第33話 心の皮

「城戸礼次郎です、お久しゅうございます」


 と、礼次郎が挨拶をすると、

 突然隣の信幸が少し驚いた顔になり、


「お主・・・名は礼次郎なのか?礼次ではなく・・・?」

「はい、そうですが」


「以前はお主の父君も、順五郎殿の妹殿も皆礼次と呼んでおったのでずっと礼次だと思っていたが」

「ああ、あの頃は皆私の名を略して呼んでましたから。正しくは礼次郎です」

「そ、そうか、すまなかった・・・」

「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない・・・」


 ――まあいいか・・・大したことにはならないだろう。


 信幸は顔をかいた。


 昌幸は一つ咳払いをすると、


「誠に久しぶりじゃ。大きくなったのう、四、五年ぶりぐらいか。見違えたぞ」


 と、目を細めた。


「はい、安房守様も大層ご活躍の様子、城戸の地で頼もしく思っておりました」

「ははは、何、源三郎を初め、三十郎ら家臣たちが励んでくれたおかげよ」

「ご謙遜を」

「後ろの二人は?」

「覚えておられませぬか?こちらは順五郎です」

「お久しゅうございます、大鳥順五郎です」


 順五郎が頭を下げた。


「おお、大鳥順五郎殿か、これはまた・・・あの頃から立派な身体をしておったが、また一段と大きくなった」

「そしてこちらの僧が・・・」


 と、礼次郎が言うより早く、壮之介が、


「道全と申します、縁あって礼次郎殿にお供させていただいております」


 頭を下げた。


「ふむ、道全殿か・・・」


 昌幸は壮之介の顔をじっと見て、


「はて・・・道全殿、どこかで見たことがあるような・・・会ったことでもあるかのう?」

「いえ、拙僧が安房守様にお目にかかるのは初めてでございます」


 と、壮之介が言ったが、実は壮之介は戦場で昌幸を遠目に見たことがあった。


 もし覚えていれば、昌幸も壮之介を見ている。


「そうか、それにしても道全殿は僧ではあるが腕も立ちそうじゃの」

「いえ、無駄に身体ばかり大きいだけでございます」


 流石は稀代の名将である。一目で壮之介が袈裟の下に隠している武勇を見抜いた。

 普通の者は僧形姿の壮之介を見て武芸に優れているとは夢にも思わないだろう。


 昌幸はまた一つ咳払いをし、


「それより、此度は大変であったな、無事で何よりじゃ。部下の報告で少しは聞いておるが、詳しく聞かせてはくれぬか?」

「わかりました」


 礼次郎は城戸での事を話した。

 礼次郎の話に、昌幸は鋭い両の眼を時折光らせながら耳を傾ける。


 礼次郎が一通り話し終えると、


「そうか、そのようなことが・・・家康がのう」


 昌幸は腕を組んで何か考え込んだ。


 信幸は膝を進め、


「父上、我が真田家は徳川と和議を結んだばかり。しかしここで礼次郎殿を見捨てては我ら真田の名は地に落ちます。ここは礼次郎殿に手を差し伸べるべきと思います」


 と、迫った。


「ううむ・・・」


 昌幸はすぐに首を縦には振らなかった。

 しばしの間無言で考え込んだ。


 その後、昌幸は礼次郎の顔を見て、


「ふむ・・・よし、礼次郎殿、何も心配はいらぬ、いつまでもここにおられるがよい」


 笑顔を見せた。


「ありがとうございます」


 礼次郎は深々と頭を下げた。


「礼などいらぬ。ところで・・・確か礼次郎殿は真円流剣術を学んでいたと聞くが」

「はい、その通りでございます」

「どうであろう。我が家中の者たちの武芸向上の為にも、一つその妙技を見せてはくれぬか?」



 上田城三の丸内にある屋外の稽古場。


 礼次郎は真田家の者と試合をすることとなった。


 昌幸、信幸ら、他の見物の真田家中の者たち、そして順五郎と壮之介は稽古場の周りに座り、礼次郎と対戦相手の真田家臣の男が袋竹刀を持って稽古場の中心で向き合った。


 袋竹刀とは竹刀の原型のようなもので、一本の竹を幾つかに割り、革をかぶせて縫い合わせ、筒状にしたものである。

 この時代、剣術の稽古にはこの袋竹刀が使われ始めていた。


「試合を始める前に礼次郎殿に一つ聞きたいのだが」


 と、昌幸が言う。


「何でしょうか?」


「真円流は常人を遥かに超える鋭い直感と、どんなに速い動きでも正確に見切る目の良さ、この二つを兼ね備えた者でないと使えないと聞いたが誠か?」


「はい、その通りでございます」


「で、それでどうやって戦うのか?」


「真円流は精神を集中し、戦いながら己の感覚を研ぎ澄ませて相手の動きをよく見て戦うのです」


「そのようなことは戦う際には誰もがやっていると思うが」


「はい、ですが真円流はその部分を徹底的に究めた流派なのです。相手の動きの三手、四手先まで読み、その隙をついて一撃で仕留める・・・ですので自身より剣の腕が上の者にも勝つことができます。しかし、そのような流派であるが故に真円流は剣術とは言えぬかもしれぬ、と私の師は言っておりました」


「ほう、なるほど・・・で、その己の感覚を研ぎ澄ますと言うのは一体どうやってやるのか?」


 その問いに、礼次郎はしばし考え込み、


「うーん・・・こればかりは言葉では表現できません、自身の精神の問題なので・・・。あえて言うならば、心の皮をむいて行くような感じです」


「心の皮?」


「はい。例えば手の皮が剥けると、その剥けたところはより痛みや水の沁みなどが感じやすくなるように、敏感になります。それと同じで、心の皮を剥くとあらゆることを感じやすくなり、相手の動きや心情の変化などが読めるようになるのです」


「うーむ、なるほど・・・理屈はわかったが、何だかよくわからぬのう・・・本当にそんなことができるのか」


「そう思うのは当然でございます。それ故真円流は使おうとする者もなく、天下にほとんどその使い手がいないのです。また他の剣術流派からも邪道とみなされているとか」


「そうか、わかった。まあとにかくその技を見せてくれ」


「はい」


 と、礼次郎と対戦相手の男は袋竹刀を構えた。


 相手の男は小杉房綱と言う若い男で、見ればなかなか腕が立つようであった。


 しかし、試合開始寸前、昌幸が突然言った。


「待ってくれい。・・・どうであろう、真剣でやってはくれぬか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る