第169話 北条、動く

 翌朝、大広間に礼次郎と龍之丞、順五郎、壮之介、咲、ゆりが集まった。千蔵と喜多は、諜報の役目で外に出ている。

 六人は、大広間の中央、龍之丞が広げた地図を囲んで車座に座った。


「さて……我らの目標は幻狼衆の討伐と七天山の攻略。しかし、各々おのおの承知でしょうが、今の我らの兵力ではいきなり七天山を攻めることは難しい。千蔵殿と喜多殿の調べでは、今の七天山はその兵数を増やし、恐らく一千人に近い。対する我らは、上杉家より借り受けた四百の兵しかおりません。しかも、四百全部を一度に動かすわけには行かない。ここの防備や、農作業等にも人が必要ですからな。動かせるのは多くても三百と言うところでしょう」

「それじゃあ、七天山を攻めるなんて絶望的じゃないか」


 順五郎が顔を曇らせる。


「そうなのです。そこで、通常であれば兵をつのって数を増やしたいところですが、この城戸の人口ではこれ以上兵を募るのは無理でしょう」

「じゃあどうする」


 と、短くく礼次郎。


「どちらにせよ、ここから七天山までは遠い。いきなり攻めて行けば、その隙にこの城戸を攻められる恐れもございます。まずは近隣の手頃な地を攻め取り、城戸の防備を固めつつ、その攻め取った地より兵を募って参りましょう」

「なるほどな。しかし、どこを攻める?」


 礼次郎は地図を睨む。


 城戸領は、上野こうずけ碓氷うすい郡の中ほどにある。その北の吾妻あがつま郡は真田領であり、東と南は北条家傘下のくに衆が割拠かっきょしている。

 そして西方には、やはり北条家傘下の小豪族、一ノ倉いちのくら氏が治める一ノ倉城と言う小城があり、その更に西に大雲山小雲山の旧美濃島領があり、今はそこに幻狼衆がいる。


「真田は立場を明らかにしておりませんが、先日沼田の真田源三郎殿に使者を遣わしたところ、真田は諸々もろもろの立場上、はっきりと城戸に味方することはできないが、絶対に敵対はせぬと言っておりました。むしろ、真田源三郎殿は、何かあれば個人的に裏でこっそりと支援すると言って来ました」

「そうか……ありがたい。源三郎様には本当に世話になりっぱなしだ」


 礼次郎はしみじみと言う。


「まあ、もちろんできれば真田には味方になってもらいたいので、北は攻めません。となると、幻狼衆か、先日こちらに攻めて来てはっきりと敵対の意思を示して来た北条と言うことになりますが、北条は強大すぎます。向こうから再び攻めて来ぬうちは、刺激しないようにこちらからは仕掛けない方が良い。となると、やはり幻狼衆と言うことになる」

「だろうな。で、その攻める地はどこだ?」


 礼次郎は持ち前のせっかちで、れたように聞く。

 すると龍之丞は、手にしていた軍配で地図の一点を突いた。


「大雲山、小雲山とその付近一帯、すなわち旧美濃島領」


 即座に反応したのは、気怠けだるそうに聞いていた美濃島咲。


「美濃島を?」


 急に瞳に強い光がともった。


「ええ。幻狼衆が支配下に収めている城、砦はいくつかありますが、大雲山と小雲山の一帯は、一ノ倉城を挟んで城戸よりすぐ近く。咲殿にとっても弔い合戦となりますし、まずはここを攻めるのがよろしいでしょう。」

「でも、間には一ノ倉城があるのよ。ここはどうするの?」

「もちろん、先に一ノ倉城を攻め落としておきます。それから旧美濃島領です」

「おかしなことを言うわね。北条にはこちらからは仕掛けないんじゃなかったの?」


「ええ。その通りです。北条には攻撃しません。ここは近々幻狼衆のものになりますので」

「幻狼衆が?」

「ええ。北条に対して反旗を翻した幻狼衆は、当面の間は旧主北条家と戦うことになる。一ノ倉城は砦のような小城で、兵数も少ない。幻狼衆が、まず手始めに攻撃するのには最も手頃です。恐らく十日前後のうちに、大雲山小雲山から幻狼衆の兵が向かうことになるでしょう」


 龍之丞が言うと、礼次郎が膝を打った。


「なるほどな。そして、幻狼衆が一ノ倉城をおとした後、次は俺達が攻め込むんだな?」

「そうです。幻狼衆が攻め落とした直後なら、幻狼衆の兵たちも傷つき疲れておりましょうからな」


 龍之丞は笑みを浮かべてうなずいた。

 するとその時、早見喜多が外の中庭にすっと降り立ち、そのまま大広間に飛び入って来た。

 礼次郎が「どうした?」と問いかけると、喜多は進み出て来てひざまずき、


「申し上げます。千蔵より知らせが参りました。北条軍が動いたようでございます。その数、およそ三千」

「何? 三千?」


 礼次郎らにとっては大軍である。礼次郎始め、皆色めき立ったが、喜多は落ち着いた声で続けた。


「しかし、この城戸を攻めるのではないようです。どうやら七天山の幻狼衆を攻める様子」


 龍之丞が鋭い目つきとなった。


「そうか、北条がもう幻狼衆鎮圧に動いたか……予想よりもかなり早かったな。で、喜多殿、率いている将は誰だかおわかりか?」

鉢形はちがた城主、藤田安房守あわのかみ氏邦うじくにとのこと」

「ほう、藤田氏邦……」


 藤田氏邦は、藤田家の養子となり家督を継ぎ、その当主となっているが、彼本人は、北条氏康の四男で北条氏政の弟に当たり、北条一門の重鎮である。

 文武に優れ、北関東の要衝、武州鉢形城はちがたじょう城主として上野こうずけ方面の軍事外交を任されており、かつては武田信玄や上杉謙信とも渡り合った北条家の名将である。


「藤田氏邦が自ら出て来るとなると北条は本気だな」


 龍之丞は目を光らせた。


「龍之丞、三千と言えば大軍だ。北条は七天山を落としてしまうのではないか? そうなると天哮丸が北条に渡ってしまう」


 礼次郎が深刻そうな顔で聞くと、龍之丞は微笑して答えた。


「ご心配なく。昨日も申し上げました通り、北条は幻狼衆にはかなり手こずるはずです。今回も、恐らく北条は七天山を落とせぬでしょう」


 だが、それには壮之介が異を唱えた。


「藤田安房守と言えば北条家の名将。そして鉢形はちがた衆もまた黒備えで恐れられている猛者揃いだ。それが三千の兵で攻めるのならば、いくら幻狼衆とは言え、一千では到底かなわぬのではないか?」


 すると龍之丞は、


「いやいや、戦は兵数だけで判断しては行けません。かつて上杉不識庵ふしきあん様はおっしゃられました。時季、地形、将兵の質など、戦は天の時、地の利、人の和をかんがみて判断するのだと。藤田安房守は確かに名将ですが、恐らく今の幻狼衆には三千程度の兵数では勝てぬでしょう。まあ、続報を待ちましょう」


 と、軍配を扇ぐように動かして笑った。




 風魔玄介と、その率いる風魔幻狼衆の自立宣言を聞いた北条氏政は、当然激怒した。

 そして、七天山に近い北武蔵むさしの要衝、鉢形城の城主であり、自らの弟である藤田氏邦に七天山攻撃を命令した。

 藤田氏邦はただちに軍勢を整え、上州甘楽かんら郡の七天山へ進発した。


 その知らせはすぐに七天山にもたらされ、風魔玄介は幻狼衆幹部らを集めて軍議を開いた。

 最側近三上周蔵らを始め、幹部らはそれぞれ意見を交わしたが、黙って聞いていた玄介は最後に言った。


「鉢形衆が三千もの兵で来るとなれば容易ならん。ここは籠城で行こう」


 すると、幹部らがどよめいた。


「籠城? 確かにここ七天山に籠れば防ぐことは容易でござろうが、それはあまりにも弱気すぎませぬか? 籠城は最後の手段にするべきです」

「さよう。確かに敵は名高い鉢形衆はちがたしゅう。しかも三千人と言う我らよりも多い兵数。しかし、十分に作戦を練った上で全軍で迎え撃てば、決して勝てない戦ではないと存じます。自立を宣言して最初の戦でございますれば、景気づけの為にも討って出るべきかと存じます」


 幹部らは口々に反論した。一般に、籠城は最後に成す術がなくなった時に取られる下策とされる。

 だが、


「いやいや。この最初の戦で負ければ、兵らは我らの前途に不安を感じ、逃散ちょうさんするだろう。だからこそ万に一つの可能性も排除し、絶対に勝たねばならんのだ。ここはやはり籠城とする」


 玄介はきっぱりと言い、籠城で押し切ってしまった。




 幻狼衆が籠城策を取ったと言う知らせを聞くと、藤田氏邦は馬上で腕を組んだ。


「ふむ、まさか一戦もせずに籠城とはの」


 背後に続く猪俣いのまた邦憲くにのりが豪放に笑った。


「あの優男やさおとこめ。調子に乗って謀反したはいいものの、いざとなると恐ろしくなったのでしょうな」


 だが、藤田氏邦は笑わなかった。


「いや、玄介はそう言う男ではない。あの顔で豪胆な男じゃ。最初の戦に負ければその後の士気に関わる。そう考え、勝てる可能性の高い籠城策を取ったのであろう」


 すると、もう一人の配下の若武者、安藤久五郎きゅうごろう綱家がそれに同意した。


「拙者もそう考えます。玄介は忍びの術だけでなく、兵法にも通じております。殿の武略とこの大軍を相手にしては、野戦よりも籠城の方が良いと判断したのでしょう」


 この安藤久五郎は、風魔玄介とは歳も同じで顔見知りであり、仲も良かった。

 久五郎は続けて言った。


「しかし、玄介らに七天山に籠られるとなれば厄介ですな。七天山は難攻不落の自然の要塞。我らは三倍の兵数とは言え、攻め落とすのは容易ではないでしょう」

「それよ。何とか奴らを七天山より引きずり出し、野戦に持ち込みたいところじゃが、玄介が籠城を決めたとなると、まず挑発には乗って来ぬであろう」


 藤田氏邦は思案を巡らしながら、西の空を見つめた。すでに赤みが濃くなっている。


「そろそろ日が暮れるのう」

「ええ。すでに冬でございますれば、日没は早うございます。あと半刻ほどで暗くなりましょう」


 猪俣邦憲が答える。


「七天山まではあとどれほどの距離じゃ?」

「およそ四里。すでに近いですが、この時間なので今日中には着けぬでしょう」

「ふむ……」


 氏邦は深い思案に沈んだ後、ふっと微笑して背後の二人に言った。


「よし、では暗くなったら早めに夜営じゃ。兵達に食事をさせ、その後すぐに休ませよ」


 その命令の通り、とりの刻(十八時)となり、辺りが暗闇に包まれた頃、藤田氏邦ら鉢形衆は夜営に入った。

 幕舎を立て、炊煙を高々と上げて食事を取った。すでに寒気厳しい十二月の冬である。兵らは熱い雑炊と味噌汁で腹を暖かく満たした後、氏邦の命令ですぐに眠った。

 だが、およそ子の刻(零時)ごろ、同じく氏邦の命令で叩き起こされた。


「起きろ、急ぎ出発じゃ! これから七天山を急襲する!」


 そして幕舎、天幕を畳み、鉢形衆は七天山に急行することとなった。

 わけがわからず、突然どうしたのですかと問いかける猪俣邦憲、安藤久五郎らに、氏邦は言った。


「玄介は挑発には乗らぬであろう。となれば、七天山を攻めるしかないが、あそこはそう簡単には落とせぬ。となれば、奇襲しかない。我らが夜営をしたのは幻狼衆もすでに知っておろう。すでに籠城を決めている奴らは、それを聞いて今頃は安心して眠っているはずじゃ。この隙をつき、一気に七天山に迫り、攻め落とす」


 なるほど、と、猪俣邦憲、安藤久五郎らは感心した。

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