第9話

 安辺さんの会社が入ったビルに到着する。三十階建の大層なビルであった。

 御厨さんがビルを見上げて呟く。

「ああ、これは大変お困りのようだから助けてあげないといけませんね」

 含み笑いを漏らし、心にもないことを言っているのだと分かった。

 六波羅さんも分かっているようで、やれやれといった表情を見せる。

「助けた後のが楽しみでしょうがないといった顔をしているよ。君は絞りとるのが大好きだからね。その力を掃除に発揮したらどうだい?」

「雑巾絞りは手が荒れるから困るのよ。どうせ絞るなら腰をもうちょっと絞りたいわ」

「君の場合手よりも心が荒れるのを心配した方が無難だろう。そうしないと腰を絞っても寄生虫みたいなのしか寄ってこないぞ?」

「寄生虫って見た目がよくて優しかったりすから困っちゃうのよね。安全な虫かどうか見分ける方法誰か教えてほしいわー」

「それなら私の小説を読むと良い」

「…………うん、今度ね」

「なんだその反応は。私の小説には恋愛のイロハが」

「今回も難しそうだけど頑張ってね!」

 御厨さんと六波羅さんの掛け合いも健在のようだ。この二人は会うたびにこんな感じなのだろうか。この掛け合いを見るとハリウッド映画に出てくるような軽口を叩き合うポリスメンを思い起こさせる。やれやれの表情も肩を竦める仕草もサマになっている……というか洗練されていた。もしかして本場仕込なのか? 聞いてみたい気もする。



 ビルを上がっていくと、安辺さんの会社があった。

 事務所は広くはないが、開放的だった。それから物が乱雑に置かれ整理整頓は後回しという感じ。きれいなオフィスよりむしろ自分的にはこっちの方が親しみやすいかもしれない。

 僕らは招き入れられ、安辺さんの掛声で社員の人たちが集まってきた。挨拶を済まし、誰もが全面的に協力するので遠慮なく声をかけてほしいと言われる。撮影の許可も得たのでビデオカメラを取り出し、準備万端。さっそく失踪した人のデスクを見せてもらった。

「こちらが失踪したクリエイター・中垣耕平なかがきこうへいの席です」

 そう紹介してくれたのは栗色の髪で明るい感じの女性だった。弐平亜果莉にひらあかりさんという。

 僕は六波羅さんの手元に注目していた。彼女はデスクに近づき、その上に載っているPCを眺める。まだウニは出てこない。

 弐平さんは説明を続けた。

「PC自体のロックはかかっていません。というか、ロックが外されていました。みんなPCのパスワードを設定しているのですが、失踪直前にそれを外していったようです。あくまでパスワードロックがかかっているのは、彼の作業ファイル……というかそれらが入ったフォルダだけです」

 すると六波羅さんは視線を斜めに向けて、ふうん、と漏らした。そして、次に手元を見てみたら、その手にはウニが現れていた。弐平さんがそれを見てぎょっとした。僕は既に二回目だから、驚くことはない。むしろ今回もウニが見られたことに、何故か安心する。六波羅さんといえばウニ、みたいに切っても切れない存在になっているのかもしれない。

「そのフォルダというのは?」

 六波羅さんが質問すると、弐平さんがマウスを操作した。

「画面の中央にある、これです」

 画面の中央に鎮座したアイコンは、見慣れたフォルダではなかった。指輪のイラストに見える。独自の方式で暗号化でもしているのだろうか。そのフォルダをクリックすると、パスワード入力ウィンドウが表示される。そのウィンドウも見たことのないものだったので、独自のものなのかもしれない。

 六波羅さんはウニをお手玉しながら、しばらく画面を見つめていた。そこから何を読み取っているのだろう。ちらりと御厨さんに目を向けると、そちらは顎に指を当ててきょろきょろしていた。絶賛査定中なのだろう。

「ヒントがあると聞いたのですが」

「ええ、それが……中垣は普段から、ふと忘れた時にも思い出せるように、仕掛けがしてあるのだと周囲に話しておりました。それはPCの中にも、リアルの方にもあるのだとか。ですから、本人が残したヒントさえ掴めれば何とかなるかと」

 そう口にする弐平さんはちょっと歯切れが悪い。何でだか不明だが。六波羅さんも若干の疑問を持ったようで、おや、という顔をした。でも、今思い浮かんだと思われる疑問はしまっておくことにしたようだ。代わりに別のことを尋ねた。

「その仕掛け自体が抹消された可能性は?」

「その可能性は極めて低いと思います。なにしろ、彼は本当に何気なく休憩に行くような感じで出ていったものですから……隣の席の者たちも不審な点は確認していないです。わたしが左隣で、右隣は……」

刈葉候周かりばこうしゅうと申します。ウチの中垣がご迷惑おかけしています。失踪なんて馬鹿なことを。恥ずかしい限りです」

 男性社員が立ち上がり、話しかけてきた。丁寧だが、失踪者への非難の色が強い。それは会社的なものなのか、個人的な感情によるものなのか。

 六波羅さんはふむ、と薄い反応を示し男性社員に問いかけた。

「今のところ見つかっているヒントはありますか?」

 すると刈葉さんは弐平さんに代わってマウスを操作する。その時のやりとりは、まるで刈葉さんが弐平さんを押しのけるような、邪険にするような感じでマウスを奪ったのが目に留まった。

「PCのDドライブを探していたら、メモが見つかりました」

 そうして示されたのは、何の飾りもないテキストファイルだった。

【1位:阿藤 10位:資島】

 僕は画面を撮影しながら首をかしげた。これは何だろう。1位とか10位とか。順位?

「これは?」

 六波羅さんが質問し、刈葉さんが答える。

「阿藤というのは一つ隣の島に座っている阿藤瑛都あとうえいとです。古株で六年目の社員です。資島というのは中垣の右前に座っている資島叶多ししまかなたで三年目の社員ですね。それで、この1位とか10位とかいうやつですが……」

 阿藤さんは面長な男性社員、資島さんは目がぱっちりした女性社員だった。

 刈葉さんは少し言い淀んだあと、苦々しく言った。

「……中垣は独自の基準で『仕事のできる順位』というのをつけていたんです。何の根拠もなく、あいつは仕事ができる、あいつはできない、とかよく言っていました。勝手に順位をつけられた方は迷惑ですよね」

 微妙な空気が流れる。確かに、勝手に順位をつけられて、それで下の方だったら良い気はしない。みんな微妙な表情をしているように見えるが、中垣さんは周囲からよく思われていなかったのかもしれない。失踪というのはそこら辺の人間関係の悪化が関係しているのだろうか。

「これを見る限り、最低でも10位まで存在している、ということですね?」

「社員が十名なので、その全員分が順位付けされているのかもしれません」

「ふうん……十名が全員分……」

 六波羅さんはウニを弄び、二秒くらい目を瞑っていた。それから話を続ける。

「では最大で10位までありそう、と。2位~9位までは別のところに記載が?」

 すると刈葉さんは机の引き出しに手を伸ばした。三段構成の、中段の引き出しを開ける。

「ここにも記載があります」

 引き出しには資料やノートが入っているが、それを避けるように、側面に付箋が貼り付けてあった。

【3位:安辺 8位:壱松】

 また断片的なメモだった。今度は3位と8位。社長の安辺さんの名前もある。

 六波羅さんはこれを見つめると、ウニを顎に当てた。

「おや、社長の名前もありますね」

「あ、そうでした……小さい会社なので、社長も腕を振るっています。しかし、社長も入っていると10位までに全員が納まらないな……11位があるのか?」

「それか、誰か一人除外されているか」

「ああ、確かにその方がキリが良いですよね。中垣が除外されているのかもしれません」

「これで全部ですか?」

「ええ、他のはまだ見つかっていなくて……」

「ほうほう、これがヒントだとすると、ピースが不足しているわけだ。ヒントらしきものはもう他に無いですか?」

「はい。たぶん、ヒントはこれだと思うんです。だって中垣は人を仕事ができるとかできないとか判断するくらい自信家ですから、絶対そこをヒントに使うと思うんですよ」

「自信家ですか?」

「こうやって順位とか決めるくらいだから相当な自信家ですよ。公指こうし、お前はあいつと昼食べた時よく自慢話聞かされただろう?」

 語気強く刈葉さんは話し、別の男性社員に話をふった。公指と呼ばれた男性は笑顔に少し影がある感じだった。

「俺、あいつと同期なんで何回か昼一緒に行ったんですけど、確かに自分の仕事の能力とか話してて鼻につく奴でしたね。変に自己評価が高いというか」

 それを聞いて、僕はなるほどと思った。周囲に話すぐらい仕事の能力を気にしていて、しかも順位付けまでしている。自己評価は高いけど周囲からはさほどそうとは思われていないタイプ。浮いている自信家というところか。それなら順位のメモがヒントで間違いないだろう。それに断片的に記載があるところもまさにヒントっぽい。

 あとは残りのヒントの断片を探せば良いのでは。

 そう思ったが、六波羅さんは何かに逡巡しているような表情をしていた。それからやおら僕に顔を向けると、問うてきた。

「君も、これがヒントだと思うかい?」

 初めて質問された気がするので、びっくりした。まさか自分に意見を求められるなんて思ってもいなかった。これは多少なりとも僕を認めてくれたということだろうか。でも認められるような働きを僕がしただろうか。謎だ。

「僕もこれがヒントだと思います。中垣さんの性格からしたら、これが一番確率が高いです。断片的にメモを残しているところも怪しいし」

 僕が思っていることを告げると、六波羅さんは一瞬だけ視線を横に向け、それからにっこりと笑った。

「分かった、ありがとう。その線で見てみようか」

 それは『役に立ったありがとう』なのか、それとも『無駄だったありがとう』なのか。一瞬だけ視線を横に向けたのが凄く気になる。果たして僕は役に立てたのか。

 断片探しが始まった。

 まず、中垣さん以外の、みんなの使っている机は各自で調べてみたが何も無かったという。それから使われていない机も調べてみたが、同様とのこと。中垣さんのPCも順位に関して全検索をかけてみたが、他に何も無かったそうだ。他の人のPCも同じ。

 一人の男性が立ち上がり、部屋の出口へ歩いていった。それを見た六波羅さんが声を漏らした。

「ああ、彼はこれからトイレか休憩にでも行くのかな。部屋の外にヒントがある可能性もあるから、ついて行ってみようか」

 そうして彼女は男性に声をかけに行き、案内してもらうことになった。



 僕達が声をかけた男性は気弱そうな顔が特徴か。名前は壱松隆弘いちまつたかひろさん。まず案内してくれたのはトイレだった。

「ここがトイレですね。でも中垣が入っていたのは男性用でしょうから、そこの撮影している彼だけで確認しますか?」

 僕だけで中に入るかという意味だ。しかし六波羅さんは何でもないという顔をした。

「ヒントのためですからね、私も入らせてもらいますよ。ああ、ミクりんだけは外で待っていると良い。『淑やか』というになるだろう?」

 水を向けられた御厨さんは困った表情をした。

「わたしのは設定じゃなくて本当よ。設定があるとしたら『お金に目がない』とか、そういうの」

「これは傑作だ! ミクりんは『呼吸』と書いて『ウソ』と読むらしい。君もそう思うだろう?」

 六波羅さんが僕に問うてきて、僕は苦笑いした。そうですね、と即答したいところだがそれだと角が立つかもしれないので、曖昧にしておく。

 壱松さんはあっけにとられている様子だった。このやりとりは、初めて見ると確かにそういう反応になるかもしれない。しかしそこから立ち直ると壱松さんは相好を崩した。

「何だかハリウッド映画に出てくる俳優に似ていますね。その軽口とか仕草とかが実に良い。私、向こうの映画とかドラマを観るのが好きなんですよ。あなたもそうなんですか?」

 それは六波羅さんに向けられたものだった。

 確かに彼女は御厨さんと交わす軽口とか肩を竦める時の仕草とか、そういう感じかもしれない。果たしてそのルーツは何なのか。

「これはにいた時の影響でしょう。こういう仕事には演技も必要かと思って」

 僕の予想が当たった。やはり本場仕込だった!

 六波羅さんの答えに壱松さんはかなり好印象を持ったようだった。

「え、向こうに行っていたんですか! 良いなあ私は全く海外に行ったことが無いんですよ。向こうには長くいたんですか? 演技とは思えないくらい自然で板についていますよ」

 それには御厨さんが答えた。

「彼女は留学中にFBI元捜査官に認められたんですよ。ほぼ単独で事件を解決してしまったんです」

「それは凄い! もはや演技じゃなくて本物じゃないですか! これは驚きだなあ……幾つも事件を解決してきたんですか?」

 興奮する壱松さんに六波羅さんは苦笑で手を振った。

「解決したのは一つだけですよ。それは現場に居合わせたからで、必要に迫られたというだけです。FBI元捜査官がいたことも大きかった。そうでなければ警官でもプロの探偵でもない私が関われる筈がありません」

「いやそれでも凄いですよ。現場に居合わせたからって普通の人は解決できないでしょう。いやあ憧れちゃうなあ、私は映画とか観ていて体験するだけで良いから一度やってみたいと思っていたんですよ。もっぱら妄想の中で体験するしかないんですけどね」

 聞けば聞くほど六波羅さんの凄さが分かってくる。現場に居合わせたからというだけでズバッと事件を解決してしまうのだ。小さい頃から頭脳明晰だったのだろう。IQ180とかだろうか?

 壱松さんと打ち解けたところで調査開始。

 トイレに入ると、小の方で用を足していた男性社員二名がぎょっとしていた。いきなり二人も女性が入ってきたのだから衝撃だろう。個室の方は幸い全て空いていたので、確認して回った。結果は空振りだった。壱松さんはそれから休憩所へと案内してくれた。元々そこへ行くつもりだったらしい。休憩所は喫煙所に併設されていて、机と椅子、それから自販機が並んでいた。

「中垣もよくここの自販機を利用していた気がします」

 壱松さんはミルクティーを買いながらそう教えてくれた。六波羅さんが興味を示す。

「頻繁に、ですか?」

「いや、とりたてて回数が多かったとは思いません。私が来た時にたまに見かける感じです。飲物を買うと椅子の一つに座って窓から外を眺めていました。ちょっと近寄りがたかったのでここで話したことはありません」

「ほう、近寄りがたい?」

 そう六波羅さんが探るような目をすると、壱松さんは慌てて手を振った。

「いや別に私は中垣を嫌な奴とまでは思っていませんよ! ただ、オーラというか」

「ふーむ……嫌な奴とは思っていない? 8位という順位を付けられたのに?」

「それは……そう、ですね。でも、私は確かにみんなの足を引っ張っているので」

「……妥当である、と?」

「そうは思いたくないですがね」

 そうして壱松さんは力なく笑った。この人なりに傷ついて、中垣さんを嫌っていたのではないかと僕は思った。

 自然と頭の奥にイラつきが発生してしまう。眉間に力が入る。会社に迷惑をかけて周囲には悪意を振りまいて、中垣という人はいったいなんなんだ……!

 中学の頃、部活で正選手になったからといって事あるごとに俺は正規メンバーだからさぁなんて自慢していた同級生がいたが、あの頃から自慢したがりは嫌いだ。

 六波羅さんはここで初めてウニを頬に当ててぐりぐりした。佐伯さんの事件の時もこれを見た気がするけど、謎だ。

「ちなみに、阿藤さん、安辺さん、資島さんの順位についてはどう思いますか?」

「阿藤さんと安辺さんはどちらもできる人たちというイメージなので、差はよく分からないですね。資島さんはどうだろう、そんなにできないという話は聞かないんだけど」

 この話を聞く限り、やはりあの順位というものの信憑性は疑わしい。独自基準というのもうなずけた。

「そうですか、他に何か順位について聞いたことがありますか?」

「ああ、そういえば……飲み会でたまたまテーブルに二人になった時、公指は5位で市野いちのは7位だと言っていた気がします。でも、僕の記憶も正確でないんで、当てにならないかも……」

「いえいえ、そんなことないですよ。そうですか、そうですか」

 六波羅さんはいったん目を瞑り、ウニで存分に頬をぐりぐりした。

 ウニの由来は何だろう。それを聞きたいという気持ちが燃え上がってくる。でも彼女が集中している時に聞いていいものかどうか。

 そうしていると、僕の代わりに壱松さんが引き攣った笑みで尋ねた。

「そのー……ウニを持っているのは何か意味があるんですか?」

 ナイスな質問。僕は心の中で声援を送る。

「別に、大した話ではありませんがね」

 六波羅さんは苦笑したが、話してくれることになった。

 これでウニの由来が聞ける。

 果たして、その由来とは。

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