経験者だったとは。留学したと言われるだけでも相当な成績優秀者なのではと思ってしまう。

「それでね、向こうで呑天ちゃんのプロファイリング能力を見て、これは使え……協力者として最適だと思ったのよ。それで探偵事務所を思いついたの」

 御厨さんは思わず本音が漏れそうになり、途中で言い直した。そうか、これは使えると思ったのか。まあ、経営者としての眼は鋭いのかな。

 六波羅さんはアメリカでFBI元捜査官に認められたんだっけ。どんな事件だったのだろうか。例えば現金輸送車を突如襲った悲劇、しかし事故にしか見えないそれを見て六波羅さんは事件性を看破する。曲がったことを見過ごせない彼女は推理を披露するも、警官がHAHAHAお嬢ちゃんは飴でもなめてなと取り合ってくれない。偶然そこに居合わせたFBI元捜査官が興味を持ち、六波羅さんと共に解決へ向けて動き出す……名探偵の誕生だ。

 そこら辺の活躍も機会を見て聞いてみたいな。

 話が終わる頃にはちょうどコーヒーも飲み終わっていた。

 二人の出会いと衝突、それから再会などこれは一つのドラマのように感じる。貴重なエピソードが聴けて嬉しかった。

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