第27話 ふじの櫛
傷の痛みをこらえ、急いで軍司家の居城に向かった壮之介が見たものは、
「城は当然のように攻め落とされておりました。そして家族は・・・妻も幼き息子たちも皆殺されておりました。まだ言葉も発せられない2歳の娘ももおりましたが・・・伝え聞いた話によると娘も処刑されたとのこと」
そこまで言うと、道全は目にこみ上げて来る涙を袖で拭った。
「某は自分がなんと愚かであったかに気が付きました。相応の領地を守っておれば良かったものの、不相応にも愚かな野心を持ったせいで家を滅ぼし、家族を死なせてしまった・・・」
そう言う道全の言葉が、礼次郎の心に痛く刺さった。
――徳川の陣を見に行かなければ・・・あの時小袖を脱ぎ捨てなければ・・・上田城に使いに行かなければ・・・
少し事情は違うが、礼次郎も自分の浅はかな行動で家を滅ぼしてしまったのではないかと言う思いが胸中密かにある。
「そして自分の愚かしさを恥じた某は自害しようとしました。しかし、寸前で思い止まりました。死を覚悟してあの川に飛び込んだあの時、軍司壮之介は死んだのだ。もう一度死ぬ覚悟があるのなら、死ぬ思いで何か世の為に尽くそうと。家族と、軍司家の為に死んだ者たちを弔いながら、世の中の為にこの命を尽くそうと・・・。そして某は京の建光寺に行き、仏門に入りました。その後五年の修行を終え、つい先日上州に戻って来たところ、再びこうして礼次郎殿と出会ったのござる」
と、かつて軍司壮之介であった道全は話を終えた。
「なるほど・・・そういうことだったのか」
礼次郎がうなずくと、
「礼次郎殿!」
突然道全が正座して両手を地につけた。
そして真っ直ぐに礼次郎の目を見て、
「この道全を家臣の端にお加え願えませぬか?」
と、言った。
「ええっ!?」
礼次郎も順五郎も驚いた。
「何卒お願いいたしまする」
道全は地に頭をつけた。
礼次郎は困惑し、
「いや、しかしこの通り、今のオレは領地も館も失い、払える俸禄も無い。とても道全殿を召し抱えることなどできん」
「俸禄などいりませぬ。ただ礼次郎殿の行く先にお供させていただけるだけでようございます」
「しかし・・・オレはこうして徳川から逃れたばかりで明日をも知れぬ身。この先どうすればいいのかもまだわからない」
すると道全は真っ直ぐに礼次郎の目を見つめ、
「順五郎殿に聞いております、城戸家には代々伝わる秘剣天哮丸を守護する役目があると・・・。しかしこうして城戸家が非道徳川家康に滅ぼされた今、城戸家嫡男として生き残った礼次郎殿は、天哮丸を奪い天下を手中に収めんとする家康の野望を打ち砕き、城戸家を再興して天哮丸を守ると言うことが志になったはず」
「・・・そうだな」
「某、非才の身ではありますが、どうかその志を遂げるお手伝いをさせてくだされ」
「うーん・・・それは構わないが、どうしてそこまで?」
すると、道全はますます情熱を帯びた声で言った。
「某、先ほども申し上げた通り、四年前に一度死んだ命と思っております。しかし礼次郎殿に救われました。それ以来、いつか礼次郎殿のこの恩に報いねばならぬと思っておりました。今こそその時でございます。礼次郎殿に拾っていただいたこの命、今こそ礼次郎殿にお返しする時なのです」
道全の目は熱い光を宿しているように見えた。
「・・・」
人を召し抱えるなど初めての経験である。礼次郎が尚も戸惑っていると、
「いいんじゃないの?道全殿の強さは力になるし、俸禄もいらないって言ってることだし。気楽に一緒に旅でもするつもりでさ。まあこの先禄がもらえないのは俺も同じだけど・・・」
順五郎が笑って言った。
「そうだな・・・わかった。では道全殿、これからはオレに力を貸してくれ」
礼次郎は微笑んで言った。
すると道全は武骨な顔をほころばせ、
「ありがとうございまする」
と、喜んだ。
「ただし、オレは正式に城戸家を継いでいるわけではないし、諸々の経験も浅いので主君面するのは気が引ける。なので家臣と言うよりも仲間だと思うことにする、それでいいか?」
礼次郎が言うと、
「もちろん構いませぬ。某はあくまでも家臣としてお仕えいたしますが」
「それと、道全と呼ぶのは何だか偉い坊さんを呼び捨てにするみたいで呼びづらい。これからは元の名である壮之介と呼んでいいか?」
「どちらでも構いませぬ」
「よし、では壮之介、宜しく頼む」
「ありがたき幸せ。必ずお役に立ってみせます」
壮之介は再び頭を下げた。
「・・・お、ちょうど雨も止んだぞ」
順五郎が外を見て言った。
「よし、じゃあ行くか」
三人は外に出た。
「礼次郎様、これからどちらへ向かいますか?」
壮之介が聞くと、
「とりあえず、この山を下ると信濃へ通じる街道に出る。ちょうど元々上田城へ使いに行く途中であったし、上田の真田殿を頼ろう」
新たに軍司壮之介道全を加えた主従三人は、太陽がのぞき始めた雨上がりの空の下を急いだ。
山中、徳川軍に追いつかれることは無かった。
三人は無事に山を下り、信濃に通じる街道に出た。
ここまで来ればだいぶ安心であるが、信濃と上野の国境に至るまではまだまだ徳川軍に見つかる可能性があり、油断はできない。
三人は道を急いだ。夜になり、火を焚き野宿をした。
その翌日、再び三人は道を急いだ。
そしてちょうど信濃と上野の国境に差し掛かった未の刻頃(午後14時)、
「お、温泉があるようだぜ」
順五郎が言った。
道の傍ら、案内の立札が立っている。
「ちょうど良い、礼次郎様の傷の癒しの為にも少し浸かって行くのはいかがでしょう」
壮之介が提案すると、
「よし、じゃあそうするか」
三人は湯に浸かって行くことにした。
街道筋にぽつんとあるだけあってさほど大きい温泉ではなかったが、すぐ裏に茶店があり、それなりに利用客はいるようである。
だが、この時は中途半端な時間帯のせいか、脱衣所には他の客の姿はなかった。
「こんな辺鄙な場所にある湯で三人一緒に入ると荷物が心配だ、二人は先に入って来るといい、オレは荷物を見張ってよう」
と、礼次郎が言った。
「では礼次郎様が先に入る方が」
「いや・・・オレはちょっと疲れてしまった、先に少し身体を休ませてからゆっくり入るよ」
「そういうことでしたら」
壮之介と順五郎が先に入ることとなった。
礼次郎は二人の荷物を抱えて座り込んだ。
順五郎は荷を解いている時に、ふと気付いて礼次郎に言った。
「ああ、そうだ、若・・・」
「うん?」
「これ・・・」
順五郎は何かを取り出して礼次郎に手渡した。
それは赤い漆塗りの櫛であった。
螺鈿で装飾されている。
「これは?」
と、礼次郎は櫛の裏表を見て聞くと、
「ふじの櫛だ」
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