第18話 鎖の鞭を封じろ

 咲の鎖鞭が礼次郎の刀を目がけて鋭く伸びる。


 刹那、礼次郎はぱっと刀から左手を外し、左腕を突き出した。


「あっ!?」


 咲の放った鞭が礼次郎の左腕に巻きついた。


 鉄球には棘がある為、左腕の何か所かから血が流れた。


「うっ・・・!」


 礼次郎は痛さに顔を歪めたが、


「お前の左の鞭は封じた、これで互角だな」


 礼次郎がニヤリと笑って言った。

 彼の左手は腕に巻きついた鎖の鞭をがっちりと握っていた。


「くっ・・・おのれ」


 咲が悔しげに顔を紅潮させた。


 礼次郎が右手に握った刀を右上段から振り下ろした。

 咲が正面から受け止める。


 しかし右手同士では、すでに咲の動きを読み切っていた礼次郎が有利である。


 三回ほど打ち合った後、礼次郎の狙いすました突きと咲の打ち下ろしが交錯した。


 が、咲の打ち下ろしは空を斬り、逆に礼次郎の突きが咲の手元を突いていた。


 たまらず咲は刀を落とした。


「うっ・・・」


 呻く咲に、続けて礼次郎は右上段から袈裟懸けに振り下ろした。

 強烈な一撃が咲の左肩に入り、咲の身体が崩れ落ちた。


 だが、苦痛に呻く咲の左肩からは血は流れていなかった。


 礼次郎は乱れた呼吸を整える。


 そして咲を見下ろして言った。


「今は女を斬る気にはなれない。峰で打った。それほど力は入れてないからせいぜい骨にヒビが入った程度だろう。その前に突いた右手も重傷ではないはず」

「おのれ・・・」


 咲は流血する右手で左肩を押さえ、苦痛に顔を歪めながらもその目は礼次郎を見据えていた。闘志はまだ消えていなかった。


「だがその状態では何もできないだろう。ここは行かせてもらうぞ」


 礼次郎は左腕から鎖鞭をほどいた。

 棘が刺さったので礼次郎の左腕からも少量ではあるが血が流れている。


「う・・・」


 礼次郎の頭が少しふらついた。


 礼次郎の使う真円流剣術は、精神と感覚を通常より遥かに超える領域にまで研ぎ澄まして戦う為、身体の疲労よりも頭脳と精神の疲労が激しい。


 礼次郎が頭を押さえる。


「ふっ・・・お前も疲れが激しいじゃないか、そんなザマで逃げれると思うかい?もうじき麓から我が部下達が来るぞ」


 咲が笑って言った。

 その言葉通り、何やら遠くから騒がしい声が聞こえてくる。

 どうやら連絡が行った美濃島衆の部下が駆けつけて来たようだ。


「オレは生き延びなければいけないんだ」


 そう言うと、礼次郎は走り出した。


 さっき咲が入って来たのとは別の廊下に入った。

 しばらく行くと、左手に厨房が見える。

「厨房か!ここなら外に出れるはずだ!」

 厨房に入り、見回す。

 案の定、外に通じる戸があった。



 ――いいぞ、鍵はかかってない!



 戸を開け、礼次郎は外に飛び出した。


 だが、ちょうどそこには駆けつけて来たばかりの美濃島衆の部下数人がいた。


 彼らは戸から飛び出して来た礼次郎の姿を見ると一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに落ち着いて、


「こいつだろう!」

「出て来やがったぞ!やっちまえ!」


 と、襲いかかって来た。


 城戸からの連戦ですでに礼次郎の体力は限界に近い。

 だが礼次郎は再び己の力を奮い立たせた。

 気合いの叫びと共に一人を斬り伏せ、返す刀で一閃、また一撃、と、たちまち数人を斬り伏せた。

 しかし騒ぎを聞きつけた他の連中がまた駆けつけて来る。



 ――このままでは力尽きてしまう。



「ここは逃げた方が良さそうだな」

 礼次郎は戦うのを止め、一旦納刀して走り出した。


「逃げたぞっ!」

「追えっ!」

「回り込むんだ!」

 美濃島衆の声が響き渡る。


 礼次郎は草木の中に分け入って行った。

 しばらく進むとやがて細い山道に出た。


「よしいいぞ」


 礼次郎が小声で呟く。


 ――しかし右か左か、どっちへ行けばいい? 


 月明かりのみではどちらへ行けば下山できるのか判断ができなかった。

 疲労で自慢の勘も働かない。


 ――一か八かだ。


 礼次郎は右へ走り出した。


 風が少し強くなって来たのか、木の葉が揺れ出していた。


 ――うん?おかしいな?


 礼次郎は道が緩やかに上りになっているように感じた。

 しばらく走るとそれが正しいことに気付かされた。

 明らかにこっちは上りの方向であった。


「逆だったか・・・」

 悔しげに呟くと、礼次郎は身を返して元来た方向へ走り出した。


 だが、すぐに前方よりゆらめく灯りが見え始めた。


「いたぞ!あそこだ!」


 美濃島衆の追手であった。


 ――しまった!


 かなりの数がいるようだ。

 姿を捉えられているので茂みに隠れるのは無理である。

 礼次郎は仕方なく再び上りの方へ引き返した。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 礼次郎の息が激しく乱れる。

 とっくに限界を迎えている礼次郎の体力には、上り坂は余りに過酷であった。

 追手との距離が急速に縮まって行く。


 やがて平坦で広い道に出た。


 ――少しは楽になるか・・・だがどうする?追いつかれるのは時間の問題だ・・・


 と、考えを巡らせていたその時、礼次郎は愕然とした。


「崖か・・・!」


 道はそこで途切れており、その先は崖になっていて下には川が流れていた。


「くそっ・・・」


 飛び込めない高さではなかった。

 しかし決して飛び込んでも無事と言えるような高さでもなかった。


 礼次郎は唇を噛んだ。


 今朝徳川軍に追われた時は馬に乗っていて距離があったので茂みに隠れることができた。

 しかし今は違う、追手はもう姿が見えるぐらいそこに迫っている。


「仕方ない」


 礼次郎は呟くと、覚悟を決めて刀を抜いた。

 白刃が月明かりに光る。


「追いついたぞ!」


 美濃島衆の追手が追いついて来た。

 数はざっと十数人。


「バカな奴だ、ここが崖だとも知らずに」

「すぐに片づけてやる」


 美濃島衆は口々に言うとそれぞれ刀を抜いた。


 ――多人数で追い詰められた時はこちらから行かなければやられる!


 礼次郎はいきなり踏み込み、一番左にいる男に躍りかかった。

 右払いで斬り倒した。

 返す刀でその横の男の脚を薙ぎ払う。

 ギャッと悲鳴を上げて男が倒れる。


 礼次郎の膝がふらついた。


 ――くそっ、もう少しでいいから言うことを聞いてくれ!


 礼次郎の目が血走っている。

 四人ばかりが一斉に襲いかかって来た。

 その太刀を懸命に受け止め、躱し、飛燕の如く動き回るも礼次郎は防ぐだけで精一杯であった。

 徐々に崖近くに追い詰められて行った。


「うっ!」

 右脚に痛みを覚えた。

 一人の太刀が掠ったのだった。


 膝がふらつくほど限界を迎えていた礼次郎の脚がガクッと落ちた。

 そして足が崖の土を踏んだ。


 ――しまった!


 礼次郎は体勢を崩した。

 左手が空を掴んだその時、礼次郎の身体はすでに宙に落ちていた。


「うわあああっ」


 礼次郎は真っ逆さまに崖下に落ちて行った。


 ドボォンと言う音が闇夜の静寂に響いた。

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