出会い邂逅編
第26話 軍司壮之助
礼次郎、順五郎、道全の三人は、雨が降りしきる中を山に逃げ込んだ。
雨が降っていたのは幸運であったかもしれない。
雨音に紛れることもでき、雨のせいで徳川軍の追跡の脚も鈍るからだ。
礼次郎は極限の疲労を抱え、全身の傷も熱を帯びるぐらいに痛んでいたが、少しでも遠く離れようと懸命にこらえて道を急いだ。
「若、大丈夫か?熱もあるようだ、ここらで少し休んだ方がいいのでは?」
順五郎が心配して言う。
「いや・・・もう少し・・・急ごう。ここを越えて下れば・・・そこまでは徳川軍も追ってこないだろう」
礼次郎は息を切らして言う。
「いや、順五郎殿の申される通りです、礼次郎殿は傷だらけだし、体力の消耗が激しい。雨も降っているし、少し休む方がいい。幸い徳川軍が追って来ている気配も未だ感じられない」
道全も同意した。
「あ、ちょうどあそこに洞穴のようなところがある、あそこで少し休んだらどうだろう」
と、順五郎が指差す先に、ちょうど三人ぐらいは雨露をしのげそうな大きさの洞穴があった。
「じゃあそうするか」
礼次郎はうなずき、三人はその洞穴に入った。
「若は全身傷だらけだ、この雨は良くない。少しでも小雨になるのを待とう」
順五郎が洞穴から空を見上げて言った。
「わしの庵に行けば薬などあるのだが、徳川に知られているので行けぬのが残念だ」
道全が残念そうに言う。
「こうなった以上仕方ない、この山を越えれば街道に出る。どこかで薬をもらおう」
礼次郎が言うと、道全の方を向き、
「道全殿、改めて礼を言いたい、感謝いたす」
頭を下げた。
道全は手を振り、
「とんでもござらん、当然のことをしたまで」
「あの時後ろで経を唱えていたのが道全殿だったので助かった。一体どうしてあの場にいたのだ?」
礼次郎は思い起こし、不思議そうに聞いた。
「何・・・礼次郎殿が連れて行かれた後、偶然順五郎殿に出会い、そこから二人でどうやって礼次郎殿を助け出すか徳川の陣を探っておりました。一日経って礼次郎殿が処刑されると聞き、これはますますまずい、死ぬ覚悟で飛び込んで助けるか、と思っていたところ、徳川軍が処刑の際に経を唱える僧を探していると聞きました。ちょうど今の某は僧、これは天が下された好機と思い、自ら志願したのでござる。その後はあの通り、隙を見て礼次郎殿の縄を解き、外から順五郎殿が飛び込んで攪乱して逃げる策でした」
「そういうことか」
礼次郎は納得した表情でうなずいた。
「ただ、なかなか隙を見い出せず、あのようにギリギリになってしまったのは誠に申し訳ござらん」
「いや、結果こうして命が助かっているのだからただただ感謝あるのみ。あの時はもう死んだと思っていましたから」
礼次郎は笑った。
「本当だ、道全殿が僧でなかったらああやって忍び込むこともできなかったしな。全て道全殿のおかげだ」
順五郎が言った。
「本当に不思議な巡り合わせもあるものだ・・・。道全殿があの時川岸で助けた侍で、今こうして再び巡り会って今度はオレが危機を助けられたのだから」
礼次郎が言うと、ふと気が付いて、
「そう言えば、何故僧に・・・?」
道全は問われると、一瞬目を閉じて黙った。
再び目を開くと、外の雨を眺めながら口を開いた。
「あの時・・・5年前のあの時、某は小さな領地を治める軍司家の当主を継いだばかりでした」
そう言って、道全は落とした記憶を拾い起こすかのようにポツポツと話し始めた。
五年前、天下掌握を目前にした織田信長が京の本能寺で倒れると、織田家中は混乱を極めた。
その影響は織田家に組み込まれたばかりの旧武田領、信濃、上野にも強く波及し、特にこの上野一国を治めていた滝川一益が上方に去ると、空白地帯となった上野を巡って徳川、上杉、北条、真田などの諸勢力、更には地元の小勢力、国人衆までもが入り乱れる戦乱が勃発した。
後に天正壬午の乱、この時代では甲斐一乱、壬午の合戦などと呼ばれるこの戦乱に、軍司家を継いだばかりの道全もまた、領地拡大の野望を持って飛び込んで行った。
当時、軍司壮之介と名乗っていた道全は二十六歳、気力、体力共に充実しており、若さ故の自信と野望に燃えている時であった。
群を抜く恵まれた体格と武芸の才、強い統率力で軍勢を率い、戦に出ては負け知らずであった。
ある時、これは絶好の領土拡大の機会と言う大きな戦に、壮之介は一族郎党全てを率いて参加した。
ところが、敵方の思わぬ奇襲を受けて軍司方は大混乱に陥った。
陣を立て直すことができぬうちに前線は崩壊、たちまち全軍は潰走し、更に敵の追撃も受けてほぼ全滅した。
壮之介自身も重傷を負い、逃げるのがやっとであった。
「このまま行けば敵が我が城にまで攻め入って来るのは明らか。某も深い傷を追っていたので、自害するか、潔く最後まで戦って討ち死にしようと思いました。だが城に残っている家族のことが気にかかり、せめて家族を逃がしてから死のうと思い、必死に逃げました」
「なるほど・・・」
「はい、ですが敵の追撃の手は厳しくなるばかり・・・」
そして、壮之介は山中の崖にまで追い詰められた。
どうせここで殺されるのであれば、飛び込んでも同じことと、意を決して崖下の急流に飛び込んだ。
折しも台風が過ぎたばかりで流れはいつもよりも激しく、壮之介は一気に濁流の渦に流されて行った。
壮之介は必死にもがき、泳ぎ、運よく川岸に流れ着くことができた。
しかし壮之介の傷は深く、激しい体力の消耗もあり、このままでは命は尽きるであろうと思われた時、偶然にも礼次郎と順五郎に発見されたのだった。
「そういうことだったのかー、あの時は俺も若もまだガキだったから、城戸に連れて帰ってからはあまり深く事情も聞かなかったよな」
順五郎が頭をかいた。
そして、礼次郎と順五郎によって城戸の里に運ばれた壮之介は、城戸家の介抱を受けた。
放っておけば死ぬかもしれない重傷であったが、壮之介は自分の城と家族のことばかりが気にかかった。
妻は、息子は、娘は無事であろうか・・・?うまく逃げてくれただろうか・・・?
そんな思いが頭の中をぐるぐる廻った。
そして二日経ち、ある程度傷口が塞がると、壮之介は城戸家に厚く礼を言って城戸を去り、痛みをこらえて軍司家の居城に向かった。
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