第6話

 六波羅さんの原稿が遂に開かれる。



〈カノハは重い荷物を持って歩いている。足取りも重く、気分も重たい。

 街路灯もつき始めた。思った以上に時間がかかってしまった。息の白さと共に厳しい冷え込みを肌で感じる。あまりに風が冷たくて、傷みとも痺れとも感じられた。しかし頬に手を当てて温めたくてもそれは叶わない。両手が荷物で塞がっている。一度荷物を降ろして立ち止まってしまいたい衝動に駆られた。でも、カノハは止まらなかった。既に体はくたくた。くたくただったら休みたいものだが、くたくただからこそ一刻も早く屋根の下を目指すのだ。

 そんな中ひたすら歩いていると、意識がぼうっとしてくる。ぼうっとしたまま機械的に足を動かす。左、右、左、右。目的地まではもう少しだ。もう少しの辛抱だ。

 何故こんなことになったのか。

 カノハは溜息と共に回想を始める――〉



 これが六波羅さんの文章か。なんか『重い』とか『くたくた』とか同じ単語を近くに並べる癖でもあるのだろうか。

 それはいいとして、娘さんはどこかに向かっているようだ。『カノハ』という名前は架空であると御厨さんが教えてくれた。六波羅さんは作中では架空の名前を使うらしい。

 そしてこの後、作中で遂に事件の真相が語られた。



〈カノハは過去の自分に教えてあげたかった。

 早とちりをするなと。

 全ての始まりは、あの年賀状だ。遅れて届いた年賀状。元日であればそれなりの数が届くので、確かめもせず家族の見える場所に運んで終わりだっただろう。しかし遅れて届いたそれは郵便受けに一通だけ入っていたものだから、目に付いたのだ。

 年賀状を裏返してみて、驚愕した。

 祖母が調子を崩した旨がしたためられていたのだ。都合がついたら来てほしいと書いてあったのでいてもたってもいられなくなった。今思えば、もっと年賀状をよく見ておくべきだったと思う。何かの間違いであったらしいのだ。〉



 え……と僕は目が点になった。年賀状と言えば、玄関にあったあの年賀状のことか。これって、佐伯さんと全く同じ間違いをしているじゃないか。間違って届いた年賀状なのに。

 そこからしばらくは早とちりする自分が嫌になるとか子供の頃からそうだったとか、でもそんな自分がちょっと好きとかいうポエムが続いていたので読み飛ばす。

 慌てて自分の部屋に向かった娘さん。

 それからどうしたかというと。



〈カノハは部屋に戻るなりクローゼットに向かった。外出のために着替えた。

 そしてすぐ出ていこうとして、また戻る。

 金だ。金、金、金。金がないと駄目だ。そうして密かに溜めていた秘密の小遣いのことを思い出した。本棚に飛びつく。秘密の小遣いを入れていたのは一番上の段だったか。上から二段目の段だったか。確か上から二段目だ。真ん中から次々本を引き抜いてはバサバサ落としていく。足に落ちてきた本が当たって痛い。何で本が避けてくれないんだろう。

 お金を見つけた。本の後ろに隠していた封筒。何冊かの本を前に押し出し、その後ろから封筒を取り出す。中身を見ると、微妙な気がした。足りないかもしれない。そこで、もう一つの封筒の存在を思い出す。机の引き出しにもう一つ、封筒があったはずだ。

 机の引き出しを片っ端から外し、床に置いて確かめる。そしてもう一つの封筒を見つけ、中からお金を引き抜いた。持っていく封筒は一つで充分だ。

 それから、電車はどれを乗れば良いのか迷い始める。スマートフォンを手に調べ始めた。調べた結果をそこら辺にあるメモ用紙に書き始める。殴り書きした後、その部分だけ切り離す。切り離して残った部分には『ヤバイ 死ぬかも』などが書かれていた。これは友達が飼っていた老猫のことだ。最近元気がなくなってきてどうしようと友達が泣くので、そんな弱気でどうするのと電話で喝を入れ、それから老猫介護について調べたのだった。老猫は毛づくろいが行き届かなくなってくるとか爪はうまくしまえなくなるとか、ドライフードを噛み砕くのが難しくなるからウエットフードの方がいいとか。あの老猫を抱いている時間は幸せだ。少しでも長く生きてもらいたい。

 そして、ああ急がなきゃと思い出し、北海道への行き方を記したメモを手に家を飛び出していった。スマートフォンを机に置き忘れたまま。〉



 次々出てくる予想だにしない展開に、読んでいて驚きの連続だった。あの部屋の惨状は荒らされたのではなく、散らかしただけ?

 しかも、全く意味不明だった暗号の答えが、老猫?

 というか、そもそもあの暗号は、娘さんの居場所とか何も関係なかったのか。これじゃあ暗号ではない。

 そこから数ページに渡ってスマートフォンを忘れた自分が情けないとか、これって遺伝なのかしらとか、でもやっぱりそんな自分が好きとかいうポエムがまたしても現れたので読み飛ばした。ようやく終わりが見えてくる。



〈かくしてカノハは北海道の祖母の家に電車と飛行機を乗り継いで駆けつけた。

 自分の早とちりを知ったのはぴんぴんしている祖母を見てからだった。

 でもせっかく来たんだから、と祖母の家で一泊する。家では両親が心配し始めた頃かもしれないが、スマートフォンを忘れてきてしまったので、まあいいやとカノハは思った。祖母の家にある固定電話を使うという発想には考えが及ばなかった。

 翌日。あとは来た道を帰るだけだ。祖母の家を出て新千歳空港へ向かった。

 しかし、ここで思いもよらない事態になる。飛行機を待っている間に天候が見る見る悪化し猛吹雪に。何時間か天候の回復を待ったが、遂にその日は全便欠航となってしまった。

 空港で一泊し、次の日になっても午前中は天気がまだ回復せず。午後になりようやく回復してきた。それでも待っていた人が大量にいたため、飛行機に乗れたのは更に三時間ぐらいあとのことだった。

 そして夕方になってようやく、自宅の最寄り駅に到着。せっかくだからと新千歳空港で買い込んだおみやげを大量に抱え、歩いている。

 そう、カノハが今向かっているのは、我が家だった。

 タクシー代くらい残しておけば良かったと、後悔しながら……〉



 簡単に言うと、事件でも何でもなかった。

 娘さんは単に外出し、今まさに帰宅途中である。

 ただし、この作品が本当であるならば、だ。

 嫌な予感がした。そしてその予感はすぐに的中する。

 ご主人が机を叩いた。

「こんなわけがあるか!」

 もはや僕らと一緒に警察のご厄介になるような行為も辞さないぐらいの怒気を噴出。ともすれば六波羅さんに掴みかかりそうだ。

 信憑性の分からないものを簡単に信じられるわけがない。しかもこの作品を見る限り楽観的な推理だ。もしこの推理が外れて悲惨な結末を迎えたら目も当てられない。

 これには今まで耐えていた佐伯さんも爆発した。

「こんなの作り話よ! 絶対娘は連れ去られたのよ!」

 すると、玄関から開錠音がした。

 静まる室内。

 佐伯さんとご主人が顔を見合わせる。

 六波羅さんは涼しい顔で、言った。

「作り話かどうか、確かめる時が来たようですね」

 佐伯夫妻が玄関へ駆けていき、騒がしくなる。御厨さんは深い溜息をついた。

「良かった、ちょうど良い時に娘さんが帰ってきてくれて」

 平然としているように見えたけど、内心では心配だったのかもしれない。真に平然としていたのは、六波羅さんだけだ。烈火のごとく怒るご主人にも臆することなく、常に冷静に対処した。本当にこの人には、隙というか弱味が感じられない。同い年くらいに見えるのに完璧超人みたいで別次元に思えた。

 娘さんはユイナという名前だった。高校生の、活発な感じの女の子である。大量のお土産を抱えていた。娘の帰宅に佐伯夫妻はむせび泣いた。

 そしてユイナさんが経緯の説明を始める。

 それがことごとく六波羅さんの小説の通りだったものだからびっくりした。驚きを通り越して怖いくらいだった。

 ご主人が気まずそうに顔を伏せる。その隣で佐伯さんがぺこぺこ頭を下げた。

「本当にごめんなさいねあなた達を疑ったりして。ほらあなた、あなたも謝って!」

「そのう、申し訳ない……だが、家の周りをうろつく怪しい奴がいたんだよ。だからそんなのがいたら絶対事件だと思うだろう?」

 ごにょごにょと恥ずかしそうにご主人が言い訳すると、ユイナさんが声を上げた。

「それ多分友達だ! 会う約束してたのに北海道行っちゃってたから心配してるだろうな。いつも家の近くで待ち合わせしてたから見に来てたのかも。見た目はチャラいかもしれないけどとっても良い子なんだよ」

「何でそんな紛らわしいことを……心配ならウチを訪ねてくれば良かったのに」

「お父さんとお母さんが友達をチャラチャラしてるとか言って嫌な態度をとったから、友達がウチに来るのを嫌がるようになったんだよ」

 娘に迫られてご主人は参ったという顔になり、今度こそ素直に頭を下げた。

「はあ……本当に面目ない。完全に我々の不手際だ。疑ったりして済まない」

 六波羅さんは全く気にする様子もなく、朗らかに笑った。

「私は語り部として語っただけです。娘さんが無事で何よりでした」

「でもおかしいわね。私の実家に電話した時は娘は行ってないって言われたのに」

 佐伯さんが首をかしげている。

「佐伯さんのお父様に連絡したのは夕方、既に娘さんは空港に出発したかなり後のことでしょう。お父様はこう認識したのではないですか……『既に東京に着いているはずなのにまだ着いていないのか』と。だから『いない。そっちに帰ってないのか』と言ったのでしょう。一方佐伯さんの認識は『昨日から娘が帰ってきていないけどそちらに行っていないか』というもので両者に認識の相違があった。ご主人の実家の方に電話した時と同じように経緯を説明していれば、この認識の相違に気付けたのかもしれません」

「ああ、そうね! よく考えてみたら父は『娘は来ていない』とは言ってなかったのよ。微妙に会話が噛み合ってないような気もしたけど、あまり深く考えなかったのよね」

「まったくお前は注意が足りないんだから。だからこうなるんだ」

 ご主人が恥ずかしそうに注意する。無理矢理怒っているようにも見えるので、さっきまで烈火のごとく怒っていたことの気まずさを隠すためなのかもしれない。

「もうね、あたしも誰に似ちゃったんだろう」

 ユイナさんがやれやれと肩を竦める。みんなに笑いが広がった。ご主人もここへきて初めて笑顔を見せた。

「本当にありがとうございます」

 ご主人が頭を下げる。

 すると、これまで黙っていた御厨さんが一つ咳払いして話し始めた。

「ウチの探偵事務所に協力してもらっている六波羅ですが、彼女は警察の一部や我々からはこう呼ばれています……〈PΦS68〉と。これは彼女を指す暗号なのですが、これが何を意味しているかというと――」

 一瞬の溜めを作る。

 僕も教えてもらっていなかった暗号の意味が、遂に明かされた。

「――『プロファイリング小説家・六波羅呑天』。彼女には類稀なプロファイリング能力があります。彼女はアメリカに留学していた時、とある事件現場に遭遇しました。そこに居合わせたFBI元捜査官と共に現場検証をした結果、殆ど単独で解決してしまったのです。彼女は現場を見ると、ストーリーが浮かんできて小説を書かずにはいられなくなります。本人にはプロファイリングをしている自覚はありませんが、その小説には見事なプロファイリング結果が反映されているのです。FBI元捜査官からは、現場のプロファイリングとはそこで起こったストーリーを探ることであり、彼女の行動はまさに理に適っている、天性のプロファイラーであると言われました」

 絶句が場を支配する。理解の範疇を超えたとはこういうことを言うのかもしれない。

 凄すぎて、みんな言葉が出なかった。ご主人なんかは眼鏡がずり落ちそうになって口を開けていた。

 僕は胸が強く脈動するのを感じた。熱くなるような、魂を揺さぶられるような、もうこれを知ってしまったら、のめりこまずにはいられないという感じの。凄いものを見つけた、と跳びあがりそうなほどの。

 六波羅さんの推理は語るといっても文章なので、『語る』という表現は紛らわしいかもしれない。

 これは言うなれば、だ。

 の名探偵。

 着物にお洒落な袢纏に、草履。

 それがだった。

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