第6話 余談
佐伯さんの依頼は六波羅さんの小説によって見事に解決された。
今までドラマや漫画でしか見たことのなかった名推理、というかプロファイリングを目の当たりにして圧倒された。
ご主人はこれまでの態度を一変させ、六波羅さんを誉めそやしている。
「いやはや、プロファイリングなど初めて見ました。六波羅さんは聡明というか、まさに天才ですな! 着物の着こなしからもただ者じゃないと最初から思っていましたよ」
「私は旅籠の娘でしてね、姉や妹と話し合って母を助けようということになり、手伝っている内に和服に慣れました。私はプロファイリングについては分かりませんが、何かを閃くと無性に文章を書きたくなるのです。事件現場というのは物語の宝庫ですからね、閃き易いのでしょう。不謹慎ではありますがね」
「なんの、不謹慎なものですか! それで助かる人がいるならどんどんやるべきです! 私はあなたのファンになりました。六波羅さんの小説はどこの文庫から出ているんですか? 早速明日にでも書店に行って買わせていただきたい」
この変わりようは崇拝に近い。ファンという言葉も頷けて、何だか六波羅さんは画面の向こうに生きる女優みたいだ。顔立ちは僕と同年代に見えるけど、まあ僕みたいな平凡な男からしたら釣り合わなくて、恋愛の対象にはなりえないな。それぐらい凄みを感じる。
六波羅さんの小説は、僕も興味が湧いた。普段はどういったものを書いているのだろう。こうした事件のノンフィクションとか? いや、でもそれはマズイか。依頼者の了解無しに書いたら問題に……了解が得られれば良いのか? そこら辺は分からない。
そんなことを考えながら、今回の原稿に目を向けた。
僕は、あることに気付いた。
「あれ……? この原稿、まだ続きがあるみたいだ」
もう事件の完結まで書き終わっているはずなのに、原稿にはまだ数ページの続きがありそうだった。
僕の言葉を聞くと、ご主人が強い関心を示す。
「おお、まだ続きがあったのか。まさか今我々がこうしている姿が描かれているのかね」
そうかもしれない。既に事件の解決まで読んだから無理に読まなくても良いかもしれないけど、六波羅さんの小説を買いに行くにも明日になりそうだ。今は手元にあるこの小説を読むことで我慢しよう。
〈カノハは複雑な思いを抱いていた。
一方では祖母が大好き。調子を崩したと聴いて駆けつけるほど大好き。その気持ちには揺るぎがない。
だが一方で、祖母とは目が合えば火花を散らす宿命のライバルでもあった。
一人の男を巡り、長年争ってきたのだ。
カノハにとっての祖父。そして祖母にとっては夫となる、一人の男を。
カノハは禁断の恋におちていたのだ。
あれはまだカノハが幼稚園生の頃。祖父トシオは壮健で米俵を担いでいた。祖母の膝の上でそれを見ていたカノハは自分も担いでくれとせがみ、よく祖父の肩に乗せてもらったものだった。それは小学生になっても変わらず、祖父の肩はカノハの定位置になっていた。軽々と持ち上げる祖父は力持ちである。その頃の『好き』は家族に向けるものだった。
父方の祖父祖母とは普通の付き合いはあったがそこまで楽しい思い出は無かったので、この頃から父方の実家と母方の実家で多少の差はあったのかもしれない。カノハはもっぱら母方の実家である北海道へ行く時が楽しみだった。
カノハが中学生になった頃、トシオに担いでもらうのはさすがにそろそろやめにしようかと思い、最後の一回をしてもらった。これからはこの祖父ともスキンシップはなくなり、みんなと同じように普通に接していくのだろうと思った。
その翌日だったか、出かけた先で急速に天気が悪化し、雪が降ってきた。ある程度寒さが和らいだ日の、午後からの急転だった。最初はベタ雪で重く、張り付き、水気が多かった。天気予報をよく確認していなかったので、傘を持っていなかった。カノハは母と二人で外に出ていたが、急いで帰った。しかし雪の勢いは増していく。吹雪になるかもしれない。
そんな時、途中までトシオが車で迎えに来たのだった。車から飛び出してきたトシオはカノハが震えているのを見て、とんでもない行動に出た。極寒の中自らの上着もセーターも脱ぎ、カノハに着せたのだ。車まで僅かな距離とはいえ、トシオはシャツ一枚になったのである。トシオは大丈夫だと顔をしわくちゃにして笑ったが、車に戻っても大して暖かくはなかった。そのまま家に帰るまでトシオはシャツ一枚だった。カノハはその時、トシオの右肩に湿布が貼られているのを見つけた。びっくりした。自分を担いでくれていた肩に湿布が貼られていたのである。軽々と私を持ち上げる祖父は力持ち、そう思っていた。そう思っていたのに、何だか恥ずかしくなった。しかもよく見てみれば、祖父の肩は小さく、腕は枯れ木のような細さではないか。それなのに、祖父は軽々と私を持ち上げている風を装っていたのである。私のためにここまでしてくれたと知り、カノハの胸はときめいた。初恋である。
その後のカノハは自分でも分かるぐらいあからさまにトシオにべたべたになった。それに気付かない祖母カナエではなかった。カナエも態度が変わり、カノハに対抗心を燃やすようになった。カノハが縁側を雑巾がけしていれば、カナエが指でつつっとそこをなぞり『まだこんなに埃があるわぇっ!』と言ってきた。カノハはトシオに担いでもらうのをやっぱりやめないことにし、トシオに担いでもらいカナエに目を向けニヤッと笑顔を見せた。カナエはハンカチを噛み締め悔しそうにしていた。そんな恋の戦いが今までずっと続いているのである。
隙さえあれば相手を奈落に突き落とすことも辞さない闘志を燃やしながら……〉
重苦しい空気が部屋におりてきた。この愛憎劇みたいなものは何だ。しかもこれ初恋であるとか書いてあるけど、無理矢理な展開じゃないか? やっぱりこれだけのことがあっても、家族としての『好き』にしかならない気がするんだけど。
でも、六波羅さんは事件の真相を書いたのである。ということは、これもまさか真実……?
もし真実だとしたら、大問題だ。
娘と祖母で愛憎劇だなんて。
僕は恐る恐る佐伯さんとご主人を見てみた。案の定というか、二人とも目玉が飛び出しそうになっていた。
最初に口を開いたのはご主人。
「これはどういうことだユイナ! こともあろうに自分の祖父を好きになるなど!」
「そうよ、いくつ歳が離れていると思っているの!」
佐伯さんも声を上げたが、どうもズレていた。ご主人が頭を抱える。
「お前は黙ってなさい。それよりユイナ。これは由々しき問題だ。全く気付かなかった私にも責任があるかもしれないが、これはよく話し合う必要がある」
ユイナさんはユイナさんで慌てて手をぱたぱたさせた。
「ちょっと待って! あたしお祖父ちゃんが好きってそんなことない! お婆ちゃんと戦ってるなんてそんなのありえないよ!」
「何を言っているんだ! ここにはっきり書いてあるじゃないか! 六波羅さんの小説は事件の真実が書いてあった、だからこれも本当だろう!」
「だから違うってば! 信じてよ!」
目の前で広がる修羅場。これは大変なことになってしまった。
事件を解決したのはいいけど、まさか裏にそんな愛憎劇があったなんて。
すると、御厨さんが割って入ってきた。
「すいません、一つ説明が漏れておりました。この部分に関してはフィクションです」
みんなの視線が御厨さんに集まる。
「どういうことだね?」
ご主人が説明を求めると、御厨さんは頷いた。
「六波羅の書く小説は事件の真相を明らかにします。しかし……恋の要素を余分に盛り込んでしまう癖があるのです。ですから、恋のお話は読み飛ばしてもらって大丈夫ですよ」
そうしたら、それまで腰を浮かせていたご主人が安堵したようでへなへなと座り直した。
「何だ、そういうことだったのか……びっくりしたよ」
「もう、お父さんもせっかちなんだから。こんなの嘘に決まってるでしょ!」
ユイナさんが頬を膨らませていると、六波羅さんがそこに迫る。
「なんてことだ。せっかく閃いたのに、これは間違っていたのか? なあ君も女なら愛憎劇の一つや二つ、あるだろう? いや、あると言ってくれ!」
「あたしは別に、普通に恋してるだけだし……」
「普通? 普通の恋って何だ? 参考にするから教えてくれ、詳しく!」
メモまで取り出す六波羅さん。そこに御厨さんがちゃちゃを入れる。
「本人は『甘い恋愛小説家』を自称してるけど、あんまり売れてないのよね。呑天ちゃんは恋愛要素を入れたがるけど、実はとっても恋愛べたなのよ」
衝撃の暴露だった。
六波羅さんが書いているのは、恋愛小説だったのか。ノンフィクションのイメージと違いすぎる。
すると、六波羅さんが顔を赤くして拗ねた。
「うっさい!」
それは、今まで全く隙の見えなかった六波羅さんの、初めて見せた隙の部分だと思う。
着物を着こなしてしゃんとしていて格好よくて。
余裕の表情を崩さず涼やかで。
見事なプロファイリングを展開して聡明で。
だから、六波羅さんは画面の向こうで生きる遠い存在に感じていた。僕なんかでは釣り合わない女性だと。
でも、今顔を赤くして拗ねている六波羅さんを見たら、随分身近な存在に思えてきた。
恋愛べた。
恋愛小説家なのに。
僕はそんな六波羅さんが好きになった。
よし、決めた。
アルバイトを頑張ろう。そして六波羅さんの閃きのために助手として全力でサポートして、いつか六波羅さんに認められたら……告白するんだ。
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