第167話 観音菩薩像

 瑤子は理解した。


 この小さな集落は、村長むらおさ夫婦を始めとし、住民全員が追剥おいはぎの村なのである。

 聞いたことがあった。まれに、近隣と隔絶かくぜつしているような山間やまあいの小さな村の中には、迷い込んで来る旅人らを住民全員で身ぐるみ剥がしてしまう追剥ぎ村があると言うことを。


「あなたたちは皆、追剥おいはぎなのですね」


 瑤子は声の震えを必死におさえながら言う。


「その通りだ。さあ、わかったなら持っている物を全て出しな」

「そのようなことはできませぬ」


 五摂家ごせっけの一つ、二条家の娘であり、夫も旧足利将軍家に連なる名家である瑤子は、今回の旅でも様々な高価で貴重な品を携えている。

 葛籠つづらや風呂敷包みに納めている物は、どれも滅多に手に入らない物ばかりなのである。簡単に渡すことはできない。


「できないだと? 何を言ってやがる。ここで今すぐにてめえらを殺してもいいんだぜ? だけど持っている物を全部出せば、命だけは助けてやろうって言うんだ」

「そのようなことを言われましても、出せない物は出せません。銭だけは全てお渡ししますから、それで勘弁してください」


 だが、瑤子のこの言葉がまずかった。銭よりも貴重な物を持っている、村長は悪人の直感が働いた。


「ほう。てめえの仕草や言葉遣いから言って、俺はどこぞの堂上方どうじょうがたの人間だろうとにらんでいたが、どうやらその通りのようだな。そして銭には変えられぬ珍しい物を持っているのだろう。こうなってはますます見逃せねえ。さあ出せ」


 村長は、どんどん残忍な顔つきとなって行った。背後の男達も同様、舌なめずりをするような表情である。


 襖をへだてた隣の部屋でも、同じようなことが起きているのであろう。男衆が何か言い合うような声が聞こえる。

 瑤子はじりじりと、その隣の部屋に通じる襖に寄って行った。

 村長はそれを見逃さない。目をますます光らせて、


「逃げるならば死ぬだけだそ」


 その時、ついに隣室から怒号と共に刃物と刃物がぶつかり合う音が聞こえ始めた。かと思うと襖がガラッと開き、寝間着ねまきのまま刀を手にした護衛の侍二人が血相を変えて飛び込んで来た。


「奥方様! ご無事でございますか?」


 瑤子らはその侍に駆け寄った。


「ちっ、仕方ねえ。全員ぶっ殺してやる!」


 村長と男達が一斉に襲いかかって来た。


「奥方様、ここは我らが防ぎます故、何とかお逃げくだされ」


 侍二人が必死の形相で男どもに立ち向かって行く。

 隣室でも、三人の護衛の侍が六人の男を相手に必死に斬り結んでいるが、見れば一人が男の刃に胸を貫かれて血を噴いたところであった。


 侍女らは悲鳴を上げてその中を逃げ惑う。

 瑤子も逃げようとしたが、はっとして部屋の隅の小さな葛籠に駆け寄った。中を開いてかき回し、何かを掴むや、裾をまくり上げて奔った。男達が斬り合う間を巧みにすり抜け、廊下を全力で駆ける。

 村長の男は、瑤子が掴んだ物が最も高価で貴重な物だと睨み、刀を振り回しながら大声で叫んだ。


「あの女を逃がすな!」


 瑤子は必死で廊下を駆けた。

 男の一人がそれを追いかけたが、廊下に飛び出した護衛の侍の一人が、そうはさせまいとして背後から斬りかかった。男は振り返って剣で受け止め、たちまち斬り合いとなった。


 瑤子は屋敷を飛び出した。

 少し離れた家の中でも、同じような剣の音と怒号が飛び交っていた。

 もう一組泊まっていると言う武者修行の侍たちが、同じような目に合い、抵抗して戦っているのだろう。

 自分も剣術ができたら――瑤子は思ったが、今更どうにもならない。瑤子は無我夢中で暗闇の中を走った。

 だが、すぐに数人の男の声が背後より迫り来る。


「待て!」

「逃げるな!」


 瑤子は恐怖に青ざめた顔で必死に走るが、怒鳴り声はどんどん大きくなる。


「あっ」


 足元の何かにつまずき、瑤子は小さな悲鳴を上げて転んだ。

 痛みを堪えながら立ち上がろうとしたが、その隙に男達に追いつかれてしまった。


「へへ……残念だったな。この真っ暗闇だ。外の人間がうまく走れるわけねえさ」


 暗くてよく見えないが、男達はにやにやと笑っているであろう。

 瑤子は息を乱しながら、震えていた。右手に掴んでいる物を更にぎゅっと握りしめた。


「さあ、その手にある物をよこしな。それだけを持って逃げたんだ。さぞやお宝なんだろう?」


 男の一人が、剣の切っ先を瑤子の胸元に伸ばした。


「こ、これは……駄目です……絶対に……お金ならあるだけ渡しますから、どうかこれだけは……」


 瑤子は声を震わしながら答える。


「何言ってやがる。それを聞いて引き下がる俺達かよ」

「だ、駄目です」

「仕方ねえ。取り上げろ」


 男があごをしゃくると、他の男たちが飛びかかって瑤子を押さえつけた。そして、抵抗する瑤子の右手から、その中に握りしめている物を取り上げたのだが、それを見て男達は拍子ひょうしけした。

 それは、古ぼけて色のくすんだ、小さな観音菩薩の木像だったのである。


「何だこりゃ?」


 一人が呆れたような声を上げた。

 他の男たちも苦笑する。


「おい、何だこれは?」


 瑤子にぞんざいに問う。


「見ての通り……観音菩薩像です」


 瑤子が力ない声で答えた時、村長が駆け付けて来た。


「おう、やったか」

「ああ、お頭。しかし、これを見てください」


 男が振り返って村長に観音菩薩の木像を見せた。


「何だこれは?」


 村長も落胆混じりの呆れた声を上げる。

 すると、瑤子が再び答えた。


「十七年前に私が作った観音菩薩の木像です。世間では何の価値もございません。しかし、私にはとてもとても大切な物なのです、お返しください」

「ふうん……」


 村長は、その木像と瑤子の顔を交互に見つめていたが、


「おい、返してやれ。確かに価値は無さそうだ」

「へえ。……ほらよ」


 男が雑に木像を瑤子に投げた。

 瑤子は両手で受け取ると、胸に抱え込むように握りしめた。


「あっちはどうなりましたか?」


 男達が村長に聞く。


「ああ、少し手間はかかったが、全員片づけた。色々と貴重なお宝もいただいたぜ」


 村長が答えるのを聞いて、瑤子の顔がさっと青ざめた。身体が小刻みに震える。


「では、この女もやっちまいますか?」


 いや、待て、と村長は言うと、瑤子に向かって、


「おい、おめえ。あれだけのお宝を持って旅をしているのは普通の人間じゃありえねえ。おめえは一体どこの何者だ?」


 瑤子は、唾をごくりと飲み込んだ。武家の妻らしく振舞おうと、身体の震えを止め、毅然として言った。


「私は五摂家の一つ、二条家の末娘です。そして旧足利将軍家に連なる一門で、今は関白豊臣秀吉公の近臣、伊川経秀の妻です。このような仕打ちをして、夫や関白様が知ったらただではすみませぬよ。すぐに放しなさい」

「何?」


 村長始め、男達は皆仰天した。衝撃的な答えであった。しばし、唖然としていた。

 だが、やがて村長がにやりと笑った。


「ふふ……俺達を舐めるなよ。そんなことでびびってたらこの稼業かぎょうはやってられねえんだよ。それどころか、それを聞いたらますます放ってはおけねえ」

「…………」

「年増だが、これだけの器量だ。加えて二条家の娘と言うこの身分。女衒ぜげんに見せれば、それはそれは高く売れるぜ」


 瑤子の顔が再び青ざめた。彼女は全身の血が凍りついて行くのを感じた。


 ――百合子……!




 上州甘楽かんら郡、七天山しちてんざん城――


 からっ風が吹きすさぶ中に不気味な佇まいを見せる自然の堅城に、その主はすでに帰り着いていた。

 武想郷より再び天哮丸を奪い出した風魔玄介は、まさに風の悪魔の如く、恐るべき速度で奥州から上州へと駆け戻り、わずか二日後には七天山に戻っていた。


 戻るとすぐに、玄介は配下の者どもに天哮丸を見せ、いよいよ自分達の野望を遂げるべく動くことを宣言した。

 そして、昼には主だった側近らと共に軍備を再点検し、配下の兵士らの戦闘演習を指導、夜には地図を囲んで戦略を練り始めると言う、諸事しょじに忙しい日を送り始めた。


 だが七天山に帰り着いて五日目のこの日、風魔玄介は、七天山の城の西のくるわにある小さな堂の中にいた。


 堂の中には、通常、観音菩薩や毘沙門天像などの仏像が祀られている。しかし、この堂の中には一体の仏像も無かった。

 代わりに、中央の奥の台の上に、二つの位牌が置かれていた。

 風魔玄介は、その位牌の前に正座して目を閉じていた。傍らには、黄金の鞘に納められた天哮丸がある。


 とても静かであった。

 堂の窓より光の柱となって漏れ入る午後の陽。

 屋根の上に止まっているのであろうか、風雅な小鳥のさえずり。

 微かに聞こえて来る、遠く東のくるわで行われている軍事演習の音。


 風魔玄介は、ゆっくりと目を開いた。

 右側の位牌を見て、玄介は呟いた。


「姉上、私はいよいよやりますぞ」


 そして、玄介は黙然と位牌を見つめた。

 何を思い、何を語っているのか――そのまま、四半刻も微動だにしなかった。

 だが、外からの三上周蔵の報告に、眉を動かした。


「何? 親父おやじ様が来た?」



 玄介は堂を出ると、天哮丸を持って本丸の大広間へと向かった。

 その上段の間には、すでに父親の五代目風魔小太郎が傲然ごうぜん胡坐あぐらをかいていた。

 左右には、小太郎が重用ちょうようする側近の忍びも控えている。


 入って来た玄介に気付くと、小太郎は細く鋭い目でじろりと玄介を睨んだ。

 それを見返した玄介、別段表情を変えることなく大広間を進んで行き、小太郎の二間ほど手前に静かに腰を下ろした。


「何故わし自ら参ったか、用向きはわかっておろう?」


 小太郎は、挨拶も前置きもなく、いきなり雷のような声を響かせた。


「ええ、もちろん」


 玄介は薄笑いで答える。


「では、いい加減、こちらに渡せ」

「これのことですか?」


 玄介は、右手で天哮丸を掴み上げ、鞘のこじりをトンと床板に立てた。

 小太郎はじろりと見て無言でうなずいたが、玄介はふふっと笑って答えた。


「できませんな」


 小太郎がまなじりを吊り上げた。


「何? 貴様、これまでも大殿が度々使者を遣わして来ておるが、その度に、"天哮丸はボロボロであり、本来の力を発揮できないが故に、我らの手で天哮丸を蘇らせてからお渡しする"と、言って来おったな。だが、貴様がつい先日、奥州に行って天哮丸をその本来の姿とやらに戻して来たのは知っておるのだ。もう良かろう、大殿に引き渡せ」

「流石は親父様、もう知っておられましたか。しかし、やはりお渡しするわけには参りませぬ」

「……何故だ」

「これは私の物にすると決めました故」

「何だと? 戯言ざれごともたいがいにせい。大殿はもう我慢の限界に達しておるのだ」

「それは面白い。あの鳥頭が我慢の限界を越えたらどうなるのでしょうな? 怒って空を飛びますかな?」


 玄介が高く嘲笑すると、小太郎がカッと目を剝いた。


「貴様!」


 上げた左手から銀光がはしったが、玄介は表情一つ変えずにさっと顔をひねって、その棒手裏剣を避けた。棒手裏剣は、大広間の入り口の柱に音を立てて突き刺さった。

 小太郎は、猛獣のような目つきで玄介の顔を睨んだ。


「玄介、いい加減にせよ。天哮丸を渡せ」

「すでに私の物にすると申し上げました。渡せませんな」

「……どうあっても渡さぬか」

「ええ……それ程渡して欲しければ、力づくで私に言うことを聞かせてみては如何でしょう? 二十年前、私に姉上を殺させたあの時のように」


 玄介の氷のような冷笑。

 小太郎はぴくりと太い眉を動かすと、ゆっくりと立ち上がった。腰には、二本の刀が差されている。一本は普通の刀で、もう一本はやけに幅の広い大刀である。


「わしには、息子である貴様を斬れぬとでも思っておるか?」


 小太郎は冷たい声を響かせながら、普通の刀の方を抜いた。

 玄介も天哮丸を掴んで立ち上がった。


「まさか。親父様は風魔小太郎。躊躇いもなく私に刃を向けるでしょう。だが、親父様の腕で今の私を斬れますかな?」

「玄介!」


 小太郎の雷鳴のような怒号が大広間を震わせた。

 その瞬間、突風が吹き抜けたかと思うと、どうやって移動したのか、小太郎の姿は玄介の背後にあり、上段から凄まじい一撃を振り下ろしていた。

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