第183話 紅葉の別れ、そしてまた桜の季節に

 なんと、同じ五摂家の近衛家の若者であった。

 しかし、今は二条家と近衛家は政敵の間柄にある。それを聞いて、瑤子はしばし躊躇ったが、思い切って自分が二条晴良の娘だと言うことを打ち明けた。だが、義嗣はまるで意に介さなかった。


「ほう、二条晴良どののご息女でございましたか。それはお救いできて良かった」

「良かった……?」

「ええ。元をただせば同族同士ですから。それに対立しているのは我が兄と貴方の父君だけであって、我らではございませぬ。」


 近衛義嗣は微笑んだ。

 その爽やかな笑顔に釣られるように、瑤子も自然と微笑んだ。


「そうですね……私たちには関係ありませんね」


 その後、彼らは共に洛中まで帰り、両家の人間らに見つからぬように別れ、互いの邸宅に帰った。


 それから彼ら二人が恋に落ちるのに時間はかからなかった。

 近衛義嗣はこの時二十二歳、まだ妻帯はしていない。瑤子がこっそり使者を出して礼を言ったり、お返しに使者が来て贈り物などをしているうち、彼ら自身が会うようになり、そして当たり前のように恋に落ちた。

 恋は障害があるほど燃え上がると言う。近衛家と二条家、時代の激動の中で対立しており、本来恋をしてはならない間柄であると言う状況が、彼らの恋を熱くさせた。

 だが、あくまで、どこまでも互いの家には秘密であった。隠れながら逢瀬を重ね、二人は激しく愛し合った。


 しかし同年十月。

 足利義昭が織田信長に擁されて上洛を果たすと、織田軍によって三好三人衆は京から駆逐され、三好家が支持していた十四代将軍足利義栄も死去し、足利義昭が十五代将軍となった。

 それに伴い、近衛家と二条家の立場は逆転、義昭を指示していた瑤子の父、二条晴良の力が強まり、代わって近衛義嗣の兄、関白近衛前久の立場が微妙なものとなった。


 そんな時、二条晴良は、娘の瑤子に縁談を告げた。

 新将軍、足利義昭の遠戚であり、一族に連なる有力者、伊川経秀との婚姻である。


 瑤子は激しく動揺した。

 父、晴良は、自分が政敵の家の近衛義嗣と愛し合っていることを当然知らない。そして、言えば当然激怒するであろう。

 しかし彼女は、もう近衛義嗣と添い遂げると心中密かに決意していた。近衛義嗣も同様である。二人は、これから、機会を見て両家に打ち明け、徐々に説得して行こうと思っていた。そんな折に、突然決まった瑤子の縁談。


 互いにわずかな従者を連れ、二人は出会いの地、鞍馬山で会った。

 時は十月、鞍馬山の樹木は紅と黄に染まり、絵に描いたような鮮やかな紅葉を見せていた。

 まるで二人の恋を象徴するかのように、燃えるような真っ赤な紅葉の下で、瑤子は義嗣に縁談のことを打ち明けた。

 義嗣は驚き、動揺したが、彼の方でも瑤子に伝えるべき一大事があった。


「我が兄、前久が先々代将軍の暗殺に関わっているとして、朝廷追放が決まったのだ」

「え? そんな……」

「義昭殿が新将軍になった時に、いずれはこうなるかも知れぬとは思っていたが、こうまで早いとは思わなんだ」


 義嗣は、秀麗な顔を悔しげに歪めた。

 瑤子は暗い表情となった。


「申し訳ござりませぬ。恐らく、私の父もその決定に関わっていることでしょう」

「言うな。仕方のないことだ」


 二人は、しばし沈黙した。

 紅い葉が、散り落ちて来て瑤子の肩にかかった。瑤子がそれを払い落としたのを見てから、義嗣が無念の表情で言った。


「私ももう京にはいられない。兄と共に、どこぞへ落ちるつもりだ。そして、そなたも義昭殿の遠戚との縁談が決まった。これは恐らく運命であろう。悲しいことであるが、我らはここまでだろう」


 その目に、光るものが浮いていた。


「そんな……」


 瑤子は茫然と絶句した。


「仕方あるまい。本心としてはそなたを連れて行きたいが、私自身、これからどうなるかわからぬ身。一月後には、どこぞの名も知れぬ山中で果てているやも知れぬのだ」

「…………」


 瑤子の両目が潤んだ。


「私も本当はこうはしたくないのだ。どこまでもそなたと共にいたい。しかし、運命がそれを許さぬのだ。我らはもうここまでだ。すまぬ」


 そして、義嗣がくるりと背を向けた時、瑤子が叫んだ。


「お待ちください!」


 義嗣が、ゆっくりと振り返った。

 瑤子は、そんな義嗣の目を見つめながら、涙を流して言った。


「貴方様は、そうも簡単に運命に負けて、私たち二人をお見捨てになるのですか?」


 義嗣の目が見開いた。


「ふたり……?」

「武芸の腕が無いにも関わらず、あの時勇敢にも賊徒に立ち向かって行った貴方様が、目にも見えぬ運命とやらには抗せずに、私とこの子は守らぬと言うのですか?」


 瑤子は流れ落ちる涙を拭いもせず、義嗣の顔を見つめた。

 義嗣は茫然と瑤子の目を見返す。


「まさか……」


 瑤子は泣き顔のまま頷き、わずかにふっくらとした腹をそっと撫でた。


「ここには、やや子がおります。貴方様との子です。私たちが出会った桜の季節には、もう生まれていることでしょう」

「何と……」

「誰にも言えずにずっと悩んでおりました。貴方様にもどう言おうかと……。でも、もう心を決めました。貴方様がこの先、どんなに貧乏し、苦労しても構いませぬ。その分、私が何でもやりまする。そしてこの子と共にどこまでも貴方様について参ります」


 瑤子がそう言い切ると、義嗣の表情が変わった。

 覚悟を固めた、引き締まった表情となった。


「わかった。では共に行こう。私も非力ながら、全力でそなたと子を守る」


 そして、二人は駆け落ちを決めた。

 手筈、日にちを決め、その日が来るのを待った。


 だが、悲劇が瑤子を襲った。

 瑤子と義嗣の恋と、瑤子の腹に義嗣の子がいること、そして二人が駆け落ちしようとしていることを知った、二条晴良が動いたのである。

 近衛義嗣が、暗殺されたのであった。


 それを知った瑤子は狂ったように泣き叫んだ後、家を飛び出した。

 このままいれば、このお腹の中の子もどうされるかわからない。義嗣を失った今、瑤子は義嗣との愛の証であるやや子だけは何としても守らねばならぬ、と決意した。

 お腹に子がいること、そして激動の時に愛する義嗣を失ったことで、瑤子はいささか正常な精神状態を失っていたのかも知れない。だが、それは当時の瑤子にとっては当然の行動であった。

 信頼している侍女と従者の二人を連れ、邸を飛び出し、東へ向かった。


 長く、苦しく、辛い逃避行であった。

 だが、義嗣との思い出と、お腹の中の子が順調に大きくなって行っていることが、瑤子に一切の辛さを忘れさせた。

 やがて、瑤子は信濃国佐久郡の山中の、小さな集落に辿り着き、そこで不慣れながらも生活を始めた。

 そして、桜が咲き始めた三月半ば頃、瑤子は健康な女児を出産した。

 これがゆりであった。


 小さな集落も桜に彩られている。

 瑤子は布に包んだ我が子を抱き、村外れの桜の大木の下に行った。

 頭上でそよ風に揺れる桜の花を見つめ、涙を流して呟いた。


「義嗣様、生まれましたよ。名は百合子です。貴方様は百合の花がお好みでしたから。貴方様と出会ったこの季節、貴方様と共に二度目の桜を見ることはかないませんでしたが、私はこの百合子と共に毎年桜を見ては、貴方様の話を沢山百合子に聞かせてあげようと思います」


 そして瑤子は、小さな観音菩薩の木像を革ひもで通した首飾りを百合子の首にかけ、自分にもかけた。

 それは瑤子が妊娠中に少しずつ彫ったものであった。


「お父上様がおらずとも、私たち二人がこれから沢山幸せを得られるようにと、願いを込めて彫ったのですよ」


 瑤子は、腕の中で眠る我が子に優しく話しかけた。

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