第24話 礼次郎斬首

 翌日。


 前日までの快晴と打って変わって、空はどんよりと曇って来ていた。


 しかし徳川家康の心中がなんとなく晴れやかでないのでは、この天気のせいだけではないであろう。


 倉本虎之進が本陣に入って来た。


「殿、丸一日が経ちました」

「そうか、で、礼次郎はやはりまだ吐かぬか」

「はい、最早身体はボロボロ、意識もまともにあるのかどうかすらわかりませんが、一切しゃべりませぬ」

「そうか、大した気力よ」

「予定通り処刑しますか」

「うむ、吐かぬのであればさっさと始末せねばならん」

「承知いたしました、ではすぐに準備をいたします」

「うむ」


 そう言うと、家康は複雑そうな表情で目を閉じた。

 が、急に目を見開いたかと思うと、


「待て虎之進、どこか近くの村へ行って僧を連れて来い」

「僧を・・・?」

「うむ・・・城戸礼次郎、敵ながら処刑するには惜しい誠に素晴らしい男である、こういう事情でなければ是非とも我が部下としたいぐらいじゃ。なので礼を尽くし、処刑の際には僧に経を念じさせ、処刑が終わればすぐに弔わせるのだ」


 家康はそう言ったが、理由はこれだけではなかった。


 自身の野心の為に一つの家を滅ぼし、何の罪も無い民を殺し、そして今またこちらの理不尽な理由によって未来ある若者の命を奪ってしまうことへの罪悪感があった。


 自らも戦国の世の理不尽な非情さを散々味わって来た徳川家康であったが、こういうことをして少しでも心の中に芽生えた後ろめたさを和らげたかった。


「承知いたしました、では僧を探して参ります。手配が出来次第処刑いたします」


 虎之進は本陣を出て行った。



 虎之進は部下に命じ、近隣の村に僧を探しに行かせた。


 なかなか見つからず、ようやく一人の僧を連れて来れた時はもう日が落ちて辺りは薄墨を張った夜となっていた。


 その為、礼次郎の処刑は更に翌日の正午前と決まった。


「お前の処刑は明日の昼前だってよ」


 と、見張りの兵士が礼次郎に言った。


 礼次郎の身体は全身傷だらけで見るのもためらわれるほどであった。

 前日には爛々と強い光を放っていた眼であったが、今や虚ろな鈍い光を放つのみであった。


 礼次郎は木からは降ろされて地に座っていたが、その身は変わらず縛られており、縄は大木に固く結びつけられていた。


 少し離れたところでは、徳川の兵士達が夕餉と共に振る舞われた酒を飲んでおり、騒がしい談笑の声を夜空に響かせていた。


 礼次郎の見張りの兵士はその様子を遠目に眺めながら、


「正直なところ、俺はお前にゃ同情してるぜ」


 ポツリと言った。


「わけもわからず俺達に攻められて、家族を殺されて、そして明日には自分が殺される。こんなひでえ話はねえ」


 兵士はまだ若かった。顔が少し泥に汚れている。

 左手には酒の入った竹筒を持っている。


「・・・・・・」


 礼次郎は言葉が出ないのか、あえて出そうとしないのか、無言であった。


 ぼんやりと遠くの兵士達の酒盛りを見つめていた。


「おめえ、すげえよ・・・俺、昨日からずっとお前が打たれるのを見てたけど、よくあれだけの拷問を我慢できるよ。こんな男見たことねえ。よっぽど何か守りたいものがあるんだな」


 兵士は竹筒の酒を一口飲んだ。


「おめえなんか知り合いでもなんでもないし、むしろ敵だし、こんなこと言っちゃいけないんだけどよ。おめえの根性には感動したよ。なんつーか、おめえには生き延びて欲しいって思うよ、生き延びてその守りたいものを守り抜いて欲しい。昨日から見ててそう思ったんだ。・・・まあ、もう処刑されるんで無理だろうけどよ」


 そう言うと、兵士は竹筒を礼次郎の前に差し出した。


「内緒だぜ?飲むか?」


 しかし礼次郎は虚ろな目でその竹筒を見つめるばかりであった。


「そら、口を開けな」


 兵士は礼次郎の口を開けさせ、竹筒の酒を流し込んだ。

 上等な酒の甘味が礼次郎の五臓に沁みた。


 礼次郎は兵士の顔を見て、唇を何やら動かした。


「あ・・・あ・・・りがと・・・う」

「何だ、礼か?」


 兵士は嬉しそうに笑った。


「喉がかわいてるだろ、あとで水もやるよ。・・・俺は甚八って言うんだ。もう戦が嫌になったから、今回でやめて西の方にでも行って商いでもしようと思ってるんだが、もし万が一奇跡でも起きておめえが生き延びられたら、訪ねにでも来てくれよ・・・」


 甚八はそう言うと自分もまた酒を一口飲んだ。


 礼次郎は空を見上げた。

 漆黒の空には灰色の雲が横たわっていた。

 時折、その雲の合間に満月の輝きがのぞく。

 礼次郎は微動だにせず、じっとその満月の光を見つめていた。




 そして処刑の時となった。


 空は昨日よりも雲が増え、昼だと言うのに薄暗い。今にも雨が降り出しそうである。


 陣のように陣幕で囲った空間。


 ここが礼次郎の処刑場である。


 前方、徳川家康が床几に座り、その左右に家康の側近達と倉本虎之進が控えていた。


 陣幕に沿って徳川軍の兵士たち十数人が立っており、入り口にはまた二人の見張りが立っている。


 中央には礼次郎が縄で縛られたまま正座させられていた。


 礼次郎の横には首を斬る役目の兵士が抜き身を手に提げて立っており、その後ろには笠をかぶった僧が杖を脇に横たえ、厳かに経を唱えていた。


「殿、準備は整いました」


 虎之進が言った。


「うむ・・・だがちょっと待て」


 家康が言うと、


「城戸礼次郎、最後にもう一度聞く、天哮丸の場所を言う気はないか?言えばその命は助けよう、それどころかわしの旗本として取り立てる、どうじゃ?」


 礼次郎に聞いた。


 礼次郎はキッと家康を見据えた。

 一晩経って幾分か体力が回復したのか、目の光がかなり戻っていた。


「無い・・・オ・・・オレを旗本にすれば・・・その瞬間貴様を殺す」


 礼次郎は言い放った。

 声量もいくらか回復していた。


 家康は唾を飲んだ。

 半死半生とも見える礼次郎の姿であったが、その背筋を凍らせるような気迫は失われていない。

 やはり早く殺すべきだ、と家康は思った。


「仕方ない。わかってはいたが聞くだけ無駄であったな。・・・ではやれ」


 家康が命じると、礼次郎の側の兵士が抜き身を振り上げた。

 すると虎之進が、


「待て、この刀を使え」


 と、役目の兵士に渡した。

 それは礼次郎の刀であった。


「こいつの刀にこいつ自身の首を斬らせるのだ」


 虎之進が残忍な笑みを見せた。


「は・・・では」


 兵士が礼次郎の刀を抜いた。


 天哮丸とは別に城戸家に伝わる名刀が、礼次郎の頭上で無情に輝いた。


 頭上の空はいよいよ暗くなり、小雨がぽつぽつと降り始め、遠くで雷鳴が聞こえて来ていた。


 兵士は礼次郎の頭を倒し、刀を振り上げた。


「城戸礼次郎、最後に何か言うことはあるか?」


 虎之進が聞いた。


 礼次郎は頭を倒したまま眦を吊り上げ家康を睨みつけた。


「早く斬るがいい。もし・・・ここでオレが生き延びられたら・・・オレは命と引き換えにしてでも真っ先にお前を殺す。だが無念だ・・・オレの命はここで潰えてしまう。お前に一太刀でも浴びせれなかったのが心底悔しい。・・・徳川家康・・・ここでオレを殺し、天哮丸を手に入れたとしても・・・それで無事だと思うなよ。・・・オ・・・オレの魂はお前に殺された城戸の者の怨みと共に天哮丸に乗り移り、必ずその命を奪うだろう!」


 礼次郎の魂の絶叫であった。

 

 その時ドーンと言う雷鳴が轟き、閃光が走った。


 その雷鳴と相まって、陣幕沿いにいた兵士達の心胆をも寒くさせるような礼次郎の凄絶な叫びであった。


 虎之進は薄ら笑いを浮かべると、


「戯言を・・・やれ!」


 高く振り上げられた礼次郎の刀が閃くと、音を発してその首に振り下ろされた。

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