第8話
帰りにスーパーに寄った。
一人暮らしである以上弁当を買って済ますこともあるが、節約のためなら自炊である。少しは料理スキルもついた。
高校生までは平気で値引きなしの商品を買っていたけど、自炊を始めてからは広告の品を狙うようになった。今日安いものから想像を膨らませ、夕飯に繋げるのだ。
色々見て回っている内に、あるところで立ち止まった。
ウニだ。
六波羅さんを思い出す。
ウニから連想する女性というのは彼女以外存在しないだろう。いや、範囲を広げれば漠然と海女さんとかはウニと関係があると思うけど。でも僕の知り合いの範囲内で、ということであれば六波羅さん以外いない。
彼女は何故ウニを持つのだろう。もしかして将来海女さんになりたいとか?
ドラマに感化されて海女さんに興味を持ち、体験するため旅行、そして自力で獲ったウニに感動しこれは素晴らしいとウニフェチに目覚める……とか。
六波羅さんが海女姿で沢山のウニの入った籠を見せる姿。活き活きしてそうだな。君も食っていくかい、と気風の良い彼女の声が聴こえてきそうだ。
絶えず流れていく人たちの中、一人立ち止まってウニを見つめる。何にしようか迷うという呟きを漏らしながら歩く人やあれはどこだろうと何かを探しさまよう人、黙々と全ての商品に目を通していく人たち。
箱の中で瑞々しい光を放つウニ。無性に食べたくなってきた。
六波羅さんのウニが気になるのが原因だろうか。別にウニを食べたからといって何かが分かるわけではないと思うけど。でも、僕がウニを無性に食べたくなるくらいには影響があったということだ。CMに感化されたのと似ているかもしれない。
ウニを購入。スーパーを出るまでは気分が高揚した。普段買ったことのないものを購入するとそうなる。しかもウニは高級食材。ちょっとしたお祭り気分だ。
だが、家に帰って電気をつけ、それから台所に目を向けたところで我に帰った。
このウニどうしよう。
買ってきたはいいがどうするんだこれ。とりあえず焼けば良いの?
しばらくウニを見つめて逡巡する。だんだん買ってきたことを後悔し始める。慣れないものは買うべきでない。
部屋着に着替え、台所を確認。腕組しながら考えた結果、魚焼き用のグリルを使用することを思いつく。とりあえず焼いてみよう。
グリルへウニを突っ込もうとしたら入らなかった。いきなり障害が立ちはだかる。すんなりいかないものだ。包丁の脊を使って棘をある程度折ってみた。そうやってサイズを小さくしてリトライ。今度はグリルに入った。それから、グリルって水張るんだっけ? とか思いながら作業を進め、点火。その二秒後に僕は声を漏らす。
「あ、違うな」
火を消し、グリルを開いた。ウニをこのままで焼くのは違う気がした。
包丁の脊を使い、今度はウニを割る。棘なんか折らず最初からこうしていれば良かった。無駄なことをしてしまっていた。
これで再度点火。どれぐらい焼けば良いのだろう。
分からないので、窓からグリル内をじっと観察。しばらくするとジュウジュウしだした。食欲をそそる光景だ。
まあこんなものだろう、というところで消火し、取り出す。醤油をかけてみる。物凄くうまそうだ。
食べてみたら、アツアツでけっこうおいしかった。やっぱり買ってきて良かったと思いなおす。そして、それ以外の、炊飯の準備すらしていないことにようやく気付いた。我ながらなんという計画性の無さか。
こんなしっかりしていない自分で、大丈夫だろうか。六波羅さんと並んで歩くには、もっとしっかりしないといけないかもしれない。ところで彼女のウニの由来は何だろうか。
探偵事務所のアルバイトは、講義が全て終わった後、それから休日に行うことになった。
事務所に行って挨拶をし、自席で資料を眺める。少しすると声が掛かり、誰かの手伝いを頼まれる。既に先輩所員が現場に行っている場合は後追いで合流し、先輩所員がまだ事務所にいる場合は一緒に出かける。
あれからNA案件は出ていない。先輩所員の助手としてついていくと、身辺調査や浮気調査、遺失物探しなどまさに僕が思い描いていた探偵っぽい仕事がけっこう沢山あった。困っている人はけっこういるものだ。とあるビルの前で車で先輩と待機して、調査対象の人が出てくるのをコンビニおにぎりを齧りながら待つ、というような経験もした。張り込みというのかな。それとか、生まれて初めて尾行も経験した。
全てが新鮮で、貴重な体験。
大学の方にも身が入り、全てががらりと変わって見えた。気持ちが上向くと世界が変わって見える、というやつかもしれない。
ただ、そんな中。
一つだけ空虚を抱えていた。
探偵の仕事も別に文句があるわけではない。充実している。
それはそれで探偵助手として良いのだが、どうも六波羅さんのことが頭から離れないのだ。
あの推理が頭から離れないのだ。
だんだんNAが来ないかなと期待するようになっていった。
そんな時、遂に変わった案件が入ってきた。
いつものように自席につき、資料を眺めながら声が掛かるのを待っていると、先輩所員の一人が足早に御厨さんのデスクへ向かっていく。その顔には何かただならぬ気配があり、一目でNAであることが分かった。
「どうしたの片桐君」
御厨さんが先手を打って声をかける。片桐さんは十分に近づいてから小声で話し始めた。断片的にNAという単語も聴こえてきたので、間違いないようだ。
僕は資料に目を落としながら、実際は耳に全神経を集中させていた。これで六波羅さんに会える。早く声をかけてほしい。
でもしばらく聴いていると、どうやら御厨さんの反応はイマイチだった。
「んー……でもねえ、それはちょっと……」
雲行きが怪しい。もしや受けないとか言いだすんじゃないだろうか。それは困る。
「詳しく聞いてみてからでも良いんじゃないですか?」
僕は割り込む形で提案してみた。御厨さんはちょっと渋い表情をしたが、頷く。
「ちょっと難しそうだと思うけどなぁ……ウチとしても解決率って重要だから、これは無理って判断したら受けたくないのよねぇ」
ボヤきながら御厨さんが歩いて行き、僕はそれに続いた。そして応接室へ向かう。応接ブースは、今は一つだけ使っているようだった。片桐さんが応対していたのは応接室のようで、そこへ入った。中にいたのは四十代と思われる男性。膝を揺らし、落ち着かない感じで待ち構えていた。挨拶をすると笑顔を見せ、そこには若干の強さが感じられた。部長とか役員とか、そんな雰囲気が漂っている。
御厨さんがソファに腰掛け、片桐さんと僕は隣に座る。相談者の男性は前かがみになり、膝に両肘をつけ、固く手を組んで深刻な表情になった。
それから依頼の内容が告げられたが、それは僕が予想できる範疇を遙かに超えた無茶な内容だった。
「私はゲーム制作会社の社長をしております
「パスワードですか」
御厨さんが先を促す。安辺さんは神妙に頷いた。
「ええ。納期が間近になったのですが、ゲームの根幹部分のシステムを担当していたクリエイターが、データにパスワードロックをかけて失踪してしまったのです。システムはできあがっているという報告は受けているのですが、ロックがかかったままでは納品できません。中身がどうなっているのか、パスワードを解かない限り全く分からないのです。そのパスワードを、あなたがたに解いてほしいというのが依頼内容です」
沈黙が流れる。御厨さんは困った表情になった。
僕も御厨さんが渋る意味が分かった。
こんなのウチで解決できるとは思えない。相談先を間違えているのではないだろうか。
パスワードなんて、本人しか分からないだろう。そうでなければパスワードの意味がない。失踪したクリエイターのセキュリティ意識が低ければ誕生日とか本人に関係する単語の組み合わせで突破できるかもしれないが、それを試して駄目だったら無理だ。
こんなの推理とは関係ない。
「そのぅ……パスワードというのは本人にお訊きするしかないのではないでしょうか。それともその失踪した方を捜索してほしいという依頼であればまだこちらとしてもお手伝いできそうではありますけど、でもその場合も通常は警察の方へ相談に行かれた方が……」
御厨さんが申し訳なさそうに言う。もっともな意見だ。だけと安辺さんは首を振った。
「今から捜しても間に合わないと思います。失踪した者の親元に電話してみたのですが、いないということでした。それから警察の方は、なるべくやめておきたいというか……ウチは大手の下請けなんです。今回作ったゲームも大手の名前で売ることになります。ウチはせいぜいクレジットの端に名前が載るだけです。ウチの方で失踪があったとか、そういうごたごたが知られると今後受注ができなくなるかもしれない。だから内密に済ませたいのです」
まあ、探偵事務所に相談に来る場合何かしら事情を抱えている場合が多い。この社長もそういうことのようだ。
「捜索の方は、期間次第ということでしょうか? 切羽詰っていらっしゃる状態ですか?」
「期間は、今日明日の二日間です。納期がその翌日の正午。捜索はまず無理かと……」
僕は聞いていて、うわぁ、とため息をつきそうになった。確かにその期間で人捜しは成功する可能性が極めて低いだろう。
さすがに僕も、これは断った方が良いと思う。六波羅さんだって、ヒントがなければ推理できないはずだ。
御厨さんの顔はもうどうやって断ろうかと言葉を探しているものになっていた。
「ええと、ですね……わたしどもとしましても」
「無理は重々承知の上です! そこをなんとか! ウチの社運がかかっているんです! 社員の話ではヒントらしきものはあるみたいなので思いつく限りは試してみたのですが、うまくいきませんでした。何とかあなた方の知恵を貸して下さい……!」
深く頭を下げる安辺さんは必死に食い下がる姿勢だった。
「そう言われましても……」
御厨さんが唇に指を当てて眉尻を下げる。これは断るのも難儀しそうだ。
安辺さんとしても必死になるのは分かる。納期に納品できなかったら大変なことになるだろう。簡単には引き下がらないはずだ。
とはいえ何もヒントがないんじゃ……
あれ?
引っかかりを覚える。ヒントがない? いや、今安辺さんはヒントらしきものはあるって言ってなかっただろうか。
六波羅さんだって、ヒントがなければ推理できない。
しかし、ヒントがあるのならば、別だ。別ではないか。
少しでも可能性があるのなら、受けた方が良い。これで六波羅さんに会える。
目の前では必死に食い下がる安辺さんと言葉を濁す御厨さんの攻防が続いている。そこへ僕が口を開いた。
「あの、受けてみても良いんじゃないですか? 大変困っておられるようですし。残り少ない期間で最後の頼みとしてウチを頼ってこられたんだと思います。社運がかかっているとのことですので、何とか助けてあげられないですか?」
これも六波羅さんに会うためだ、と思い言葉を並べる。社長さんには若干申し訳ないが。
御厨さんは更に困った顔をした。
「でも、いざ受けるとなったらウチも責任が発生するし……」
「そこは安心して下さい! もし受けていただけるなら、仮に失敗に終わってもあなたがたを恨んだりしません。責めもしません! だから……」
安辺さんがこちらに配慮した条件を出してきた。責任が追及されないならぐっと受けやすくなるはずだ。
御厨さんが迷った表情を見せる。
「ん~でも緊急でそれだけ難しいとなると、料金的にも……」
「分かりました、それならそちらの言い値で! 受けていただけるなら言い値をお支払いします。それならどうですか?!」
安辺さんはなりふり構わぬ食い下がり方だった。後がないという気迫が伝わってきた。
ここまで言われたらさすがに受けるしかない。御厨さんはため息をつき、負けましたとばかりに頭を下げた。
「分かりました。この依頼、お受けいたします」
安辺さんは自分の車で帰った。僕らはこれから六波羅さんを拾って安辺さんの会社へ向かうことになる。
御厨さんがベンツに向かって歩いて行くのを、僕が後ろから追いかけていた。
こちらからは御厨さんの表情が見えない。僕が依頼を受けるよう進言したことを、彼女は怒っているだろうか?
無言が続いた。やっぱり怒っているのだろう。探偵事務所を経営するのは御厨さんであり、僕が経営しているわけではない。勝手に仕事を受けようとする従業員は困りものだろう。
そしてベンツに乗り込む。
すると、御厨さんは大きく伸びをしながら言った。
「あー言い値の仕事ゲットできて良かった! 君があのタイミングで社長の肩を持ってくれたのは効果的だったわ~ありがとね! あそこで君が味方になってくれたと思って社長もどんどん譲歩するんだもの、本当に助かったわ」
「……え?」
「どうしたの?」
僕は唖然としてしまった。困った顔や迷った表情、あれは相手の譲歩を引き出すためだったのだろうか。
「いや、でも……自分で言うのも何ですが大変そうな依頼ですよ今回」
「別に推理するのはわたしじゃなくて呑天ちゃんだしぃ。わたしは報酬を回収するだけの係だから~」
「そ、そうですか」
この人がお金大好きというのを忘れかけていたが、そうだ、こういう人だった。僕はまんまと彼女の片棒を担いでしまったのである。まあこちらの目的も達成できたから良いのだが。
「ふふふ、社長さんだし、今回はいくらにしようかな~オフィス見て決めようっと。言い値でイイネ! 言い値でイイネ!」
小躍りを始める隣を無視し、僕はシートベルトを締めた。ここでは何も見なかったし聞かなかったことにしよう。
ベンツを発進させ、ボロアパートに走らせる。既に御厨さんが連絡済みで、肝心の六波羅さんがいないとか用事があるとかそんなことはない。
到着すると、僕はいそいそと呼びに行った。
呼び鈴を鳴らすと扉が開き、思った通りの着物に袢纏の姿で六波羅さんが現れる。
「やあやあ、久しぶりだね。私の小説は読んでくれたかい?」
快活な声に歯切れのよい言葉。これが久々に聞けただけでも嬉しくなる。着物に袢纏姿が見られた時点でかなり嬉しいが。
「あの、まあ、はい」
恋愛小説は僕のジャストなジャンルではないので、実のところ読んではいない。
そんな僕の顔に、六波羅さんはぴっと指を向けた。
「顔に出てるぞ」
彼女はプロファイリングの能力を持っているんだった。嘘をついても無駄らしい。
「今度、読んでみます……ところで、六波羅さんはなぜ恋愛小説を?」
都合が悪いため僕は話題の変更を兼ねて質問した。
聞き方が悪かったのか六波羅さんは片方の目を眇めて非難の色を滲ませる。
「なんだい、私が恋愛小説を書いちゃいけないってのかい?」
「いえ、六波羅さんって泰然としているし芯が強そうだから、もっとストイックなノンフィクションとか事件モノとかを書きそうだなって思ったんです」
僕は彼女が小説家だと紹介された時、そう思ったのだ。甘い恋愛小説家とはイメージが一八〇度違う。正直、今でも信じられない。
すると、彼女は妙な返答をしたのだった。
「ああ、昔は書いていた筈だよ」
まるで他人事のようにあっさりしている。
過去を捨て去ってしまったかのようなので気になった。
「筈、というのは?」
「途中で変わったのさ。恋愛小説との出会いは衝撃的だった。私という存在を変えるくらいにはね。だからそれまでの作品は全て破棄したのだよ。今ではよく思い出せない」
「全て破棄……! そんな、もったいない!」
僕はあまりの事実にしばらく真っ白になってしまった。
そんな意外過ぎて超越したことをさらっと言ってしまうとは。
『過去を捨て去ってしまったかのような』ではなく、本当に捨ててしまっていた。
路線を変更したら旧作を全て破棄とは苛烈である。プロとはそういうものなのだろうか。
何かを捨てなければ何かを成せない……六波羅さんが決意の表情で原稿を焼却炉に投げ込む姿を想像してしまった。
格好良すぎて思わず拳を握りこんでしまう。
さすが六波羅さんだ。
彼女は何事も徹底するタイプなのかもしれない。
何だか僕とは似ても似つかないような世界に生きているんだな。
やはり遠い存在なのだろうか。
でも、遠い存在なのだとしても。こうして間近で話せるまでになったのだから。
画面の向こう側には手を伸ばせないけれど。彼女は今、画面のこちら側にいる。
実体を持つ相手なら、触れられるはずだ。
僕は心の中で気持ちを新たにした。
そして連れだってベンツに向かう。
「今回も難しい案件なんだって?」
「ええ、聞いた限りでは。しかも期間は二日間しかありません」
自然に並んで歩いているが、六波羅さんは草履。しかし靴と全く速度が変わらない。
今回はいったいどんな事件なのか。それからどんな推理が見られるのか。
わくわくしつつ車に乗り込んだ。
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